いつか想いをつなげたい
橘 希珂
清か想いを紡ぐ
裸の電球が恥じらいも無く参道の人々を照らしている。
罅割れたお囃子をラジカセが叫んでいる。
浮かれた人々を落ち着かせる様に夜風が参道を横切る。
「焼きそばもいいよな。何か食べたいものあるか?」
煙になったソースが月明かりを遮る様に漂う…。
「シュンちゃんのせいでロマンティックが台無し!」
「花より団子で悪いね。」
抗議の意味なんて伝わるはずがないとは思いつつ繋いだ右手を強く握りしめた。
「本殿の前に社務所行くか?」
「ううん。お参りしよ。」
石畳の左端を歩いて本殿に向かう。
時折屋台の後ろを巫女さんが歩いて行くのが見える。
更にその向こう側は鬱蒼とした木々が何もかもを吸い込むような黒い影を落としている。
「気になるのはわかるけど、前向いて歩けよ。危ないぞ。」
少しだけ手を引っ張るようにしてシュンちゃんは歩みを進める。
心配しなくてもいいのに。
もう森の中へ行く事は無いのだから。
手を離してから二つ目の鳥居をくぐった。
本殿は提灯で照らされ柔らかく佇んでいる。
私達の前を歩いていた小さな男の子はついさっきまでポテトフライが食べたいと駄々をこねていたのに、今は静かに本殿のずっと奥を見つめている。
男の子が見つめる先には神代である鏡が祀られている。
神代の意味はわからなくても、子どもだからこそ感じ取るものがあるのかもしれない。
人混みを避ける為にそのまま参道の端を歩いて本殿前の階段を上り、遠くから五円玉を賽銭箱に投げ入れた。
シュンちゃんも私の隣から投げればいいのに、わざわざ賽銭箱の真ん前で力強く麻縄を振った。
重々しい鈴の音が響く。
周りの目は気にしない。
お祭りで人が多いのだからこれくらい振らないと気がついてくれないとでも言いたげに。
いらない気遣いに内心笑いつつ二礼二拍手一礼を行った。
ゆっくりと深く礼をした後、頭を上げて祀られている鏡を見る。
瞬きもせず見つめたら向こうが音を上げてひょっこり出てきてくれないかな。なんて考えてしまう。
最後に会釈程度に頭を下げて、横を向くとシュンちゃんはいなかった。
驚いて辺りを見渡すと階段下でシュンちゃんが笑っていた。
「足元気をつけろよ。」
「今日そればっか。」
「お前の事見てたら誰でもそう思うさ。林檎飴買って帰ろうぜ。」
鳥居をくぐって礼をしてする。シュンちゃんの右手を握り、参道を歩く。
「焼きそばはいらないの?」
「林檎飴だけでいいや。今年も入り口近くにあったよな?」
「あったよ。同じ所にお店出してた。」
左手に自然と力がこもる。
「気を使わせてごめん。浴衣見てくれたはずだよ。今年はちゃんとした帯だって言ったよ。だから大丈夫。」
「そうか。なら大丈夫だな。」
シュンちゃんの優しい声色と温かな手の平が去年の自分と重なっていく。
喧騒で揺れるぶら下がった裸電球の輪郭がぼやける。
「気にするな。いとこなんだから。」
「ありがとう。でも煙が目に染みただけだから大丈夫。」
屋台の先には弾け終わった線香花火の火種がいくつもぶら下がっているように見える。
奥歯を噛みしめて来た時よりもゆっくりと歩く。
一度思い出したら止まらない。
零してしまわない様に、月を見上げる。
私はあの日と同じ清かな月明かりに記憶を透かした。
◆
天の川が見えないくらい眩しい月夜に感謝した。
足元がはっきり見えるので下駄でも焦らずに少し早く歩ける。
新月だったら小石を蹴り飛ばしていたに違いない。
