バレンタイン・イベント~ルディー×幸希~

※ルディー×幸希の、両片想い仕様のチルフェート・デー編です。




 ――Side ルディー

 


「ふぅ……。ロゼ、今日の分はこれで終わりか?」


「お疲れ様です、団長。今日の業務は全て終了しました。後はごゆっくりとお休みください」


「サンキュ。お前もしっかり休めよ」


「はい」


 団長のサインを入れ終わった書類の束。

 それを副団長補佐官であるロゼことロゼリアが受け取り、静かに部屋を出て行く。

 本来は副団長のアレクがこなす仕事の補佐がロゼの役目だが、俺の補佐官は二人とも多忙で留守がちだ。

 そんなもんで、ロゼにはよく世話になっている。

 まぁ……、もう一人……、俺の補佐官は、いるには、いるんだが、なぁ。

 苦笑気味の溜息を零し、夕陽のように美しい金色がかった髪が扉の向こうに消えると、俺はソファーの方に移動した。疲れきっているかのようなふらつき感で倒れ込んじまったが、別に疲労が濃い、ってわけじゃない。

 

「はぁ……」


 一週間後……、彼女がこの国に帰ってくる。

 この国、ウォルヴァンシアの王兄姫で、副団長アレクの想い人で……。

 ―― 一年前、俺に唯一つの想いを伝えてくれたあの子が。

 アレクや、他の奴らじゃなくて、俺に差し出されたラッピング済みのチルフェート菓子と、彼女からの告白の言葉。思ってもみなかった……、わけじゃない。

 俺は知っていた。彼女が、ユキ・ウォルヴァンシアがいつの頃からか、俺に対して特別な想いを向けてくれるようになっていた事を……。

 なのに、気付かないふりを続けた果てに、……俺は彼女を振った。

 そういう対象に思えないから、って。


「はは……っ」


 アレクに散々説教かましといて……、俺は何を言ったんだか。

 一瞬だけ泣きそうな顔をしたのに、俺を気遣って無理に笑顔を浮かべて立ち去った姫ちゃんの姿が、全然忘れられねーんだよなぁ……。

 そういう対象に思えないどころか、俺も……、姫ちゃんの事を好きになっちまってたのに。

 自分の心に正直になれ、傷付くことを恐れるな、……俺自身をぶん殴って言うべき台詞だな、ほんと。

 俺は、姫ちゃんよりも、アレクと気まずくなる事を恐れた。

 騎士団長と副団長、騎士団の仲間、って枠組みの中だけじゃなくて、ダチとしてのアレクと距離が出来る事を嫌がって……、姫ちゃんの心を傷つけちまった。

 正直になれるわけがない。振ったのを取り消す事も出来ない。

 残ったのは、自己嫌悪の情と、覚悟のない自分をぶん殴りたい衝動だけだった。

 ……そして、姫ちゃんは普段通りに振舞いながら……、あのチルフェート・デーからすぐ、一ヶ月も経たない内に王宮を出た。ペットのファニルと、双子の王宮医師が実家で飼っているルチルを連れて……。

 世界を見てまわりたいと言っていたが、……きっと、俺に気を使ったんだろう。

 姫ちゃんの考え通り、確かに……、彼女と顔を合わせる事がなくなった俺は、気まずさから解放された。

 

「……姫ちゃん」


 寝返りを打ち、星形のクッションを端に置いた俺は、その上に頭を乗せて天井を見つめた。

 ……この一年、冷めるだろう、忘れられるだろうと思っていた正直な感情とやらは、……今も、俺の鼓動の音と共にある。


「なぁ、姫ちゃん……。逆効果だった、って……、きっと、わかってねーんだろうな」


 顔を合わせないよう、万が一、顔を合わせても平静でいられるように気を使う必要はなかった、

 だけど……、この王宮から姫ちゃんの姿が消えて、行き先もわからなくて……、逆に、彼女の存在を求める気持ちだけが、強くなっていって……。

 

「だからって、俺にはどうしようも出来ねーだろうが……っ」


 吐き出す場を持たない感情の奔流を抑え込むかのように、俺は自分の胸元を強く鷲掴む。

 姫ちゃんが帰ってきたら、俺はどんな顔をして迎えればいい?

 いや、旅立つ前と同じように、姫ちゃんは何もなかったような顔で俺に接するんだろう。

 俺も、同じようにすればいいだけ……。同じ、ように。

 

「――くそっ!!」


 苛立ちのままに引っ掴んだクッションを壁に叩きつける。

 気が晴れるわけでも、姫ちゃんへの想いが消えてくれるわけでもない。

 ただの八つ当たりしか出来ない自分の情けなさに舌打ちし、……結局、その日はろくに眠れもしなかった。











 ――Side 幸希

 


「ユキちゃぁあああああああああああああああああああん!!」


「きゃぁああっ!!」


 一年ぶりのウォルヴァンシア王宮。

 叔父であり、ウォルヴァンシアの国王であるレイフィード叔父さんが王宮の奥から爆走してきたかと思うと、両腕を広げながら私の身体に飛びついてきた。

 相変わらず、愛情表現に手抜かりなし!! 熱烈な喜びと一緒に、頬擦りまでしてくる!!

 傍(はた)から見れば、麗しの若々しい美形青年に愛でられているようにしか見えないだろう。

 羨ましいと言われそうだけど、抱擁を受けている私はとっても大変なんですよ!!

 大体、この一年、ずっと離れ離れだったわけじゃない。

 私は定期的に両親やレイフィード叔父さん達と連絡を取っていたし、こっそりと国外で会っていたりもしたのだ。それなのに……、もうっ、この叔父さんは!!


「れ、レイフィード叔父さんっ、よ、喜びすぎですよ!!」


「ふふ、そ~んな事ないよぉ~!! 今度は一時的にじゃなくて、本当の帰還だからね!! ようやく落ち着いて日々を過ごせるようになるかと思うと、……うぅううっ、ユキちゃぁあああああんっ!!」


「ぐぅううううううっ!! 苦しっ、ちょっ、……ギブッ、ぎ」


「レイフィード、やめなさい」


「陛下、どうか落ち着かれてください」


「ぎゃんっ!! あぎゃっ!!」


 頭に手刀一発、その場に倒れ込んだ背中に無礼な靴跡がひとつ。

 手刀は私のお父さんがやったみたいだけど……。


「ユキ、よく戻って来たな。元気にしていたか?」


「お、お陰様で……。あ、あの~、今、レイフィード叔父さんに一撃加えました、よね?」


「メイド達がお前の帰還を祝い、パーティーの場を用意している。今夜は楽しみにしておけ」


 レイフィード叔父さんの後からやってきた私のお父さんはともかく……。

 臣下であっても、相変わらずこの王宮医師様は慇懃無礼、というか、よく罰せられないものだと背中に冷や汗が伝ってしまう。ルイヴェルさ~ん、レイフィード叔父さんはこの国の国王なんですよ~?

