コンパニオン・アニマル

二木瀬瑠

episode.1 ~困ったちゃん~

 世間では『ペットブーム』といわれてから、もうずいぶん長い時間が継続しています。


 かつて、犬は番犬、猫はネズミ退治、といった任務を与えられ、食餌も残飯が当たり前という家畜的な扱いを受けていたペットたちも、すっかり家族の一員というポジションが定着して来ました。


 まだまだ『ペット=愛玩動物』という呼び名が一般的ですが、命なのに玩具のような呼び方はどうか、ということで、最近では『コンパニオン・アニマル=伴侶動物』という呼び方をする人も増えているそうです。





 私の名前は、松武こうめ。この新興住宅地に住む、専業主婦です。私の住むこの町にも、たくさんのペット(コンパニオン・アニマル)たちが暮らしています。


 戸建て住宅を取得する理由の上位に君臨するのが、『ペットの飼育』ですから、ご自宅を新築されて、新たにペットを家族に迎えられたお宅も多いようです。


 また、以前から共同住宅などで飼っていた方が、もっと広い環境で、のびのびと育てたい、というケースや、ペット不可の物件で、こっそり飼っていたのがバレて(バレそうになって)、いっそこの機に、気兼ねなく飼える一戸建てを建てようと決心された、というお話もお聞きします。


 最近では、多くのハウスメーカーさんから、『ペットとの暮らし』をコンセプトにした住まいが提案されていて、それに魅了されたという方も、結構いらっしゃるようです。





 我が家も、2猫(♂・♀各避妊去勢済み)を引き連れて、新築に踏み切りました。


 私が家を建てた当時、まだペット仕様のプランはほとんどなく、ベースは一般的な設計でしたが、詳細な打ち合わせの際、至るところに『お猫様仕様』の要望を出しました。


 床材は傷つきにくいほうが良いけれど、固すぎる材質だと、猫の足や爪に負担が掛かるからNGとか、猫たちが触れる壁や床は、清潔に保ちたいので、水拭きOKの素材や、後々、補修・交換がしやすいものを、とか。


 コンセントの位置が、丁度猫たちの目線の範囲にあるのがずっと気になっていましたので、変更可能な場所は、人間の腰の高さや、スイッチと同じ場所などに設置しました。


 お洒落なニッチをキャンセルして、代わりにキャットウォークを設置してもらったり、猫だけが通れるキャットスルー、猫が入らないためのキャットガード、猫の、猫が、猫も、と、気が付けば猫オンパレード。


 ラッキーだったのは、担当してくださった設計士さん、インテリアコーディネーターさんが、猫を飼っている方でしたので、こちらの希望を瞬時に理解して下さり、打ち合わせがスムーズに進みました。





 何より、猫は新生児ほどの小さな身体の持ち主ですから、建築資材による有害物質が極力少ないもの、という部分では、かなり勉強しました。


 当時、私たち夫婦は結婚したばかり、子供も予定しておりましたので、ここだけは絶対に妥協したくありませんでした。ですので、その費用が嵩んだ分、外構工事を最低限に抑え、庭は自分でコツコツ作って行くことにしたのです。





 大多数の方にとって、家づくりは一生にそう何度もあることではなく、出来るだけ多くの理想を叶えたいものです。我が家のように、ペットとの生活を踏まえたプランを希望される方も、少なくなかったのでしょう。


 そうした傾向や、尚成長を続けるペット関連市場の動向からも、『ペットとの暮らし』を前面に押し出した住宅プランは、マーケティングで通用すると判断され、当初、サンプル程度に商業ベースに乗せた企画が、すでに定番商品になりつつあるほど。


 今では、分譲・賃貸に関わらず、マンションでもペット可物件が増え、内装もペットとの生活を見据えたデザインにされているのですから、大したものです。


 それほど、このご時世、ペットの存在は無視できなくなっているということでしょう。統計によれば、15歳未満の子供の数より、飼育されているペットの数のほうが圧倒的に多いということですから、業界も戦略に出るはずです。





 我が家の2猫。黒猫の『にき』♂と、キジ猫の『せるじゅ』♀。ともにミックス。同い年で生まれたのもほぼ同じころ。でも姉弟ではありません。


 お友達のところで生まれたにきを、我が家に迎える日、当時住んでいたコーポのボイラー室に迷い込んだのが、せるじゅでした。不安そうに大鳴きしている、まだ小さな子猫を放置することも出来ず、とりあえず拾い上げました。


 外傷や、病気らしい兆候はなく、毛も綺麗な状態。あまり人間を恐れない様子から見ても、おそらく野良ちゃんではなく、飼い猫だったのだろうと推測出来ます。喉が渇いていたらしく、差し出したお水を一目散に飲みました。


 約束の時間が迫っていたので、せるじゅも一緒に車に乗せ、お友達のところで簡単に事情を話した上で、にきを引き取り、そのまま2猫を連れて、獣医さんへ健康診断に行きました。


