第125話 道半ばの二人
「結局私以外の全員がいちゃこらして幸せになっちゃってるわけよ。わかる?」
私は隣にいるクウの頭をつかみ、がっくんがっくんと前後に揺さぶった。クウは「はいはい」と適当な返事をして、私の手から逃れる。
「その話、我は先ほども聞いたぞ。スセリよ。どうして酒をおかわりするたびに同じ話をするのだ。あなたは酒を飲むと時間が巻き戻る術にでもかかっているのか? 我はもう飽いてきたのだが」
「うるさいクソガキ! 巻き戻せるもんなら巻き戻したいわ!」
嘆き、果実酒を流し込む。甘い口当たりの癖に、度数はなかなか高いのか腹に入った瞬間かあっと体が火照る。
岩牢から脱出した後、気を失ったクウに気を入れて強制的に覚醒させた。すでに逆らっても無駄だと悟ったクウはおとなしく全部話した。話を聞き出したら後は用済みとばかりに消すことも出来たが
「騙して申し訳なかった。許せとは言わない。だが、我はあなたに協力できる。聞けば異界から呼び出されたそうではないか。どれほどあなたが強くても、術に関しては我のほうが上だ。ここで殺すよりも生かして連れて行くといい。損はないぞ。役に立って見せよう」
あの忌々しい岩牢から出れれば、裏切る理由も必要性もないからな、と快活に笑った。理詰めの学者らしい物言いだと思う。根底にあるのは感情ではなくどこまでも合理的な思考で、引け目を感じることもなく私に接している。おそらく目的を達した彼は、もう私を騙そうという気はないだろう。それに、騙されたことがわかっていても、目の前で平謝りする美少年は許さざるを得ない。
そして今、山の麓にある小さな村の酒場で、クウを相手に管を巻いていた。どうして彼氏が出来ないのか、出来てもすぐに別れてしまうのかに始まり、こんな姉を尻目に妹は簡単に結婚して幸せを掴んだ事や、親友にもすでに良い人がいる事。幸せの分布図がおかしいのは、自分の幸せが周囲に吸収されているのでは、とすら思えてきて、世の不条理を嘆いていた。
「あんたねえ、私を騙した分際で、罪の意識とかないの? 申し訳ないとか思わないわけ?」
「だから、そのことについては悪いと思っているし、散々謝ったではないか」
「思ってるんだったら! 私の話くらい付き合いなさいよ! ・・・おやじ、もう一杯!」
グラスを叩き付けて、次の酒を求む。
「スセリよ。いい加減止めたほうが良いのではないか。流石に飲みすぎだぞ。体にも財布にも悪いぞ」
「心配御無用! 金ならあるわよ。ほら、私を呼び出したあの偉いさんからたんまり貰ったわ」
どす、とテーブルに路銀の入った皮袋を落とす。中に入った金貨の重みが袋の形を変える。確か、ゆっくりと時間をかけて往復しても問題ないくらいの額が入っていると言っていた。
「スセリ、こんなところで自分の手持ちをひけらかすものじゃ・・・」
「よお、姉ちゃん」
クウの説教を野太い男の声が遮った。背後には、甲冑に身を包んだゴロツキですと名札をぶら下げた男が三人ほど、ニヤニヤしながら私を嘗め回すように見ている。ワイルドな男も好きではあるが、ワイルドを通り越して粗野な連中は好みじゃないのだが。
「えらく羽振りがいいねえ。どうだい。俺たちと一緒に飲まねえか。こんなひょろひょろの青瓢箪なんかじゃなくてよ」
ぐい、とクウを押しのけて私を囲む。臭い。息も臭いし体臭も酷い。風呂入ってんのか?