お母さんに借りた腕時計で時間を確認する。
予定時刻よりも二十分過ぎている。
神社に着く頃には三十分を過ぎてしまう。
二度お詫びの連絡はしたけれど大失敗だ。
泣きたくなる気持ちと速る足を押さえつける。
浴衣が着崩れてしまうのは遅れるよりも避けなくちゃいけない。
神社で直すのは難しい。
着付けの場所を借りたらシュンちゃんにも神社にも迷惑をかけることになる。
もっと着付けの練習をすれば良かったと後悔した。
人混みを歩いて着崩れてしまっても一人で直せるように自分でやるとお母さんに宣言しなければ良かった。
一回試しただけで満足しなかったら…。
始めてだから手伝ってと言えたなら…。
意地なんてはる必要どこにも無かったのに……。
悔やんだってしょうがない。
頭を振ってちゃんとした帯じゃなくて、結び目を付けるだけで済む簡単帯を選んだ事を褒めて、現地集合にした事を絶賛した。
シュンちゃんは今頃林檎飴を食べているに違いない。
鈍臭い私を笑ってくれるに違いない。
だから大丈夫。
大丈夫なんだ。
不意に街灯が滲んでしまったので足を止めた。
バッグからハンカチを取り出して目頭に押し当て余計な水分を抜く。
息が上がって首筋に汗が流れるのを感じる。
重たいコンコルドを投げ捨てたい衝動に駆られたが、溜息と一緒に吐き出した。
もうダメだ。
もっと普通に歩こう。
乱れていた呼吸を整える為にゆっくり呼吸をしながら内側の左襟を深く引っ張り、右襟を整える。
帯の結び目がずれていないか後手で確認して歩き始める。
これで神社まで着崩れを気にしなくても大丈夫だろう。
神社に近づくとお祭りに向かう人が増えてきた。
みんな可愛い浴衣でだいたいが二人一組だ。
遠回りになるから悪いと思って現地集合にしたけれど、私の家に来てもらって一緒に行った方が良かったかもしれない。
あぁ。ダメだダメだ。
頭を振って否定的な考えを振り払う。
水風船の様に膨らんだ汗が額に浮び、まんまるになって落ちていく。
元に戻るはずもなく足元で弾け散った。
左手の甲で小さな汗を拭いコンクリートに打ちつける。
最後の信号を渡ろうとした矢先、青信号が瞬き始めた。
下駄で走れるはずもなく素直に足を止めた。
何もかも不運に感じる。
スマホを取り出してもうすぐ着く旨を伝えた。
青信号になった瞬間に返信が来た。
人が多く走れない。
しょうがなく歩きながらディスプレイを見た。
「了解。今林檎飴買うために並んでるけど、鳥居にはすぐ戻れると思う。」
いつも通り素っ気無い文章だった。
たぶん、きっと、怒ってない。
返信しようと思ったが小さな子どもがちょろちょろしたり、立ち止まって自撮りをしたりする人がいるので諦めた。
障害物を避けるため右往左往しながらやっとのことで鳥居の前に来たのにシュンちゃんがいない。
林檎飴を買うのに時間が買っているのかもしれない。
端に寄って鳥居をくぐる人の顔を見ながら電話をかける。
「おかけになった電話番号は、電波の届かない場所にあるか、電源が入っていな」
最後まで聞かずに電話を切った。
私の焦りはいったい何だったのか。
ベンチがあったら私は座り込んだに違いない。
すっかり脱力してしまった私はスマホをバッグに突っ込んで参道の右端を境内に向かって歩き始めた。
手に持っていたら人とぶつかった時に落とす自信があった。
小さくもないが大きくもなく、これと言って有名な事が無い神社を甘く見ていた。
