バレンタイン・イベント~ルイヴェル×幸希~

 ※ルイヴェル→幸希への片想い設定となっております。


 チルフェート・デー、当日。

 幸希は去年と同じように手作りのチルフェート菓子を大量に用意し、朝からその配布に大忙しだった。お世話になっている人達や家族、友人、日頃の感謝を込めて配り歩いた数時間。

 ウォルヴァンシア王宮のメイドであるリィーナに手伝って貰い、何とか全部配り終えた頃には……、すでに、昼食時間を過ぎてしまっていた。

 

「ユキ姫様、そろそろお昼に参りましょう?」


「そう、ですね……」


 城下にある大広場で籠の中に視線を落とした幸希は、……ひとつだけ、そこに残っている友人用のチルフェート菓子に目を落とした。

 長方形の箱を深緑色のリボンで飾り付けた、……某、王宮医師に渡すはずのチルフェート菓子。

 本当は彼の双子の姉であるセレスフィーナに預けようと思っていたのだが、残念ながら、断られてしまった。


『申し訳ありません、ユキ姫様。弟は近くの町まで足を延ばしておりまして……。出来れば、あの子が戻って来てからでいいので、ユキ姫様の御手からお願い出来ないでしょうか? その方が、きっと喜ぶと思いますから』


 そう、少しだけ申し訳なさそうに幸希からの頼みを退けた王宮医師の片割れ。

 何故、彼女がそんな風に言ったのか……。幸希にはちゃんとわかっている。


「ところでユキ姫様~」


「は、はいっ?」


「ルイヴェル様にあげる予定のそれ……、どうなさるんですか?」


 一旦、大広場のベンチに腰を下ろした幸希の手元に顔を突っ込んできたリィーナに、うっと引き攣った笑みを浮かべてしまうのは、……彼女の浮かべているニヨニヨな笑顔のせいだ。

 恋愛事に多大な興味を示す王宮メイド。彼女にとって自分以外のそれは、いつだって好奇心を満たす最高のスパイスなのだ。


「セレスフィーナ様に教えて頂いた時刻……、もうそろそろですよねぇ?」


「そ、そう、ですねぇ……。で、でもっ、あの……、うぅ、渡しに行かなきゃ駄目なんでしょうかっ」


「当然です!! 御一人だけスルーなんて、ルイヴェル様が可哀想じゃないですかっ!!」


「で、でも……、あの人、モテるじゃないですか。別に私のチルフェートなんて」


 と、逃げの体(てい)に入ろうとしている幸希の両肩を掴み、リィーナが鬼気迫る本気の目で叫ぶ。


「なぁあああああに仰ってるんですかあああああああああああっ!!」


「ひぃいいいっ!!」


「フェリデロード家の次期当主にして、御自身も優秀な魔術師であられる、あのルイヴェル様にっ!! あのルイヴェル様に!! ユキ姫様は求愛されてらっしゃるんですよぉおおおおおおっ!! その他大勢の女子が用意したチルフェートなんてっ、千個だろうと一万個だろうと、ユキ姫様のそれには敵いません!!」


「あ、あの、あのっ、り、リィーナさんっ!! 声っ、声抑えてください!!」


 ウォルヴァンシア王宮の者達にとってはすでに周知の事実。

 医術と魔術の名門、フェリデロード家の次期当主……、ルイヴェルが幸希に対し抱く、特別な感情。かつては、保護者兼兄のような存在であった王宮医師。

 大人の青年である彼にとって、自分が異性として求められる事になろうとは……。

まさに、幸希にとってあらゆる意味での想定外。この現実は絶対に間違っている!

……と、思いたいほどに困ったもので。

何度眠りに就いても覚めない夢は、すでに日常の中へと溶け込んでしまっているのが残念なところだ。色々と心臓に悪い真似を仕掛けられる事もあるが、最近は何事もなく穏やかなもの。

 だが……、改まって友人用、所謂、義理チョコの類を渡すとなると……。

 どうにも気恥ずかしいというか、気まずいというか……。

 とにかく、自分から大魔王様の根城に突撃をかましていくような真似は、ちょっと……。

 幸希は興奮しているリィーナを宥め、スカートのポケットに入れていた日本産のミニチョコレートの包みを手渡した。


「ルイヴェルさんの気持ちは……、その、有難いなぁ、と、思うんです、けどね……。出来れば、皆さんがいる所でこれを渡したかったんですよ」


「もぐもぐ……。んっ、……それって、下手に二人きりになると、強引に口説かれちゃうかもーっていう心配からですか?」


「ぶっ……!! ち、違いますよっ!! 私はただ、さらっと渡したかっただけでっ」

 

 いや……。本当はそうだ。

 下手に二人きりの場を作ってしまったら、不意打ちで何か仕掛けられるかもしれない。

 幸希がその想いを忘れないように、無視出来ないように、ルイヴェルが何かしてくる、と。

 自意識過剰だとも思うが……、可能性はゼロでもない。

 アレクやカインと違い、不用意に踏み込んではいけない相手。

 幼い頃は無条件に懐いていたが……、今の彼は、幸希にとって一番の危険人物だ。

 隙を見せれば、一瞬で絡め取られてしまう。あの人の想いに、――囚われてしまう。


「いいじゃないですか~。美形男子に迫られるなんて~、女冥利に尽きますよ~! むしろ、あれですっ。萌えっ!! 萌えですよっ、ユキ姫様!!」


「ふぅん、じゃあ……、君も同じ目に遭わせてあげようか?」


「「――っ!!」」


 他人の恋路は蜜の味~!! 

