十返舎イック

華早漏曇

第1話 イック?

 ヤクさんというヤク中のおっさんと、キチさんというなにかとぶっとんだ男が、クリ毛を拾い集めながら旅をするお話し──『東海道中膝クリ毛』がなぜか大ヒットし、一躍ときの人となった作家、十返舎イック。

 彼はひどく悩んでいた。

「先生! 早くしてくださいよ!」

 机の横には、版元から遣わされた原稿受取人がずっと待っている。交代でイックを見張っている。

「うーん……」

「代わりはいくらでもいるんですよ、先生!」

「……まだ締め切りじゃないよね?」

 受取人は冷酷だ。たましいを刈り取る死神のように……

「手直しの時間を考えると、もう上げていただかないと。先生が、手直しする時間もなくていい、書き上げたままで出す、っていうなら別にいいです。でもそんな適当なものを読者に見せていいんですか?」

「うーん……」

 イックは悩んでいた。

 新作が書けないことではない。

 自慰がしたい。自慰がしたいのだ。

 もうたまらなくしたい。

 ずっと見張られているので、ヌけないまま、二週間が過ぎた……

 二週間といえば、イックの体感時間に換算すると、じつに二年以上である。

 破裂しそうになっていた。

「……」

 受取人が窓の外を見ている……

 いまだ!

 ガタガタガタ……

「先生!」

「えっ」

「何をしているんですか?」

「いや……ちょっと貧乏ゆすりを……」

「早く書いてください」

「はい、今カキます……」

「……」

 受取人が窓の外を見ている……

 ……いまだッ!

 ガタガタガタ……

「先生!?」

「はいはい!」

「何してるんです」

「ちょっと局地的な地震が起きていてね」

「早く書いてください」

 イックは、いつになったらイケるのだろうか……

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