 にきは勿論ですが、せるじゅのほうも健康状態に問題はない、とのこと。ひとまず安心です。


 予定外のせるじゅの出現に、里親探しも考えたのですが、小さな2猫がじゃれあい、お団子になって眠る姿に瞬殺されました。


 丁度、当時まだ恋人だった現夫と、一緒に住み始めた時期でもあり、相談した結果、一匹も二匹も変わらないということで、姉弟として迎え入れることにしました。


 一応、続き柄は、我が家に来たのがちょっとだけ早かったせるじゅが姉、にきが弟です。





 この2猫、すごく仲が良いというわけでもなく、一緒に眠ったりすることもありますが、いつもは一定の距離を保って、あまり干渉しないスタンスでいます。


 ですが、どちらか一方が私に叱られたりすると、必ずもう一方が側に来て、なぜか一緒に叱られていたりするのが不思議です。


 好みも性格も違う2猫ですが、お互いと夫と私を含めて『家族』と認識しているようで、私たち夫婦にとって、大切な、大切な子供たちです。





 ガーデニングをしていると、よく、わんこのお散歩中の方をお見かけします。


 何度も顔を合わせるうちに、ご挨拶するようになり、すっかり顔なじみになっていたのに、ふと気が付くと、わんちゃんの名前は知っていても、飼い主さんのお名前を存じ上げなかった、なんてこともたまにあります。


 人間大好きなわんこは、かなり高い確率で、飼い主さんもフレンドリーだったりしますから、ペットは飼い主に似るというのは、あながち間違っていないのかも知れません。





 ただ、中には、人間は大好きなのに、わんこは大嫌いという子もいて、ご近所の百合原さん宅のフレンチブル、愛子ちゃんもそんなひとり。お散歩に連れて行くたびに、よその子を激しく威嚇し、リードがなければ、確実に襲い掛かる勢いなのだそうです。


 百合原家にとっては、初めてのわんこで、元々犬とはそういうものなのか、それともこの子の性格なのか、あるいは自分の躾が悪いのか、分からず、それでも、いつかはよその子と仲良くなれる日が来るのかと、悶々としていたそうなのですが、むしろ状況は悪くなる一方でした。


 フレンチブルは、とても温厚な性格の子が多いのですが、もとは闘犬の系統であり、強靭な肉体を受け継いでいます。


 愛子ちゃんの場合、小柄とはいっても、成長するに伴って、よそのわんこと出くわした際、リードを引くことすら大変になって来たので、万が一、事故(噛みつき)が起こってからでは取り返しがつかないと思い、思い切って、ドッグスクールで訓練を受けることにしたそうです。





 状況をお話したトレーナーさんから、子犬のころに、他のわんこに追いかけられたことがなかったか訊かれ、百合原さんには思い当たる節がありました。


 てっきり遊んでいるとばかり思っていたのですが、攻撃的な子に追いかけられることによって、それがトラウマになり、わんこに出くわした際は、先手攻撃をするものとインプットされてしまっているのでは、ということ。


 一度こうなってしまうと、他のわんこと仲良くさせることはかなり難しく、他のわんこを見ても、攻撃しないように『我慢する訓練』をするしかないそうなのです。





 我が家の2猫たちにも、色々な問題行動はあります。ですが、完全室内飼いですから、被害の範囲も私や夫限定、人間でいえば『家庭内暴力』の範囲で、他人様に被害が及ぶことはありません。


 ですが、わんこの場合、お散歩など社会生活が避けられませんので、特にこうした住宅密集地では、飼い主だけの問題では済まなくなるのです。


 仮に、愛子ちゃんが攻撃して、相手のわんこに返り討ちに遭っても、それは自業自得ですが、万が一、相手に怪我をさせたり、小型犬や子犬など体格差によっては、最悪死に至ることもあり得ます。


 さらに、興奮した状態では、飼い主さん自身や、相手の飼い主さん、側にいる人にも被害が及ぶ可能性も出て来ます。


 普段はとても大人しい良い子でも、闘犬や猟犬など、犬種によっては、何かのきっかけで本能にスイッチが入ると、思いもしない事態を引き起こすこともあります。


 その特性をよく理解したうえで、飼い主さんは適切にコントロールする術を身に付ける必要があるのです。





 愛子ちゃんにとって、わんこと出くわすことはストレスでしかなく、さらに攻撃を我慢するという二重のストレスを、一生抱え続けなければなりません。


 その事実を知った百合原さんは、自分が無知だったばかりに、愛子ちゃんに申し訳ないことをしてしまったと、もの凄くご自身を責めていらっしゃいました。


 ドッグスクールに通うには、時間も費用も掛かりますが、訓練を積むことで、『攻撃してはいけない』から『攻撃する必要がない』という状態にし、それを日常化させることで、少しでも彼女のストレスを軽減させることが大切と決断して、プロの力をお借りしたとのこと。


 同時に、トレーナーさんの指導で、なるべく愛子ちゃんが他のわんこと遭遇しなくて済むように、お散歩の時間帯をずらせるなどの対策も取っていらっしゃるそうです。





 わんこ大嫌いな愛子ちゃんですが、人間を含めそれ以外の動物に対しては、別犬のようにフレンドリー。なので、我が家へ立ち寄った際は、百合原さん立会のもと、思いっきり撫で繰り回したりして、愛子ちゃんが喜ぶように遊びます。


