八
茉梨お姉ちゃんが死んで一年くらいは私はずっと泣いていた。毎晩毎晩、お姉ちゃんのぬくもりが恋しくなって泣いていた。涙って枯れないものなんだね、って今は思う。
中学校に上がる頃になるともう毎晩泣くようなことはなくなったけれど、どうお姉ちゃんと向き合っていいのか、私にはまだわからなかった。忘れようとしたこともあった。頑張って新しい友達を作って、今の日々を楽しもうとした。でもやがて心がぐちゃぐちゃになって、またお姉ちゃんとの思い出にすがった日もあった。
お姉ちゃんが通っていた高校に行こう。そう決めたのは中学三年の夏だった。
お姉ちゃんが通っていた高校のレベルは高くって、受験勉強は大変だったけれど、それでも私は頑張った。なんとなく、そうすればお姉ちゃんとのつながりを感じていられるような気がしたから。
入試には無事合格して。私の高校合格を機に、私達家族は以前住んでいた家に帰ることになった。お姉ちゃんとの思い出の場所に帰ることができて、家に入るなり、私は泣いてしまった。
そして、もう一つ。私はお姉ちゃんとのつながりを手にした。
「由希ちゃん!」
待ち合わせしていた高校の校門に、既にその人はいた。両手を広げ、満面の笑みで私を迎え入れてくれる。
「お久しぶりです。優奈さん」
「見ない間におっきくなったねぇ」
優奈さんと初めて出会ったのは、茉梨お姉ちゃんのお葬式だった。お姉ちゃんの一つ年下の後輩で、学校では仲良くしていたらしい。
仲が良かった先輩が亡くなって優奈さんもショックを受けていたけど、それ以上に泣きじゃくっている私の姿を見てなにか思うところがあったようで。優奈さんは私に声をかけてくれて、いろんなお話をしてくれた。
その時から私と優奈さんとの間で文通が始まった。私としては茉梨お姉ちゃんを知っている優奈さんとのつながりを持つことでお姉ちゃんを身近に感じることができたような気がしたからだし、優奈さんにとってはお世話になった先輩の妹を今度は自分が手助けしたいからということだった。
「こんなこというのなんだけどさ」
「なんでしょう」
「今のあなた、茉梨さんにすんごく似てる」
自分ではよくわからなかった。初めて高校の制服を着たとき、鏡に映る自分をお姉ちゃんの写真と比べてみたけれど、私は全然子供っぽかった。あのお姉ちゃんのようなクールなかっこよさは私には……。
そんなことを言うと、優奈さんはあははと笑った。
「茉梨さんって、由希ちゃんの前ではいいお姉さんでいようと頑張ってたんだと思うよ。いつもいつも、あんな感じなわけないって」
「そうなんですか?」
「うん。学校ではね、子供っぽいところもあったよ。私ね、茉梨さんは結構からかって遊んでたんだけど、そうするといつも顔真っ赤にして怒ってね」
そうだね、と優奈さんは私のほうを見ながら考える。
「そういうこと、おうちではなかったかな?」
どうやら私に記憶の喚起を促すことにしたようであった。
そこで私は考える。いつも冷静だったお姉ちゃんが、子供っぽい一面を見せたことって。
「あ」
ふと鏡の前で顔を赤面させていたお姉ちゃんの姿が脳裏に思い浮かんだ。
「隆一さんに告白する前の晩……」
そうだ。あの七夕の前日から夏休みが終わるまでの間、お姉ちゃんは年相応の乙女っぷりを見せていたのだった。恥ずかしそうで、そしてなにより幸せそうで。
でも、そんなお姉ちゃんも秋には見かけなくなった。そして――。
「あ、ごめん。嫌な記憶を呼び起こさせちゃった?」
「い、いえ。大丈夫です」
ぶんぶんと私は首を振って記憶をリセットする。
「それじゃそろそろ遊びに行こうか。今日は私が全部持つから、なんでも頼っていいよ」
「いいんですか、本当に?」
「気にしなさんな。私は大学生で、由希ちゃんはまだ高校生になったばかりなんだから。年上相手には甘えていればいいの」
この日も、その次にまた会ったときも、またその次も……優奈さんは会うたびに笑顔で私の面倒を見てくれた。お昼ご飯は何度となくおごってもらったし、時には私に似合うかわいい服を見つけたからと言って、洋服を買ってもらったこともあった。
――あたかも本当の姉妹であるかのように。
でもそんな関係も長くは続かなかった。
高校一年の終わりの春。優奈さんは仕事でストックホルムに行くことになったと告げてきた。
一年間遊んでもらった優奈さんが遠い外国の地に行ってしまうのは寂しかったけれど、でもこの頃の私は高校で新しい友達もできてもう一人ぼっちでもなかったし、それにヨーロッパでお仕事なんて凄いですね、頑張ってくださいねって、微笑みながら優奈さんの背中を押してあげられるくらいには、大人になっていた。
それに、すぐには会えなくなっても、また以前みたいな文通仲間、いや今はもう携帯電話ですぐに連絡をとれる関係ではいられるのだ。
世界は広くても、同じ空の下にいる限りは。
「あの、さ……」
私が笑顔でお別れを言っても、優奈さんはなにか迷っているようであった。
もしかして、私のことを気にして、いまだにストックホルムへ行くことを悩んでいるのだろうか。それだったら、今一度背中を押してあげなくちゃ……そう私が思っていたところで、優奈さんは意を決すると、「それ」を鞄の中から取り出した。
「由希ちゃん……これ!」
「それ」は大学ノートの束だった。
私はノートの表紙の文字を見て、はっとする。間違いない。この字は……。
「茉梨さん……あなたのお姉さんがつけていた日記帳よ」
「どうして、あなたが……?」
優奈さんは申し訳なさそうな顔をしていた。
「茉梨さんに託されたの。あなたが高校二年生になるまで預かっていてほしいって。高校二年になったらそれを渡してほしいって」
「そう、なんですか」
お姉ちゃんが日記をつけていたなんて初めて知った。こうやって残していたということは、きっと大事な日記だったのだろう。
「お姉ちゃん、優奈さんのことを信頼していたんですね」
ありがとうございます、と私は言うと、とたんに優奈さんの顔が歪んだ。
「優奈、さん……?」
「あ、ごめん、なんでもない」
悲痛な、なにか叫びたいのに、それを無理やり抑えているかのような、そんな表情だった。
「それね、茉梨さんには高校二年の七夕まで預かってくれって言われてたんだ。でもほら、私、ストックホルムに行くことになって、たぶん七夕までには帰ってこれないからさ……。だから今渡しとく」
高校二年の七夕。お姉ちゃんが隆一さんに告白した日だ。
「だったら、七夕までは見ないほうがいいのでしょうか」
「そうだね……そのほうがいいと思う」
正直に言うと、中身を今すぐ見たい衝動はあった。でも他ならぬお姉ちゃんが「七夕に」と言ったのだ。だったら私はそのときまで我慢する必要がある。
私はノートを受け取って、もう一度ありがとうと言った。やはり優奈さんは辛そうな表情をしていた。
まるで、ごめんなさい、と言っているかのようで。
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