 完全に他人事視点で、むしろ襲われて来い!! と言わんばかりのリィーナと、困惑顔の幸希達を覆いつくした黒い影。

 ほっとした幸希とは反対に、リィーナの方はその姿を目にして、一瞬で青ざめてしまった。

 ダークブラウンの髪と、温和そうな顔立ちの美青年。

 私服姿のその人は、ウォルヴァンシア王宮の二階にある大図書館の司書、アイノスだ。

 誰にでも優しい気質の彼だが、……生憎と、今は直視出来ない気配を放っているご様子。

 他者を圧倒する真っ黒オーラと、リィーナに対して向けられている、ここが重要だが、リィーナに対してのみ、彼は僅かな嗜虐心の熱をその双眸に滲ませていらっしゃる。

 

「い、いやぁぁ……っ!! ち、近付かないで下さい!! 鬼畜魔王司書ぉおおおおっ!!」


「ははっ、何を言ってるのかな? 俺は何もしてないよ? ……まだ、何も行動に移してない」


「ひぃいいいいいいいっ!!」


「……リィーナさん、その反応、確実にドSな方のツボを突いてますよ~……」


 他人の恋路には興味津々だが、それが自分の事になると……、これだ。

 大図書館の司書、アイノスに求愛されている王宮メイド。それが、今のリィーナの立場。

 幸希と同じで、成熟期を迎えている大人の男性から狙われている、少女期の女の子(哀れな子羊)。

 互いに置かれている条件は同じで、……求愛してくる男性のタイプも、似ている。

 同じ苦労を分かち合う仲間。――だがしかし。


「ふふ、リィーナさん。今日はお手伝いありがとうございました。後は、アイノスさんと一緒にごゆっくり」


「ゆ、ユキ姫様っ!? ど、どこに行かれるんですかっ!?」


 アイノスに怯えているリィーナの手をやんわりと外し、木編みの籠を手にベンチから離れた幸希。

 その顔に浮かんでいるのは、先程までリィーナが浮かべていた好奇心に満ちたものと同じ気配で……。

 

「リィーナさん。私、先に戻ってますね。後はアイノスさんと一緒にごゆっくり」


「ぇええええええええええええええ!?」


「ちゃんとアイノスさんと向き合ってあげてくださいね~!! 進展がある事を祈ってま~す!!」


「いやぁああああああっ!! ゆ、ユキ姫様ぁあああああっ!!」


 普段面白がられている仕返し、というわけではないが……。

 これは、アイノスとリィーナの問題だ。

 人の恋路を邪魔する者は何とやら。部外者の自分が口を出す時が来るとすれば、それはアイノスがリィーナの心を無視して、強硬手段にでも出た時だろう。

 今でも十分に迫られているような気もするが、手のひらで転がされて遊ばれているのと、本気で傷つけられるのとでは、意味合いが違ってくる。

 アイノスなら大丈夫だ。幸希がそう信じられるのは、彼が分別を弁えた理性的な大人だからだ。

 

(大丈夫。アレクさんも言っていたもの。アイノスさんは誰かを、大切な人を傷付けるような人じゃない、って……。だから、大丈夫)


 大広場から通りに続く階段の陰から一度だけ二人の様子を窺ってみた幸希は、アイノスの腕に抱き上げられて子猫のように暴れているリィーナの姿を見た。

 真っ赤になって文句をぶつけている彼女と、そんな想い人の反応を余裕綽々に観察しながら笑っているアイノス。……大人と、子供。成熟期の男性と、少女期の、女の子。

 一人の異性として見られる事なんて、考えもしなかった。

 冗談だと誤魔化しても、距離を取って現実から逃げても……、彼の想いが消える事はなくて。

 自分にとって唯一人を選ぶ事が難しい、少女期の立場に縋り、見逃して貰ってばかりの自分達。

 幸希とリィーナは同じ。だが、何となく……、差が生まれているような気がする。

 

(リィーナさんは……、きっと)


 お互いに違いがあるとすれば、リィーナの場合は、アイノス一人に集中出来るという点だろう。

 幸希のように、複数の男性から想いを向けられて混乱するような環境にない。

 その上、彼女にとってアイノスは、完全に赤の他人だ。

 昔からの交流があるわけでもなく、彼女にとってアイノスは保護者という存在でもない。

 普通に、一人の男性として……、向き合っていける対象。


「…………」


 困りながらもアイノスに惹かれ始めているリィーナの変化を感じながら、幸希は大広場を後にした。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「……あ」


 王宮へと戻る帰り道、とある魔術道具店の前。

 幸希は内心で悲鳴をあげながら、それを目撃してしまった。

客が出入りする扉の周辺を取り囲み、まるで肉食獣如き女性陣の団体!!