 そして、我が家の猫嫌い(せるじゅ除く)&犬好きなにゃんこ、にきも、窓ガラス越しですが、愛子ちゃんとご挨拶。ガラス越しは、お互いの安全確保のためです。


 ちぎれそうに尻尾を振る愛子ちゃん、ガラスや窓枠に身体を擦り付け、尻尾をピンと立てるにき。種類は違っても、ちゃんとそれぞれの作法で、親愛の情を表しています。





 わんこに関していえば、私の住むコミュニティー内だけでも、ミックスからブリードまで、じつに多種多様の子たちがいて、人懐こい子、人見知りな子、ワンオーナーな子、シャイだけど一度心を許すととてもフレンドリーな子と、その性格も様々。


 その中で、ちょっと皆さんが困っているわんちゃんがいました。正確に言うと、わんちゃんにではなく、飼い主さんのほうに、責任や問題があるのですが。



「先週もね、リードを外して、走り回っていたんですって。危うく、車と接触事故になるところだったって、葛岡さんのおばあちゃんが言ってたわ」


「脱走癖があるって分かってるんだから、せめてお出かけの時は、室内に入れれば良いのにね」


「それが、夜もずっとお外に繋いだままらしいのよ」



 回覧板を届けて下さった、お向かいの萩澤さんと、ついつい話し込んでいました。


 隣接するお隣の町内の、米倉さんのお宅のりゅうくん(♂)。2歳の大きめの中型犬で、犬種はミックス、外見からは日本犬の血を強く引いているように見えます。


 りゅうくんは、フレンドリーな性格で、人間もわんこもOK。お散歩の途中、我が家の前を通ることが多く、ご挨拶がてら、撫でたりしている顔見知りのわんこです。





 彼の問題というのは、リードを外して、門扉や塀を飛び越えて脱走する癖があること。頭が良く、身体能力が高いからか、この数か月、頻繁に繰り返しているようなのです。


 交通量の多い幹線道路も近く、住宅街の中でも頻繁に車が通るため、接触事故の可能性もありますし、驚いたドライバーさんが急ハンドルを切ったりしても危険です。


 また、住人や通行人の中には、わんこが苦手な人もいらっしゃいます。なまじ身体が大きいので、本犬はじゃれているつもりでも、お子さんやお年寄り、華奢な女性ですと、押し倒されて怪我をすることも考えられます。


 それでなくても、知らない大きめのわんこが、飼い主の同伴なくひとりで歩いていたら、ほとんどの人は、少なからず恐怖を感じるのではないでしょうか。





 私にも経験がありました。それはまだ、私が中学生の時のこと。


 よく遊びに行っていた同級生のお家の近くに、セントバーナードを飼っているお宅がありまして、駅から彼女のお家は、そのお宅の前を通るのが近道でした。


 ところが、そのセントくん(仮名)、しばしばリードを外して、お家の前の道路の真ん中に寝そべっていることがあり、私もそうした場面に何度か遭遇したことがありました。


 わんこは大好きですし、攻撃的な子でなければ側に行っても平気なのですが、いかんせんセントバーナード犬、サイズが大きいので、飼い主さんが側にいないと、わんこ好きの私でさえ、近寄るのも躊躇する迫力があり、セントくんが道路にいるときは、回り道を余儀なくされました。


 当時はまだゆる~い時代でしたから、それも許されていましたが、あれが今この町内に出現したら、速攻で通報されているでしょう。





 まさにそれに近い状態が、米倉さん宅なのです。現に、逃走中のりゅうくんを目撃した人から、警察や保健所に通報されたことが、何度かあったとか。


 中でも、非常にナーバスになっていたのが、百合原さんです。通報こそしていませんが、お散歩中の愛子ちゃんと、逃亡中のりゅうくんが出くわし、万が一りゅうくんが売られた喧嘩を買ってしまったら…と、考えただけで恐ろしいです。


 ですから、百合原さん、お散歩に行くときには、一度米倉さん宅まで行き、りゅうくんが繋がれているのを確認してから出かけたり、車で少し離れた公園まで、愛子ちゃんを連れてお散歩に行ったりと、とても神経を使っていました。



「じゃ、回覧板ね。お願いしま~す」


「は~い。ありがとうございました」



 散々話し込んで、ようやく萩澤さんから回覧板を受け取り、6mの道幅を隔てた自宅に戻る彼女を、手を振ってお見送りしました。


 回覧を見ると、『街路灯の増設と防犯カメラの設置に関するアンケート』という内容のお知らせでした。


 現在、設置されている街路灯の数が少なく、夜間、車から歩行者が見えにくく、また、不審者にとって身を潜めやすい環境でもあり、そうした安全上の理由から、街路灯を増設して欲しいという意見が複数寄せられ、同時に防犯カメラの設置も検討しており、それについて賛成・反対と、あれば意見を記入して提出して欲しい、という旨の説明が記されています。


