第78話 カトレアの怒り

 ルーやヒルデやエヴァンたちに囲まれたカトレアを不思議な気持ちで眺めるクウヤがいる。クウヤは初めて感じていた。『家族』というものを前世を含めて全く感じたことのなかった彼にとっては初めての経験だった。


(……なんだろう、この感覚は。人といてこんな感じになったことなかったな)


 クウヤは記憶をさかのぼる。幼少期を通り過ぎ、前世の記憶まで――


――――☆――――☆――――


「空也、何している! 早くしろっ!」

「はい……」

「まったく、何のために飯を食わしていると思うんだっ! 働かんのなら死ぬか!? 死ね!」


 とある商店で中年の男にクウヤがせかされている。彼はその男の手伝いをさせられているようだ。クウヤ自身はまったくやる気もなく、父親に言われたからやっているだけである。当然、身が入るはずもなく、それがクウヤの父親には気に入らなかった。そのときまだ幼かったクウヤには父親の考えや気持ちなどを理解できるはずもなく、ただ怒鳴られる恐怖から逃れるため、唯々諾々と従うだけだった。


「……俺がこの商売をしているから、お前はこんな飯を食えるんだ。そのことを忘れるな。だから、お前は手伝うのが当たり前で、それなのにお前の態度は何だ! いい加減にしろ。俺がこんなに一生懸命やっているのにお前はそんなことを全く理解していない……まったくお前には『感謝の気持ち』というものがないのか? はぁ……どこで育て間違えたのか」


 クウヤにしてみれば、父親の言いつけに従う以外の選択肢のない状態で『感謝の気持ち』を持てと言われても、持ちようがなかった。ただひたすら戸惑うしかなかったが、そのことが父親をさらに苛立たせる。


「もういい! とにかく働け! 文句を言わず、言うとおりにしていろ! こっちの思うとおりに動け! そうすれば俺は苛立たなくてすむんだ! 」


 クウヤの気持ちは一顧だにされず、ただ親の気持ちだけを押し付けられるクウヤであった。


 人生の初めで、一番最初の人間関係を形成するはずの相手である親からそんな扱いを受けていたクウヤは、人間関係に対して安心感が今一つ持てなくなってしまった。


 “自分は人じゃない『モノ』なんだ”


 それがクウヤの魂の底にまで植え付けられた自分の評価だった。常にクウヤは『モノ扱いされる自分』と『人間としての自分』との葛藤を抱え込むことになった。

 

――――☆――――☆――――


(あのときは、なんだかんだ言われて働かされていたな……結局、親父の奴、単なる労働力としか思ってなかったんだろうな)


 クウヤは苦い記憶を思い出す。思い返した父の記憶は自分の息子と優しく語らうでもなく、厳しく人生を語るでもなく、ただクウヤを単なる労働力として扱かった記憶だけだった。


父上ドウゲンは厳しいけれど、どうなんだろう……? 父親からただのモノとして扱われている? この世界でも? 確かに『モノ』ではあるんだけれど、『モノ』扱いされたくない)


 クウヤは今この場にある『空気』をこれまで感じたことがないほど愛おしく、失いたくないものに感じる。己のすべてを捨ててでも、守りたい『空気』だった。何故そう感じるのかクウヤ自身には自覚はなかったが、自分の心に欠けたものがそこにある――なんとなくではあるがクウヤにはそう思えた。


「クウヤ、何を呆けているのです? いつも以上に間の抜けた顔をしていますよ」


 ルーに突然声をかけられ、クウヤの思考が中断する。一瞬、何を言われたのかわからず、呆けた顔になったが、その酷い言われ様を理解すると彼は憮然とする。


「……間の抜けた顔って。そんなに間抜け面はしてないぞ」

「そうですか、それなら腑抜けた顏と言い換えましょうか」

「ほとんど言っていることは一緒だぞ……」

「じゃぁ、トンマとか」

「一緒だ」


 ルーはもともと毒舌ではあったが、この時は特に毒を吐く。しかも、絡むように毒を吐くのでクウヤは眉間にしわを寄せている。そんなクウヤをいい玩具を見つけて喜ぶ子供のように目を細めるルーがいる。