石畳から人が溢れ、店先に袖がぶつかりそうなぐらい盛況している。
人の流れに沿い、目の前の屋台に注意するのに精一杯で、向かって左側にある屋台の看板を見る余裕は無かった。
引き返そうにも川の流れにのる若葉のように止まる方法がわからなかった。
屋台と屋台は連なっていて道から外れることが出来ずに流されるままになった。
林檎飴の屋台を探そうと思っただけなのに何もかもが裏目に出る。
今日の星回りはいったい何なのだろう。
私がいったい何をしたっていうのだろう。
足の親指と人差し指の間が痛んできた。
立ち止まって足を見たら皮が擦れて血が滲んでいるに違いない。
いっその事そうなったら人混みの中で立ち止まってしまおうか。
どうにも悪い事ばかり考えてながら歩いている自分にハッとした。
しまった。林檎飴を途中から探してない。
左右を見渡したが林檎飴は無い。それどころか、どの屋台にも人が立っていない。
買うために待っている人も、売っている人もいない。
もぬけの殻になっている。
例えようの無い不安にぬらついた汗が膨らんで鼻筋を滴った。
左側を歩く人の顔を盗み見ると月明かりのせいなのか妙に青白い顔をしている。
話し声は一切なく、石畳と下駄が擦れ合う音が心拍音の様に響く。
本殿までが遠い。
こんなに遠いはずがない。
この神社に来るのは始めてじゃない。
ちょっと歩けば着くぐらいの神社だ。
こんなに歩いていたら北海道神宮よりも広いじゃないか…。
背中を冷たいものが通り過ぎ、鳥肌となって駆け抜けた。
早く辿り着いて欲しいという思いと終着点を見たくない本能的な危機感が渦になり頭の中を掻き乱す。
正常な考えは飲み込まれて沈んでいく。
ねっとりとした汗を左手で拭い振り払うも、まとわりついて離れない。
立ち止まる事を許されず永遠に歩くんじゃないか。
その考えが私の全てを透明に染まりかけた時、右腕が思い切り引っ張られた。
勢い良く参道から飛び出してしまい、たたらを踏んだ。
よろめく私を抱きかかえ、支えてくれたのは真っ黒な髪の毛をしたキツネ目の巫女さんだった。
「ごめんなさい。強く引っ張り過ぎたかしら。」
「いえ。大丈夫です。ありがとうございます。」
頭を下げたら前髪から汗が伝い落ちて地面に綺麗な丸を描いた。
汗だくになっている事が恥ずかしくて顔を見られないよう俯いたままバッグからハンカチを取り出して押し当てた。
「貴女、本殿に向かう前に着崩れを直した方が良いわ。ちょっとこちらにいらっしゃい。」
顔の汗を拭いて顔を上げると巫女さんは茂みの獣道に立っていた。
「どこに行くのですか?私は従兄を探さないといけないんです。」
このまま本殿へ行きたく無い。
だからと言って素直に森の中へ入っていくのは抵抗があった。
「従兄とはぐれたの?」
「鳥居で待ち合わせをしていたんですが、姿が見えないので探しに中へ入ったんです。
でも従兄はどこにもいないし、周りの様子がちょっと変だし、本殿には着かないし、それで、私。」
「そう。大変だったわね。」
巫女さんは私の元へゆったりと歩み寄り、嫋やかに微笑んで手を握ってくれた。
「従兄には会わせてあげるわ。
その前に貴女の浴衣を直さなきゃダメよ。そんな姿で人前を歩くものじゃないわ。」
そう言って巫女さんは手を離し森の中へ入っていった。
迷ったが参道へ戻っても仕方がないし、巫女さんの言う事だからと思い一歩遅れて後ろをついていく事にした。
