第105話 黒い戦士

――悪夢は続く。隊長の想定した最悪の状況に向かって事態は推移していく。少しづつではあるが、調査隊は地獄への一本道を図らずも、突き進んでいた。


 昼間、何とか魔物の襲撃を防いだ調査艇隊であったが、日が落ちるとともにヤツらはまたやってきた。調査隊員たちには悪夢でしかなかった。昼間あれだけ魔物を打ち払ったにもかかわらず、それと同じぐらいの数の魔物が襲ってくる。

 隊員たちの中には、疲労と魔物に襲撃に対する恐怖から、パニックを起こし戦闘行動をとれなくなる隊員も出始める。

 まさに調査隊は極限状況に追い込まれていた。


「全員無事か? 動ける奴は動けない奴を救護所へ運べ! 見張り、気を抜くなよ! まだ次があると思え!」


 隊長は一人気を吐き、隊員たちに次々と指示を出す。しかし、その双眸は力なく、明らかに疲労の色が濃くなっていた。隊長ですらそこまで追い込まれているので、隊員に関しては推して知るべし、まともに隊長の指示通り動ける人員が著しく減っていた。


「何とか、クウヤが戻るまでは持たせたいが、いつまで持つか。全滅するのが早いか、クウヤと合流するのが早いか、時間との勝負だな……」


 誰ともなくつぶやく隊長。そのつぶやきが調査隊の現状を端的に示していた。調査隊に残された時間はお世辞にも多くはなかった。


 野営地は再び深い闇に包まれ、魔物の襲撃も散発的に続く。その暗闇は調査隊の行く末を暗示するかのようだった。


 何匹魔物を屠ったであろう。誰もその数を数えることをやめるほどの数を屠った。すると、辺りに変な静けさが満ちる。隊長はそのことに気づき、大きく息を吐き出す。空は白みはじめ、野営地を闇にとざしていた夜の帳は徐々に上がり始める。


「やっと一息つけるな……」


 一晩中続いた嫌がらせのように散発的に続いた魔物の襲撃は、夜が明け始めるとなぜか襲撃がやんだ。隊長はとりあえず生きて再び日の光を浴びることができたことに安堵する。とはいえそんな気持ちも調査隊の現状を確認した途端、どこかへ吹き飛んだが。


 隊員たちは無事なものを探すことが難しかった。ほぼ全員どこかをケガしており、ケガの程度が重いか軽いかの違いだけだった。しかも、度重なる襲撃に疲弊し、中には立ち上がることすら、ままならないものまでいた。ここまで戦い続けられたことが不思議なぐらいだった。


「……副長、状況はどうか?」

「最悪です。とにかくいち早く撤退しなければ、早晩……全滅です」


 副長は切羽詰まった表情で隊長に訴える。その目は血走り、どこからみても明らかなクマが浮かび上がっている。副長もキズを負い、満身創痍であった。その姿に隊長も撤退はやむなしと思い始める。


 ルー、ヒルデ、エヴァンの三人も同様で、疲労の色を隠せない。常人に比べれば卓越した力を持った彼女らであったが、彼女らをしても今置かれている状況がいかに過酷な状況であるかを物語っている。

 ルーは攻撃魔法を連発するため、魔力が枯渇気味であった。どうしてもだましだまし魔法を使い魔物を屠るしかないため、ストレスが頂点に達しようとしていた。常に自制したやり方に徹しないといけないため、イライラが募るばかりであった。それに加えて、いつ帰るとも知れないクウヤのことが時間が経てばたつほど気になり、不安が増すばかりで、そのことも彼女にストレスを与えていた。

 ヒルデは隊員の救護を手伝っていた。そのときどうしても傷つきうめく隊員の姿を目の当たりにしなければならなかった。その姿にショックを受け、それを押し隠しながら手当てしなければならなかったので、そのことが彼女を苦しめていた。そのうえ救護の合間に戦闘を行い、血しぶきを上げ倒れる魔物だけでなく傷つき倒れる隊員の姿に彼女の精神は悲鳴を上げ始めていた。