 まぁ、全然気にしていなさそうだけど。無礼を働いた本人も、被害者も、ちゃっかりスルーして笑ってるし。


「一年間、勉強になったかい?」


「うん。ファニルちゃんやルチルちゃんと一緒に色んなところを見てまわれたから、凄く充実したよ。お父さんとお母さん、それから、双子ちゃん達は元気?」


「あぁ。私も含め、皆元気だよ。お前がいなくて、とても寂しかった」


「お父さん……。うん、私も寂しかった。皆に会いたくて」


 だけど、……たった一人、会いたくても、顔を合わせられない人の事を考えてしまうと……。

 離れていた方が、あの人の為に、いいえ、自分の為になるだろうと、そう思って……。

 だけど、この一年間……、往生際の悪い私の心は、あの人への想いを決して冷ましてはくれなかった。

 もう、終わったのに……。告白して、拒まれて、希望なんて、砕け散ってしまったはずなのに……。

 

「ニュイ~……」


「ファニルちゃん……」


「ニャウゥウウウン……」


「ルチルちゃん……」


 私と一緒に、一年もの間、旅の仲間でいてくれた可愛いお友達。

 薄桃色のぽっちゃりボディと大きなお目々が印象的なファニルちゃんと、豹によく似ている姿の凛々しい体躯をしているルチルちゃん。二人とも、私が何を思っているのか、何を怖がっているのか、悩んでいるのか、全部感じ取っている。私は二人の頭を撫で、小声で「大丈夫だよ」と、安心させるように言った。

 大丈夫じゃないけど、大丈夫。あの人に、ルディーさんに再会しても、きっと演じられるはず。

 失恋から立ち直り、少し成長して帰ってきた私を。


「お~、やぁ~っと帰ってきたか~。よっ、家出娘」


「家出じゃありません!! もう……っ。まぁ、そういう出迎えになりそうな気はしてましたけど」


 お父さん達に続いてお茶の席へと向かっていると、回廊の向こうからニヤリとした顔がやってきた。

 ウォルヴァンシア王宮の居候こと、竜の第三皇子、カインさんだ。

 確か前に顔を合わせたのは、三ヶ月程前、だったかな。

 旅の調子はどうだと、私が滞在していた宿屋に顔を出しに来てくれた。

 同時に、いい加減に腹を決めて勝負の場に戻って来い、と。

 カインさんも、騎士団のアレクさんも、私の事を心から想ってくれていたのに……。

 二人の想いを受け入れられないと告げたあの日。

「ごめんなさい」と「ありがとう」の心を、二人は静かに受け入れてくれた。

 好きな人と結ばれるように、頑張れと、……傷付いた心を押し隠しながら、応援までしてくれた二人。

 今の私達は……、まだ、完全に、とはいかないけれど、良き友人という関係だ。

 それが偽りであり、無理をしている状態だとしても、いつかその関係性は本物へと変わっていく事だろう。

 叶わなかった私の想いも、あの人との関係も、きっと同じように……。


「今日は無理だろうが、近いうちにどっか繰り出そうぜ? 面白い遊び場に連れてってやるよ」


「うわぁ……、なんか悪い事考えて、人を罠に嵌めそうな悪役の顔してますよ~? カインさん」


「あ? 久しぶりに帰ってきたダチに新しい楽しみを与えてやろうって気遣いだろうが。ったく」


「ふふ、冗談ですよ。楽しみにしてますね」


「……っ。お、おう」


 変わりゆく関係を感じながら、私とカインさんはちょっとだけ戯れながら、視線だけで心の内を語りあう。

 

『もう、いいのかよ?』


 あの人に、ルディーさんに振られてしまった事は、勘の良い人なら気付いてしまう。

 私が、一年もの間、王宮を、この国を留守にしていた理由も……。

 音にならない、優しい気遣いを感じながら、私は頷く。

 私は振られたのだ。恋をして、好きな人に想いを伝えて、終止符を打たれた。

 この想いに続きなんてない。別の道もない。

 ただ、ルディーさんを好きだというこの気持ちが薄らぎ、平気になる日を待つか、新しい恋を見つけるその日まで、耐えるだけ。

 そういう意味では、やはり私達は仲間なのだろう。

 アレクさんとカインさんがどれだけ傷付いたか、身に沁みてわかった。

 いつ癒えるかわからない心の傷を抱えながら、私達は歩く。歩き続ける。


「こぉ~ら、ユキちゃんをいじめちゃ駄目じゃないか、カイン」


「はぁ? 構ってるだけだろ? なぁ、ユキ」


「ん~、ヘッドロック掛けられるのは~、ちょぉ~っときついですかねぇ」


「カイン、ユキの帰還は誰もが喜んでいる事だが、大怪我に繋がる事もある。そのくらいでやめておけ」


「へぇへぇ。……あ」


「どうしたんですか? カイン、さ……」


 ルイヴェルさんに、パシッと頭をはたかれたカインさんが私の首から手を外そうとしたその時。

 予想していたはずなのに、前方から大勢の騎士団員の人達を連れて現れたその人の姿に……、私はどんな顔をするべきだったのかも、考えておいた再会の挨拶さえ忘れてしまって……。


「あ……」


「…………」


 今日は、高校生くらいの少年姿じゃない。

 燃え上がる炎を宿しているかのような長い髪と、騎士団長の正装によって包まれている、長身の逞しい体躯。

 これからどこかに出掛けるのだろうか? 完全に余所行き使用の装いだった。

 立ち止まったルディーさんは、カインさんにヘッドロックをかけられている私を見ると、他人行儀に一礼してこう言った。


「無事の御帰還、心よりお喜び申し上げます」


 レイフィード叔父さんや私のお父さんがその場にいても、以前だったら普通に「姫ちゃん」って呼んでくれていたのに、……何故、こんなにも距離感のある対応をされているのだろう。

 旅立つ前だって、お互いに無理をしてても、以前と同じ接し方をしていたのに……。

 ルディーさんの美しいアメジストの双眸には再会の喜びなど一切なく、逆に寒々しいくらいだ。

 この一年の間に……、何があったの? 私に向けている感情が、まったく読めない。

 だけど、ちゃんと挨拶をしてくれたのだから、答えないと……。

 私はカインさんの手から逃れ居住まいを正すと、ニッコリと笑みを浮かべて前に出た。


「御無沙汰をしています。ルディーさんもお元気そうで安心しました。これからお仕事ですか?」


「はい。遠方の国まで少々……。ユキ姫様の帰還を祝う宴に出席出来ず、申し訳ありません」


「気にしないでください。お仕事、頑張ってくださいね」


 だから、どうして始終恭しい敬語なの!?!?

 振られたからって、別に私は根に持ったりしてませんよ!!

 むしろ、どうすればルディーさんに迷惑をかけないで済むか、一年間、ずっと考えていたっていうのに……。

 何を考えているのか、彼の意図が読めない。

 ルディーさんは、こんな風に人を遠ざけるような冷たい態度をとる人じゃないのに……。

 笑顔で形式的な挨拶を交わした私は、団員の人達と去っていくルディーさんの後姿を見送りながら、ドサリとその場に崩れ落ち、這い蹲った。


「お、おいっ、ユキ!!」


「ユキ、そのポーズは流石にどうかと思うがな? 見ている分には愉快だが」


「ユキちゃん!! 王族が簡単に敗北ポーズなんかしちゃ駄目だよ~!! じゃなくてっ、汚れちゃうから立って立って!!」


「ニュイニュイッ!!」


「ニャウゥウンッ、ニャウニャウッ!!」


 いや、だって、だって……!!

 振られたとはいえ、あんな冷たい氷のような目つきで出迎えを受けるなんて……!!