その手にはそれぞれ豪華なラッピングの施された箱や袋を持っており、意中の男性に渡す為に用意された物だと一目でわかった。主に……、手元の物よりも、彼女達の圧倒的な狩りの気配で。

 

「あぁっ、まだかしらっ……!! ねぇっ、さっき確かにこの店に入ったわよね!?」


「ええっ!! バッチリ見たわ!!」


「絶対もうすぐ出てくるわよぉおっ!!」


 見たところ、……軽く三十人以上はいる。

 魔術道具店の中にいるらしきターゲットを待ち侘び、大盛り上がりの団体。

 だが、誰もがその心中ではこう思っているはずだ。

 ――ターゲットにいち早く想いを届けるのは自分だ!! と。

 水面下での大牽制試合。通りの一角に詰めかけた彼女達の存在に、何の罪もない通りすがりの男性住民達がブルブルと震えて怯えている姿が窺える。

 

「……これじゃ、中にいる人も出て来れないんじゃないかなぁ」


 男性にとってモテる事は一種のステータスかもしれないが、大群の肉食女子達に完全包囲されるというのは……。とんでもないポジティブ猛者でもない限り、辛いところだろう。

 そんな感じで若干引きつつ、幸希が店の中にいる美形モテモテ男子様に同情していると、……一番後ろの方に、気配の違う少女期の女の子が二人いた。

 一人は、長い金髪を纏った大人しそうな顔の、ラッピングされた箱を持った女の子。

 もう一人は、必死に彼女を励ましているショートカットヘアの女の子。

 どちらも着ている服は外出用のドレススタイルで、貴族の令嬢だという事が一目でわかる姿だった。


「怖がってばかりいたら、届くもんも届かないでしょうが!! ほらっ、もっと自信を持って!! 女は度胸よ!!」


「あ、愛嬌、じゃないのかしら……、それ」


「屁理屈言わない!! 大体、もう何年になると思ってんのよ……。アンタがあの方に夢中になってから、もう五年よ? なのに、去年も、その前の年も、全部、全部!! 無駄にしちゃって!!」


「だ、だって……。私なんかに想われたら、あの方が御迷惑かな、って」


「告白してみなきゃわかんないじゃないのよ!! って……、この台詞も何百回目よ、まったく」


 ……どうやら、想い人にチルフェートを渡すか、このまま帰るかで悩んでいるようだ。

 店の中にいる人物なのは間違いないようだが、五年も……。

 彼女の健気な想いに涙を誘われながら、幸希は同時にそれを羨ましい事だと、憧れてしまうと思った。何年経っても、いまだに誰かを想う心を手に入れられない自分。

 家族や友人達を大切に想う感情があっても、一人の男性を特別に想う心は……。

 ウォルヴァンシアの騎士、アレクディースと、イリューヴェル皇国の第三皇子、カイン。

 二人から告白されたあの頃は、何度も何度もオーバーヒート状態を起こして困りものだったが、今では平穏なものだ。無理をして恋をしよう! というプレッシャーがなくなったからかもしれないが、……まぁ、あの二人に関しては平和そのもの、だ。

 ただ……、別の一名の存在が問題なわけで。

 

「や、やっぱり、私帰るっ!!」


「あぁああああっ!! ちょっ、また逃げる気なの!?」


「だってぇええええっ!!」


「逃げ癖つけるなって、いっつも言ってるでしょうが!! どうせなら、当たって砕けても次がある!! くらいの図太さ身に着けなさい!! 図太さ!!」


 頼もしい友人に逃亡を阻まれた令嬢が、愛らしく顔を赤らめながら涙を浮かべる。


(可愛いなぁ……。あんなに素敵な女の子だったら、男の人も告白を喜ぶと思うのだけど)


 たとえ想いが実らなくても、嫌な気はしないはずだ。

 純粋に、一途に……、唯一人の男性を愛し続ける想いの深さ。

 

「私もいつか……、彼女みたいに誰かを」


 ぼんやりとその願いを小さく口にしかけた瞬間、幸希はある男性の顔を思い出してしまった。

 愛している、と、甘く囁きながら追い詰めてくる……、白衣姿の、その人を。

 アレクディースでもなく、カインでもなく、何故あの人なのか……。

 

「気のせい、気のせい……、だから」


 最近、誰の事をよく思い浮かべてしまうのか。そのせいで、どんな風に戸惑ってしまうのか。

 どんなに面倒で、厄介な変化を……、覚え始めているのか。

 本人にだけは絶対に知られたくない。……幸希の秘密。

 だからこそ、今日という特別な日に二人きりという事態を避けたかった。


「きゃああああああああああっ!! ルイヴェル様ぁああああっ!!」


「私の気持ちです!! 受け取ってくださぁあああい!!」


 籠の中に残っている箱を見下ろしていた幸希は、女性陣の歓喜に満ちた悲鳴に意識を引き上げられた。あぁ……、ようやく目当ての男性が出て来たのか。

 丁度良い。誰かさんの事を考えない為にも、注目の的となっている美形男子様の顔でも拝んでいこう。そうすれば、他の女性達と同じように、イケメンアイドルを前にした時のように、何もかも忘れて騒げるかもしれない。……何もかも、心の中から追い払えるかもしれないと、そう信じて。

 だが、現実というものは、常に試練を与えてくるものだ。

 ハーレムと化した一帯の近くに足を向けた幸希は、台風の目よろしく女性陣に愛の贈り物を押し付けられている男性の顔を、しっかりと、バッチリと、否定出来る隙もない程に認識してしまった。