 エヴァンは自分の体力に任せ魔物を薙ぎ払っていたものの、一向に魔物の襲撃が止まず次から次へと襲ってくる魔物に恐怖を感じ始めていた。それに、数多くの魔物を屠ったにもかかわらず、ヒルデやルーにも負担をかけていることに引け目を感じ、彼ですら自分の無力さに心折れそうになっていた。


 主戦力たる三人がこの状態になっているためそのほかの隊員の動揺は大きくなるばかりで、隊長もいくら鼓舞したとしてもそろそろ、この場所にとどまり続けることの限界を感じていた。


「隊長、もうそろそろ限界です。すぐにでも撤退を――」

「ダメー! クウヤが、まだクウヤが戻ってきていないのよ!」


 副長の言葉を小耳にはさんだルーが撤退反対の声を上げる。副長は驚くと同時に眉間にしわを寄せ、ルーの言葉に対し露骨に不快感を表す。そんな副長にお構いなくルーはまくし立てる。


「このままでは、早晩全滅するぞ! 君たちが力を持っているとはいえ、あと何回襲撃に耐えられると言うんだ。君たちだって、そう長くは持つまい。君の友達には悪いが、友達を待っていて死んでしまったら元も子もないだろう?」

「クウヤは……クウヤはきっと戻ってくるわ! 絶対、絶対よ!」


 副長が何と言おうとルーは頑として首を縦に振らず、険悪な空気が二人の間に流れた。いつもならヒルデが間を取り持つが、現状では彼女もその余裕がなかった。クウヤのことは心配していたが、彼女自身かなり限界に近づいていたため、『撤退』という言葉に得も知れぬ魅力を感じていた。そのため彼女はこの場を治める意欲がわいてこなかった。できればなし崩し的にこの地獄のような状況から逃れられないか期待すらしていた。

 エヴァンは疲労から考えることをすでに放棄していた。どっちの言い分が正しかろうと今の彼にはどうでもいいことであった。彼が今望んでいるのは休息だけだった。


「もういい! そんなに引き上げたければ引き上げればいいじゃない! 私一人でもクウヤを待つわ!」


 結論の出ない雰囲気にルーが耐え切れず、感情も露わに言い切ってしまった。隊長は苦虫を噛み潰したような顔でこの場の騒ぎを見守っている。副長も引くに引けなくなったのか、自分の意見を撤回する雰囲気は全くなかった。


「……言いたいことは言ったか? まだ言い足りないことがあれば今のうちに言っておけよ」


 副長とルーの大人気おとなげない言い争いに辟易した隊長は二人の間に割って入り、言い争いを止める。


「確かに隊の状況はかなり厳しいことは間違いない。ただ、我々の目的は遺跡調査と同時にクウヤを無事連れ帰ることだ。彼を連れ帰れなければ、任務達成にならない。限界に達していることは重々わかっている。だがあと一晩待って……頑張ってみようじゃないか。無理無茶を承知でお願いしたい。頼む、あと一晩、一晩耐えてくれ」


 隊長はそう言って、副長だけでなく隊員たちにも深々と頭を下げた。隊長にそこまでされると副長をはじめ、隊員たちには四の五の言うことはできなかった。


「……隊長」

「あと一晩だけだからな。明日の朝には何があっても引き上げる。異論は認めん。いいな?」


 涙目になっているルーは覚悟を決めたようにうなづく。ヒルデは申し訳なさそうにルーに寄り添い、エヴァンは『やれやれ』といった雰囲気を隠しもせず、剣を支えに立ち上がる。


 隊員たちは隊長の決定を聞き、それぞれの役割を果たすべく、ゆるゆると動き始める。ケガの程度によりできることはそれぞれだったが、隊がまた一つなって動き始めた。

 

 そのときには太陽は空かなり高く登り、野営地のまわりは焼け、遠くの景色をゆらしている。魔物の気配はなく、平穏さを取り戻したように見えた。


「次の襲撃は……日が落ちてからか?」


 隊長は周囲を見渡し、魔物の影を探す。すると、遠くから地響きと木々がなぎ倒されるような音が伝わってきた。


「何の音だ?」


 隊長をはじめ、見張りたちは音のする方を目を凝らし、監視する。陽炎の向こうから黒い影がゆらゆら近づいてくるのを見つけた。徐々に地響きが大きくなり、その振動が足もとからはっきりと感じられるようになる。