 まさか、私が王宮を出たせいで、逆に何か迷惑をかけるような事があったんじゃ……。

 だけど、お父さん達がいる前じゃ、なかなか口には……、うぅ、あ、あとで、情報収集しなきゃっ。

 皆に心配されながらよろりと立ち上がった私は、そんな考えていっぱいだった。

 振られた上に、好きな人から嫌われたかもしれないなんて……、あぁ、絶望の闇が広がっていく。


「旅疲れじゃねぇのか? ほら、支えてやるから部屋まで頑張れよ」


「す、すみませんっ」


「疲労回復の薬も処方してやろう。プリンがいいか?」


「いえ、……プリンだけで結構です。うぅぅっ」


「ユキちゃん、どうしちゃったんだい? 急に不幸のどん底に落ちちゃったような顔になっちゃって」


「レイフィード、お前は暫く黙っていなさい。ユキ、疲れが酷いのなら、先に自室で休んでもいいんだよ」


「う、うん……。じゃあ、お言葉に甘えて、一時間だけ、そうさせてもらおう、かな」


 帰宅早々、とんでもない大ダメージを受けてしまった私は、お父さんの提案に頷いたのだった。

















 ――Side ルディー



「団長、お疲れ様です。今夜の予定は全て完了しましたので、後はごゆっくりお休みください」


「ん~。サンキュ」


 ガデルフォーン皇国で催された夜会の席をこなし、ようやく与えられた客室に引き上げて来れた。

 部下に労いの言葉をかけて扉を閉め、上着の釦を外しながら寝台に倒れこむ。

 

「はぁ~……、マジで疲れた」


 この国は俺の父親の故郷であり、俺の叔母である、女帝ディアーネスの統治している地だ。

 会えば、必ず次のガデルフォーン皇帝にならないかと面倒な勧誘を受ける事が多いもんで、滅多に近づきたくはない国なんだが……。仕事上、避けて通れない時もある。

 だが、……今夜に限っては、俺にとって良い逃げ場になった。

 

「一国の騎士団長が逃げを喜んでちゃいけねーよなぁ……」


 ウォルヴァンシア王国に戻ってきた、王兄姫、ユキ・ウォルヴァンシア。

 姫ちゃんの顔を見たのは、一年ぶりだった。

 俺は、姫ちゃんが旅に出ている間、どこにいるのかも知らず、ただ仕事に打ち込んでいた。

 今日の帰還に関しても、平気な顔でやり過ごそうと思っていたのに……。


「あぁあああああああっ!! くそっ、くそっ!!」


 姫ちゃんの気配を感じ取った時から落ち着きとは無縁で、らしくもなくうるさい鼓動の音を誤魔化しながら近づいて行ったら……。


「はぁ~……っ、重症化しすぎだろ、これっ」


 俺は皇子さんか? 思春期真っ盛りのガキみてーにヤバかった!!

 元気そうな姫ちゃんの姿にほっとするよりも先に、……形振り構わず抱き締めたくなっちまったなんて。

 その上、姫ちゃんに絡んで楽しそうにしてやがった皇子さんにムカついて、そのあとの事はぶっちゃけよく覚えてない。俺、……姫ちゃんとどんな会話したんだっけか?

 いやいや、そうじゃないだろ、俺っ。問題はこれからだ。

 姫ちゃんが王宮に戻った以上、顔を合わせる機会は前のように増えるだろう。

 だが、普通に愛想良く、妹相手みてーに喋る的な芸当を出来る自信が……、あ~、全然ねーわっ。

 俺が考えていたよりも、姫ちゃんへの想いはこの一年でさらに膨れ上がっていた。

 ……ってか、今日の姫ちゃん、結構軽装だったよなぁ。

 小耳に挟んだところによると、ギルド関係とかにも所属して、冒険しまくってたとかなんとか。

 そのせいか、清楚な服装よりも動きやすい服を着るようになったんだろう。

 流石に腹は出してなくてほっとしたが、足は……、出てたなぁ、結構、生足全開、つーか。

 冒険者系の女には多い恰好だが、……うぅぅぅぅぅっ。


「……姫ちゃぁぁん、ああいう格好はダメだっ!! 変な奴らが寄ってきちまうだろうが!!」


 整えられているシーツをグシャグシャに乱しながら一人で暴れてみた俺だが、……何やってんだろうなぁ。

 俺は恋愛よりも友情を取ったんだろ?

 騎士団の秩序を守り、姫ちゃんや王家に忠誠を誓って仕えていればいい。

 悩む事なんか何もないわけで……。けど、頭の中には常に姫ちゃんが。


「いっそ、アレクにぶった斬られちまえばスッキリするか……?」


「ははっ。一国の騎士団長の終わりがそれって、冗談にも出来ないよー?」


「げっ」


 一体いつの間に忍び込みやがった!? この神出鬼没の魔竜めっ!!

 人が本気で悩んでんのに、真上にひょいっと顔を出したその男は、相変わらずニコニコとしながらそこにいた。

 ガデルフォーン皇国の騎士団長だけに許されている正装姿に、俺の心を見透かしているかのようなアイスブルーの瞳。サージェスティン……。そうだった、この国には女帝とは別に面倒な奴がいるんだった。

 姫ちゃんの事で頭がいっぱいで、こいつと夜会の場で話した事さえ忘れていた。


「なんだよ。明日、朝一番で帰るんだから、邪魔すんな」


「えー? 姫ちゃんがー、姫ちゃんがー、って大騒ぎして悩んでた子が、ちゃんと帰路につけるのかなー?」


「~~っ!! 人をおちょくるんじゃねーよっ!!」


 こいつは俺の親父の友人で、昔はよく兄貴風を吹かせて俺に絡んでくる事が多かった。

 今の俺は、ルイヴェルにおちょくられている皇子さんと同じに見える事だろう。

 ってか、この野郎……、俺の様子がおかしい事に気付いて、張ってやがったな?

 

「あ、言っておくけど、俺はついてきただけだよー」


「は?」


「ルディー君の様子がおかしいって、何か悩んでるなら力になりたい、って」


「誰がだ?」


 いや、聞かなくてもわかる。

 突然真下に生じた馴染みのある魔力の反応に飛び上がった俺は、寝台の下から這い出してきた陰に本気でげんなりとしかけた。

 俺と同じ、紅の長い髪。よく似ている顔。……生まれた時から顔に穴が開くほど見てきた顔だ。

 

「何やってんだよ、親父……」


「ん~? いや、なに。可愛い愛息子がガデルフォーン皇国に来ると聞いたからな。久しぶりに飲みにでも誘おうと思ったんだが……」


「ルディー君の魔力が絶望一色だったから、心配になったんだよねー。ラシュさん」


 この暇人、いや、暇竜共めっ!!

 俺の異変に気付いてたんなら、一人にしてやるとか、見守っとくとか、そっとしたやり方があるだろうが!!

 何でもかんでも相談に乗ればいいってもんじゃない!! 余計なおせっかいは他の奴にしろ!!

 だが、この図太い二人を殺気全開で睨み付けても意味はない。

 どうせ居座る気満々なんだろ? 相談に乗りたくて堪んないんだろ? あぁあっ、腹立つ!!


