第135話 タナトス死す

「おや? おじゃまだったかな?」


 ハウスフォーファーは少しおどけて、場をなごまそうとする。しかし、エヴァンはともかくルーは憮然とした表情を変えなかった。ヒルデは状況についていけずとまどった顔をしている。


「先生ちょうど良かった。ちょっとお願いしたいことが……」


 エヴァンが単刀直入に要件を切り出す。


 エヴァンはタナトスの件をハウスフォーファーに話す。ハウスフォーファーは腕組みして、話を聞いている。


「……話はわかりました。しかしかなり厄介な案件ですね」


 ハウスフォーファーは腕を組み考える仕草をする。


「……やっぱり先生でも難しいですか」


 エヴァンはハウスフォーファーの言葉を聞いて、気落ちする。

 ハウスフォーファーはエヴァンの様子にお構い無く、タナトスに質問した。


「それでタナトスさんはリゾソレニアに何かつてがあるのですか?」


「……ないわけではありませんが、現状で連絡をとるのは難しいと思います」


 タナトスはそう言うと拳を握りしめ、唇を噛んだ。


「やっぱり、船員に引き渡して穏便に解決するほうがいいのかな……?」


 エヴァンは首を傾げ、つぶやく。


「それは困ります!」


 タナトスが叫ぶ。


「こうしている間にも、信徒が意に沿わない教義を押し付けられ改宗を迫られているのです。私はそれが耐えられない」


 教皇の座にあったときのタナトスからは想像ができないほど激しく興奮し自分の感情を顕にする。


「まあまあ、タナトスさん落ち着いてください」


 ハウスフォーファーはタナトスをなだめた。しかし、タナトスの興奮は収まらない。


「これが落ち向いていられるでしょうか? とにかく私は一刻も早くリゾソレニア入りして反上皇の狼煙を上げなくてはならないのです!」


 タナトスはハウスフォーファーに食ってかかる。ハウスフォーファー曖昧な笑みを浮かべ聞いている。


「タナトスさん、少し冷静になってください。話によってはリゾソレニア入りを手助けできるかもしれません」


 ハウスフォーファーの言葉にその場にいる全員がハウスフォーファーを見る。


「……できるんですか、本当に?」


 タナトスはハウスフォーファーの言葉をにわかには信じられなかった。


「……確約はいたしかねます。しかし、貴方の協力次第によっては不可能ではありません」


 さっきまでの雰囲気とは一転して、冷徹な空気を醸し出し、ハウスフォーファーは語る。


「私はさる組織とつながりがあります。その組織を通してなら、リゾソレニアに帰還後もある程度の援助は可能です」


「本当ですか? もし本当なら願ったりかなったりですが……」


 タナトスはまだ疑念を拭い切れない。しかし、帰還後の話が彼の心を揺るがしている。


「ちょっと待って下さい」


 ハウスフォーファーとタナトスの二人でしていた話にルーが割って入る。


「何か? ルーシディティ嬢」


 ハウスフォーファーは抑揚をつけず、ルーに答えた。


「タナトスさんの件について私たちは感知するつもりはありません。しかし同行していれば協力者と見なされかねない状況にいるんです」


 ルーは思い切ってリゾソレニアへの渡航がリゾソレニアの治安を乱すとされている謎の戦士の捜索で、その戦士の正体がクウヤかもしれないことを話した。


