第111話 反逆
帝都エドゥを守る衛兵たち、それも最下級兵が集まる安酒場、非番の兵士たちが酒を酌み交わし、他愛のないうわさ話に華を咲かせる。
「陛下が床に伏されたんだって?」
「本当かよ? まぁ連合軍発足のためにご苦労なさったから……」
「あぁ……早いところ壮健なお姿を拝見したいもんだ」
連合軍発足後すぐに皇帝の姿が公式の場で見ることがなくなり、しばらくたってからどこからともなく皇帝が床に伏したと噂になる。帝国の政治をつかさどる帝国府はあえて噂を否定せず、『陛下は過労によりしばらく静養される』と発表した。帝国臣民の多くはその発表を疑うことなく受け入れ、皇帝の早期の政務復帰を願った。ただし、臣民でないものには必ずしもそうではなかった。
「……陛下は表向き過労で静養と発表されているが、実際のところはどうなんだ?」
下級貴族の子弟たちが数人、酒場の奥の薄暗い個室で噂話をしている。話題は当然のように皇帝の安否についてだった。
「さあ……良くはわからん。帝宮内のことなんて、俺たち下級貴族にはわからない世界だからな」
声を潜め両手を上げ、首を振る。
「誰かが一服盛った……なんてことはないよな」
一人が手を口の横に立て、声を潜ませその席にいる誰とはなく、不穏な疑問を投げかける。その他の貴族子弟たちは眉をひそめ、周囲をうかがい出す。
「めったな話をするんじゃない! 下手にそんな話をすればお咎めがあるかもしれないぞ……」
一人が不穏な疑問を投げかけた子弟に声をひそめながらも、これ以上の発言を止めさせる。ありもしない謀議に参加していたカドで捕まりたくはなかったからだ。
「まあそうだが……ない話ではないな。かなり強引に連合軍の編成をいそいだから、地方の貴族には相当の負担になったという話だが。その関係で陛下に恨みを持つ者が現れても不思議ではないが」
もう一人の子弟はしたり顔で、不穏な推測を述べた。最初に話題を提供した子弟が思いついたように自分の推測を述べ始める。
「いやいや、連合軍の指揮権をめぐって、イザコザがあるらしいぞ。あれだけの兵力を動かすんだ、列強各国もいかに影響力を持つか躍起になっているらしい……」
「はい、お待ちどうさま。エール四つね」
「……お、おう。ごっ……ご苦労さん」
子弟たちの話は女給の声に断ち切られる。政治的に危ない話をしている彼らはあっさりと話していた話題をかなぐり捨て、当たり障りのない世間話を始めた。
一方、貴族たちの間でも噂は広まっていた。貴族どうし顔を突き合わせば、自然と皇帝の容態の話になる。そして、いささか生臭い話へと続くのが常だった。
「……どうも、陛下は長くはないらしい。となるとあの愚鈍の皇太子が跡を継ぐことになるだろう。そうなれば、帝国の実権は……後見人のものだ」
「となれば……後見人候補の誰につくかで将来が決まる……ということか」
「……やはり、公爵か?」
「まあ、現在のところ一番の候補だろう。ただ……」
「ただ? なんだ?」
「公爵は得もしれぬ策謀が多いと聞く。思わぬところで、躓かなければ良いが」
「……ああそうだな。陛下の体調不良も公爵の手のものが一服盛ったとの噂もある。下手に近づけば我らも巻き添えになりかねん」
「当面は様子見しかないか……」
貴族たちもひと目につかないところで密談を重ねていた。当然のように有力貴族たちも水面下で策謀をめぐらし始める。現皇帝亡き後、後継者たる皇太子が愚鈍とまでは言わないまでも、特に抜きん出た才能のない凡人であった。また、皇帝も皇太子の無才をよく承知しているらしく、そろそろ成人を迎える皇太子を一向に後継者として公言することがない。そんな背景もあり、有力貴族は帝国の実権を握るために蠢く。皇太子の後見人に引き立てられれば、帝国の実権は思うがままであった。
