q.a.z
@scar_led_tout
第1話 ゴーホーム
道を歩いていたら、不思議な女の子に出会った。
制服を着ているから多分...女子高生だろう。
なんとなく地味目な恰好をしているから、たぶん真面目な女子高生なんだと思う。
思うというのはそう見えただけで、実際そうなのかは知らないからだけど、まあとにかくそんなような女の子だったんだけど、なんというか、何か不思議に引き寄せられるような、下世話な言い方で言うと”そそられる”魅力があった。
その女の子と目が合ったときに、女の子は軽く会釈をして、こっちに近づいてきた。
多分目が合ったからなんだろうな。
あと僕がジロジロ見過ぎたからかもしれない。
なにせ目が合ったことにびっくりしたものだから。
彼女が近づいてきたというのももしかしたら僕の思い込みかもしれないんだけど、とにかくそう思った僕はちょっと怖くなって、家路とは全然違う方向に走って逃げた。
それが全ての間違いだったと思う。
たった1時間前にそのたぶん普通の女子高生から逃げたばっかりに、完全に道に迷ってしまった。
そんなに遠くに来たつもりは無かったのだけど、どの道をどう通っても見知らぬ光景が続いている。
住宅街を抜けても商店街を抜けてもオフィス街を抜けても、僕の知らない道に出る。
ここは一体どこなんだ?と他人に聞こうにも人も見つけられない。
いやまあ、それは絶対におかしいんだけど。その絶対におかしいことがたった今目の前で起こっているので、少なくとも僕にとっての現実としてありのままの光景を受け入れるしかない。
なかなかに絶望的だけど。
――かれこれ2時間くらいは経ったような気がする。今時計を付けていないから、正確な時間はわからないけど。多分それくらいは経ったと思う。これはアレだろうか。その、非常に信じがたいことなのだけど、怪異という奴だろうか。現代科学では説明のつけられない、超常現象とかそういう。テレビの中の話かと思っていたけど。
時計をつけていないから全くわからないんだけど、時間が経っているはずなのに日が落ちていない。多分僕は夕暮れの町を歩いていたと思うんだけど、いつまで経っても、いや、時計がないから本当に時間が経ったのかは定かではないんだけど、たぶんいつまで経っても日が沈んでいない。時計がないから、時間が経ったのかはわからないんだけど。この異様な町?には時計がないし、僕は腕時計をしていなかったし、いま携帯電話も持ち歩いていないから、要は時間を把握する手段がないのだ。だからどれくらい時間が経ったかなんて全くわからないし、人間には体内時計があるっていうけど、経ったような気がしてるだけで、時計がないから本当にそうなのかは確かめようがない。秒針が確かに今右に1目盛ズレたかどうかを知るためには時計がないといけないのに、時計がないからそれができないし、できないから連続した時間が今右に動いたのか、左に動いたかを知る手段が無い。知る手段が無い上にこのまちはずっと夕暮れのままだから、
これはもう、時間が進んでいないんじゃないかと疑わざるを得ないのだ。
ああ、いや、もう。時計があるかどうかはたぶんどうでもいいことだった。
そもそもどこまでまっすぐに進んでも人影もない街なんて、僕の常識の範疇にはないよ。僕はさっきまでぱっと見て数百人はいるだろうなという雑踏の中にいたんだし、
そこで不思議な女子高生に出会って逃げたけど、ここにたどり着くまでに山一つ越えたりはしなかったし、とにかく急にこんなに人がいなくなるなんておかしいんだ。
だってついさっきまでは数百人の雑踏の中にいて、急に1人もいなくなるなんてこと極めて考えづらいだろう?元来た道をずっと戻っていったりもしたけど、まっすぐ走ってきたはずなのに、180度反転してもこの誰もいない夕暮れの、見知らぬ街が、ずーーーーっと続いているんだから、
そう。時計の話と同じなんだ。
僕は今この街のことを全く知らないから、この町がどこにあるかなんてわからないし、そもそも僕がまっすぐ走ってきたのかももう確かめようがない。180度反転してたのかもわからない。そう思い込んでるだけかもしれない。人がいないっていうのも僕の思い込みかもしれない。時計だって本当はつけているかもしれないよ。右の手首に。いつもつけているように。今見たら秒針が左に1目盛ほど動いているのが確かめられるかもしれない。
その勇気は僕にはないけど。
とにかくそうだ。今後の方針を定めよう。何がなんでもこうしようという信念が必要だ。
そう。今僕は何も情報を持ちえない、武器がない。僕の常識はこの町には通用しないから、僕は今なにも正しさを判断できない。自分がおかしいのかもわからない。
本当は僕がおかしくて、この街は元居た街で、女子高生ははじめからいなくて、今もまだ僕は雑踏の中で口を半開きにして体育すわりをしているだけかもしれないし、いま僕のこの右手首にはやっぱり時計をしてて、秒針は左に1目盛ほど動いているかもしれないんだ。