参道の脇から茂みに入った時は硬そうな葉先が浴衣に引っかかるのではないかと思ったが杞憂に終わった。
森の奥へと続く道は、横並びで歩くには幅が足りないものの、お互いに気を使えば何の問題も無く擦れ違えられる程の道幅があった。
剪定をしているのか道の上に木々の枝が無く、月明かりが降り注いでいる。
小石一つない柔らかな草の上を歩く事が、少し申し訳なかった。
巫女さんが前を歩くので道の先がどこに繋がっているのか見えない。
森の奥深くへ歩いて行く事には抵抗があったが、肩で風を切る様な堂々たる巫女さんの歩く様を見たら気が楽になった。
ついて行けば何とかなる。
そう思わせる背中が前にある。
緩やかに左右へ婉曲しているので正確ではないが、真っ直ぐ進んでいくと開けた円形の場所に出た。
踝ぐらいまで伸びている青々とした細い草で一面覆われている。
月の光に満たされた小さな演芸場の様だった。
そっと風が吹くと仲良く草が波打つ湖面の様でもあった。
巫女さんは中心で立ち止まり背伸びをしている。
宇宙の浮島で花開く艶やかな沈丁花を見つけた気分だった。
酔ってしまうくらい濃厚な空気を目一杯吸い込んで、溜まっていた澱を吐き出すと巫女さんは振り返ってまた微笑んだ。
「ここなら誰にも見られないわ。帯を外して最初から始めましょう。」
そう言われた時に私の顔は羞恥心で真っ赤になっていた事だろう。
躊躇いつつ静々と帯の結び目を外すと淑やかな様子が一変し馬鹿みたいに笑い始めた。
恨めしげに巫女さんを見たせいかバツが悪そうにお腹を抱えている。
「ごめんなさい。私の配慮が足りなかったわ。
そういう事だったのね。あなた自分で着付けたのかしら?」
「はい。初めてだったので帯もこういうので…。」
「言われないとわからないわ。今って凄いわね。この帯はどうやって止まっているの?」
帯の内側から紐を取り出して蝶結びを解いた。
その様子を「へえ。」と相槌を打ちながら見ている。
帯が外れるとさっと帯を畳んで草の上に優しく置いた。
「腰帯も外して最初からやりましょう。手伝ってあげるから直ぐに終わるわ。」
「すみません。お願いします。」
「でもその前に聞きたいのだけれど、手本にしたのは何かしら?親御さんに聞いて?」
「スマホで調べて絵を見ながら着ました。」
「なるほどね。着付けが間違っている原因がわかったわ。両手広げて。」
私は言われるがまま案山子の様に両手を広げた。
巫女さんは腰帯を外して衿先を持つ。
「衿の合わせ方で、左前と右前って聞いたことない?」
「いいえ…。無いです。」
「家に帰ってからでいいから浴衣や神道の事を調べてくれたら嬉しいわ。
簡単に言うとね、右前が普通の合わせ方で、左前が亡くなった方なの。
貴女がしていたのは左前よ。」
「え?そうだったんですか?でも私、右衿を前にしていませんでしたか?」
「人から見て右が前になるのではなく、自分の手前に右が来るのよ。
写真とか絵とかを見て、そのまま真似するから鏡合わせになって逆になる人がたまにいるわ。
巫女から教えてもらってよかったじゃない。」
喋りながら手際よく浴衣を整えていく。
無言でなされるがままだと居た堪れなくなり私は話しかけた。
「お名前をお聞きしてもいいですか?」
「私はキヨコよ。さんずいに青、子どもの子。清子。良い名前でしょう?」
「はい!似合ってます!」
「素直に褒められると気持ちいいわ。有り難う。お世辞でも嬉しいわ。」
「お世辞なんかじゃないです!