「おい、よせ」
「うるせえ小僧。俺たちゃこの姉ちゃんと喋ってんだ。邪魔するな!」
「いいか、我はお前たちのことを思って注意を・・・」
「あっちに行ってろ!」
ドン、とクウを突き飛ばした。突き飛ばされたほうはやれやれといった風に肩をすくめた。彼の言葉の真意は、どういうことだろう。後で問い質すか。
その前に、まずは。
ちら、と三人の顔を見渡す。どいつもこいつもいやらしい目だな。どうやら楽しく飲むだけでは物足りないという顔している。クウが退いた事で、その席に一人座り、他二人が私の後ろに陣取った。据わった男がこの三人組のリーダーか。
「美人だねえ、それに、変わった服を着てらっしゃる。都の人かい?」
「そうといえば、そうね。あなたたちは? 見たところ、腰に立派な剣をぶら下げてるみたいだけど」
指差すと、「おお、これかい?」なんて言って、男が嬉しそうに腰から剣を外して掲げた。
「俺たちはこの地を治める領主様配下の兵だからな。こうして帯刀を許されている。日夜不審者がいないか見て回り、村の平穏を守っているわけさ」
その割には、こいつらの姿を認めた途端、先ほどまで騒がしかった酒場が一転、お通夜のように静まり返っていた。ちらちらとこちらを様子見し、ことの成り行きをうかがっている。どうやら、献身的な見回りは村人たちの信頼を勝ち得ていない御様子。そんなことに気づきもせず、男は嬉しそうな顔でずいとにじり寄った。
「立派なのはこの剣だけじゃないぜ? 腰にはもう一本、立派なのがある」
なあ? と仲間に促すと下卑た笑い声が頭上から振ってきた。あからさまなアピールだ。面白い。
「まあ、それは凄いわね」
「そうなんだ。俺は凄いぜ? 期待してくれていい」
「そうなの? 実は、私も凄いのよ?」
囁き、にっこりと微笑んでやると、男たちは期待に胸を膨らませ、並びの悪い歯をむき出した。ブルドッグでももう少し可愛いと思う。
「そいつは楽しみだ。じゃあ早速場所を」
「その前に、どれくらい凄いか見せてあげる」
そういって、彼の剣を拝借する。
「おいおい、そんな細腕で持つと危ないぞ? もっと持ち甲斐のある剣ならこっちに」
「本当に、そっちを手に取って良いのね?」
柄頭に右手を、剣先に左手を当てる。両手で剣を挟んでいる状態だ。そこから一息に『合掌』した。種も仕掛けもないちょっとした手品だ。
「問題です。あなたの剣はどうなったでしょうか?」
ニコニコとしながらたずねるが、何が起こったか把握できていない男から反応が返ってこない。仕方ないので答えを明かす。
「正解は、こんなにちっちゃくなっちゃった、です。ハイ拍手ぅ~」
合わせていた両手を開くと、ボールみたいに丸まった剣が現れた。む、いまいちの出来だ。上手くいったときはもっときちんと圧縮できるのに。力の加え方が均一じゃなかった証拠だ。
ただの鉄の塊になった剣をお返しする。突然投げられたそれに驚いて男は飛びのく。ゴンッと木の床に落ちて、転がっていった。男たちはそれを目で追い、塊が止まったところで私に視線を移した。その彼らに向かって、とびっきりの笑顔で言う。
「寝床の私は、もっと激しいわよ?」
さっきまでのにやけ面を可哀想なくらい真っ青にして引きつらせ、男たちは我先にと逃げ出した。
「ハッ、根性無し共が。良い女を口説きたければ命がけで来い」
開けっ放しの戸に向かって吐き捨てる。
「目の前で剣を鉄くずにするのを見せられては、さすがに酷と言うものぞ」
事態を見守っていたクウが呆れたように言う。
「しかしスセリよ。我はあなたがなぜ男から逃げられるのか、その原因の一端を垣間見た気がするぞ」
「やかましい」
「せっかくの美人なのに、もったいない」
すっとクウの手が私の頬を撫でる。
「?! ちょ、あんた何を!」
「? いや、髪の毛が付いていただけだが」