歩き続けた足の悲鳴が、それは否定しようとしてくれているんだけど。
そう。だから、今の僕には規範が必要だ。すべての論理は絶対的な規範によってしかその正しさを導けない。これだけは絶対に揺らいではならないという規範が、論理による正しさを決める。だから僕には指針が必要だ。もしかしたら僕の右手首についているかもしれない腕時計のように、秒針という、絶対的な基準が必要だ。
それはもう直感で決めるしかない。そんな曖昧なものに縋るしかないんだ。
フィーリングで決めるっていうのはとても怖いことだ。限界がある。規範を超えた正しさは導きようが無いからだ。自分の足を持ち上げて空中に浮遊することはできないように。
...御託を並べている場合じゃない。勇気が無いのは元からだけど。
状況は逼迫しているわけだから...そう。決めないと。
そういうわけで、体感ではすでに5時間くらい経っている夕暮れの街で、僕は「人に出会うまでとにかくまっすぐ進む」という一つの信念を持つことにした。
今からまっすぐ進むことが正しいことだ。秒針が左に1目盛ほど進むのと同じように。この町ではそれが正しい。それ以外は間違いだ。だから僕は間違っていない。今僕は僕の家に帰るために最善を尽くしている。
右手に腕時計があればきっともっとよかっただろうけど。
――かれこれ半日くらい(たぶん)は”まっすぐ進んで”いると思う。
相変わらず街は夕暮れだし知らない景色が続いているし、時計が無いから時間がわからないけど、僕はまっすぐ進むという信念に従っているから、とりあえず間違ってはいないらしい。相変わらず人には出会わないし、時計も無いから時間もわからないんだけど、僕の両足がたぶん半日くらい”まっすぐ進んで”きたおかげで限界を訴えている。
足が棒のようだし、足首も膝も痛いし、太腿も脹脛も痙攣しているみたいだ。と、思ったとき、突然視界一杯にレンガで舗装された道路が迫ってきた。
...全く想定外のことだったのだが、僕は足が縺れて転んでしまったようだ。
この想定外の事態は僕に新しい3つの情報をもたらした。
まず第一に、僕は相当な時間をかけて相当な距離を”まっすぐに”歩き続けているということ。
第二に、転んだ拍子に右手首に腕時計がついていたのが視界に入ったのだが、地面にぶつけたせいで壊れてしまって、今や秒針が右に動いたのか、左に動いたのかは二度と確かめようがなくなってしまったということ。
そして第三に、地面に頭をぶつけた僕は、たぶんもうすぐ脳震盪か何かで意識を失うだろうということ――
――気が付くと僕は雑踏の中で立ち尽くしていた。
不思議な女子高生はもういなくなっていたし、周囲の人々は僕と同じように、
自分の家に帰ろうとしている。
僕の右手首にはいつものように腕時計がついていて、秒針は左に1目盛ほど動いている。歩いている人たちにはいつものように顔がないけれど、景色はいつもの見慣れた夕暮れの街並みだし、僕はいつものように”まっすぐに”歩き続けている。
全ての間違いだった不思議な女子高生はいなくなったわけだから、今のこの光景、街並み、腕時計、それと僕は、すべて元通りになった。たぶんね。
だからやっぱり逃げて正解だったと思う。たぶん。”まっすぐに”は進んでいたのだし。腕時計も元通りだから。時間ももうわかる。これは絶対の基準だから。
自分の名前も、自宅までの帰り道もたった今話しかけられた人の顔も覚えられないし、
思い出せないし、そもそも他人の顔を認識できないし、そもそもここがどこなのかも実際わからないし、
今僕はどこに帰ろうとしてるんだっけ?
僕はなんでここにいるんだっけ?
どうやってここまで来たんだっけ?
僕はどこで生まれたんだっけ?
僕は何歳で男なのか女なのか友達は誰で彼女はいたのかいなかったのか結婚はしてたのかしてなかったのか子供はいるのかいないのか親は生きているのかいないのか仕事はなにをしてて貯金はいくらあって今現金はいくらもっていて財布はどこにしまっていて鞄は肩にかけているのか髪は長いのか短いのか趣味はスポーツなのかゲームなのか好きな食べ物と嫌いな食べ物と腕時計は左手首につけているのか右手首につけているのか秒針は右に動いているのか左にうごいているのかいないのか時間は進んでいるのか止まっているのか
ああ、よかった。そう。僕は右手首に腕時計をつけていたんだった。
秒針はちゃんと、そう。左に1目盛ほど動いている。
僕には今この右手首の腕時計と自分の信念しか頼るものがない。
ああ、そうだ。家に帰らないと。まっすぐに。
早く帰らないと。
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