第116話 弁明と謀略
ドウゲンは食堂に入り、クウヤたちを見渡す。その後ろにカトレアが控え、ドウゲンに付き従っている。彼女の表情はややこわばり、いつもの柔らかな包み込むような雰囲気は失われていた。
ドウゲンの目には何事か決意を決めた強い意志の光が見える。
「父上……行くのですね」
クウヤも気を引き締め、ドウゲンを見る。
「ああ。お前も早く準備しろ。これから忙しくなる」
「わかりました」
「あっ……あの……!」
ルーが切羽詰まった表情でドウゲンに声をかける。
「……何かな、カウティカの姫君」
「私も……私たちもついていきます。よろしいですね?」
ルーはためらいがちにドウゲンに提案する。ルーが同伴する理由のわからないドウゲンはルーをにらみ威嚇するように忠告する。
「……帝国の内政には口出し無用だぞ? 自分の立場を忘れてはいかん」
それでもルーはドウゲンに食い下がる。
「もちろんです。ただ、私……私たちはクウヤの友人として、ことの推移を見守りたいんです」
ドウゲンは首をひねり考え出す。ルーの言わんとすることが腑に落ちないようだ。
「ただ見守るだけなら、ついてこなくても……」
それまで黙ってことの推移を見守っていたカトレアがドウゲンの言葉を遮るように発言する。
「貴方! ついてきてもらいましょう」
カトレアの意外な援護射撃にドウゲンは首をひねる。
「なぜだ? 帝国内の話に他国の姫君が介入するなど聞いたことがない」
「貴方の言葉に嘘偽りがない証人になってもらいましょう。例え国外の要人だとしても姫君からの保証は公爵といえども無視はできないでしょう。今は藁をもすがらなければならない状況です。そういうことなら大義名分は立つと思いますが」
カトレアの提案に怪訝な顔をするドウゲン。カトレアの言わんとするところは理解したが、策として成功するのか疑っている。その上帝国の内政にも直結しかねない事案にルーを関わらせるメリットがわからなかった。そこでドウゲンの脳裏に何かがひらめく。
「かなり強引な策だな。何か他にも理由があるのだろう?」
カトレアの提案に他の目的があるように感じたドウゲンはカトレアに問う。カトレアはごく当たり前のように答える。
「ええ。乙女の恋路を邪魔するものではありませんわ。思いを寄せる殿方の役に立ちたいという気持ちは尊いものです」
カトレアはそう答え、いつもの雰囲気を取り戻し、小首を傾げほほえむ。そのかたわらでルーが顔を赤らめ、もだえている。
「お義母様……」
ルーはそう口にするのが精一杯だった。あとは口ごもりはっきりとした言葉にならず、誰も彼女の言葉を聞き取れなかった。
そんなやり取りのかたわらでドウゲンは頭を抱えている。
「……何を言い出すのかと思いきや、なんともバカげた話だな」
ドウゲンはあきれ顔で自分の
「元々の貴方に起きている事自体がバカげているのですからこのくらい些細なことです。違いますか?」
カトレアは意味ありげな皮肉っぽい笑みを浮かべ、片目をつむる。ドウゲンはその笑みを見て、苦笑する。そしてルーに向かい言い放つ。
「……フッ。そうだな。確かにまともに受け止めたとて、どうなるものでもないか。わかった、同行を許そう。ただし、何が起こったとしても、自分の責任ですべて自分で処理しろ。それが同行を許す条件だ」
「……はい、わかりました――」
一呼吸おいてルーははっきり口に出す。
「――お
それを聞いたクウヤは一人頭を抱えていた。ドウゲンやカトレアはその様子に苦笑していた。
一悶着あったものの、ドウゲンとクウヤたちは帝都へ向け出発することになった。
――――☆――――☆――――
「クロシマ子爵が? 何用か」