言葉遣いや立ち振舞が大人っぽいし、髪の毛は綺麗な黒髪で長いし…。
ザ・巫女!って感じで素敵です!名が体を表してます!」
「そこまで言われると恥ずかしいわね。
私はアルバイトよ。大人っぽいのならそうさせてくれた神様に感謝しなくちゃな。」
「アルバイトなんですか?」
「そう。小さい時に見た巫女さんに憧れて。
その為に本を読んで勉強したし髪の毛の手入れもしたわ。
今はね、私の中の巫女という理想を体現しているの。」
「素敵です!私もそうなりたいなぁ…。」
「一朝一夕で身につくものじゃないから日々の心構えが必要よ。
来年は普通の帯で来る事が出来たら上出来だと思いなさい。」
清子さんは「良し!」と言って背中を優しく叩いた。
「着付け終わったわ。右前の事覚えてね。」
嫌味一つない清らかな笑顔に憧憬をもって頷いた。
「帰り道はそこよ。」
来た時には気が付かなかったが清子さんの背中側にはさっきと同じような道が開いていた。
「あれ?そっちなんですか?引き返さないんですか?」
「引き返したら本殿の近くに戻ることになるから、鳥居の近くに出るこっちの方が近いのよ。
貴女はこっちに進みなさい。」
「え?清子さんは?」
「私は仕事があるから引き返すわ。大丈夫よ。次は直ぐに着くわ。
ただ少し暗いから振り返ったり遠くを見たりせず、足元を見て進みなさい。」
帯の結び目を叩かれ、歩き始めたが小道に入る前に振り返って深々と礼をした。
「ありがとうございました!」
「いいのよ。私も楽しかったわ。」
頭をあげて清子さんの顔を見て今度は会釈程度に頭を下げてから小道に踏み込んだ。
小道の空を木々が覆っていて、月明かりがまばらにしか差し込んでおらず道の終わりが見えなかった。
清子さんから何も言われてなければこんな道は進めなかっただろう。
わずかな月光と清子さんの言葉を頼りに歩みを進めた。
最初は無心で足元を見ながら進んでいた。
目が月夜に慣れてくると様々な思いが去来する。
シュンちゃんは今何しているのかな。どれくらい進んだんだろう。あとどれくらい歩くんだろう。名前を聞いたのに私の名前を伝え忘れたな。神社ってこんなに広くないんだけどな。
頭の中が混乱しそうなくらい答えが出ない色んな事を一気に考えていると突然目の前が明るい場所に出た。
瞳孔が開ききっていた私は強く目を閉じて眩い光から顔を背けた。
瞼を光が通過して視界が赤一色になり全身が硬直する。
溶かされるように身体の自由が戻ってくると喧しいお祭りの音が聞こえてきた。
恐る恐る目を開く。
私は参道に沿って立ち並ぶ屋台の後ろ側に立っていた。
屋台に立つおばさんは大きな声で通り過ぎていく人たちに声を出しているので私には気がついていない。
左右を見渡すと右側にくすんだ鳥居が見えた。
参道を歩く人達の邪魔にならない様に素早く参道の合間に飛び込んで鳥居へと急いだ。
人とぶつからない様に注意していた上、急ぎ過ぎると浴衣が崩れてしまうので目の前に集中しながら歩いた。
やっとの思いで鳥居に辿り着き、バッグから取り出したハンカチを額に当てていると、シュンちゃんがのんびりとした声を掛けてきた。
「あれ?なんで中から出てくるの?」
「シュンがどこにもいないからでしょ!