「言わねーぞ」


「いや、大体の事はお前の悶えっぷりから読めたからな。安心しろ。徹夜で相談に乗ろう」


「あー、俺は一時間くらいが限界かなー。明日も仕事あるしね」


「誰も相談しねーよ!! さっさと帰りやがれ!! 暇竜!!」


 闘気を漲らせ、暇な大人共を追い出しにかかるが、そう簡単には引き下がらない。

 俺の拳を受け止めた親父がその流れから人の身体を絨毯にひっくり返し、動きを封じにかかった。

 

「別に無理強いをしようという気じゃないぞ。ただ、なぁ……。この一年、お前が酷く辛そうにしていたから、そろそろ手を出す頃かと思ってな」


「元気なかったもんねー。だけど、皆、静かに見守ってあげたほうがいいよね、って、一応は気を使ってたんだよ?」


「……俺の問題だ。お前らが手を出す必要はねーよ」


 一年、ね。この二人にしちゃ、随分と気を使ってくれたもんだ。

 だが、俺は誰かに相談する気はねーし、現状を変える気もない。

 俺は姫ちゃんの想いを拒んだ。……どんなに好きでも、抱き締めてやる事は出来ない。


「はぁ……。皇子君と似てるようで、大事なところがわかってないよねー、君って」


「だな。カインはもっと根本的なところで素直だ。誰に何を言われようと、どんな障害があろうと、負け戦だとわかっていようと、アイツは自分の心を偽らない」


「どこまで知ってんのかはわかんねーけど……。俺と皇子さんは違うんだよ。皇子さんは向こう見ずのガキだ」


 自分の言動が、選び取った道が何を引き起こすのか、皇子さんは考えない。

 腕の自由を奪われながら抵抗する俺に、親父とサージェスティンはやれやれといった風に息を吐く。

 

「ねー、ラシュさーん。この子、大人だと思う?」


「ガキだな。向こう見ずの、考えなしの我儘坊主だ。カインの方が大人だな」


「ざけん、なっ!!」


 そりゃあ、姫ちゃんの事で情けなくなってる俺はガキかもしれないが、なんで皇子さんに負けるんだよ!!

 普段は表に出す必要もない感情の荒ぶりを覚え、勢いのままに暴言を吐きまくった。

 俺は、ただ好きだって感情だけで動けるようなタイプじゃない。

 自分の我儘を通して生じる最悪の事態を避けたいだけだ。

 そう喚き散らした俺を、親父はまた息を吐いて手を放して解放した。

 後ろを振り向けば、親父もサージェスティンも、子供を見るような目で俺を見下ろしていて……。


「そうか。大人の考えとやらを押し通したいお前の気持ちはわかった。好きにしろ」


「ルディー君が選んだ道だもんね。仕方ない、か。じゃあ、ウォルヴァンシアに戻っても頑張ってね」


「…………」


「俺達はもう口を出す事もなければ、この件については触れずにおく。だが、……」


「なんだよ」


「やはりお前は、まだまだ子供だな。ルディー」


「――っ!!」


 見放されたって構わない。この件に関しては誰にも口は出させない。

 俺は正しい道を選んだ。本音が別にあろうと、俺は……。

 扉が閉まり、二人の気配が遠ざかった頃……。ぽつりと声を落とした。


「アレクを裏切れるわけが、ない……」


 信頼出来る仲間であり、弟のようにも思っている友人。

 アイツの幸せを願っていた俺が、アイツの大事なものを奪っていいはずがない。

 だから、間違ってない。ウォルヴァンシアに戻ったら、いつもの俺を通すんだ。

 いつか、この心から姫ちゃんへの想いが消えて、姫ちゃんの俺に対する想いも、消えるその時を待ち望みながら……。


「あ、そうだー。ルディー君、ルディー君」


「…………」


 野郎……、音もなく戻ってきやがった。

 扉から顔だけを出して部屋をのぞき込んできたサージェスティンには視線をやらず、俺は反対側を向いて黙り込んだ。だが、俺が聞いていようが耳を塞ごうが、こいつはハッキリ言う奴だ。

 世間話をするかのように、サージェスが静かな問いを寄越す。


「君が必死こいて大切にしてるその男の友情ってさ……、絆の先にいる相手はどう思ってるのかなー?」


「……出てけ」


「うん、ごめんねー。何も言わないつもりだったんだけど……、もうひとつだけ」


「…………」


「ユキちゃんは、物じゃないよ」


「――っ」


 顔を見ていなかった俺には、その寂しさを含んだ笑みの気配と声音が……、今までの何よりも辛く堪えた。

 















 ――side 幸希



 ――あれから、三日。


 私がウォルヴァンシアに戻ってからの日常は、旅立つ前と何も変わらなかった。

 毎朝、家族揃っての朝食を楽しんで、勉強をしたり、息抜きをしたり、王宮の人達と交流したり。

 私が戻ってきた事を、皆が喜んでくれている。……あの人以外は。

 アレクさんやロゼリアさん、他の騎士団の人達とも以前通りの交流が出来るのに、ルディーさんだけは騎士団の奥に籠って、まったく出てきてくれない。

 団員さん達相手の訓練も、部隊長さん達に任せているみたいだし……。

 会わずにいる方がお互いの為にいい、ってわかってる。

 だけど、あの時の……、再会した時の彼の態度の冷たさが気になってしまって……。

 もう、以前のような、旅立つ前までにあった優しさや明るい彼の笑顔を見せてもらうことは、出来ないのだろうか。笑顔を向ける価値もないと、切り捨てられるほどの何かを……、何か迷惑を、ルディーさんにかけたのだろうか。もしかしたら、告白自体が軽蔑されるべきものだったのかもしれない。


「ユキ姫様~」


「あ、リィーナさん。こんにちは。今日はお休みですか?」


「本当はお休みする気なんてなかったんですけど~……。どっかの暗黒大魔王がチルフェート・デーに休みを取らないと意地悪するって言うから……っ。ううっ」


「あぁ、アイノスさんですね。でも、恋人同士なんですから、こういう特別な日はデートしなきゃ勿体ないですよ」


 いつものメイド服ではなく、可愛らしいお洒落な余所行きの姿で現れたリィーナさん。

 彼女はウォルヴァンシア王宮の二階にある大図書館に勤めている男性、アイノスさんと恋仲で、なんだかんだでとっても仲が良い。最初は恐ろしい悪魔にでもロックオンされたかのように涙目で怯えていたのに、今ではしっかりと両想いの二人……。

 羨ましいなぁと微笑んでいると、ブツブツと愚痴っていたリィーナさんが急に口を噤んだ。


「す、すみませんっ!! 私……、今、贅沢なこと、言いました、よね?」


「え? あぁ、気にしないでください!! もう一年も前の事ですし、平気ですから」


「……でも」


「アイノスさんと、素敵な一日を過ごしてきてください。お土産話、楽しみにしてますね」


「うぅぅうううっ、ユキ姫様ぁ~っ!!」


 私の恋が終わった事を、リィーナさんも気付いていたのだろう。

 元々、人の恋愛事に多大な興味を示す人だし、感情の揺れにも敏感だ。

 だけど、自分の恋が叶わなかったからといって、誰かに遠慮なんてしてほしくない。

 アイノスさんとリィーナさんが幸せな一日を過ごせる事を、心から祈ってる。

 彼女の背中をそっと手のひらで押し、笑顔で見送る。


「行ってらっしゃい」


「ユキ姫様……っ。……お、お土産っ、いっぱい買ってきますから!!」


「ははっ。私の事よりも、アイノスさんの事を一番に考えてあげてください。でないと、アイノスさんが拗ねちゃいますよ」


「うぅ~、あの人、拗ねると意地悪の度合いが上がるんですよね~。おおっ、怖っ」


 怖い怖いと言いながら、アイノスさんと一緒にいる時のリィーナさんは、とっても可愛い恋する乙女だ。

 小走りで去っていったリィーナさんに振っていた手を下ろし、回廊の柱に背を預ける。

 チルフェート・デー……。好きな人の為に想いを込めたチルフェート菓子を作って、想いと共に手渡す日。

 もう、作っても意味はない……、愛情の証。

 

