第84話 クウヤとルー 弐

「しっかし、見ものだったなあの受付嬢。あれを見せたとたん、コロッと態度が変わるんだもな」

「確かにそうですね。私もあれだけまじまじと見つめられたのは初めてではないけれど、あそこまでコロコロ態度が変わるのはこっちが見ていて面白いですね」


 クウヤとルーは笑いながら、街中を特に当てもなく歩いている。


 何となく歩いていた二人だったが、ふと気付くと、市場の入口にたどり着いていた。


 二人は何か変わったものがないか、冷やかすウインドーショッピングことにした。


 通りの両側に様々な店舗が並ぶ。その隙間を埋めるように粗末な帆布を屋根にした仮設の店がいくつも出店している。仮設の店は食料品店が多く、特に生鮮野菜、果物を扱っている店が多い。モノトーンで殺風景な通りに店に並ぶ果物が彩りを添える。


 普段見ることのない色鮮やかな果物に目を奪われる二人。 


「さすが帝都と言ったところでしょうか。見たこともない果物がたくさんありますね、クウヤ」

「そうだな。これだけあると何がなんだかよくわからなくなるな」


 とりとめのない話を続けながら、二人は市場の通りをそぞろ歩く。ルーにとっては初めての体験だった。彼女のそばには必ずお目付け役がついて回り、自由に行動できることなどなかった。ヒルデといるときも他の人間がそばにいるときに比べれば自由といえたが、それすらも限界があった。どこまで行っても『第三公女』という肩書が消え去ることは決してなかった。


 しかし、今は違う。


 何の縛りもなく、街を歩き、行きたいほうへ足を向けることができる――そんな自由をルーは感じていた。自由を感じるとともに漠然とした不安も同時に感じ始める。


 自分の傍らで歩いている人は何を感じているのだろう?


 ――いつまでもいてくれるのだろうか? 私のそばに。私が公女でなくてもそばにいてくれるのだろうか――


「クウヤ。貴方、私がカウティカの第三公女じゃなかったとしても、こうして歩いてくれますか?」


 ルーは急に立ち止まり、クウヤに尋ねる。いつものルーらしくない、自信のない消えてしまいそうなか細い声で。親を見失い、どこへ行ったらいいのかわからず震えている子猫のように不安げにクウヤを上目使いで見る。


「ん? 何を言っているんだ? 何か悪いものでも食べたか?」


 クウヤはルーの心情を知ってか知らずか、はぐらかすようにおどける。とたんにルーの顔に朱がさし、鬼のような形相になる。


「んもぉぉぉぉー! クウヤのバカぁっ!」


 ルーの放った一撃は会心の一撃となり、クウヤの顔面に直撃する。見事に決まった一撃の余力によりクウヤは体をひねらせながら、空を舞う。


 クウヤは思う。


『人って、こんなに簡単に空を舞うことができるんだ』


――――☆――――☆――――


「大丈夫かね? かなり派手にふっとばされとったが……」


 たまたま通りかかった老人に介抱されるクウヤ。ルーはバツが悪いのか何も言わない。


「……ええ。大丈夫です。あんなことは日常茶飯事なんで。それにこう見えて結構体は丈夫なので」


 クウヤは痛みをこらえ、笑みで答える。答えながら、彼はある違和感を感じる。その老人はダブついた服を着ていたがその中に筋骨隆々な身体を想像させるに十分な体躯をしている。そして記憶のどこかにそんな老人に見覚えがあった。


「将来の伴侶に今から尻に敷かれるとは先が思いやられるのぉ」


 老人は実に老獪でいやらしい目つきでクウヤたちを見る。クウヤは苦笑いするのが精一杯だった。お相手ルーは心なしか恥ずかしさに身悶えているようだった。


 ルーは背後からクウヤの服の袖を摘み、耳元でそっと彼に囁く。


「『将来の伴侶』ですって……」


 クウヤはその囁きに何故か進退窮まったような背筋の寒くなる思いを抱く。


「……ご老体、彼女はまだ・・『将来の伴侶』と決まっているわけでは……」


 クウヤが老人に対して完全否定しようとするが、背後に黒く尋常でない敵意を感じ、最後まで言うことができなかった。


「ふぉっふぉっふぉ。若さとはええもんじゃのう。まあ、末長く仲ようせいや。ところでお前さんたちは親とはぐれて、迷子になっとるんか?」


 老人はクウヤたちに尋ねる。クウヤは首を振り、リクドーから来て、珍しい帝都を散策している途中と答える。


 老人は目を細め、クウヤたちを見る。


「そうかい、そうかい。ゆっくりと楽しむがええじゃろ。ただこの辺りは治安がいいとは言え、スリや物取りの類がいないわけじゃない。十分気をつけるんじゃぞ」


 老人は一旦、そこで言葉を切る。クウヤたちは何事かと老人の次の言葉を待つ。


「……とにかく、日が落ちるまでにはどこか宿を取ったほうがええ。人を化かす魔物が夜陰に紛れて、現れるかもしれんでの」


 老人が妙に神妙な面持ちで話す。クウヤたちもその話につい引き込まれる。


「……人を化かす魔物……ですか?」

「そうじゃ、帝都の外れからどこともなく現れる魔物じゃ。お前さんたちも化かされんように気をつけるんじゃぞ」


 クウヤの頭には何故か公爵の顔が浮かぶ。


(……ある意味、魔物だけど。大ダヌキの親玉みたいなものだしなぁ)


 言うだけ言うと老人は歩き出す。そしてクウヤとすれ違いざまに囁く。


「のう、『クウヤ』」


 そう言うと老人は空笑いを残して、その場を去った。


(なんであの人、俺の名を……)


 クウヤはその老人の正体を訝る。少なくともクウヤの名を知っているということは、通りすがり偶然、クウヤたちに出会ったのではなく、待ち伏せていたと考えることが自然だった。


 クウヤがそんな考えに耽る様子を不思議そうにルーが見ている。


「クウヤ、何をボーっとしているんです? 何かありましたか?」

「……いや、何でもない。たぶん、思い過ごしだ。もう少し辺りを見て回るかい?」


 クウヤは自分の思い過ごしということにして、切り替えることにする。


「正直なところもう少し辺りを歩いていたいところなんですが……そうもいかないでしょう。ヒルデも心配するだろうし……」

「そっか。んじゃ行くか」


 あまり感情を表に出さないルーが名残惜しさを前面に出す。しかし、いつまでも自由に振る舞えない自分の立場も理解している。いつも通り振る舞おうと努力しているが、言葉の端々にそこはかとなく自分の境遇に対する恨めしさがにじみている。


「……また、こんな時間があるさ。……いや、作ってやるよ」

「クウヤ……」


 ルーはクウヤをうるんだ目で見る。

 この時だけはクウヤがルーの手を引いて道を歩いていった。

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