「ルイヴェル様!! ルイヴェル様!!」


「今年こそ、私の想いを受け止めてくださいな!!」


「ちょっとぉおっ!! さっさとどきなさいよ!! 今度は私が渡すんだから!!」


「何よ!! まだ私が話してるでしょうがっ!!」


 大勢の女性達に囲まれ、熱烈な愛を捧げられながらも退屈気味に無表情を保っている男性。

 あぁ、あれは内心でうんざりとしている顔だ。致命的なミスでも犯してしまったかのように、彼は……、ルイヴェル・フェリデロードは、後悔しているのだろう。

 今日がチルフェート・デーだとわかっていれば、暢気に自分の姿を女性陣に晒すはずがない。

 囲まれてしまえば面倒な目に遭うとわかっているのだから。

 だが……、溜息を吐いたルイヴェルは、予想外の行動に出始めた。

 一度店の扉を開けて店主を呼び出し、大きな木編みの籠を持って来させると……。

 穏やかな優しい笑顔を浮かべ、女性陣達からのチルフェートを受け取り始めたのだ。

それも、一人一人と話し、その想いに礼を述べて贈り物を受け取っている。


「う、嘘……っ」


 以前に聞いた時、ルイヴェルはこう言っていた。

 チルフェート・デーの時は、極力王宮で過ごすようにし、たとえ外に出る事があっても、女性陣の目に触れるような下手は打たない、と。

 そう言っていた人が……、何故、自分からチルフェートを受け取る気になったのか。

 相手に拒む意思がないと知った女性陣の喜び様は、さらに跳ね上がって大盛り上がりとなっている。ちらりと見やった視線の先……。あの二人の令嬢達も、瞳を輝かせながら自分の番を待っているようだ。

 そうだった……。あの子もまた、ルイヴェルに恋をしている一人。

 本気で、あの人の事だけを想い、用意されたチルフェート。

 幸希の籠の中に入ってるそれとは、比べるべくもない、貴重なひとつ。

 この調子で進めば、ルイヴェルはあの子のチルフェートも拒む事なく受け取る事だろう。

 その時に告白をされれば、……相手が本気だとわかれば、答えを返す事も、あるかもしれない。

 それで? それで……、ルイヴェルが万が一、彼女の想いを受け入れてしまったら?

 

(別に、関係ない……。何とも思ってない人が、誰と両想いになったって)


 人の想いは、永遠じゃない。誰しもが、流れていく月日の中で様々な想いを抱く。

 一度抱いた想いが消えていく事も、誰かへの想いで塗り潰される事も、この一分先の未来でさえ、どう変わってゆくかは、誰にもわからない。

 深窓の令嬢……、男性なら誰しも彼女の事を好意的に見る事が出来るだろう。

 悪い気はしない。それが、特別な想いを生み出す事も、きっとあるはずだ。

 今見えているこの現実が、数分先の未来で何を描くのか。

 答えを持っていない幸希にとっては、……他人事だ。

 

(だって私は……、あの人の事を、好きじゃないもの)


 自分にとって唯一人だと言えない相手の事に、何かを感じる必要などない。

 たとえこの胸の奥で……、醜く、何かを焼き焦がすような、歓迎できない痛みを感じていたとしても。


「よぉ~し!! あと、十人切った!! ほら、頑張って!! マリー!!」


「え、えぇ……。も、もう、逃げちゃ駄目、よね。すぅー、はぁ、すぅー、はぁ。わ、私、頑張るわ!!」


 マリーと呼ばれたのは、あの大人しそうな令嬢だ。

 順調に数を捌いているルイヴェルの許まで、……あと、数人。

 何故だろう……。ついさっきまで、本命にチルフェートを渡し、告白を胸に秘めていた彼女の事を、……羨ましい、応援したいと、そう、思っていたはずなのに。

 彼女の健気な姿に、うっとりと熱を抱いているその瞳に……、嫌なざわめきが広がっていく。

 一瞬考えてしまったのは、マリーという令嬢にとって悲しみに満ちた未来のビジョン。

 ルイヴェルが彼女を選ばなければいいのに、いや、誰の事も、選ばないで……、そう、願ってしまった自分にショックを受けながら、幸希は激しく自分自身を責めた。

 誰かの不幸を願うなんて、その想いが破れてしまえばいいなんて……!!

 違う、違う、……違う、違うっ。何か危うい感情が自分の中で急速に形を成していく気がした幸希は、自分の籠を落としてしまう。

 ひとつだけ残った、……あの人のチルフェート。

 嬉しそうな女性達のお喋りの声を遠くに聴いているような心地になりながら、幸希はそれを拾い上げる。


「違う……、もの。私は……、ルイヴェルさんの事、なんて」


 自分の中でひとつひとつ並べていったのは、彼が自分にとってどんな存在か、だ。

 幼い頃の自分が懐いていた、お兄さんのような人。

 今も、自分の事を見守ってくれる、意地悪だけど、信頼の出来る……、保護者のような、人。

 歳も離れていて、地球の常識で考えれば、異性とも思えない相手。

 大人と子供。ただの、からかいの対象、手のかかる王兄姫、それが自分。

 そうやって、ずっと、ずっと、言い聞かせてきた理性的な声が、役目を終えたかのように消えていく気がする。


(待って、……待って!!)