 アンケート用紙は、後日、自治会の各班長さんが回収にいらっしゃるそうで、街路灯・防犯カメラの設置候補場所を記した地図も添付されていました。





 そうした工事に関しては、毎年各戸から徴収される自治会費で、工事関連費用が支払われるため、自治会規約により、住民の多数決で採決することになっています。


 また、個人情報やプライバシーなど、何かとデリケートなご時世ですから、防犯カメラの設置場所や、設置そのものにも、かなり神経を使うところです。


 わたくし個人的には、死角がゼロになるくらい、防犯カメラを網羅して欲しいくらいです。徹底的に見張られていると分かれば、犯罪の抑止力になるかもしれませんし、万が一何か起こった際、事実を知るための大きな手掛かりになります。


 プライバシーや個人情報の保護も大切ですが、それも防犯や安全が前提にあってのことですから、そうした方向に重きを置いて頂けるとありがたい、というような内容をアンケートに記載して、後日、回収にいらっしゃった今年度の班長さん=来栖さんにお渡ししました。





 ある日の夕方、電話が鳴り、出ると葛岡さんのおばあちゃんでした。


 普段は直接インターホンを鳴らすのに、今日に限って珍しいと思いましたが、こちらに話す間も与えず、かなり動揺した様子で、マシンガンのように、



「松武さん!? うちの庭に、大きな犬が入り込んで来てるのよっ! どうしよう!? 何とかして頂戴!!」



と、捲し立てています。おばあちゃん、わんこが大の苦手なのです。


 とりあえず、おばあちゃんに自宅から出ないように言い、ご近所の中型犬を飼っている椎名さん宅へ行き、事情を話しリードをお借りして、葛岡さん宅へ行くと、案の定、りゅうくんがお庭の中を闊歩。


 掃き出し窓からその様子を見ながら、悲鳴を上げているおばあちゃんと、りゅうくんの動きを見ながら、フーシャー唸って毛を膨らませている葛岡家の3猫たち。嫌なら隠れていれば良いのに、怖いもの見たさは、人間も猫も同じです。





 私の顔を見たりゅうくん、遊んでもらえると思ったのか、はしゃぎまわって、全然捕まりません。そこへ、偶然学校から帰宅した葛岡さんの長男、柊君が事情を察知し、助っ人をしてくれました。


 私がりゅうくんをおびき寄せている間に、柊君が首輪にリードを装着する作戦。はしゃいで飛びつくので、なかなか思うように行きません。


 悪戦苦闘しながらも、何とか装着に成功し、ミッション完了時には、二人とも腕に擦り傷を作り、ところどころ出血していました。


 それを見て、おばあちゃんはまた悲鳴を上げていましたが、猫飼いの私や柊君にとって、流血など日常茶飯事。傷を怖がっていたら、猫とは遊べません。もし彼らが本気になれば、とてもこんな傷どころでは済みません。


 途中で様子を見に来てくださった椎名さんと三人で、りゅうくんを米倉さん宅まで送って行ったのですが、お留守の様子で、仕方なく勝手に門の中へ入り、りゅうくんのハウスに繋いで、一連の出来事を簡単にメモに残し帰宅しました。





 夜になり、米倉さんの奥さんがお菓子をもって謝罪にいらっしゃいました。そして、開口一番、



「あの、お怪我のほうは大丈夫でしょうか? 治療費はすべてこちらで負担させて頂きますので! 本当に申し訳ございませんでした!」



と、平身低頭なのです。


 ひとまず落ち着くように言い、怪我というほどの怪我などしていないことを説明し、ご心配には及ばない旨、伝えました。


 お話を聞くと、夕方帰宅してメモを見て、すぐに葛岡さん宅へ伺ったところ、応対に出たおばあちゃんが『孫が犬に噛まれて、大怪我をした』と、激怒していたとのこと。同様に私も大怪我をし、人を噛むような犬は許せないので、早くどうにかしろ、と言われたそうです。



「どうにか、って、りゅうくんは誰も噛んでいませんし、百歩譲って怪我をしたとしても、それは私と柊君で、おばあちゃんはおうちの中で騒いでいただけだから、何にも被害は受けてないはずですけど?」


「でも…」


「謝罪されるなら、柊君のママにされたら良いと思いますよ。必要なら、私も一緒に伺いますから」



 米倉さん、よほどおばあちゃんにこっ酷くやられたのでしょう。他人様に文句を言うのが生き甲斐のような方ですから、免疫のない人にはダメージも大きいです。


 私も引っ越した初日に、餌食になった経験がありますので、分かります。





 道路のほうから車のエンジン音がして、ちょうど葛岡さんの奥さんが帰宅したところでした。すぐさま葛岡さんの元へ歩み寄り、謝罪する米倉さんに、葛岡さんは笑いながら、気にしないようにとおっしゃいました。


