イカロスの失墜

「あれ、主役はどこ?」


 これが、大ブリューゲルことピーテル・ブリューゲルの「イカロスの失墜」を一見した多くの人が抱く印象だろう。


 この絵で最も大きく描かれている人物は、馬に荷車を括りつけて鞭打つ農夫だ。しかし、鮮やかな赤いシャツにワンピースの作業着を纏った彼は、観る者に完全に背を向けており、その表情は窺い知れない。


 山の斜面を歩く農夫の背景には、白んだ空とエメラルドグリーンの海が広がっている。朝焼けか夕焼けかは不明だが、この農夫と画面中央の羊飼い、そして画面右下の漁師の姿からして、当時の一般庶民にとっては労働に従事する時間帯なのだろう。


 画面の右側には見事な帆船も浮かんでおり、そこに視線を移動させて初めて、帆船の下側の波間に、逆さまになった人の両脚が小さく描かれているのに気付く。


 これが、本来は主役であるはずのイカロスだ。画中には逸話の元になった蝋の翼もなければ、死んでいく彼の表情すら描かれていない。ただ、単に船から誤って海に落ちてもがいている人間としか見えない、ぶざまな両脚だけの姿。


 農夫も、羊飼いも、漁師も、画中の誰一人として溺れるイカロスに目を向ける者はいない。

 彼らはそれぞれの労働に没頭しており、また、彼らにとっての生活とはそのまま労働を意味している。


 彼らの関心は日々の労働の中に完結しており、蝋で作った翼で飛翔を試みて転落した男など、仮に目と鼻の先でもがいていても、視野に入ることはないのだ。


 嘲笑や断罪といった否定的な形での注目すら受けないイカロスの死は、画中の世界においては文字通り「無駄死に」だ。


 彼を取り巻く風景が色鮮やかであればあるほど、また、彼を黙殺する無名の庶民たちの姿が現実感に満ちていればいるほど、イカロスの生の空しさが浮き上がってくる。


 この作品から個人を抹殺する社会の酷薄さ、英雄的行為を理解できない大衆の蒙昧さを読み取るのはむしろ容易だし、描く側もそうした読まれ方を想定し許容しているようにも思える。


 しかし、海の紺碧を基調にした画面の中で一際鮮やかな赤のシャツを身に着けた農夫の背中には、「無知蒙昧な民」という矮小な枠組にはめ込まれることをどこか拒否するような、静かな力強さも漂う。


 イカロスをイカロスたらしめている蝋の翼が消失している世界においては、この農夫の地に足着けた生こそが正義なのだ。


 そんな風にも感じられる一枚だ。

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