「ユキ、どうした?」


「…………」


「ユキ」


「……え? ……アレク、さん?」


 気がつけば、ずるずると柱に頼りながら座り込んでいた私を、とても心配そうな顔で見下ろしているアレクさんの姿があった。灰色の道に膝を突き、私の肩をそっと掴むアレクさんのぬくもり。

 

「具合でも悪いのか? 歩けないようであれば、俺が医務室まで連れて行くが」


「いえ、違うんです……。ちょっと、……」


 自力で立ち上がれる事を伝え、その通りに体勢を立て直した私が誤魔化すように笑みを向けると、アレクさんは眉を顰めて首を振った。

 自分に嘘を吐かないでほしい。アレクさんの優しい蒼の瞳が、寂しそうに揺れている。

 だけど、話すわけにはいかない。そこまで甘えちゃ、いけない。


「大丈夫、です。一人で頑張らなきゃいけない事、ですから」


「ユキ……」


「ごめんなさい。そして、ありがとうございます、アレクさん。それじゃ、また」


「ユキ!」


 踏み込んでこようとするアレクさんの少しだけ大きな声を振り切り、全速力で王宮内をあてもなく駆けていく。

 他の問題であれば、きっとアレクさんや皆の心遣いに甘えて頼っていた事だろう。

 だけど、この問題だけは……、私自身が一人で乗り越えなきゃいけないものだから。


「ユキ!! 待て!!」


「え? きゃぁあっ!!」


 遠ざかったはずの気配が突然背後に生じたかと思うと、私はアレクさんの腕に逃げる暇なく捕獲されていた。

 力強く、痛いほどに抱き締めてくる腕の感触……。

 耳元に落ちてくる、アレクさんの切なさを秘めた吐息の気配。


「お前が幸せになれないでいるのは……、俺のせいだ」


「何言ってるんですかっ!! 私はちゃんと幸せです!! アレクさんや大切な人達に囲まれて、想ってもらえて、世界で一番幸せなんです!! これ以上の幸せなんて、ありませんよっ」


「ルディーとの事だ」


「――っ」


「俺がいるから、ルディーはお前を受け入れる事が出来ずにいる。俺が、お前を不幸にしている」


「違います!!」


 罪の意識を背負っているその声音に、私は間髪入れずに否定の声を放った。

 私が幸せになれないのはアレクさんのせい? 違う!!

 私がルディーさんに受け入れて貰えなかったのは、アレクさんのせい? 違う!!

 たとえ、ルディーさんがアレクさんに遠慮していたとしても、本気で私の事を好きでいてくれたなら……。

 

「アレクさん、私は、アレクさんの事が大好きです。一人の男性として想う事は出来ませんでしたけど、私の幸せな日常に、貴方は必要不可欠な人なんです。だから……、そんな風に思わないでください」


「ユキ……」


 ふと、腕の力が緩んだ隙に身体の向きを変え、私は背伸びをしながら彼の頬に口付けを贈った。

 特別な男性にではなく、大切な友人へ捧げる、友愛のキス。

 アレクさんに罪はない。貴方がいなくなればいいなんて、絶対に思わない。思えない。

 私の心を受け止め、アレクさんも私の頬にキスを返してくれる。


「お前を想うこの気持ちは、いつになっても消えてはくれない。……いや、決して失いたくないと思う大切なものだ。……だが、俺にとって一番大事な事は、お前が幸せになってくれることなんだ。たとえ……、俺以外の男を選んだとしても」


「アレクさん……」


「俺に任せてくれないか? ルディーの頑固な壁は、俺が責任を持って打ち壊す。そうすれば」


「いえ。そこまで甘える事は出来ません。もし、壊す必要があるのだとしたら……、それは、私の手でやらなきゃ意味がない事、ですから」


 この時になって、改めて思い知らされた。

 ルディーさんにとって、私はアレクさんやロゼリアさん、騎士団という組織が一番大事なもので……。

 私の存在は、決してそこに踏み込んではならないものだった。

 ……一年前、それをわかっていて、……もしかしたらと、希望を抱いて告白した。

 結果は予想通りの玉砕。私は、彼の心に居場所を与えて貰う事が出来なかった。


「その代わり、……ふふ、良かったら、また前みたいに毛並みのお手入れをさせて貰えませんか? アレクさんのもふもふは私にとって最上級の癒しなんです」


「構わないが……。――ルディー」


「え?」


 アレクさんと向き合っていた私は、その音にトクンッと鼓動を跳ねさせ振り向こうとしたけれど、ルディーさんの姿を確認する前に身体の一部を掴まれていた。

 手加減なんてされなくて、痛くて涙ぐんでしまいそうな力強さで掴まれた右の手首。

 少年姿のルディーさんが……、アレクさんから私を奪うようにその場から駆け出していく。

 

「あ、あのっ、る、ルディーさんっ!? 何やって」


「…………」


 王宮のいたる場所でお仕事をしているメイドさん達が、戸惑い気味に私達へと視線を向けては見送る。

 談笑をしながら回廊を歩いていた文官の人達も、ルディーさんに用事があったらしき騎士団員の人達の存在も、全部無視して急かされる道のり。

 無言のまま怒りの気配を纏っていたルディーさんに連れ込まれたのは、二階の大図書館だった。

 司書のアイノスさんはいないけれど、基本的には夜にならない限り、鍵は掛かっていない。

 本の貸し出し用のカウンターにも人影はなく、ルディーさんは奥まった場所まで歩みを進めて行くと、黄色がかったクリーム色の壁の一部に手を翳し――。


「あっ」


 私達の目の前に現れた、ひとつの扉。

 それは壁の中から浮き出たように見えたけれど、きっと魔術による仕掛けのひとつなのだろう。

 ルディーさんは私の手首をしっかり掴んだまま、開いた扉の先へと踏み込んでいく。

 真っ暗な空間に、徐々に灯りだした優しい炎の気配。

 