 そんなやり取りを周りは生暖かく見守っていた。特にカトレアはルーの毒舌ぶりに苦笑いしていた。


「まぁまぁ、ルーシディティさんもそれぐらいにしてあげてね。クウヤが困っているではないですか」

「お義母かあ様も甘いですわ。おおよそ殿方というものは常に気を張っていなければならないものと思います。クウヤは緊張感が足りないように思いますが……」

「まぁまぁ……」


 さすがのカトレアもルーの言説に苦笑いを続けるしかない。ルーの『お義母様』という言葉にクウヤも苦笑いする。クウヤにしてみれば「いつの間にそんな話が進んでいるんだ?」と思わずにはいられない。


「でも、クウヤ様どうされたのですか? 何か考えていらしたようですが……」


 ソティスがルーの話を遮るようにクウヤに質問する。ルーを制御しきれないカトレアにとってはいい援護になる。クウヤはややあって口を開く。


「……ん? ま、ちょっとね……今まで『家族』を感じたことがなくて……それが今ここにあると思うと、感慨深くて……? ん? みんなどうしたの?」


 クウヤは周りの空気が変なことに気付く。クウヤの除く全員がクウヤを見つめ、呆けた顔をしている。クウヤには状況が呑み込めなかった。


「……クウヤ、お医者さまに見てもらう? それか癒しの魔法でも……」

「……クウヤ様、熱はないですか?」

「……クウヤ、何か悪いものでも食べたました?」

「……クウヤ、おめぇどこかで頭打ったか?」

「……クウヤくん、どうかしたの?」


 クウヤが気が狂れたかのようにみんな心配する。クウヤは全員のセリフに眉をしかめる。


「……何だよ、みんなして。人を何だと思っているだい?」


 周り全員が一致して、クウヤの正気を疑うので彼はスネる。

 クウヤのスネた様子に全員顔をお互い見合わせ、何か安心したように笑い出す。


「ふふふ、大丈夫みたいね。いつものクウヤらしいわ。大丈夫よ、そんなに心配しないで」


 カトレアがこらえきれずコロコロと快活に笑う。笑いながらクウヤを慰める。

 

「……でも、本当にどうしたの? 急にあんなこと言い出すなんて。今までのあなたならそんなこと言わなかったじゃない」


 急に表情を変え、母上カトレアがクウヤに再び問う。


「おかしいといえば、魔の森から帰ってきてからなんか変でしたが、魔の森で何かあったのですか?」


 ルーもクウヤに問う。彼女なりにクウヤの変容を感じ、気にしていたようだ。

 その問いに、クウヤは緊張する。魔の森でのことは話すわけにはいかないことだらけで、どう言い訳するのか考えてしまう。

 ソティスもいつも沈着冷静な彼女にしてみれば珍しく、若干落ち着きをなくし、気を揉んでいるようなそぶりを見せる。


「……まぁ、突然のことにいろいろ気が動転することもあったのでしょう。その話はおいおいしてくれればいいわ。ところでいつまでリクドーにいるのかしら? お友達をそれなりに歓迎しないといけないしね」


 クウヤとソティスの様子に何かを感じたカトレアはとっさに助け船を出すべく話題を変える。


「そ、そうだね。船の都合もあるけどあと二、三日いると思うよ」


 クウヤもとっさにカトレアの話に合わせる。

 

「しばらく、いるならもっとクウヤの昔の話を聞きたいです、お義母さま」

「……え? え、ええ、いいわよ」


 ルーがカトレアに唐突に頼む。カトレアも突然の申し出に驚きながらも了承する。

 クウヤは何を言われるのかわからないのでこっそり逃げ出そうとした。


「まぁ、クウヤったらどこへ行くの? 久しぶりに昔話でもどう?」


 なぜかカトレアは微笑みながらも、その目は笑っていなかった。クウヤは観念してその場にとどまる以外の選択肢がなかった。


――――☆――――☆――――


 クウヤの昔話を肴にひとしきり盛り上がった。ダシにされたクウヤにしてみれば、一種の『公開処刑』に等しいものではあったが、そこにいた人間には調度良い娯楽を提供することになった。