ドウゲンは帝都へつくなりまっすぐ帝宮へ向かい皇帝への謁見を求めた。その報を聞いた皇帝は唐突に謁見を求めるドウゲンをいぶかしむ。
皇帝からすればドウゲンが何を考え、何を目的としているのか明らかでないところがあり、彼を今ひとつ信用していなかった。また公爵家の婿という立場から公爵の手先となり、皇帝に仇なす可能性を否定できなかった。
「……子爵、何を考えておる。直接申し開きするつもりなのか? しかし……」
皇帝は考えあぐねている。敵とも味方ともつかない得体のしれない存在であるドウゲンは自らの面前で何をしでかすか見当がつかない。
「……ならば、今回の騒動の発端を同席させねばならんかな」
謁見の場に公爵を同席させれば万が一のときに公爵の責任を問えると皇帝は考えた。公爵とドウゲンが結託する可能性はあったが、そのときはクウヤを盾に逃げることとし、万が一の際でもかわすことは可能だろうと目算をつけ、執事に命じる。
「子爵は帝宮内で待機させよ。それから公爵を帝宮へ呼び出せ。火急の用といえばわかるはずじゃ、急げ」
執事は礼もそこそこ、皇帝のもとから飛ぶように離れ己の役割を果たしにいった。
「……さてさて、子爵に公爵よ。わしをどのくらい楽しませてくれるかの。くっくっく……」
皇帝は一人君の悪い笑みを浮かべ、ドウゲンたちの到着を待つことにした。
――――☆――――☆――――
「陛下から火急の用にて至急、参内せよとの思し召しです。至急、帝宮にお越しください」
皇帝からの使者から聞かされた言葉に驚きを隠せない公爵。皇帝の使者を名乗る目の前の人物が自分を謀殺するために現れた刺客とさえ疑る。しかし、皇帝からの正式な使者の証を示され、その上めったに拝領することのない皇帝の手紙付きであれば頭から疑うこともできない。とは言うものの、皇帝から呼び出される理由に思い当たるフシのない公爵にすれば戸惑いを感じざるを得なかった。
「陛下からの……? 何用か?」
そう使者に問うても、答えは『急ぎ参内せよ』の一点張りで時間を浪費するだけだった。
「……わかった、とりあえず帝宮へ向かう」
使者の頑なな対応についに根負けし、公爵は急ぎ衣服を整え、馬車に乗り込む。急ぎの馬車の中、皇帝に呼び出された理由を思い巡らす。
「今時、何用だ……まさか何か尻尾を捕まえられた……? いや、それはあるまい。表向きすべて帝国のためと理由付けて実行してきたのだからこちらの意図に気づかれるはずがない。あと考えられるのは……ドウゲン? ヤツのことか……? まさかあの小僧、しくじったのか?」
早馬車は不規則に車体を揺らしながら、公爵は一路帝宮へと向かう。公爵の思索も早馬車のようであった。
――――☆――――☆――――
「今日は何用じゃ、ドウゲン・クロシマ子爵。火急の用と聞きわざわざ時間を作ってやったのだ。つまらないことならそれなりの処分は覚悟せいよ」
皇帝はドウゲンをあからさまに恫喝するような発言で謁見は始まった。ドウゲンは皇帝の恫喝にも動じる様子はなく、平静に見える。皇帝はドウゲンの様子に一瞬眉を顰める。
「陛下、発言を御許可願いたい」
「なんじゃ、公爵。子爵の話を聞く前に言うことがあるのか?」
「お呼び出しいただいた用向きは何でございましょうや? この場にクロシマ子爵がいることを考えると例の事案についてなのでしょうか?」
「そのあたりどうなのじゃ、子爵よ。余はそなたの用向きを詳しくは聞いておらん。それにクウヤ以外の連中はなぜ同席しておる? 説明せよ」
「はっ! それではご無礼ながら、ご挨拶は割愛させていただき、本題に入りたいと思います」
そう言うとドウゲンは申し開きを始める。皇帝に対する反意のないこと、リクドーにおける政策はすべて帝国の繁栄につなげるべく実施されていることなどドウゲンにしては珍しく熱弁を振るう。