「ルディーさん、ここは……」


 もう何年も王宮に住んでいるけれど、ここには来た事がない。

 あぁ、でも、大量にある本を管理する為の他の仕事場もある、とか、前にアイノスさんが教えてくれていたような気が……。

 灯火のお陰で周囲の様子は見えているけれど、まるで夜中の王宮内の廊下のようだ。

 道の左右に扉が幾つも並んでいて、それぞれ何の種類の本が保管されているのか書き込まれているプレートが埋め込まれているようだ。

 私はその内の一室に連れ込まれ、跡がつく程に強く掴まれていた手首を解放された。

 だけど、部屋に入ってすぐに聞こえた鍵の掛かった音が、不安と共にざらりとした感触を耳に落とした。

 中は真っ暗で、……何も、見えない。


「姫ちゃん……」


「は、はいっ」


 彼の声がいつもより低く、いや、大人の姿になった時と同じ音だと気付いた瞬間。

 室内に炎の気配が生じた。

 ルディーさんの足元から立ち昇った、紅に燃え盛る炎。

 キラキラとしたアメジストの輝きが星屑のように炎へと寄り添って……。

 魔竜の、竜煌族の力に満ちていくルディーさんの様子を見守っていた私は、その炎が消え去った直後。

 ゆっくりと近づいてくる逞しい体躯に気圧されて、本棚の方に追い詰められてしまった。

 逃げ場を見いだせない私を見下ろしながら、ルディーさんが精神的な檻を作り上げていく。

 距離が、近い。ルディーさんの息遣いが、顔に、触れるほど、近くなって……。

 彼の私を見つめるその瞳は、やっぱり、全然、優しくない……。


「俺は、姫ちゃんを女としては見てない」


「――ッ。……し、知って、ます。去年、……ちゃんと、言われ、ました、から」


 知ってる。貴方にとって、私は迷惑な存在でしかない事も。

 私がこの人を好きでいる限り、私はこの人の大切なものを壊す厄介者でしかないから……。


「俺は、姫ちゃんを好きなんかじゃない」


「…………」


「好きじゃ、……ないっ」


「ルディー、さん……?」


「あのまま、王宮にいれば良かったんだ。そうすりゃ、面倒な事にならずに、済んだのかもしれない……。いつも通りの俺と姫ちゃんに徹して、……その内、元の関係に戻れたかもしれない」


 俯いたルディーさんに何を言っていいのか……。

 ただ、私が王宮を出て外の世界に行ってしまった事で、なんらかの迷惑をかけてしまったらしい事だけは、わかる。


「俺は……、俺は……っ」


 肩に触れた、微かに震えを帯びた大きな手。

 ルディーさんの両膝が絨毯に崩れ落ち、苦痛に耐えているかのような低い呻き声が聞こえた。

 

「ルディーさん……、私、は」


 この人を苦しめているのは私だ。私が、告白なんかしてしまったせいで……っ。

 もういい。忘れていい。私の事なんか見なくていいから。

 一年たっても苦しんでいたのは、私じゃなくてこの人だった。

 早く、早く、楽にしてあげないと……っ。

 本音じゃなくても、偽りで彼を救えるのなら幾らでも嘘を吐こう。


「私はっ」


「堪んなかった……っ」


「え?」

 

 彼が顔を上げると、一雫の筋が頬に伝い落ちていた。

 そんなわけはないのに、まるでそれが……、血の涙のように見えるのは、気のせい?


「姫ちゃんが王宮から出たのは、俺の事を気遣ったからだろう? 俺が気まずい思いをしないように……。けどな、逆効果だったんだよっ。姫ちゃんが王宮にいなくなってから、……どこ、捜しても……、いなくて、わかってたけど、……姫ちゃんの姿を、見つけたくて……っ」


「ルディーさん……」


「振っておいて、何やってんだかなぁ……。アレクを裏切っちまったら、アイツを傷付けるだけじゃなく、アイツとの築き上げてきた絆も、全部、全部失っちまうって、怖がってたくせに……。姫ちゃんを呼ぶ心の声が、止まんねぇんだ……」


 ずっと……、私の事を求めてくれていたの?

 顔に伸ばされてきた両手が、私の輪郭を撫でながら優しく包み込んでくれる。

 彼の、ルディーさんがこの一年、抱え込んできた心の葛藤が、今もまだ苦しんでいるように思える感情の気配に、私の心も涙を流すかのように震えて……。


「自分の望みは、この心は見ないふりで生きていく、って、そう決めたってのに……。なぁ、姫ちゃん。俺は……、アレクも、自分の心も裏切ったんだ。姫ちゃんと再会した時、気安く姫ちゃんに触れてた皇子さんにすげぇ腹が立った。仕事先でも、姫ちゃんの事ばっか考えちまって……、さっきも、姫ちゃんにキスされてるアレクを見た時に、皇子さんの時以上に腸が煮えくり返った」


 身体が、彼の抑え込んできた本音を聴かされながら倒れこんでいく。

 ルディーさんが私を自分の方に抱き寄せ座り込んだ事を把握し、その腕の中でぎゅぅっと抱き締められてしまう。少年の姿の時とは違う、大人の男性の、逞しくて力強いあたたかさ。

 私の蒼い髪に差し入れられたルディーさんの手が、感情の波をやりすごすかのように動く。


「アレクの事は、本気で大事なダチだって思ってる。……だけど、姫ちゃんに関しては、きっと、アイツがこの世で一番の敵だって、そう思っちまってる。最悪だよなぁ、ダチに殺意向ける奴なんて」


「……あの、ルディー……、さん」


「ん?」


「お、お話は……、なんと、なく、わかったんです、けど……、あの」


「な、なんとなく……? マジで? なんとなくだけか?」


「……いえ、その……、多分、私の事を好き、って、言ってくれてるんです、よね?」


「多分……? 姫ちゃん、多分程度にしか俺の気持ち、伝わってないのか?」


 そういうわけじゃ、ないのだけど……。

 ルディーさんが私を一人の女性として見ていてくれた、という事実は心から嬉しいと思っている。

 だけど、そのせいでルディーさんは苦しんでいて、大切なお友達のアレクさんを失うかもしれなくて……。


「無理は、しないでください……。その言葉を聞けただけで、一生の想い出に出来ますから。ルディーさんは、大事なものを守ってください。私のせいで苦しむ道だけは、選ばないでほしいから」


「…………~~~っ!! だぁあああああっ!!」


「えっ!? ど、どうしたんですかっ!? えっ? ――んんぅうううっ!?!?」


 ルディーさんが話してくれた事は、懺悔のようなものであって、私を選んでくれたわけじゃない。

 葛藤をどこかに吐き出したくて、感情を抑えられなかっただけ……。

 だから、私に出来るのは、この人が楽になる方法を選べるように、背中を押せるような言葉を……、と思って発言してみたら、まさかの突然のキス!!

 それも、頬じゃなくて、完全に、確実に、私の唇にルディーさんの同じ部分が押し付けられていて……。


「んぅっ、……は、っ、……んんぅっ」


 ちょっ!! 凄く怒ってる顔で人を睨みつけながら舌まで入れてこないでください!!