「クウヤって、昔は怠け者だったんですね。あ、今もそれほど働き者ではないですね」

「……あのね。ルー、人を何だと思っているだい?」

「前言のままですが、何か?」

「……」


 あいも変わらずルーの毒舌攻撃は止まらず、クウヤにダメージを与え続けていた。


「まあまあ、話はそこそこに湯浴みなどどう? 長旅で疲れたでしょう 」


 ルーの“口撃”の的のままであるクウヤを見かね、カトレアが助け舟を出す。


「あ、すみません、お気遣いいただいて。るーちゃん、湯浴みに行こう? ね」


 さすがにやり過ぎじゃないかと思っていたヒルデがルーを誘い、彼女の腕を引っ張る。


「これからがいいところなのですが……」

「……いいから、いくよ」

「えぇぇ……」


 物足りなさそうにルーは不平を口にするが、ヒルデの圧力には勝てず、不承不承ついていく。


「エヴァンくんはどうするかしら?」


 カトレアがエヴァンに聞くと、彼は肩をすくめる。


「俺は久しぶりに実家へ帰るわ。リクドーに戻って、実家に顔を出さなかったら親父に殺される。二度とウチの敷居をまたげんようになるのは嫌なもんでね」


 そう言うと、エヴァンは荷物を抱え出て行った。食堂にはクウヤ、ソティスとカトレアが残ることになった。

 他のメンバーが退室すると少し間があって、カトレアが妙に神妙な顔になりクウヤを見る。


「……クウヤ。お話があります」

「はい、何でしょう?」

「貴方、話していないことがあるでしょう? 今この場で洗いざらい話しなさい」


 カトレアの物言いは柔らかだった。しかしその言葉を発した本人からはかなり強烈な圧力がクウヤにかけられていた。


 その圧力にクウヤは抗うことができない。それでも万に一つの可能性にかけて、抵抗を試みる。


「……な、何のことでしょう? よく分からないのですが……」


 クウヤはヘンな汗を額ににじませつつ、何とか誤魔化そうとする。


 ……しかし、誤魔化すことができなかった!


 一見、柔和に見えるが得も知れない強大な圧力をカトレアから感じたクウヤは蛇に睨まれたカエルであった。


「……魔の森での話になった時にちょっとおかしな素振りをしたでしょう? 私には隠し事は許しませんよ。お話しなさい!」


 幼子を抱えながら、毅然と言い放つ彼女は生粋の貴族であった。何者も逆らうことのできない威厳を放つその姿に、クウヤは膝をつくしかできることはない。あまりの激高ぶりにクウヤは完全に萎縮し、次の言葉が口から出てこない。


「カ、カトレア様! クウヤ様は悪意があって隠し事をしたのではありません。それなりの事情があって………」


 傍から見ていたソティスはカトレアから激しく責められるクウヤを見かね助け舟を出す。しかし、それは火に油を注ぐ行為であった。


「ソティスっ! ならば、その『事情』も含めて貴女から説明なさい!」


 カトレアの低く腹に響くような声はクウヤとソティスを石化する。クウヤにしてもソティスにしても死線を乗り越えてきたいわば歴戦の戦士つわものといってよい。その二人をしてすら、そんな反応を示させるカトレア。その権幕と圧力は筆舌に尽くしがたい。


「……わかったよ、話すよ。一応、父上には一通り話したんだけど――」


 ついにカトレアの圧力に負け、クウヤが事の顛末を母上カトレアに洗いざらい話す。

 話が進むにつれ、カトレアの眉間にしわが深く刻まれだす。


「――というのが全てです」

「そう……概略についてはわかったわ。次に問題なのは大魔皇帝復活の真偽とクウヤ、貴方のこれからね」


 話を聞き終わったカトレアの表情は複雑だった。自分のあずかり知らないところで進むこの世界の動向を大きく左右しかねない可能性と自分の“息子”がその動向を左右するカギを握っているらしいことを理解したことにより、もどかしさと頼もしさと一抹の寂しさとを感じていた。


「……ええ。その件でもう一度父上と話し合ってみたいと思います。いずれにせよ、ボクに選択肢はそれほど与えられていないようなので」


 無表情にクウヤは語る。カトレアは沈痛な面持ちで息子を見ていた。ソティスも悲しげな表情を隠せないでいた。


「クウヤ……こっちへいらっしゃい」


 カトレアは傍らにある揺りかごに双子を寝かせ、大きく両手を広げクウヤを招く。クウヤも何も言わず、ゆっくりとカトレアの胸に抱かれる。


「貴方はどこで何をしていても、私の息子ですからね……それはどんな時も忘れないで頂戴ね」


 クウヤを抱きしめ、優しく頭をなでるカトレアの姿は聖母であった。その姿を傍らで見ていたソティスは思わず目じりを手で拭う。


 そうしてこの夜は更けていった。

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