七夕のゆきまつり

九紫かえで

1

 七月七日。織姫様と彦星様が一年に一度だけ会えるといわれている七夕の日。

 朝から雨が降っていた。一日中雨との予報だったので、おそらく今夜も夜空を拝むことはできないのであろう。

 こういう場合、織姫様と彦星様が会う機会は振りかえてもらえないのかしら、と小学生の頃に思った記憶が由希にはあった。だってあまりに二人がかわいそうだったから。

「オーダー、オリジナルブレンドとミックスサンド!」

「はーい」

 もう織姫様と彦星様を信じるような年齢ではなくなったけれども、それでも由希は今でも短冊を見かければお願い事を書いていくくらいには子供心を持ったままの女性であった。

 今夜、少しくらいは晴れたらいいのにな。

 そんなことを思いながら、涌いたお湯をカップに注ぐ。

「できたよ」

「あいさー」

 午後のティータイムの時間もすぎて、店内も人の数がまばらになっていた。

 雨の割には今日は客が多かったほうだった。儲けにはなるけど、少しばかり疲れたのもまた事実。由希は自分用にとブルーマウンテンを一杯淹れた。

「美沙ちゃんもなにか飲む?」

「じゃビールで」

「こらっ!」

「冗談だってば。オレンジジュースでいいよ」

「りょうかーい」

 郊外のこの街で由希が喫茶店を始めてから、もうすぐ五年になろうとしていた。店長の由希とウェイトレスとして雇った美沙の二人しかいない小さな店だが、由希のコーヒーの腕は確かとあって、店はまずまずの賑わいを見せていた。親しくさせてもらっている常連さんも何人も居て、ささやかだけどクリスマスパーティを店で開いたりしたこともあった。

 なにもかもうまくいっているわけではないけれども、由希の生活はおおむね充実したものであった。

「そうなんですよ。店長ったらもうー」

 美沙がにこにこした顔で常連の客の一人と会話をしている。客商売をしているとはいえ、どちらかといえば由希は引っ込み思案な性格だったので、客と積極的にコミュニケーションを図るのはもっぱら美沙の担当だった。

「いや、止めといたほうがいいですよ? あぁ見えても店長は――」

「なんの話をしているのかな、美沙ちゃん」

「あわっ!」

 あわてた様子で美沙が由希のほうへと振り返った。

 どうせまた余計なことを喋ろうとしていたんだろう。美沙のおかげでずいぶんと助かっているけど、口が軽いのはなんとかならないものかな、と由希はわりと本気で思う。

「どうせ私の歳の話をしてたんでしょう。いいよ、もう好きにして」

 意識してあえてむくれた顔をしてみる。すかさず美沙はごめんなさいと謝ってくれたが、美沙と会話していた常連客の若い男性はでも、と続けてこう言ってきた。

「店長さんって付き合っている人いませんよね?」

 他の客の視線が男性に集まる。

「いや、あの、別にナンパとかそういうのじゃないですよ!」

「これをナンパと言わずしてなんと言うんでしょうかね」

 美沙の一言に周りの客もいっせいに頷く。

「いや、だから……」

「あ、あの……」

 ただ、当の由希だけが空気が違った。少しばかり暗い表情で視線を下に向けて、申し訳なさそうにつぶやく。

「ごめんなさい。私、そういうことはちょっと……」

「フラれましたな」

 ぽんぽんと美沙が常連客の男の肩を叩く。だからそういうのじゃないですってと彼は反論したが、美沙と周りの客達は笑い続けていた。


 閉店間際。

「結局、雨は止みませんでしたなー」

 雨は止むどころか、むしろ夕方よりも勢いが強くなっていた。

「あぁあ、これだと帰るの面倒だなぁ」

「そう何時間も続かないと思うよ。あと一時間も待てばマシになるんじゃないかな」

 由希のなんとなくの感であった。でも、一応後で天気予報を確認するとしよう。

「さすがにこの雨じゃもうお客さんは来ないよね。店長さ、少し早いけどもう閉めちゃわない?」

「うぅん……そうだね」

「そういうことなのでお客さん、もう閉店なので」

 由希は衝撃のあまり、転びそうになった。

「いや、美沙ちゃん、いるなら追い返しちゃダメだって」

「店長がいいそうなのでどうぞ」

 だからまだ営業時間だってば。そう美沙に対して注意しようとしたところで、由希は固まった。

 青年というにはもう随分と大人びていて、中年というにはまだ少し若い、そんな年頃の男性だった。

「ふ……」

 口をパクパクとさせながら由希は後ずさりをする。

『ふ?』

 美沙と男性の声が重なったその瞬間。


「二股野郎ぉっ!!」


 由希にしては珍しく大声で叫んだ。

「え、えぇっ、ちょ!?」

「……お客様」

 美沙の両手が男の両肩をわしづかみにした。

「二股野郎ってどういうことか説明してもらえませんかね、この二股野郎」

「いや、待って、これは違う……」

「だいたい普通、二股する人って『違うんです』とか『あれは誤解だ』とか言い訳しますよね」

「いや、隆一さんはそんな言い訳する人じゃないよ」

「違うの?」

 こくん、と由希は頷いてから。


「隆一さんはね、昔『お前達が俺の翼だ』って真顔で言ったの!」


「ツラ貸せや、コラァ!」

 美沙は男――隆一の胸倉を掴む。

「いや、ちょっと待てよ、ここ喫茶店だよな。なんで俺、こんな目に」

「自分の胸に手をあててよく考えたらわかるのじゃないかしら」

 にこっと美沙は笑った。ただし目は全然笑っていない。

「まぁ美沙ちゃん、その辺にしてあげて……」

 どうやら変に美沙を煽ってしまったようだ。不本意そうではあったが、美沙はぱっと手を離すと。

「いらっしゃいませ。ご注文はなんになさいますか?」

「切り替え早いな!」

「あら、でも、もう閉店時間ですわ。残念でした。そういうわけでとっとと帰れや、このクソ虫」

 接客業の従業員の態度ではもはやなかった。

「あの、美沙ちゃん、なんだか私を守ってくれようとしているのはありがたいんだけど、大丈夫だから」

「全然大丈夫じゃないよね! だってコイツ、どう考えても店長にトラウマ植え付けているよね!?」

「うん、まぁそれは事実だけど……でも大丈夫だから」

 ね、と由希は美沙を促す。そして今度こそ、隆一と向かい合った。

「お久しぶりですね、隆一お兄ちゃん」

「こちらこそ久しぶり、由希ちゃん」

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