そんなところへ、毒殺未遂の噂である。その噂が流布するにつれ、不穏な空気が帝国内に立ち込める。
貴族の会合では皇帝の話題になるとこじれることが多くなった。
「……陛下はいまだ公式の場にはお見えにならない。いよいよ……」
「滅多なことを口にするのではない! 貴様さては……陛下に一服盛った一派か!」
「何を言うか! そう言う貴様こそ、帝国にあだなす不敬の輩とつるんでいるのではないか?」
「何をっ!」
口喧嘩を始めた貴族たちは今にも帯びた剣を抜かんばかりの殺気を放ち睨み合う事態になった。
貴族たちは次第に疑心暗鬼になり、貴族間のささやかな内輪の会合でさえ、どういう内容か、出席者は誰か明らかにしなければ簡単に開くことができなくなっていた。強大な権力をほこっていた皇帝が
その喧騒の中で公爵は表向き平静を保ち、目立つ動きは控えていた。公爵にとって有利な風が吹いているというわけではなく、誰が味方で誰が敵か混沌としていたからである。そんな状況で皇帝からの内々のお召がある。公爵は動揺を隠しきれなかった。
「閣下、陛下からの内々のお召にございます」
「なんだと? 何故こんな時期に……?」
訝しがる公爵ではあるが、皇帝から直々のお召とあらば断れるはずもなかった。公爵はいささか焦りを感じる。皇帝がいよいよ潰しにかかってきたのかと疑う。
「……まだ、皇帝に尻尾を掴ませるわけにはいかん。何か手を打たねば……最低でも皇帝の疑いをそらさなければ……。そらす……? そうか、アレを使うか」
公爵は疑念が募るにつれて焦りの色を隠せなくなる。まるで真綿で首を絞められるような感覚に襲われた公爵は一計を案じることになる。疑念の先を誰か第三者になすりつける――これが公爵の一計であった。
「ふっふっふっ……このときまで大枚を
そのいけにえに選ばれたのは公爵にとって目の上のこぶとなっているものである。すなわち、彼の計画を無に帰す力をもったもの――魔戦士クウヤである。何らかの形でクウヤを失脚させたいと願っていた公爵は闇に隠れ、策謀をめぐらせる。
「誰か! 誰かあるか!」
「お呼びでしょうか?」
「ヤツに手紙を送る。準備しろ」
「は。仰せのままに」
公爵はさる人物に指示をだすため手紙をしたためる。
クウヤに疑念を擦り付けるべく、公爵は水面下で動き出した。公爵は陰で策謀をめぐらせることに関して言えば、帝国内に敵なしと言えるほどである。
「ふっふっふっ……小僧、やっと貴様を排除する大義名分ができたわ。わしからの最後の手向け、心して受け取るがいい。くっくっくっ……」
公爵は自分の謀略が成功するところを想像し、はたから見てきわめて不快になるような気味の悪い笑みを浮かべ、悦に入る。公爵の謀は幕を開けた。
――――☆――――☆――――
「……おい、聞いたか?」
「何をだ? 何か面白い話でもあるのか?」
帝都の治安を守る衛士の詰め所で、下級衛士が無駄話している。
「ここだけの話だがな、陛下が体調を崩されたのはどうやら一服盛られたらしいぞ」
「なんだ、その話か。その話なら聞いたことがある。ただの噂だ、噂。そんな話なんていくらでも聞いたぞ。そんな話なら、聞く価値は無いな」
話を聞いていた一人の衛士はいい加減そのような話を聞き飽きていたらしく、露骨に嫌な顔をする。しかし、話を振ったもう一人の衛士はしたり顔をする。どうやらこの反応を予測していたらしい。彼は得意満面にさらに話を続ける。
「まぁ、話は最後まで聞け。どうやら一服盛った首謀者がとんでもないヤツらしい」
以外にも、噂話に嫌気がさしていたもう一人の衛士は以外も食いついてきた。
「……ほう。それで?」
「それはあの『魔戦士』だよ」
「魔戦士がか……? まさか……」