 ハウスフォーファーは腕を組み、ルーの話を聞いていた。


「……それで、リゾソレニアともめるようなことはしたくないということですね?」


 ハウスフォーファーは念を押すようにルーに聞く。ルーはうなづく。


「確かにそういう背景があるのならば理解はできます」


 ハウスフォーファーは大きくうなづく。その様子にタナトスの表情が曇る。


「……ご迷惑をおかけして心苦しいです……」


 タナトスはうなだれる。落胆のほどがいかほどかその様子ではっきりわかる。


「……とは言うものの私はリゾソレニアに帰らねばならないのです」


 タナトスの意志は固く、それゆえルーたちには迷惑この上ないものだった。

 ハウスフォーファーはタナトスの決意にとある決断をする。


「さしあたってタナトスさんには正規の乗客・・・・・になってもらいましょう」


 その提案に一同が驚く。一番驚いているのはタナトスだった。


「そ、そんなことが可能なんですか?」


「まあ、蛇の道は蛇とだけ申しておきましょうか。この世は常に表があれば裏があるということですよ」


 そう言ってハウスフォーファーは不敵な笑みを浮かべる。


「それで当面の安全を確保できます。リゾソレニアに着いてからどうするのかはその後でも可能ですが……タナトスさんどうしますか?」


 タナトスは顔をしかめる。ハウスフォーファーの言い回しを解釈すればどう考えても不正な手段によるものだと想像できた。信徒を教え導く自分がそんな不正行為に加担するべきなのか煩悶している。


「……大事だいじをなす者は小事しょうじにはこだわらないものです。小事にこだわる者には大事をなすことなどできない。タナトスさん貴方のなすべき大事とはなんですか?」


 ハウスフォーファーはタナトスを追い詰めるように煽る。タナトスはますます額にしわをよせ、汗ばんでいる。


「この機会を逃せば、貴方にもうリゾソレニアへ向かう機会はやってこないでしょう。それどころか、ただの密航者として敗残者の運命が待っているだけです」


 ハウスフォーファーは冷徹にタナトスを追い詰めていく。


「……わかりました。貴方にお任せすることにしましょう」


 タナトスはわずかの間に憔悴し、か細い声でハウスフォーファーの提案を受け入れた。


「分りかりました。ではそのように手配しましょう」


 ハウスフォーファーはそう言うと足早に部屋を出て行った。


「エヴァン、ハウスフォーファーってほんと何者なの?」


「さぁ……おれじゃわからん」


 ルーはハウスフォーファーとタナトスとのやり取りの一部始終を見て、ますますハウスフォーファーに対する警戒度を上げた。


「とはいえ、タナトスさん」


「……なんでしょう?」


 不意にルーから声をかけられ、何ごとかとタナトスは思う。


「当面この船の乗客になるのだから、私たちに不審の念が集まることのないよう行動と言動は慎んでくださいね」


「……分っています」


 不承不承ながらタナトスはルーの言いなりになる。タナトスとしては言いたいこともあるが現状では異議を唱えることができる立場でないことも理解していた。


「……でも、ハウスフォーファーさん、どうするんでしょう? そんな簡単に密航者を正規の乗客にしてしまうなんて」


 ヒルデの疑問はつきない。その思いはルーたちも同様だった。

 