遅れたのは悪かったけれどさ。ケータイの電源切ってるし探してもいないし!」
私の気苦労は何処吹く風か…。
シュンちゃんは林檎飴の端を齧りながら腹立たしい呆けた声を出す。
「俺も探してたよ。鳥居の傍に立って見ていたんだけどな。」
「本当に?信じられないなぁ…。」
「見逃すわけ無いんだけどな。」
首をかしげるシュンちゃんの手から林檎飴を引き剥がしてかぶりついた。
「シュンちゃんに会えたんだし良いよ。お参りに行こ。」
参道の端を二人並んで歩く。
甘酸っぱさが口いっぱいに広がっていく。
歩き続けた疲れが散開していく気がした。
次は飴がこぼれ落ちないように静かにかじってからシュンちゃんに返した。
「美味しいね。ありがとう。」
「がっつり食べたな。帰り道にもう一個買うか…。」
「いったい何個食べるのさ。食べ過ぎたら虫歯になるよ。」
しゃがんで水風船を釣り上げようとしている高校生っぽいカップルを避けた。
口を尖らせて水風船を取ろうとする彼氏を、頬を染めて彼女が見ていた。
「俺はどんだけ甘党なんだよ。これが一個目。」
「そうなんだ。よく一個で我慢できたね。けっこう待たせちゃったよね?」
「待ったよ。ただ時間に間に合わないって言われたから家で文庫読んでたから別に待ちくたびれては無いけどな。
三十分ぐらい遅れるって連絡きてから家を出て、神社に着いてどこで待とうか考えてたらもうすぐ着くってメッセージが来て林檎飴に並びながら返信したから…実質待っていたのは五分ぐらいじゃないかな。
子どもが林檎飴にするかマンゴー飴にするか迷っててさ。
マンゴー飴なんて邪道じゃない?」
「それマジ?」
「え?マンゴー食べたいの?マジ?」
「違う!五分ぐらいって!」
「時計見たわけじゃないけどそんなもんだ。だから気にしなくていい。」
「違う。違うの!シュンちゃんの事を探しにけっこう参道の奥まで歩いたし、巫女さんに手伝ってもらって浴衣も直したの。」
「え?」驚いて目測を誤ったらしく林檎飴に齧りついた時に少し大きな破片が剥離して石畳に落ちた。飴が砕ける硬質な音が私の耳にも届いた。
「もうすぐ着くってメッセージくれたのってどこ?」
「神社近くの信号から。」
「あそこからなら五分ぐらいはかかるか。
いや、でも人が多いし下駄だろ?十分かかったとしても変だな。
とりあえず本殿に着いたし参拝しよう。串投げてくる」
美味しく無さそうに林檎飴をちびちびと食べ続けていたが、言うやいなや最後は無理して口に詰め込んだ。
傍にあったごみ箱に串を入れて本殿前の鳥居をくぐろうとするシュンちゃんの腕を急いで引っ張った。
「参拝の前にさっきの巫女さんにお礼言いたいからちょっと待って。」
頬を奇妙な形に凸凹させつつ頷き、手の平を私に突き出した。
シュンちゃんが喋れる様になるまで周りを見渡して巫女さんがいそうな建物を探した。
鳥居の右側にある御守を売っている場所ぐらいしかここからではそれらしい建物はなかった。
「御守売ってる所に行ったらいると思う?」
「忙しいだろうから話かけたら迷惑だ。社務所に行こう。こっちだ。」
シャムショと聞いても何の事かわからなかったが、私の手を握って歩き出したので任せることにした。
御守を売っている建物を通り過ぎて奥に建つ二階建ての厳かなドアに向かっていく。小さな箱を抱えた背の低い巫女さんがちょうど出てきた。背中を軽く押されて私は駆け寄った。
「お忙しい中すみません。
先ほどお世話になった清子さんという巫女さんを探しているのですが、どちらにいらっしゃいますか?」
「いえいえいいのよ。でも清子ちゃん?