 自分を安心させてくれる、『言い訳』。

 それを手にしていれば、何も怖い事はないと……、望まない道に迷い込む事はないと、そう、思っていたのに。


「――ユキ」


「――っ」


 気付けば、幸希は地面に座り込み、胸を押さえて苦しんでいた。

 不安感と焦燥に駆られている幸希を現実に抱き上げたのは、優しい音でこの名を呼んだ……、あの人の声音。今、絶対に会いたくない存在が、目の前に、いる。

 俯いている幸希の目に、白衣と共に膝を着くその足元が見えた。

 ふんわりとした流れを宿す蒼髪に、そっと触れてくる大きな手の感触。


「……大丈夫か?」


「んっ……。な、何でも、ありません、から」


 彼の声に答えを返した際、気付いた事実。

 何故か……、自分の声が高く、聞こえた気がする。

 それも、まるで子供のような頼りなさと、甘ったるい発音だった。

 そういえば……、今見えている胸元の手も、何だか小さくなっているような……。

 ――まさか。幸希がその答えに気付いた直後、その身体は宙へと舞った。


「きゃっ!」


「帰るぞ」


 両脇の隙間に差し入れられている両手の感触。

 すぐ真下に見えるのは、……眼鏡越しに真剣な表情で幸希を見つめる、ルイヴェルの深緑。

 幼い時は、その瞳に自分が映る事を心から喜んでいたように思う。

 長い時を経て再会してからは、この人に見られる事が何だか落ち着かなくて、意地悪をされる度に玩具扱いをされているようで、何度も困惑させられ続けてきた。

 互いに過ごした日々の記憶を取り戻してからも、いつだって二人の間にあったのは、兄と妹のような、家族の温かさを感じられるものばかりで……。

 心地良い、在るべき形を保った関係性。――それを壊したのは。


「る、ルイヴェルさんっ、お、下ろしてください……っ」


「大人しくしていろ」


 女性陣から渡されたチルフェートどっさりの籠はどこに行ってしまったのか。

 ルイヴェルは身軽な状態で幼子の姿となっている幸希を胸に抱き、王宮への道を歩き出してしまう。当然、まだ自分の順番が終わっていない娘達にとっては一大事だ。

 血相を変えてルイヴェルの前に立ちはだかり、チルフェートを差し出してくる。

 

「好きです!! どうか、私の気持ちを受け取ってください!!」


「特定のお相手はいらっしゃらないとお聞きしました!! なら、是非私を恋人に!!」


「私っ、ルイヴェル様のお好きな魔術に、とても興味があるんです!! よろしければ、二人きりで知的探求心を満たす為に、手取り足取り!!」


「断る」


 先程までの対応の良さは一体どこへ!? 

 突然のバッサリ感に氷塊と化した幸希と女性陣。盛り上がっていた賑わいが、一気に静まる。

 不味い。繊細である意味図太い乙女の皆さんの顔が、踏み潰されたかのように、……ぐっしゃりと歪んでいく。

 ふぉ、フォローしなければ!! 事態が悪い方に転がり落ちた事を悟った幸希は、身動ぎをしながらルイヴェルに叫ぶ。


「謝ってください!!」


「謝る必要があるか?」


「最初に紳士対応しといて、何言ってるんですか!!」


 容赦なく手のひらを反すなら、店から出て来た時点で今の対応をしておけば良かったのだ。

 気まぐれを起こした挙句の果てにこんな仕打ちをするなんて……、この鬼畜大魔王め!!

 恋する乙女達がこの日の為に作ったチルフェート菓子。

 好きな人に伝えたいと願う、心に秘めた想いの丈。

 同じ女性の幸希には、わかる。その為に、彼女達が途方もない勇気と恐怖を抱いている事も。


「気まぐれで人を振り回さないでください……っ」


 自分で始めた事は、きちんと終わらせるべきだ。

 子供の姿になってしまったせいなのか、幸希は可愛らしいぷにぷにのほっぺをむぅっと膨らませ、ルイヴェルを睨む。幼い頃に、そうやって兄のような王宮医師に文句を言っていた時と、同じ風に。


「……はぁ、わかった」


 振り回しているのはどっちだ? そう言いたげに僅かな威圧感を向けられた幸希だったが、ルイヴェルは仕方なしとばかりに溜息を漏らし、集まっている女性陣に小さく頭を下げた。


「すまなかった。気遣い、感謝する。礼は一ヶ月後のイリュフィア・デーに贈る手はずを整えておこう」


「「「「「あ、ありがとうございますぅううううううっ!!!!!!」」」」」


 イリュフィア・デーは、ホワイトデーと同じ意味合いの日だ。

 まぁ……、ルイヴェルが自分で選ぶ、もしくは作るといった手間を掛ける気は全くしないが。

 とりあえず、態度を穏やかなものに変えてくれた事と、素直に謝ってくれた事には、ほっとした。

 残っていた女性陣も泣きそうだった表情が笑顔に変わって、とても嬉しそうだ。

 幸希を片腕に抱え直し、再び籠を手にしたルイヴェル。

 彼にチルフェートを渡し始めた女性陣が、それぞれ幸希の頭を撫でて、「ありがとうね、お嬢ちゃん」とお礼を言っては、幸せそうにその場を去って行く。


(皆……、ルイヴェルさんの事、好きなんだ……)