「そうだよな、普通そう思うよな。でもよぉ、よーく考えてみな、大した功績もなく全くの無名のアイツが連合軍の旗頭なんて通常ではありえない。それだけ陛下のご期待が大きいってことさ。ところがヤツは陛下のご寵愛をいいことに増長したんだ。それで連合軍の主導権を奪おうと……一服」
「……話としてはよくある話だが、本当なのか? むしろ話として割とよくある話だし、何か根拠がないと信じがたい」
話を聞いていた衛士は訝しげな目を話をしている衛士に向ける。しかし話をしている衛士はそれでひるまない。さらに得意げに話を続ける。
「ああ、俺もそう思ったよ。ただ話の出どころが出どころだからなぁ……」
「出どころ? そんな確かな筋からの話なのか?」
「ああ、間違いない」
話をしている衛士はもったいぶって、何かを待つように口を閉ざす。見ようによっては陰険な笑みを浮かべながら、相手の反応を待っている。聞いている衛士は仕方がないという雰囲気をありありとしながら、口を開いた。
「で、どこからなんだ?」
「さる陛下の近習を務める上級貴族様の執事筋からの話だ。そんなところからの話だ、確度は高い」
得意満面に情報の出どころを開陳する。話半分で聞いていたもう一人の衛士も多少真実味を感じ始めたらしく、さらに二人は話を続けた。
このように巷へ噂話がまことしやかに流れ、徐々にひろまっていった。公爵の謀はじわじわと効果を発揮し始める。どこからともなく連合軍の実権を完全掌握するために魔戦士とその周辺が皇帝へ一服盛ったという噂が真実として様々な人に広まっていった。
同じ頃、主要国の首脳へのお披露目が終わり、クウヤ一行は一旦マグナラクシアへ向かうことになった。しかし、皇帝が倒れたとの一報でクウヤは帝宮へ急ぎ、不在である。他の三人はそうおいそれと帝宮へ入ることができないのでクウヤが戻るまでとりあえず帝都で宿をとることにした。
「……まったく。陛下がぶっ倒れたってのに、のんきに物見遊山と洒落込んでいいのかねぇ……
エヴァンが宿の食堂で塊肉と格闘しながらぼやく。娘二人は多少あきれ顔で彼を見ている。
「……ご飯を食べるときは、食べることに専念したほうがいいと思うの。お行儀悪いよ」
「ほっときなさい、ヒルデ。育ちの悪さはいくら言ったところで直らないわ」
「ウルへー! 好きでこんなふうになったんじゃねーよ」
非常にくだらないことで言い争っていると周りの噂話が耳に入る。魔戦士が皇帝に一服盛ったという例の話である。
「……何かおかしなことなっているな。アイツにそんなことができるわけないだろうに」
「まったく、無知蒙昧な愚民というのは本当に度し難いですね」
「るーちゃん、気持ちは分かるけれどそれは言い過ぎだと思うよ……」
エヴァンは憤慨しながら、塊肉をかみちぎっている。ルーも実態を知らず、まことしやかに噂話をする者たちへの侮蔑を隠さない。
「しかし……クウヤ、大丈夫か? 陛下のところへ行ったきり戻ってこないんだけど」
「陛下と今後のことについてしっかり話し合っているのよ。何せ連合軍の旗頭なんだし……」
「ちょっと、心配だけどクウヤ君なら大丈夫よね」
クウヤは皇帝のところで足止めされ、ここ数日帰ってこない。宿で待つよう連絡があってから何の連絡もないので仲間は心配していた。ルーは気丈に振舞うが心の奥底に広がる不安感は消せなかった。
「……大丈夫よね、クウヤ。帰ってきて……」
木のコップを抱きしめるように握りしめ、ルーは懇願するようにつぶやいた。
――――☆――――☆――――
時は少しさかのぼり、クウヤは皇帝の私室で謁見していた。
「陛下、お加減はいかがでしょうか?」
「おお、クウヤか特に大事無い。今しばらく静養すれば元の通りになる」
「それはそれは……よかった」