「なるほどのう……子爵よ、そなたの言いたいことはわかった。しかしその言葉を裏付けるものが足りんが? そのあたりの保証はどうなっておるのか?」
「私めの言葉に嘘偽りがないことは、こちらに同席されているカウティカ第三公女ルーシディティ様が保証していただけるとのことでございます」
ドウゲンが慇懃に皇帝へ答える。ルーは皇帝へ会釈する。
「陛下! 他国の姫君の保証が何の役に立ちましょうか。内政干渉が甚だしいと言わざるを得ません。明らかな帝国の国政に関する干渉ですぞ」
公爵がいらだたしげに口を挟む。
「公爵よ、余は発言を許した覚えはないが? 例え公爵であっても許さぬぞ」
不用意に発言した公爵に皇帝は威圧しつつ警告する。皇帝の言葉に公爵はあわてて謝罪する。
「……陛下、改めて発言してよろしいでしょうか?」
公爵は恐る恐る皇帝に発言の許可を求める。今度は皇帝はすんなり発言を許可する。
「ありがとうございます。リクドー司政官ドウゲン・クロシマ子爵の発言を真として保証する権限は他国の姫君であるルーシディティ嬢にはないと確信します。それに何をもって子爵の発言を真とするのか、ルーシディティ嬢にお伺いしたい」
公爵に対しまったく臆することなくルーは朗々と答える。
「リクドーの統治状況を鑑みるに皇帝陛下のご意志に反するような徴候は見られません。陛下の臣民はドウゲン・クロシマ子爵の統治を通じて安寧を得ております。そのような状況で子爵が反意を持つとは通常ありえません。その状況をこの目で見たからこその申し出であり、そのことに嘘偽りはありません」
何のためらいもなく、答えるルーに対し公爵は何とかして、ルーを論破しようと躍起になっていた。
「しかし、私の信頼するさる筋からの情報によれば子爵が秘密裏に陛下に背き、リクドーを
公爵はルーに対し勝ち誇ったようにルーを見下す。しかしルーはまったくひるまない。ひるまないどころか挑発的な笑みを浮かべ、公爵に答える。
「ならば、まず先に『信頼するさる筋』にもう一度問い合わせていただけませんか?
ルーは自分の意見を芝居がかった身振りを交え、主張する。堂に入ったルーのふるまいは公爵をたじろがせるのには十分であった。まだ年端もいかない子供ではあったがその堂々たる姿は将来国家指導者として辣腕をふるうであろうこと想像させるには十分なものであった。公爵は真正面から論戦を挑んでくるルーを扱いかねていた。小娘との侮りが公爵の劣勢を呼んだことは明らかだった。
論戦に関してルーは大人相手に負けることはない。例え相手が権謀術数渦巻く社交界を渡ってきた公爵であったとしても。幼い頃から鍛え上げられた弁舌が冴え渡り、公爵はほぞを噛む。
「なるほどのう。公爵よ、カウティカの姫君の言うことは最もじゃ。この場はお主の負けのようじゃのう、ほっほっほ」
皇帝は下卑た笑いを謁見室に響かせる。苦渋に満ちた表情をしながら、なおも自らの意見をまげず主張しつづける。
「しかし、私とて陛下に嘘偽りを申したわけではありません! 独自の情報網を使い集めた情報に基づいての進言です。間違いはありえません」
劣勢の公爵は必死に己の正当性を主張するが、ルーの弁舌の前ではその正当性は色あせたものでしかなかった。いよいよ窮地に追いやられた公爵はとうとう腹案をださざるをえなくなった。
「……くっ。ならば、子爵よ。己にかかった疑惑を晴らしたいならば命をかけてもらおうか」
「命……? それはいかなることでしょうか、閣下」
ドウゲンはいささか殺気に満ちた視線で公爵を射抜く。ドウゲンからすれば予測していた最悪の事態である。これで殺意を抱かないのは難しかった。一方公爵はそんな視線をどこ吹く風で受け流し、説明を続ける。