「……! デカいヤツが来るぞっ! 全員、迎撃態勢を取れ、急げ!」


 巨大な黒い塊がはっきりと視認できる距離まで近づいた。その影は今までの魔物とは比較にならないほどの体躯を持ち、今までの襲撃が露払いに過ぎないと感じさせるほどの圧迫感を持っていた。魔物を通り越し、魔獣とも呼ぶべき禍々しい姿をしていた。見た目はヒト型に見えたが、背丈は遠目にもヒトの数倍あることがはっきりとわかる。頭には左右に伸びる二本のひねりの入った角、鋭い牙が赤黒い口からむき出しになり、殺意に満ちた目は金色に爛々と光る。全身に黒光りする鱗をまとい、その四肢は何百年と大地に根付いた大樹のように太く、鋭い爪がとどめを刺すように魔獣の破壊衝動を表していた。龍のような太い尾を振り回しながら、どんどん近づいてくる。魔獣が近づけば近づくほど、瘴気に覆われた禍々しい姿に圧倒され、隊員たちは恐れおののく。


「あんなのがいるなんて……」

「どうしたらいいの、あんな大きい魔物なんて……」

「なんてデカいヤツなんだ……」


 ルーたち三人もその姿を目の当たりにして、絶句した。彼女らはかなりの数、魔物を見てきたがその中で飛び抜けて巨大な姿に動揺を隠せないでいた。


 魔獣はそんな調査隊をあざ笑うように雄叫びを上げる。その声は単なる音ではなく、衝撃波として野営地にとどく。その音圧に押され、調査隊の全員が膝をつき耐えなければ、吹き飛ばされるほどだった。


「今までの魔物と全く違う……」


 ルーは拳を握りしめ、魔獣をにらむ。額には恐怖からか冷や汗がにじみ、わずかに身体が震えている。ヒルデやエヴァンもその威容に恐怖を感じていた。


「……全員ひるむな! あのデカブツを全員でたたけ!」


 ルーたちを含め、調査隊の面々が全員恐怖に支配されたことに気付いた隊長は発破をかける。その声におのれのやるべきことを思い出した者たちは攻撃態勢を整える。ルーたちもそれに負けじと、巨大な魔獣を攻撃し始める。


強力召雷ごうりきしょうらい!」


 強烈な光と轟音と共に魔獣が稲妻にうたれる。ルーのもたらした稲妻は魔獣の咆哮よりも強力な衝撃波を発生した。砂塵が舞い上がり、魔獣の姿をかき消す。魔獣の姿が消えさった。


「これで……? うそ……」


 ルーは目を疑った。砂塵が晴れると、そこにはあの魔獣がいた。魔獣はダメージを受けた様子もなく、ただひたすら野営地に向かってくる。ルーは愕然とする。彼女の一番強力な魔法を放ったのにもかかわらず、魔獣はダメージを受けることがなかった。改めて目の前の魔獣がケタ違いの存在であることにルーだけでなく調査隊全員が恐怖する。


「ヒルデ、手伝って!」


 ルーはヒルデと協力し、魔獣に対峙する。一人では無理だったが、二人がかりなら魔獣といえども、無傷でいられるはずもないと考えたからだ。

 ルーとヒルデはともに詠唱に入る。その間にも魔法少女二人の思惑など一切関知しない魔獣は野営地に近づく。調査隊の隊員たちも、持てる武器や魔法を駆使し、何とか魔獣の足を止めようと必死になっている。

 詠唱を完成させた二人が同時に彼女たちにとって最強の魔法を発動させる。


「強力召雷!」

「轟炎水斬!」


 ルーは魔獣の咆哮にも負けない轟音を伴い、巨大な稲妻を魔獣に浴びせる。ヒルデは地獄の業火と見間違うほどの火炎で魔獣を焼くとともに、超高圧の水の刃を浴びせかけ、魔獣を斬る。