クウヤはホッと胸をなでおろす。皇帝はそんなクウヤに目を細めるが、一転して厳しい目をして言い放つ。
「そんなことよりも、これから連合軍の旗頭として働いてもらわねばならん。やることは山ほどあるぞ。些事に気を取られている場合ではなかろう?」
「はぁ……」
皇帝の急変に理解がついていかず、思わずため息のような返事をしてしまう。皇帝はそんな緊張感の足りないクウヤを一喝する。
「何を気のない返事をしておるか! 数日かかるから覚悟しろ」
「え! そんなにかかるのですか!」
「当然じゃ。連合軍の旗頭としてそん色ない振る舞いや知識を身に着けてもらわねばならん。一日、二日でできるか」
「……ええそうですね。それじゃ、仲間に伝えないと……」
「執事長のほうから手配させよう。しばらくどこかの宿でおとなしくてしもらうのがよかろう」
クウヤは帝宮で連合軍の旗頭となるべく、立ち振る舞いや、軍の統率方法などみっちり缶詰で仕込まれることとなった。
(これじゃ、リクドーにいるときと同じじゃないか……もうあんなことはないと思っていたのに……)
クウヤは再び詰め込み生活が始まることに辟易していた。
――――☆――――☆――――
クウヤが詰め込み生活を始めて二日ほど経ったころ、公爵が皇帝に召喚された。その場にもクウヤは立ち会うこととなる。
「陛下! お加減はいかがでしょうか! 不肖マテュー・モーリッツ・ハインツ・プレヒト、陛下のご回復を一日千秋の思いでお待ち申し上げております。何かご不便がございましたら遠慮なく申し付けください」
いつものように公爵の心にもない社交辞令が謁見室に響く。公爵は室内の空気を全く読まず、言葉を続ける。
「クウヤ、お前も連合軍の旗頭として陛下に任じられながら何たる失態! 祖父として陛下にはお詫びの申し上げようもございません」
突如脈絡もなく引き合いに出されたクウヤは内心憮然とするが場所が公式の謁見室のため、その気持ちを抑え込む。思わず、拳を力いっぱい握りしめる。
「まぁ、よい。そのそのぐらいにしてやれ、公爵よ。クウヤはようやっておる。それはさておき、プレヒト公爵よ。余がしばらく静養する間の帝国の政ごとの面倒を見ていもらいたいのだが」
公爵の空々しいあいさつを聞き飽きた皇帝は用向きを切り出す。公爵はさも当然そうに仰々しく膝をつき手を胸に当て頭を垂れる。
「それはもちろん。陛下の命とあらば否応もありませぬ」
「うむ。特に治安維持には気を付けてもらいたい。余が不在の隙を狙ってどんな輩が蠢くかわからんでの」
「ははっ!」
公爵は再び恭しく頭を垂れる。その表情には卑下た笑みを浮かべていたが、そことに気づくものはその場にはいなかった。
「そこで早速ではございますが、お耳に入れたいことが……」
公爵はいびつに口角をあげ、皇帝に話し始める。
「なんじゃ?」
「どうやら、帝国の安寧を乱し、陛下にたてつかんと策謀をめぐらすものについて情報を手に入れまして、早速陛下のお耳にと思いまして」
皇帝は訝し気に公爵を見るが、治安を任せるといった以上、下手に疑うような言葉はこの場では出せなかった。
「さすがは公爵じゃのう。それでその不逞の輩は?」
「それは……身内の恥をさらすようで誠に恥ずかしい限りなのですが……」
言葉を切り、ほんの少し間を取った公爵。周囲の目が公爵に集まる。その雰囲気を察して、公爵が徐に口を開いた。
「その者はリクドーの司政官、ドウゲン・クロシマ子爵です」
皇帝はその名前に若干虚を突かれ、言葉を失う。クウヤも公爵の口から出た名前を父親と理解するまで時間がかかった。
「そんなはずはない! 父上が反意を持つなんてっ!」
クウヤの叫びが謁見室にむなしくこだました。
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