そう言って手を離す。女のようにほっそりとした指と指の間に、長い毛が挟まっている。くそ、何を小娘のように動揺している。落ち着け。たかが褒め言葉とモテ仕草がいっぺんに来ただけだ。
「しかし、凄まじいな、あなたの業は」
何がむかつくって、こっちは動揺を表に出さないよう必死で繕っているのに、当の本人は何事もなかったかのように平然としていて、私が潰した剣だったものにさっさと興味を移した。
「私なんかまだまだよ。ご先祖にはもっととんでもないのがいたし」
まあ、話が切り替わったのは好都合だ。意識をせずにすむ。
「本当か?! あなた以上の化け物がいたというのか?」
「誰が化け物だ失礼な」
麗しきレディを化け物呼ばわりする失礼なヤツにはアイアンクローでお仕置きだ。しばし悲鳴を上げさせ、訂正させたところで手を離した。
「た、例えば?」
頭を押さえ、涙目になりながらも食いついてくる。
「そうね。クウは今、私の業を褒めてくれたけど、これって力以上に重要なのがテクニックなの」
「てく・・・にっ、く?」
クウが可愛らしく首を傾げた。あ、そうか。言葉が通じてるから忘れがちだけど、互いに知らない単語はあるか。
「ええと、訓練によって身に付く技術よ。効率よく力を加え、最大の効果を得るためのね。なぜこんな業が出来たかなんだけど。ここで問題。今の私と最初のご先祖様と、どちらが強いと思う?」
「それは、あなたではないのか。技術や知識は、受け継がれ、その受け継いだものが古き業をより効率的に進化させ、また新しい業を加えていくものだ。過去より今のほうが洗練されているのは当然といえよう。あなたの数代前には、確かに恐ろしい使い手がいたのかもしれないが、それは個人の才能の差であろう」
普通の技術や知識ならそうだ。過去より今、そして未来のほうが優れているに決まっている。ただ、うちの一族に限っては逆だ。首を横に振り、答えを教える。
「ご先祖様のほうが強かったのよ。それこそ化け物みたいに。私たちが受け継いでいる業は、血が薄まり、ご先祖様ほどの力を振るうことが出来ない子孫たちが、ご先祖様と同等の力を発揮するために生み出したものなの」
私の言っていることを理解したクウは、それこそ信じられないものを見たように目をまん丸にして、声も出ないようだった。
「それはつまり、何の業でも仕掛けでも術でもなく、身体の一機能として、あなたと同等の力を振るっていたということか?」
その通り、と頷く。
「伝承じゃ、ご先祖様が相手にしてたのは邪神に龍、妖怪に精霊、天使に悪魔、別世界からの侵略者に宇宙艦隊までいたらしいし」
そして、おそらく伝承が事実だと思っているのは私だけじゃない。業を習得した誰もが思うだろう。明らかに人間よりはるかに巨大なものと相対することを想定した業がある。中には実体のない霊を消滅させる業まである。
「龍に、神か・・・! 想像もつかんな!」
興奮したようにクウが言う。
「ご先祖様の拳は地を砕き、海を割り、天を貫いたって言うし。私は、まだその域に到達してない。まだまだ頂は遠いわ」
「あなた程の者でも、未だ道半ばということか。我と一緒だな」
「あんたと?」
「そうだ。天才と自他共に認める我だが、学問の道に果ては無く、我もまだ道半ばよ。互いに道のりは長いな」
キラキラした目でクウは私を見た。まるで、長年捜し求めていた同胞を見るような目だった。その目を私は直視できない。
「悪いけど、私はあんたみたいに純粋に業を磨いてきたわけじゃないのよ」
ここで誤解を解いておかないと、後々、互いに辛い思いをすると思った。たぶん、クウのこういうところ、純粋に学問や術の研究が好きでそれを突き詰めようとする、ある種の天才は、自分も周りも不幸にする。周りは天才の考え方についていけず、天才は共に歩んでいると思っていたのに、気づけばいつの間にか誰もいなくなっている。互いの価値観と情熱の温度差に傷つき、やがて取り返しが付かないほどの深い溝ができる。クウが投獄されたのは、もちろん都の連中が彼の研究を奪うためもあるだろうが、理解できないという恐怖があった可能性がある。純粋すぎる思考は、時に狂気と捉えられかねない。