 ぬるりとした感触と、ルディーさんの熱に吃驚しながら、彼の背中を叩く。

 だけど、男性の、人間外の種族性を持った人の力に勝てる確率はさらに低いわけで……。

 酸素切れになりそうな危機感を感じていた私だったけど、やがて……、私とルディーさんのキスは互いに求め合うような濃密さを帯びてきてしまった。

 少しだけ出来た隙間から酸素を吸い込み、また、ルディーさんの熱に囚われる……。


「もう、……無理なんだよ。理性よりも、姫ちゃんと愛し合いたい想いだけが、俺の願いになってる」


「はぁ、……はぁ。……で、でも、それじゃ、ルディーさんが後悔し、――んっ!!」


「後悔してもいい。憎まれてもいい。そう思ったから、今こうしてるんだ。……姫ちゃん、あの日のやり直しを許してくれ。姫ちゃんが勇気を出して告白してくれたってのに、情けない嘘しか吐けなかった俺を、上書きさせてほしい」


「ルディーさん……」


 両頬を優しいぬくもりに包み込まれ、泣きそうな笑顔を向けられながら囁かれる。


「好きだ」


「ル、――んっ」


「俺も、姫ちゃんが好きだ」


「んっ」


「いや、好きだけじゃ足りねぇ……。誰にも渡したくない。皇子さんにも、アレクにも、他の誰にも……。心から、姫ちゃんを愛してる」


「ん……っ」


 好きという言葉を囁く度に甘く啄まれる唇。

 好き、から、愛へと言葉が変わると、今度は深く口づけられるようになった。


「……最初から、間違ってたんだよな」


「え?」


「俺は、アレクを傷付ける事を怖がって、ダチと気まずくなることを、どうしても避けたかった。けど、俺が勝手にそう思ってただけで、結局……、正面から見てたのは自分の事ばっかりだった。アレクの気持ちや、姫ちゃんの気持ちを置き去りにして、自分が安全圏にいられる方法を選んでただけで……。遠回りしちまった」


「…………」


 自分の想いに目を瞑れば、何も辛い事は起きない。

 その道を選んだことで、アレクさんがどう思うのか……、その為に切り捨てられた私の気持ちが、どんな傷を負うのか……。考えが足りていなかった、と、ルディーさんは自嘲の笑みと共に囁く。

 一国の騎士団長がこれでは、あまりに情けない、と……。


「言えば良かったんだよな。俺も姫ちゃんの事が好きだから、お前と正々堂々戦いたい、って。騎士道精神、いや、人として大事な事を忘れて、俺は逃げまくった……。アレクにも、姫ちゃんにも、タコ殴りにしてほしい気分だ」


「いいえ。ルディーさんは、優しくて、思い遣りがある人だから……。一人で抱え込ませてしまって、ごめんなさい。私の方が、きっと最低だったんです。本当は、私が貴方に想いを伝えたら、アレクさんとの友情にヒビを入れてしまうって、わかっていたのに……。自分の我儘を抑えきれなくて」


「違う。姫ちゃんは事前に言っておいたんだろ? アレクに……、俺の事が好きだ、って。姫ちゃんの方が正々堂々としてるじゃねーか。ダチに何も言わず、逃げた俺とは違う」


「でも、どちらにしても……。私はアレクさんとカインさんを傷付けました。大切な人達を傷付けてでも、貴方と一緒にいたかったから。好きだって、どうしても、伝えたくて……」


「姫ちゃん……」


 傷付いても構わない。恨まれても構わない。

 どうしようもなく身勝手な道だけど、私は自分の心を偽ったままでは生きられない。

 この人が私に正直な想いを語ってくれた今、触れ合う事の出来たぬくもりを手放せる事は、絶対にない。

 

「色々……、ゴタついちまうかもしんねーけど、ずっと俺と一緒にいる覚悟、あるか?」


「あります。告白を決めた時から、全部受け入れて生きていくつもりでしたから」


「騎士団長、辞める事になるかもしんない。アレクとも、絶縁する可能性もあるし……」


「騎士団を辞めても、ルディーさんが団長さんじゃなくなっても、どこまでもついていきます。アレクさんとの事は、たとえそうなったとしても、二人が仲直り出来るように、時間をかけてお手伝いします。そうさせてください」


「姫ちゃん……。うぅぅっ、あ~!! ほんと、一年も何してたんだ俺はぁああああっ!!」


 頭を抱えて絶叫したルディーさんが私の身体を抱き締めなおし、何かに急き立てられてでもいるのか、ちゅっちゅっとキスの雨を降らせては大胆なスキンシップを与え始めた!!

 嫌じゃないけど、むしろ、すごく嬉しくて夢見心地だけど、恋愛初心者に濃厚すぎるキスはやめてください、ルディーさん!! 手加減をっ!! 初心者にハンデを!!

 だけど、拒んだりしたら……、せっかく心を決めてくれたルディーさんを傷付けてしまいそうで……。


「あぁ、ほんと……、出来るもんなら一年前に戻りてーよっ。告白してくれた姫ちゃんを抱き締めて、愛情込めて俺も想いを返して……、それから、それから、毎日イチャつきたかったああああああっ!!」


 あれ……。なんだかルディーさんがぶっ壊れてしまったような気が。

 唇どころか、頬に、額に、目元に、首筋に、指先や髪にもキスの嵐が巻き起こる。

 これは~……、もしかしなくても。


「あ、あの、……ルディーさん、この一年、……実は、すっごく我慢、してました? な~んて、大人のルディーさんがそんなわけないですよね~」


「大人の方がヤバイからな、姫ちゃん」


「へ?」


「俺達のような、獣の性(さが)を抱く種族の男は、基本的に一途なんだ。心から惚れちまった相手が出来ると、積極的に口説くのが普通だし、いつだって傍にいたい、触れていたい、って、そんな面倒な欲が次から次に湧きおこる」


 初耳です!! 話している間も、ルディーさんの熱烈なキッスは止まらない。

 あぁ、これ……。なんだか、動物の愛情表現に似ているような気も……。

 

「で、俺は魔竜の、竜煌族の血が強いわけで、……な?」


「つ、つまり?」


「ふふ、一年我慢しまくってたからなぁ……。もうどうにでもなれって腹決めちまったせいか、抑え込んでたもんが」


「お手柔らかに!! お手柔らかにお願いします!!」


「ごめんな、姫ちゃん。――ぶっちゃけ自信ない!」


 なんという爽やかな吹っ切れ顔!!

 アレクさんには後で土下座をしに行って、改めて一人の男として戦いを申し込むとか言い出したルディーさんだったけれど……。その前に、一年間お預けだった色んな事を堪能したいのだと言って……、結局、その日は午後のお茶の時間までルディーさんにたっぷり愛情表現をされたのでした。

 








 ――そして。



「……ルディーさん、顔、大丈夫ですか?」


「ん~……。流石に全力の一発だったからなぁ。ちょっと痛ぇ、かな」


「すみません、止められなくて」


「いや。むしろスッキリしたぜ。姫ちゃんの事を好きだってちゃんと宣言出来たし、アレクからの制裁もバッチリ受けたし、ついでに~……、ロゼからも一発やられたしな」


 私もその場にいたから知っているけれど……。

 アレクさんの一撃よりも、ロゼリアさんがルディーさんにお見舞いした鳩尾の一発、プラス、鬼気迫るお説教の方が色々とダメージが大きかった気がする。

 苦しんだのは私達だけじゃない、って、わかってはいたけれど……。

 ロゼリアさんが必死に抑え込んでいたこの一年のあれこれを目の当たりにした私達は、二人揃って折り目正しい土下座をしたのだった。……何故かアレクさんも自分から土下座スタイルになっていたけれど。

 

「これで、男としてのけじめはつけた。もう、自分を必死こいて抑えとく必要もない」


「うっ。い、言っておきますけど、大図書館でのあれみたいなのは……、もう少し、先でお願いしますね?」


「う~ん、人前だったら我慢出来そうなんだけどなぁ……」


 夕方に買い揃えてきたお菓子の材料を調理台の上に並べ、決まった手順を踏みながら厨房の中で作業をしていた私に、ルディーさんが一拍おいて、くすりと笑った。

 少年の姿の時にはない、大人の男性が纏う艶めかしい、誘うような色香を向けられている気がする。

 椅子の背もたれの縁に両腕と顔を預けているルディーさんから、一歩だけ足を引いたのは身の危険を感じたからか……。


「き、騎士団長さんなんですから、に、忍耐力には自信、あ、ありますよね?」


「……姫ちゃん、俺とのキス、……嫌なのか? 触られるのも、アウト、なのか?」


 そんなわけがない!!