 どうやら一連の騒動を、柊君がメールで知らせていたらしく、怪我の状態も写真で確認済み。さすがは同居孫、おばあちゃんのあしらい方を熟知しています。


 ママの帰宅を察知して、おうちの中から出てきた柊君。私と彼の腕の傷を見た米倉さんは、申し訳なさそうに言いました。



「本当に、すみません。こんなに傷だらけにさせてしまって」


「いえ、りゅうくんのは、この辺のちょっとだけで、あとはうちの猫たちの仕業ですから」


「僕もそうです。9割がた、うちのバカ猫たちにやられたとこです」


「ええ、バカ息子の言う通りですから、ご心配なく」



 何度も言いますが、猫、半端ないです。でも、愛しているから、傷も、流血も、許せてしまうものなのです。





 しかし、やはり、りゅうくんの脱走癖は、何とかしなければなりません。今回は、動物好きな私たちだから大丈夫でしたけれど、もし相手がおばあちゃん寄りの人だったら、問題がややこしいことになります。


 今後、彼が脱走しないような対策をお願いし、その日は解散しました。





 ただ、この米倉さん、真面目で温厚で、基本的には良い方なのですが、一つ問題点がありました。節約家というと聞こえは良いですが、ちょっとばかり度が過ぎるところがあるのです。


 とにかく、お金を使わないことにエネルギーをつぎ込むタイプの方で、一円でも安くお買い物をするのは勿論、お金を掛けることが罪悪かと思うくらい、出来ることは自分でやるという信念の方なのです。


 それ自体をとやかく言うつもりはありませんし、ご自身の家庭内だけなら、問題ないと思うのですが、そこに留まらないことが少なくないのだとか。


 以前にも、徒長したお庭の木の剪定を、造園業者さんにお願いする費用が勿体ないと、高枝切鋏を購入して、ご自身でカットされ、落下した枝が隣家の車を傷付けてしまい、結局、支払った修理代のほうが高くついてしまった、なんてことが多々あるそうです。


 経験や技術があれば別ですが、何度も同様の失敗を繰り返し、挙句、余計な出費や迷惑を掛けることになっても、なぜ今度は大丈夫と思えるのか、理解不能です。





 りゅうくんのこともしかり。犬をいれると家が傷んで修理代が掛かるから、中に入れたくないらしく、頑丈なケージを造作したり、門扉や塀の工事にも費用が掛かるので嫌。


 防止対策として、脱走するたびに、外れにくいチェーンの留め具に交換するのですが、効果なし。


 りゅうくんの脱走を良く思っていない人たちからは、『あんなに何度も留め具を買ってたら、ケージが買えるんじゃないの?』なんて、陰で皮肉を言われる始末です。





 私の母も、お金に関してはそういうタイプの人間で、経験から思うのは、それによって被害を受けるのが、周囲の人々だということです。


 人間関係とは無縁の世界で生きているなら別ですが、少なからず他人と関わりをもって生活しなければならない環境では、摩擦を防ぐために、ある程度の出費を必要とすることもあります。


 本当にお金がないのなら、致し方ないと周囲も理解するところですが、往々にして、こうしたタイプの人には、お金がないわけではないのに、という方が少なくない気がします。





 小学生の頃、私はお人形を買ってもらえず、いつもお友達に余っているお人形を借りて遊んでいて、複数のお友達の母親たちから、陰湿な仲間外れをされた経験があります。


 母には、節約という名目で、『物は共有して使う』という方針があったのですが、当然ながら、物には所有権があります。大人なら、状況に応じて使い分けが出来ますが、子供にはまだそれが出来ません。


 我が家が、子供に玩具も買えないほど苦しい生活であれば、また事情は違ったかも知れませんが、そうではないことを知っているお友達の親から、『厚かましい』『なぜ、この子の親は買い与えないのか』と、不愉快に思われたことが理由でした。


 偶然そのことを私自身が知ってしまい、お友達の母親たちは慌ててフォローしようとしましたが、それ以降私は、お友達と遊ぶことも、必要以上にお友達のお家へ行くこともなくなりました。


 子供にもプライドはありますし、その意味も理解出来る年齢でしたので、ショックは大きかったです。


 直後に、当事者の母親が、我が家へ様子を探りに来ているのですが、母は最後まで何も気づかず、今でも本人だけが一連の出来事を知りません。母にしてみれば、自分の方針で、自分の子が、他人様の不快感を買っていたとは、思いもしないことでしょう。


 結局、傷ついたのは私一人、母以外の人たちには、不快感と気まずさを残し、本人だけが平和に過ごしている状態でした。被害の程度や内容によっては、人間関係含め、様々なものを破壊する危険性を孕んでいるのです。





 今回の件で、米倉さんは、近隣の主だったわんこの飼い主さんたちから、ドッグスクールで訓練を受けることを勧められたのですが、費用を聞いて、スクールはご自身で探すことにしたそうです。


 ネット検索で、自宅から車で一時間ほどの場所に、一回500円という安価なレッスン料で指導してくれるスクールを見つけ、そちらに行ったのですが、そこのトレーナーさんから散々バカにされたと、百合原さんたちに泣きながら訴えて来られたとのこと。