 自分の取った行動に納得はしているものの、……恋を謳っているかのような彼女達の姿と、チルフェートを受け取りながら紳士的な対応に戻ったルイヴェルを見ているのは、……やっぱり、胸の奥がもやもやして、落ち着かない。

 それに、あのマリーという令嬢も、そろそろ……。

 幸希が不安げに周囲を見まわしてみると、――不思議な事に、彼女と連れの女性の姿は消えていた。


(告白……、やめたの、かな)


 五年もの間、ルイヴェルに片想いをしていた少女。

 友人の励ましを受けて、ようやく大事な一歩を踏み出せそうだったのに……。


「――ユキ、全員分終わったぞ。これで満足か?」


「…………」


「ユキ」


 彼女が、自分とルイヴェルの前に現れなくて良かった……。

 そう、思ってしまうこの心は……、醜くて、とても、……汚い。

 あの一途な表情を見ていたら、ルイヴェルを何よりも大切に、熱く想う気持ちを目の当たりにしていたら……、自分なんか絶対に敵わない、と、そう思えて……。

 何年か前にも同じような感覚を覚えた事がある。

 けれど、あの時の感情は、少し不機嫌になって寂しさを覚えるようなものだった。

 大切な友達を取られてしまったような、まだ、弱い感覚の。

 でも、今は……、比べものにならないくらいに、淀みのある醜い色が、心の中で渦を巻いているかのようだ。


「……無視か。酷い仕打ちをするお姫様だな? ユキ」


「……ぇ?」


 自分自身に失望しそうな、嫌な感覚に苛まれていると、ぷにっぷにのほっぺに何か柔らかいものが押し当てられた。……今のは、何?

 恐る恐る横を向いてみると、自分の顔のすぐ近くに、不機嫌な深緑がじっとこちらを見ていた。

 頬に感じている名残。首を傾げた幸希の頬に、ルイヴェルがもう一度その唇を軽く押し付けてくる。


「んっ……。な、何、やってるんですか?」


「俺を無視出来ないように、努力をしているつもりだが?」


「……む、無視なんてしてませんよ。考え事をしていただけです。あと、頬にキスをするのは、セクハラです」


「お前が幼かった頃は、会う度にしてやった事だろう?」


「もう、子供じゃありませんから……っ!」


「なら、どうしてお前は子供の姿をしているんだろうな?」


 大漁状態の籠を持ちながら魔術道具店の扉へと足を向けるルイヴェル。

 贈られたチルフェートの入った籠は二つ、三つでは済まず……。

 彼はそれらを転移の陣へと放り込み、最後に自分と幸希を連れて帰路に着いたのだった……。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「――ユキ、茶が入ったぞ」


「…………」


「お前の好きなプリンも」


「いりません」


「……不満があるなら、口にしろ。時を無駄に消費するだけだぞ」


 いまだ子供の姿のまま。

 幸希はルイヴェルに連れて来られた彼の部屋で、ぽつんと、寝台の端に座っていた。

 本当は、自分の部屋に帰りたくて仕方がないのに……。

 ルイヴェルはこの室内に強力な結界を築き上げ、幸希が外に出られないように閉じ込めているのだ。

 ウォルヴァンシア王宮の料理長お手製の、美味しそうなガトーショコラ。

 それが載った皿を手に自分の前へと膝を着いた王宮医師に、幸希はそっぽを向く。

 

「誰に対しても、礼儀を守るお前らしくないな? 原因は何だ?」


「結界を、解いてください……」


「お前が正直に答えたら考えよう」


「……嫌です」


 絶対に言わない。この胸の奥で渦巻いている嫌な感情を知られてしまったら、きっと不味い事が起こる。絶対的なこの予感は、きっと外れる事がない。

 真剣にこちらの感情を読み取ろうと探りを入れてくるルイヴェルから顔を背けたまま、幸希は何とかこの場を脱する為の方法を考え続ける。

 適当な理由を口にしても、確実に見抜かれてしまうだろう。

 幸希は顔を前に戻し、捨て身の勇気でニッコリと満面のエンジェル・スマイルを放った。


「ユキ、わかんなっ、――痛ぁああっ!」


 ぐぐ……っ。子供の姿を利用して、幼い頃に使っていた、奥義! 笑顔で誤魔化し術!! が見事に玉砕してしまった!! 幸希の頭には静かに苛立っている王宮医師の手刀がお見舞いされている。あぁ、でっかいタンコブがぷくりと。


「る、ルイおにいちゃんっ、暴力は駄目なんだよっ!! ユキ、前にも言ったよねっ?」


「ほぉ、その馬鹿げた茶番で、――俺を誤魔化し、逃げる算段か?」


「ち、違うよ~!! る、ルイおにいちゃんが喜ぶかな~と思って、昔のユキに戻ってみたんだよ!! ほらっ、懐かしいでしょ~?」


「…………」


 最早、ルイヴェルだけでなく、自分の感情にも追い詰められて逃げ場のない幸希。

 幼い頃を思い出して演ってみた子供のふりはルイヴェルの機嫌を上向かせる事なく、彼女をさらに追い詰めて潰しにかかってくる。

 あぁ……、やっぱり、駄目なのだろうか。

 昔の事をネタにこちらのペースに引き込んで、大事な部分を誤魔化すという逃げの道は。


「なら、話を変えてやる。――その姿の意味を答えろ。お前の意思でない事はわかるが、そうなった原因に、心当たりはないのか?」


「…………」


 体内の魔力バランスを調整する事により、外見年齢を操作する方法。

 当然の事ながら、幸希はそれを知っていたし、たまに使う事もある。

 だが、ルイヴェルの言う通り……、今回は、彼女の意思でなく、別の要素が原因となって幼児化を引き起こした。

 ……気付いてはいけない、認めてはならない。

 この危うい感情の正体こそが、幸希の姿を子供へと変えた……、彼女自身、目覚めないでほしいと願っている、――元凶(気持ち)。


「ユキ」


「……わかりません」

 