「己の正当性をお前の全存在をかけ証明せよ。陛下の使者たる魔戦士と一戦交え、剣でお前の正しさを証明してみよ!」
突然話の方向を斜め上を行く方向に変えられたルーは憤慨し、公爵に抗議する。
「公爵閣下、話の筋が違うのではありませんか? なにゆえクロシマ子爵が剣を交えなければならないのですか?」
ルーの抗議に、公爵は見ようによっては人をバカにしているような不敵な笑みを浮かべ彼女を見返す。尊大で、いかにも無知蒙昧な婦女子を教育してやろうといった感じがありありとした態度でルーに自分の考えを述べる。
「……子爵は武人である。武人であるならば己の力や正当性は武によって確立されなければならんであろう? そう考えれば子爵が己の剣によって正当性を証明するという理屈は成り立つ。つまり、自分に嫌疑をかけている相手に対し、自らの武をもって潔白を証明する――実にわかりやすいではないか」
公爵の下卑た笑みにもあきれていたルーだったが、開陳された彼の考えにどうしょうもない絶望感を感じる。
「そんな無茶苦茶な……」
「それに己の跡取りと剣を交えてでも自らの真実性を証明する――特に臣民どもにはウケるのではないか? 万難に直面してもなお、自らの武を押し立てる――実にわかりやすくはないかね?」
公爵の独断と偏見に満ちた考えは暴走し始めていた。しかしどんどん公爵ペースで話が進むのを快く思わないものがいた。
「まて、公爵よ。お前は何を勝手に先走っているのか? いくら余の帝国の宰相とはいえ何の権限があって勝手に話をすすめるのか!」
公爵の専横に堪忍袋の緒が切れた皇帝は、とうとう公爵を怒鳴りつける。
「これは汗顔の至り。失礼いたしました。何分帝国の安寧に関わる重大事案につき、先走ってしまいました。どうかご容赦を」
しかし公爵は言いたいことを言ったあとだったせいか、皇帝の勘気をこうむってもたじろぐ様子はない。むしろ慇懃な言葉を並べ、皇帝の勘気をいなす。
あまりのふてぶてしさに皇帝は毒気を抜かれ、怒りのボルテージが下がってしまった。
「……公爵の言わんとするところはわからなくはない。古来武人が己の正当性を剣で主張した例はある。ただ今回の件に当てはまるかどうかは微妙だな」
皇帝の発言に我が意を得たりと公爵はたたみかける。何としても子爵とクウヤを本気で戦わせるところまで皇帝を誘導しようと手ぐすね引いていた公爵は二人の戦いの結果で自らの謀の完成度を確かめようとしていた。ただそのことは絶対におおっぴらにしようとはしなかった。特に皇帝の前ではそれなりの美辞麗句を並べ立てごまかしていた。
しかしこの好機を前に公爵はためらいはなく、皇帝に自らの謀が明らかになっても構わないような態度を取る。
「なればこそです。今回の件は先例ととするべきで。武人としての身の処し方の見本として。そうすれば子爵は武人としての
公爵はここぞとばかり、皇帝を持ち上げるような賛辞や中身のない美辞麗句を立て板に水のように吐き出す。もちろんこの程度のことでさほど心動かされることなどありえない皇帝ではあった。
しかし、そこは公爵海千山千の古だぬきが簡単には引き下がらない。
「しかし陛下……皇帝の使者たる魔戦士が無実の貴族に嫌疑をかけたなんて噂が流れた場合、魔戦士の信用が地に落ちるだけでなく陛下……陛下の評判にも関わりかねませんぞ」
公爵はこともあろうか、皇帝に脅しをかける。皇帝は眉間にシワをよせ公爵を睨む。
「……公爵よ、貴様自分が何を言っているのかわかっているのだろうな?」
皇帝の怒りは再び頂点に達しようとしていた。
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