 ルディーさんの事を好きになってから、旅の間も、この人に触れたくて、触れてほしくて、切なくて堪らなかったのに……!!

 だけど、いざ、本物のルディーさんから熱烈な愛の抱擁を受けてしまった私は、男性の本気に翻弄されながら、見事に追い詰められ、すぐに限界点に達してしまった。

 そう、一時的に……、顔を真っ赤にして気絶してしまったのだ。

 私達のような、人と獣の性(さが)を抱く種族の女性は、少女期と呼ばれる年頃には、色々と面倒な点を持つ。

 ひとつ、自分にとっての唯一人を定め難い事。

 ひとつ、異性からの恋愛感情に翻弄されやすく、過剰な反応を示しやすい。

 だから、今の私には……、大人の女性のように、余裕を持って相手の愛を受け止める事が出来ないのだ。。


「なので……、ちょっとずつ、馴らしていって頂ければなぁ~、と」


「う~ん、姫ちゃんはどの辺からがいいんだ?」


「そうですね。……手を繋ぐところから、はどうでしょう? 一緒にお散歩をしたり、お話をしたり。恋人同士の、今日のあれみたいな触れ合いは、何年か過ぎた頃からで、……あれ? ルディーさ~ん?」


 綺麗な星空に彩られている窓の向こうの景色から振り返った私は、椅子にもたれながら真っ白になっているルディーさんの姿に思わず飛び上がりそうになってしまった。

 口のところから、何かキラキラしたものが、すぅ~~……と。って、あれ、魂!!


「ルディーさんっ、ルディーさんっ!! しっかりしてください!! 冥界から回収班の方が来ちゃいますよ!!」


 ふわ~っと天に昇りゆくルディーさんの魂を大慌てで鷲掴み、彼の口へと押し込んで器と魂を結びなおす。

 きょろきょろ!! ……ほっ、良かった。冥界からの使者が来る様子はなさそうだ。


「はぁ~……、姫ちゃんっ、姫ちゃんっ。それ、思いっきりお子様仕様じゃんか~っ。今どきの少女期・少年期だって、もっと進んでるっつーのにっ」


「も、勿論、キスはオーケーですよ!! ただ、……の、濃厚なのじゃなくて、優しく、触れあう程度の」


「あ、……また魂出そ」


「きゃああああああっ!!」

 

 私にとっては、ルディーさんと触れ合って、抱き締めて貰って、キスが出来るなんて、最上級の幸せなのだけど!!

 ……やっぱり、男性と女性とでは、求めるもののレベルが違うのだろうか。

 まぁ、日本にいた時も、そういう方面の進み具合が凄いって事は、女の子同士の話とかで知ってはいたけれど、こ、個人差、とかも、あると思うし……。

 未知の領域に足を踏み入れる事を恐れ、恥ずかしがっている私に、ルディーさんは凄く残念そうな顔を向けながらも、やがて、優しい笑みを浮かべて椅子から立ち上がった。

 鍛錬を怠る事のない力強い両腕の感触が、そっと私の身体を包み込む。


「冗談。……姫ちゃんが傍にいてくれるだけで、十分だ」


「ルディーさん……」


「アレクとの事が片付いたからって、そう簡単にはな……。それに、俺は姫ちゃんを傷付けた。この一年、いや、俺の事を姫ちゃんが好きになってくれた時から、ずっと苦しませてきた。なのに、こうやって姫ちゃんの傍にいられるようになったんだ。多くを望むよりも、姫ちゃんの心を癒していく為の償いがしたい」


「償いなんて、いりませんよ……っ。私が貴方の事を好きになったのも、振られて落ち込んだのも、全部私の選んだ行動の結果なんです。一年間、ずっと抱えてきた痛みも、私の大切な恋の一部なんですから」


 だから、償いなんてしないでほしい。

 誰かを想うあたたかな気持ち、喜び、悲しみ、痛み、全てが、貴方を好きになって得られた大切なもの。

 

「私も同じなんですよ。貴方と一緒にいられるだけで幸せ……。この奇跡を手にできた私に対して、償いなんて必要ないんです」


「姫ちゃん……」


 服越しの、鍛えられている広い胸板のぬくもりに頬を擦り寄せた私に、ルディーさんが切なげな吐息を漏らしたような気がした。

 腕の力が強まったかと思うと、すぐに緩み……、ルディーさんの視線が愛おしそうに私の心を捉える。

 

「そっか……。なら、こうしないか? 俺は姫ちゃんやアレクに負い目を感じたり、償いがどうとか、もう言わない。その代わり、これからずっと一緒にいられるように、幸せになれるように、努力をしていかないか? 俺と、姫ちゃんの二人で。誰かへの罪悪感じゃなくて、誰かへの感謝を胸に、二人の幸せを作り上げていく」


「二人で……」


「アレクも皇子さんも、他の奴らも、根本的に願ってるのは姫ちゃんの幸せだからな。なら、普通の幸せじゃなくて、滅茶苦茶でっかい幸せを二人で作って、アイツらも丸ごと幸せにしてやればいい。名案だろ?」


 悪戯っぽく微笑むその顔に、私もくすりと笑って返事を返す。

 誰かへの罪悪感ではなく、皆への感謝の気持ちを胸に、幸せを作り上げていく。

 二人で、一緒に、手を取り合いながら……。

 ルディーさんからの名案を受け入れ、その背中に両腕をまわす。


「そんな幸せを、私も作っていきたいです。……一緒に」


 これ以上幸せなんて、全然想像出来ないけれど、ルディーさんと一緒に描いていける未来(幸せ)を思うと、お母さん譲りの好奇心が胸の奥で踊りだしてしまう。

 ルディーさんと一緒なら、きっと、すごく大きな幸せを描く事が出来るだろう。


「じゃあ、その幸せを作る作業は明日からということにして……」


「ん?」


「今日だけは、両想いになれた記念ということで、私が作るチルフェート菓子で、幸せになってくれますか?」


 まず一番初めに、貴方に贈りたい幸福のはじまりを――。

 お菓子作りの作業に戻っていく私に名残惜し気な顔をしながら、ルディーさんが肩を竦めて後を追ってくる。


「言ったろ? 二人で、俺と姫ちゃんの手で、幸せを作っていくんだ」


「ふふ、もしかして、お手伝いしてくれるんですか?」


「おう。料理ならこれでも腕に覚えがあるからな。お役立ち間違いなしだぜ!」


 団長服の上着を椅子に放り投げ、ルディーさんがシャツを腕まくりして材料に目を走らせていく。

 去年は、ルディーさんの事を考えながら一人で夢中になって作ったけれど、こんな共同作業も良いかもしれない。去年とは違う、今年は、二人分の想いを込めて……。

 



 fin

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