「俺と話したくない、俺の顔を見たくない……。突然変えたその態度を、全て『わかりません』でやり過ごせると思うのか?」


「……じゃあ、見逃してください」


「無理だ」


 年下への情けというものはないのか……。

 何も言葉に出来ない幸希が懇願の気配を滲ませて頼んでいるというのに、ルイヴェルは隙なく退路を塞いでいってしまう。

 ルイヴェルはガトーショコラの載った皿を幸希の横に置き、自分は反対側の場所に腰を下ろしてくる。近すぎる距離感。触れてくる温もりへの……、落ち着かない心地。

 胸の奥でゆらゆらと揺蕩っている感情にまで彼の存在が触れてくるようで、……何だか、泣きたくなってしまう。

 幸希の身体を自分の膝の上に乗せ、ルイヴェルはそっと包み込んでくる。


「俺の予想が当たっているかどうか……、知りたいからな」


「違います、から……」


「何故違うと言える?」


「……絶対、違い、ますからっ」


 詳しい事を言われなくても、何となくわかってしまうのだ。

 ルイヴェルに想いを寄せる存在に対して、……自分が抱いた感情の名前。

 それを、彼は知っている。幸希の中で起きている変化に、気付いている。

 

「口にしてみればいいだろう? 俺とお前の、答え合わせだ」


「い、嫌ですっ」


 顔を見れば、一瞬で心を囚われてしまう。答えを自覚させられてしまう。

 ぐっと力を入れて俯く幸希だったが、両頬に触れた男性らしい大きな手が、少し強引に彼女の顔を上げさせた。


「ぅうっ、……は、離してくださいっ」


「ユキ……。元の姿に戻すぞ」


「ぇっ」


 ルイヴェルの深緑が妖しく揺らめいたと感じ取った瞬間、幸希の全身が光に包まれた。

 急速に伸びていく手足の感触。元の姿を取り戻した幸希は、近くなり過ぎたルイヴェルとの距離に身を引こうとする。――勿論、無理な話だが。

 頬をひんやりとした手のひらに包み込まれたまま、熱心に観察される幸希の顔。

 ルイヴェルは彼女の唇を親指の先でなぞり、不機嫌だった表情に喜びの気配を浮かべていく。


「堪らないものだな」


「……な、何を」


「この姿の方が、よくわかるという話だ。嫉妬という感情を覚え始めた、女の顔をな?」


「――い、いやっ!! 離してっ!!」


 絶対に、頭の中でも形にしなかったそれを口にされて、幸希は半狂乱に陥った。

 本気で抵抗し暴れた際に、ルイヴェルの顔へと振り上げた右手が起こした予想外の事態。

 少し長くなっていた幸希の爪先が彼の頬の表面をしっかりと抉り付け、鮮やかな血の筋が生まれてゆく。

「あっ……。ご、ごめんなさいっ」


「気にするな。……だが、やはり図星だったようだな? 本気で反応を示した以上、もう否定は意味を成さないぞ?」


「……っ」


 頬の傷を拭う事もせず、ルイヴェルは震えている幸希の身体を抱き締める。

 まるで、決して壊れる事のない檻を作り上げるかのように……。

 あぁ、どうすればいいのだろうか……。ルイヴェルの指摘した言葉は、その音は、そのまま幸希の心に変化をもたらしてしまう。朧気のままでいてほしいという感情に輪郭を持たせ、確かな形へと、昇華してゆく。


「店の外に出た際……、俺は確かに感じ取った。近くにいたお前の魔力が」


「い、いやぁっ」


「いや、お前の心が……、醜く揺らぐ、その瞬間を」


「やめてください!! やめてっ、やめ、て……っ」


「嫉妬の種類は様々だが、あの場で考えられる原因があるとすれば……、ひとつだけだ」


 羞恥と悔しさの涙を零しながら、「いや、いやっ」と繰り返す幸希の顔にキスを落とし、ルイヴェルは続ける。しっかりと、幸希の心に刻み付けてくるかのように……。


「あの娘達に、俺を取られたくないと……、そう思ったんじゃないか? だからこそ、お前はその感情を認められず、現実逃避に走ったというわけだ」


「そんな、事……っ」


 言葉では違うと抗えても、心には否定の声が浮かんで来ない。

 ルイヴェルの指摘は正しい、当たっている……、と、本当は、知っている。

 けれど、それを認めてしまったら……、幸希の中で、もうひとつの『答え』が生まれてしまう。

 その事がどうしようもなく怖くて、見て見ぬふりをしたくて……。

 