 魔獣は轟音と主に濃い水蒸気と舞い上がった塵に覆われ、姿がかき消される。ルーたちは凝視し、魔獣の姿を探す。


「……これでだめなら」


 だんだんと水蒸気と塵は晴れてきた。その中に黒い塊をルーたちは見つける。


「やったの……?」


 魔獣はひざまずき、動きが止まっている。一見すると、何らかのダメージを与え、動きを止めることに成功したように見えた。しばらく凝視していたが、動き出さない。


 ルーが思わず、声を上げ勝利を宣言しようとした瞬間、黒い塊が揺らいだ。


「うそ……まだ動けるの?」


 ルーは愕然とした。魔獣は姿勢を低くし縮こまることで、ルーたちの強力な一撃を耐えきったのだ。渾身の一撃を耐えきられたルーに残るものは次は自分が殺られる恐怖感だけだった。


「……ダメ……これでは」

「るーちゃん立って! に、にげなきゃ……」


 愕然と膝をつき、その場で呆然とするルー。ヒルデはなんとかルーを立たせ、一緒にその場から逃げようと必死になっていた。


「……たく。出番かな」


 愛剣を担ぎ、エヴァンがゆっくりと魔獣に近づいて行った。


「ダメ! エヴァン、戻って! もうそいつを止める手段はないのよ! 戻ってお願い!」


 ヒルデの必死の叫びに、振り返り愛剣を掲げ微笑むエヴァン。そのまま彼は魔獣に向け突進していった。魔獣に負けじとエヴァンも雄たけびを上げ、剣を振り上げる。

 

 エヴァンは魔獣に対し、剣を袈裟懸けに振り下ろす。魔獣は後ろへ飛び、すんでのところでエヴァンの剣をかわす。エヴァンはひるまず、剣を振り上げ、さらに魔獣の懐へ入り込む。

 懐へ入り込んだエヴァンめがけ、魔獣は鋭い爪を振り下ろした。爪は空気を切り裂き、エヴァンを切り裂く。しかし、エヴァンもギリギリのところで爪をかわし革鎧に切り傷がつく程度でかわした。

 

「さすがに、今までのザコとは違うなっ……と!」


 剣で魔獣の爪をかわしながら、エヴァンは吐き捨てる。何回かエヴァンは魔獣に切り込むが、巨躯の割にすばしこい動きに決定的なダメージを負わせることができない。次第にエヴァンの息が上がりだす。


「……このままでは。こなくそっ!」


 渾身の力を込め、剣を魔獣に叩きつけた。


 渾身の一撃は魔獣の身体に確かに当たった。しかし、いつもの魔物なら、一刀両断されるが魔獣は違った。エヴァンの剣は魔獣の黒光りする鱗に止められ、それ以上動かなかった。


「なにっ! ヤバい!」


 直感的に身の危険を悟ったエヴァンは後ろへ飛び、魔獣から距離を取った。エヴァンは魔獣の顔を見る。魔獣がかすかに侮蔑の笑みを浮かべたように見えた。


「くそっ。打つ手なしかよ」


 魔獣が振り上げた爪を振り下ろした瞬間、それは現れた。


「なんだ?」


 エヴァンのすぐ後ろに、青白い強い光を放ち魔法陣が現れた。次の瞬間、魔法陣の中心に漆黒の鎧をまとった戦士が現れる。漆黒の鎧は装飾の類はほとんどなく極めてシンプルな意匠ではあったが、何故か黒いオーラをまといとげとげしい雰囲気を醸し出していた。そのせいもあって、調査隊の全員が新たな敵の出現と思ってしまった。エヴァンですら、まとう雰囲気に恐怖し、身体が動かなくなっていた。


「エヴァン! 逃げて!」

「早く逃げて! エヴァン」


 ヒルデはなりふり構わず、叫ぶ。ルーも叫んだ。


 黒い戦士は剣を振り上げ、エヴァンに向けて走り出した。


「エヴァーン……!」 


 ヒルデの叫びが魔の森に響いた。

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