 料金からして、ちょっと怪しいと感じるものですが、どうやらそちらは、フードやグッズを売りつけることで有名な(?)スクールらしく、バカにされたというより、何も購入しようとしないことに嫌味を言われた、というのが正しいようでした。


 百合原さんいわく、もし一円でも何かを買わされていたら、自分たちが逆恨みされたかも知れない、と。


 当初の目的が同じでも、あまりに手段や方向性が乖離していれば、当然結果も違って来ますから、アドバイスするにも、母や米倉さんのようなタイプは、かなり難儀です。





 そういうわけで、りゅうくんの躾は、ご自身でされることにしたらしく、脱走対策のほうも、ケージではなく、今回も留め具を買われたようでした。


 これ以上、問題が起こらなければ良いな、と思っていたのですが…





 ところが、その数日後、再びりゅうくんが脱走事件を起こし、漆原さんのお庭を荒らしてしまいました。被害を受けた漆原さんは、怒り心頭。


 漆原さんのお宅は、ご夫婦共にガーデニングが趣味で、バラを中心に、四季を通じて様々なお花で彩られ、イングリッシュガーデンのお手本のような、素晴らしいお庭です。


 そのセンスもテクニックも、プロのガーデナーさん顔負けで、ガーデニングコンテストでは何度も受賞されるほどの、手間も、時間も、費用も、愛情も、ふんだんに掛けられたお庭なのです。


 我が家の庭など、比較にもなりませんが、同じガーデニングが趣味ということで、漆原さんとは親しくさせて頂いており、動物が苦手ということも、お聞きしていました。


 特に、放し飼いのにゃんこや、わんこのお散歩で放置されたままの排泄物が不愉快で、お庭の中や、ご自宅前にそれを見つけると、一日中気分が悪いそうです。


 動物に罪はないことは理解していらっしゃって、どちらかというと、無責任な飼い主に対する怒りのほうが強いのです。





 漆原さんからは、損害賠償として相応の費用を請求する旨、米倉さんに通告されたそうです。すでに警察に被害届も提出した、とのこと。


 お庭が荒らされたのは事実ですが、それが本当にりゅうくんの仕業だったかは不明。該当する時間帯に脱走中だったりゅうくんが、漆原さんの敷地内に侵入するところを見た、という目撃証言だけで、犯行現場を目撃した等の物証はありません。


 ただ、やっていないという証拠もなく、状況証拠だけを見れば、限りなく不利な状況に違いありませんでした。


 りゅうくんを知るご近所の住人として、私や葛岡さん、椎名さん、百合原さん、その他数名で米倉さん宅へ伺い、状況をお聞きしました。



「あれから、りゅうくんの対策はしなかったんですか?」


「金具は買い換えました」



 そういって、米倉さんはりゅうくんのチェーンの金具を、私たちの前に差し出しました。



「今度は絶対に外れないように頑丈なのと思って、2,500円もしたんですよ!」



 いや、金額の問題ではないのですが(しかも一般的な金額)、わざわざそういうところが、米倉さんらしいといいますか。でも、結局脱走しているのですから、また毎度の繰り返しになってしまいました。


 結局、漆原さんもりゅうくんも、米倉さんの方針で、対策が不十分だったために、巻き込まれてしまった被害者です。


 特にりゅうくんに関して、責任は100%、飼い主の米倉さんにあります。少なくとも、りゅうくんを自宅内に入れておきさえすれば、防げたはずの事件ですから。


 しかも、『損害賠償』『被害届』と、今回はかなり状況が深刻です。漆原さんのお気持ちは、痛いほど分かりますが、ご近所同士のことですから、出来れば何とか穏便に済ませられないかと、皆で思案を巡らせていました。





 ところで、取り替えたりゅうくんの金具ですが、2段式のロックになっていて、かなり頑丈に作られている品物。引きちぎらない限り、わんこが外せるようなものではありませんし、ちぎられた形跡もありません。


 となると、何かがおかしい。その違和感を口にしたのは、柊君でした。



「これ、誰かがわざと、りゅうのチェーンを外したんじゃない?」


「僕もそう思う。じゃなきゃ、犬の知恵で、こんなの外れるわけない」



 一緒に来ていた柊君のお友達も、その意見に賛同しました。確かに彼らの言う通り、人為的な力が加わっていると考えるほうが自然です。ただ、それはあくまで可能性の一つで、無罪の証拠にはなりません。





 ですが、もしそれが事実だとすると、非常に気味の悪い事件ということになります。夜中や、家人のいない時を見計らって、誰かが敷地内に侵入していることになるのです。


 今はチェーンを外される程度ですが、なぜそんなことをするのか、目的が分かりません。今後、エスカレートすれば、建物に悪戯や放火をされたり、わんこや人間に危害を加える可能性も否定できません。





 すぐにでも、何らかの対策なり、調査なりしたほうが良いと、皆で強く進言したのですが、米倉さんのことです。お金が掛かるようなことは、したくないといった様子が見え見えで、のらりくらりと交わすばかり。