「私の住んでいる国は、今は結構平和になった。治安もまあまあ良い。そりゃ、事件がまったく起きないか、なんていわれたらそんなことないけど、少なくともこんな対化け物用の業なんて使う機会なんかまったく無いの。使うことのない業なんて、意味ないでしょう?」
「・・・では、何故そこまで己を鍛え上げたのだ?」
「惰性よ、惰性。今までやってきたんだから、これからも受け継いでいきなさいよっていう暗黙の了解よ。あんたみたいに、一つのものを極めようなんていう崇高な思いは無いわ」
「それは、本気で言っているのか?」
「当たり前でしょう? 修行に費やした時間をもっと有効利用できていれば、私は今頃玉の輿に乗って、素敵な旦那様と二人の子どもに囲まれて幸せな結婚生活を送ってたわよ。それがどうよ。なまじっか腕が立つからってこの世界に呼び出されたのよ。向こうに仕事は置きっぱなしだわ貴重な二十代の時間をこんなところで費やす羽目になるわ散々よ。こんな業、持ってたって意味無いわ」
本当に肝心な時に使えない業など、無意味だ。壊れゆく大切な人の心も、その家族の命も、誰も救えなかった。
身が軋むような無力感を思い出して、消し去るために酒を流し込むが、ちっとも酔いは回らない。ただ苦い味が口の中に広がっただけだ。ああ、くそ。不味い。ちっとも美味くない。苛立ちをぶつけるようにグラスをテーブルに叩きつける。
「・・・我は、あなたの業は美しいと思ったのだ」
そう言って、クウは転がっていた鉄くずを拾った。
「さっきのこれは、ちと力みすぎか、余計な力が加わって歪んだ気がしたがな。あの岩牢を打ち砕いた後のあなたの姿は、今も我の脳裏に焼きついておるよ。受け継がれた業の逸話を聞いて、何故あれほど美しいと感じたのかようやくわかった。目の前の岩牢を破壊するために、必要な力を必要なだけ、最小限の労力で最大限の効果を生み出した。そこに華美な装飾などまるで無く、ただただ結果だけを追い求めた姿が、実は完璧な計算のうえに成り立っていたからだ。それを体現して見せたあなたからは、惰性で習っていたように感じなかった。だから、てっきり我と同じく、学ぶ道は違えど探求者かと思い込んでおった」
すまぬ、とクウは小声で誤った。
「あなたにも事情があることを、我は失念しておった。そこまで嫌な思いを抱いておったとはしらなかったのだ。許せ」
何が許せ、だ。そっちのほうが泣きそうな顔しているじゃないか。
二人とも黙って、しんみりした、変な空気になってしまった。酒は不味いし。もう宿屋に向かうか、そう思ってテーブルに金を置き、立ち上がったところで、誰かが店に乗り込んできた。見れば、先ほど逃げ出した男だ。その後ろから、鎧や兜で武装した物々しい連中が数人現れ、酒場は少し剣呑な空気に満たされた。
「おい、本当にこの者で間違いないのか」
武装連中のリーダーが私を見ながらたずねた。案内をしてきた、先ほど逃げ出した男は「そうです」と何度も首を振り、私に向かって人差し指を突きつけている。人を指差すなど失礼なヤツだ。間接ごとに違う方向に折り曲げてやろうか。今の私は、少々虫の居所が悪い。
「突然の無礼、申し訳ない。私は領主様に使えるコクダイと申す。このものが見たという、あなたの力をぜひ、お借りしたい」
そういってコクダイが恭しく頭を下げる。喧嘩をする気満々だったのだが、挫かれてしまった。どうやら話は変な方向へ進もうとしているようだ。
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