「……例えどんな不正な手段であったとしても、今の私には彼にすがるしかない。なんとも情けない……」


 ハウスフォーファーがどういう手段を使うのか頭をひねる傍らで、タナトスは自責の念に囚われていた。


「……その話はとりあえず置いとくとして」


 ルーがタナトスに向かい合った。


「タナトスさん、リゾソレニアで何をするつもりですか?」


 ルーは単刀直入にタナトスに聞いた。タナトスは迷いを隠せない。


「正直なところ、あてはありません……ありませんが、例えリゾソレニアの土になろうとあの地で上皇の企みを阻止しなければ……かの国に未来はありません」


 たどたどしい言葉が彼の迷いを表していた。ただその迷いはタナトス自身の力のなさからくるもので、自己保身からくるものではなかった。


「そう……わかったわ。でも、私たちの邪魔にならないようにしてくださいね」


 ルーはタナトスに言い放つ。


「私たちは貴方が何をしようと関知するつもりは毛頭ありません。ただ私たちの目的達成の邪魔になるなら……おわかりですよね?」


「るーちゃん……」


 ルーはタナトスに冷たく脅しをかけるように話す。ヒルデは初めて見るルーの姿に驚いている。


「……理解しているつもりです。ご迷惑をおかけするつもりはありません」


 年端のいかない少女に脅されるというひどくプライドを傷つけられる状況に際して、タナトスは何とか冷静に答えた。


「邪魔になる……邪魔をするなら容赦はしませんので」


 ルーは冷たくそう言い切った。言葉こそ激しいものではなかったが、その言葉に込められた彼女の意思は強固なものであった。


 扉をノックする音が聞こえた。ヒルデはそっと扉を開け、あたりをうかがう。


「どなたですか?」


「私です。ハウスフォーファーです」


 ハウスフォーファーが戻ってきた。手に何か持っている。


 ヒルデはハウスフォーファーを部屋に入れ、扉を閉める。


「タナトスさん、これを」


 そう言って、ハウスフォーファーは手に持っていたものをタナトスに見せる。


「……こ、これは! 正規の乗船券ではないですか」


 タナトスは驚きのあまり、取り乱した。


「これがあれば貴方は正規の乗船客です。船内を堂々歩けますよ」


 ハウスフォーファーはニヤリと笑う。


「どうやってこれを……」


「それは職業上の秘密です。あしからず」


 ハウスフォーファーは真顔になり、冷徹な声でタナトスへ、まるで有罪判決を出すように告げる。


「ただし、これをお渡しするのに代償を払っていただきます」


「代償……?」


 タナトスは何を言われているのか、すぐには理解できなかった。彼には払うことのできるものは何もないからだ。


「こちらとしてもそれなりの代価を支払っているんでね。タダというわけには……」


 ハウスフォーファーは意味でにないほど悪辣な笑みを浮かべる。タナトスはその笑みに脂汗をかく。


「……それで何を……支払えば……」


 タナトスは嫌な予感がした。ためらいがちにハウスフォーファーへ聞く。


「貴方の命です。そうですね、とりあえず死んでください」


 ハウスフォーファーはこともなげにそう言った。


「死……! 死ねと……?」


 タナトスは驚愕のあまり、絶句した。ハウスフォーファーは曖昧な笑みを浮かべるだけだった。


「ええ、死んでもらわねば困ります。元『教皇タナトス』はね」


 ハウスフォーファーの奥歯にものが挟まったような言い回しに一同が首を傾げる。


「……それはどういう意味でしょう?」


 タナトスが尋ねたが、それはルーたちも同じ思いだった。


「この乗船券の持ち主は『教皇タナトス』とは赤の他人でなければならないからですよ、タナトスさん」


 ハウスフォーファーはさっきとは打って変わっていたずらっぽい笑みを浮かべる。


「これからリゾソレニアへ向かう旅に『教皇タナトス』が生きていては都合が悪いものでね。それゆえ死んでいただかなければなりません」


 タナトスはハウスフォーファーの言いたいことが理解できず、困惑の表情を浮かべたままだった。ハウスフォーファーはそんなタナトスを楽しそうに見ている。


「……要は『教皇タナトス』とは別人になってもらうということですよ」


 ことの展開に頭が追いついていないタナトスに対して、答を教えた。


「……随分質たちの悪い言い回しね」


 ルーは大きく息を吐き、心底呆れている。


「ま、これが楽しみの一つなんでね」


 あっけらかんとハウスフォーファーはルーに話す。ルーは頭を抱え、呆れ顔を隠せない。


「冗談はさておき、真面目な話リゾソレニアへの上陸は簡単ではありません。正直、死ぬ覚悟が必要です。タナトスさんはいついかなるときも元教皇ということを何人たりとも悟らせてはなりません」


 そう言うとハウスフォーファーはタナトスの真ん前に立ち、乗船券を差し出す。


「貴方にその覚悟がありますか?」


 タナトスはゆっくりとうなずき、震える手で乗船券を受け取る。


「これで元『教皇タナトス』は死にました。あ、新しい名前を考えないといけませんね」


 ハウスフォーファーは飄々と楽しげに話す。


 ルーたちはハウスフォーファーの性格を疑う以外できなかった。


 そうこうしていうちに時間はたち、船はリゾソレニアの港へ近づいていた。


 リゾソレニア上空には暗雲が立ち込め、まるでルーたちの到着を今や遅しと手ぐすね引いて待ち構えているようだった。

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