 この期に及んで、まだご自身の置かれた立場を理解していないのか、身体や生命よりもお金を優先させる意味って? と、もう誰もが呆れるを通り越して、苛立ちを感じるほどです。


 が、捨てる神あれば拾う神あり、事の重大さを認識されたご主人が動きました。もともと、奥さんの度を超えた節約ぶりに、嫌気がさしていたこともあり、今回のことで、もう指図は受けないと、行動に出たのです。


 費用に関して、奥さんは渋りましたが、そんなことを言っている場合ではありません。



「だいたい、安物買いの銭失いっていうのは、君のことを言うんだよ」


「でも、凄くお金がかかるのよ!?」


「そもそも、そうやって対策にお金をケチったおかげで、いくら損害賠償請求されたと思ってるの? それ以上に、もし皆さんのおっしゃることが当たってたら、お金どころの問題じゃないんだよ!」



 すぐに、セキュリティー会社に契約して、門扉からお庭全体をカバーする監視カメラを設置しました。その結果、とんでもないことが判明したのです。


 防犯カメラに映っていたのは、昼夜問わず、何度も米倉さん宅の前を通っては、覗き込むように、中の様子や、人の気配を確認する男の姿が捉えられていました。


 米倉さんご一家に面識はなく、何だか気味が悪いですし、この男がりゅうくんのチェーンを外している可能性もありましたので、念のため、警察に届け出ました。





 それから数日後、敷地内に侵入したその男を、パトロール中の警察官によって逮捕。不法侵入および現住建造物放火未遂の現行犯です。





 20代のその男に面識があったのは、漆原さんのほうでした。以前、大学生の長女、麗奈ちゃんに交際を申し込んだものの断られ、それ以来、付き纏っていたストーカーだったのです。


 本人の供述では、麗奈ちゃんを諦められず、漆原さん宅の周囲をうろついた後、偶然、お外に繋がれたりゅうくんを目にして、思うようにならないストレスから、誰でも良いから困らせてやろうとチェーンを外し、その後も何度も繰り返していました。


 あの日、たまたま漆原さん宅のお庭に入ったりゅうくんを見て、漆原さんへの嫌がらせに、あたかも犬が荒らしたように装い、お庭をめちゃくちゃにしたのです。


 皮肉にも、ガーデンの植栽が目隠しになり、外から男の犯行は目撃されることなく、りゅうくんが侵入する現場だけが目撃されていました。


 まんまとりゅうくんに罪を擦り付けたストーカー男は、漆原さんが米倉さんに損害賠償を請求したことを知り、今度は、米倉さん宅に火を着け、漆原さんの報復に見せかけて、さらに揉めさせようと考えた、とのこと。


 放火が未遂に終わったことが、何よりの幸いでした。警察官が巡回していたのも、偶然ではなく、米倉さんのご主人が不審者の届けを出していたからで、このエリアのパトロールを強化していたからこそ。ご主人も警察も、グッジョブです。





 住宅密集地でペットを飼う場合、意外な落とし穴があるのです。鳴き声の騒音や、臭いなどで、ご近所トラブルに発展することも少なくありませんし、お外にいる子は、異常者や変質者など、虐待のターゲットにされることもあります。


 にゃんこの場合も、半外飼い(外出自由)にしていると、交通事故に遭う危険がありますし、喧嘩などで怪我をしたり病気に感染するリスクもあり。また、他所のお宅で悪戯や粗相(おトイレ)したりすれば、たとえ猫嫌いな方ではなくても、不愉快なものです。


 自治会では、わんこは夜間はなるべくお家の中に入れることや、にゃんこは完全室内飼いを推奨していて、捨て犬、捨て猫の防止の観点から、繁殖予定のない子は、出来るだけ避妊去勢をするように勧めているのです。


 大勢の人間の中で暮らすペットたちにとって、それが本当に幸せかというのは、飼い主の永遠のテーマです。それでも、ペットと共に生きることを選択したのなら、お互いの安全や幸せを共有するためには、譲歩や妥協、逆に譲ってはいけない部分も必要なのだと思います。





 何はともあれ、犯人は捕まり、誤解も解け、一件落着! …と行きたいところですが、米倉さんも漆原さんも、お互いにバツが悪くて、どう相手に謝罪して良いのか、困惑していました。


 元はといえば、米倉さんがりゅうくんをお外に出しっぱなしだったのが原因で、お庭を荒らしたのは犯人の男でも、一緒にお庭に入ったのは間違いのない事実です。


 漆原さんに至っては、麗奈ちゃんのストーカーが引き起こした事件で、米倉さんに損害賠償までしてしまったのですから、合わせる顔もないという状態です。





 そこで、両家との共通の知り合いでもある椎名さん、葛原さん、私の3軒で、間に入ることになり、無事、円満に解決することが出来ました。


 麗奈ちゃんは、かなりショックを受けていましたが、心のリハビリも兼ねて、ご両親と一緒に、ガーデンの修復をするそうです。かなり大変な作業になりますから、是非、私たちにもお手伝いして欲しいと漆原さんからお願いされ、勿論、喜んでお引き受けしました。