「ユキ……」


 とても、優しい、……優しすぎて、何もかも、蕩かされてしまいそうなルイヴェルの声音。

 あれから、彼に想いを告げられてから……、地球の感覚で言えば、丸、二年近く。

 長かったのか、短かったのか……。こんな風になってしまった自分を信じられないと思いながら、幸希は口を開く。

 

「……嫌だと、思いました」


「…………」


「ルイヴェルさんに、……誰かの本命チルフェートが届く事を、嫌だって、そう、思いました」


「ユキ……」


 幸希が観念して素直に告げると、ルイヴェルの声音に嬉しそうな気配が宿った。

 感極まっているかのようなその表情を見つめながら……、次に幸希が告げたのは。


「でも、好きかどうかは別だと思うんです」


「……は?」


 真顔で言った幸希に、ルイヴェルの表情がイラッと歪んだ。


「別なんです。別。好きかどうかは、まだ、まだまだまだまだ、不確定なんですっ」


「強調するな……っ。往生際が悪すぎるぞ」


 さしずめ、御褒美を貰い損ねたわんこの心境だろう。哀れ、ルイヴェル……!

 だが、一方で幸希は王宮医師様の怒りを感じながらも、絶対に口にしてなるものかと決意している。ルイヴェルに対する想いを自覚させられはしたが、それを告げて喜ばせる気にはならない。

 この王宮医師様の事だ。「ふっ、ようやく俺に堕ちたか」的な悪役さながらの、あの笑みで悦に入るに違いない。いや、絶対にそうだ!!

 だから、今日は言わない。普段意地悪ばかりされている礼に、もう少し焦らす。

 いやいや、どうせなら、焦らして、焦らして、余裕たっぷりの彼を翻弄してやりたい。

 そんな小悪魔的な考えが、幸希の中に芽生えていた。

 

「俺を焦らしたいわけか?」


「さぁ? とりあえず、質問には答えましたから、もういいですよね? 部屋に帰ります」


「無理だな。可愛げのないお前とじっくり腹を割って話し合う為に……、今、室内に張ってある結界の仕組みを変更した」


「え?」


「俺にも、簡単には解けない仕様となるよう、滅茶苦茶な高難易度の理論パターンを仕込んだと言っている。さぁ……、明日の朝まで、ゆっくりしていくといい」


「ひ、ひぃいいっ!! な、何て事するんですかぁあああっ!! うわっ、ほ、本当に全然理解出来ない構成になってる!! る、ルイヴェルさんっ、こ、これっ、下手したら、何日もこのままですよぉおおおっ!?!?」


 これは酷い!! 幸希は室内に張られている結界に意識を巡らせると、王宮医師の大魔王どころの騒ぎではない鬼畜対応に大絶叫を飛ばした。

 自分にも簡単には解けない、そうルイヴェルが言った通り……、結界の中に大量の難問が隙間なくビッシリと術式に組み込まれてしまっている!! 

 通常の理論で構築されたものではなく、それを無理矢理に捻じ曲げて、その問題を解いた結果出てくる解除用パスワードを術式にぶつけなくては効力を失わないタイプのものだ。

 流石……、性格が捻くれ過ぎている王宮医師様らしい所業だ。

 

「つい先日、エリュセード魔術師連盟から、面白い問題集が届いてな。その問題を組み込んでみた」


「それ、絶対問題だけ見て、まだチャレンジしてないとか言う気ですよねっ!?」


「俺のような青二才では、相当の時間がかかるだろうな……。まぁ、別に構わないだろう? 邪魔者も簡単には入って来れないからな」


「うぅぅううう……っ!! ルイヴェルさんの馬鹿ぁああああああああああああああっ!!」


 リィーナを見捨てて逃げてしまった報いなのかもしれない。

 今度は自分が腹黒大魔王様の檻に囚われ、長い長い拷問の時間を過ごす事になってしまった!!

 

(リィーナさんっ、リィーナさんっ、もう絶対に、絶対に見捨てたりなんかしませんからっ!!)


 だから、だからっ、今すぐに救助の手を連れて来てぇえええええええええええ!!

 と、心の中で叫んだ幸希の願いは誰にも届かず、彼女は大魔王様の意地悪で強引な尋問によって……、本当に、三日間ほど、この部屋から出る事が出来なかった。

 泣いて謝った彼女が本音を引き摺りだされても、異変に気付き救助に駆け付けた王宮の面々が努力しても……、結界の解除パスワードは中々揃わず。

 ルイヴェルの父親であるフェリデロード家当主、レゼノスが扉の外で息子をブツブツと罵倒しながら奮闘してくれたお陰で、三日後の深夜……、幸希は無事に解放されたのだった。

 疲れ切った彼女の隣には、大勢の人々に大迷惑をかけまくった事など微塵も気にしていない、有頂天度レベルMAXのオーラを発しているルイヴェルの姿があったのだが……。

 その爽やかに眩しい笑顔を前にして、彼の父親と双子の姉が本気で殺意を覚えたのは当たり前の結果だったのだろう。――第二の大迷惑な夜が幕を開けたのは、その直後の事。

 手段を選ばない大魔王様と愛の絆を結んだお姫様は、新たな苦労の始まりから目を逸らしたい気持ちでいっぱいだったが、……それでも、心の中はすっきりとした温かさに包まれていた。

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