 りゅうくんも、これからは夜間と外出中は、お家の中に入ることになったそうです。今回のことで、米倉さんの奥さんも、少しはプロの力を認めてくれると良いのですが。





 事件があってから、各班長さんのところへ『アンケートを書き直したい』と申し出る人が続出したそうです。採決の結果、圧倒的多数で、防犯カメラと街路灯の増設が可決されました。


 予算の都合上、死角ゼロとまでは行きませんが、今後は、たくさんの街路灯と防犯カメラが街を守ってくれることになります。


 同時に、セキュリティー会社に申し込むお宅が続出。門燈を明るくしたり、センサーライトを増やすお宅も増えました。おかげで、夜間の外出時も、以前に比べてずいぶん明るくなり、不安も減りました。





 お昼間、ガラス越しに愛子ちゃんと遊んで(?)いた我が家の2猫、こういう日のメリットは、夜良く寝てくれることです。


 真夜中、突然開催される大運動会で、安眠妨害されることほど辛いものはありません。こちらが起きる頃には、すっかり朝ごはんも済ませて、すやすや寝ている猫たちの顔を見ると、愛くるしい分、腹立たしくもなります。





 夕食の後片付けを終え、撮り溜めたテレビ番組を見ようとソファーに腰かけると、ちょっとイカ耳のせるじゅがやってきて、私の顔を見ながら、小さく『にゃ…』と鳴きました。


 こういう場合、たいてい告げ口しに来ているのですが、見ると、せるじゅのお気に入りのブランケットの上に、にきが寝ています。人間語に訳すと、『あいつ、ムカつくんだけど…』という感じでしょうか。



「ママは介入しません。自分で解決しなさい」



 すると、くるりと踵を返して、寝ているにきの傍まで歩み寄ったせるじゅ、いきなりにきの頭めがけて、猫パンチの連打を繰り出しました。


 急襲に驚いたにきは、その場を飛び出し、奪還に成功したせるじゅは、前足で丁寧にブランケットのしわを均すと、その場所にクルンと横たわり、優雅に毛繕いを始めました。





 すると今度は、寝床を奪われたにきがやって来て、『にゃ、にゃ~、にゃ、にゃ、にゃ!』と、こちらは大げさに同情を引く鳴き方で訴えます。しかも口数が多いこと。こういうところにも、性格の違いが出ます。


 こちらも訳すと、『ちょっと、いまの見た!? 僕、寝てただけなのに、いきなり殴るなんて、酷くない!?』といった感じです。



「可哀そ~にね~。でも、勝手にせるのものを使ったからでしょ~?」



 するとにき、ちょっとふて腐れたように、ポテッと私の横に寝そべり、お耳だけでせるじゅの様子を伺いながら、尻尾は小刻みにリズムを刻むように動かしています。





 猫が人間の言葉を分かるのか? と思われるかも知れませんが、我が家の2猫に関しては、確実に理解しています。


 特に、自分に利害がある単語は、まだ子猫の頃から聞き分けており、人間の幼児と同じで、歳を重ねるごとに、より複雑な文章も理解するようになりました。


 少なくとも、猫も10歳を超えれば、こちらの言うこと、思うことなど、あっさり見透かしてきます。


 ただし、言葉や意思を理解することと、言うことをきくこととは、また別の問題。自分がしたいと思えば、いけないと知りながら、悪戯もしますし、盗み食いもします。


 何せ相手は、この世で最も自由を謳歌する生命体ですから。





 暫くして、せるじゅが眠る体勢に入ると、にきは再び歩み寄り、丁寧にせるじゅの毛繕いをして、今しがた追い出されたばかりのブランケットに、一緒に横たわりました。


 せるじゅも薄目を開けましたが、さっきの怒り様はどこへやら、別段気にする様子もなく、逆ににきのお腹を枕にして、本格的に眠り始めました。


 あの騒動は何だったんだ、と言いたくなりますが、これも我が家ではしょっちゅう繰り返される光景です。





 体格でいえば、にき6㎏強、せるじゅ4㎏弱で、1.5倍以上の体格差があり、にきはアルミサッシを片手で開けてしまえるほどの腕力の持ち主。2猫が本気で戦えば、せるじゅに勝ち目はありません。


 ですが、どんなに理不尽なことをされても、にきがせるじゅに暴力を振るうことは、先ずありません。女子を怒らせると後が恐ろしいことは、猫の世界も人間の世界も共通の認識だと、夫は断言するのですが。





 夜中の大運動会を免れ、静かに寝息を立てる、夫と、にきと、せるじゅ。まだ眠れない私は、カーテン越しにぼんやりと照らす街路灯の薄明かりを頼りに、そっと2猫を撫でると、眠りながらごろごろと喉を鳴らします。


 その音を、耳と掌で感じ、愛する家族と一緒にいられる幸せをかみしめながら、眠りに堕ちて行きました。


 この時間が、長く長く続くことを願いつつ…



 Good night. Sweet dreams.

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