そんな名前の子いたっけか。お祭り限定かなぁ。どんな子?」
「慎重は私よりも少し大きくて、綺麗な黒髪のロング、ちょっとキツイ目をしているけれど話しやすい方です。アルバイトだって言っていました。」
「臨時アルバイトさんか~。
ならわからないなぁ。ちょっと待ってもらえる?神主さんに聞いてくるからさ。」
箱を軽く叩いてウィンクする巫女さんに礼を言って頭を下げた。
お祭りの日に神主さんは何をするのかわからないが忙しい事はわかる。
来るのには時間がかかると思っていたのに、さっき話しかけた巫女さんと一緒に難しい顔をした神主さんはすぐにやってきた。
「清子さんに会いたいというのは貴方ですか?」
「はい。先程浴衣の着崩れを直してもらったので改めて礼を言いたいと思いまして。」
「先程?先程なのですか?それは何処で?」
困惑と驚愕が混ざったような顔をしている。
還暦を迎えたであろう深い皺で判別はできない。私は簡潔に話をした。
この従兄を探している時に参道で着崩れてしまった事、清子さんと一緒に森の中へ入っていった事、直した後に私だけ森を抜けた事…。
確認するようにいくつか清子さんについて聞かれた。外見や話し方、仕草…。
神主さんは私の話にほとんど口を挟まないで聞いていた。
話終わると懐かしむように優しく口を開いた。
「清子さんは九年前に亡くなりました。
自由闊達であり、外柔内剛という気持ちの良い子でした。
お正月とお祭りはアルバイトとして働いてくれました。
本当に楽しそうに働いてくれるものですから、二回目からは家内と常勤の巫女さんも来るのを楽しみにしました。」
「どうして亡くなったんですか?」
信じられなくて割って入って聞いたのに神主さんは幼子をあやすように柔らかに答えてくれた。
「お祭りの臨時アルバイトを募集する期間が始まっても清子さんから電話が無くて家内と今年は来てくれないのかな。高校三年生だから受験勉強が大変なのかな。締め切り日になったらこっちから電話してみようか。と話していたら親御さんから電話が来ましてね。
娘が亡くなったからお世話になり、働く事を楽しみにしていたそちらの神社で葬儀を行いたいという電話でした。
電話口で憔悴していたのがわかりましたから、色々と聞きたい事を飲み込んで了承しました。
後日段取りの為に話をした時に、連絡が何も無かった理由がわかりました。
いつもなら電話している時期だから電話が来るかもしれない。
もし来たら心配を掛け無い様『受験が終わったら働かせて下さい』と言うように御両親に頼んでいたそうです。
インフルエンザで意識が朦朧とする中、肺炎で亡くなったそうですから自分で電話する事もできなかったのでしょう。
葬儀には大勢のご学友がいらっしゃいました。
皆さん泣いていました。未だに毎年かかさずお祭りに参拝される方もいます。」
「大丈夫か?」シュンちゃんに声をかけられた。
瞬きをしない様に気をつけながら「大丈夫。」と返した。
「貴方は清子さんに会われたのだと思います。
参拝する際に感謝を伝えてください。それが一番でしょう。」
「はい。お忙しい中ありがとうございました。」
神主さんと巫女さんは微笑んで御守を売っている建物へと入っていった。
「お参りしよ。」
歩き始めたが会話は無かった。
口を開けば瞳に浮かぶ物が溢れてしまう気がしたのだ。
そんな事では清子さんのようにはなれない。
気にしないくていい。と言われそうだけど。
お賽銭を入れて周りの人を見ながら礼をして拍手をした。
清子さんに礼を伝えて隣を見るとシュンちゃんはじっと本殿の奥を見つめていた。
袖を引っ張ってから参道を引きかえした。
お互い何も言わずに歩く。
手を繋いでお互いを確かめ合いながら。
焼きそばやフランクフルトに惑わされずにまっすぐ前に進む。
鳥居をくぐり境内を出た所で「木下!」と呼びかける女性の声が響いた。
シュンちゃんと一緒に左右を見渡すと手を上げながら綺麗な大人が近づいてきた。
落ち着いた牡丹の大輪が咲く濃紺の浴衣に、臙脂の帯が映えて格好良さと可愛さが同居している。
色白なのか街灯に浮かぶ肌が輝いて見える。
油絵から出てきたような人に心当たりが無かったので、シュンちゃんを見ると同じく首を傾げた。
「んだよ木下。お前彼女いたのか!隅に置けないやっちゃなー。」
女性は馴れ馴れしくシュンちゃんの肩をどついた。
それでやっとシュンちゃんも相手の事がわかった様で破顔した。
「あぁ。司書さんか。眼鏡してないから誰かわからなかったッス。あと彼女じゃないッス。」
「あぁ。とは何よ。あぁ。とは。まぁ、いつもとは違った大人の妖艶さが出てしまうから気づかないのもしょうがないか。でもアンタの眼鏡は新調しなさい。
で、彼女じゃなかったら何なのさ。これから彼女になるの?告白するの?」
「彼氏いないから発想が貧困ですね。俺の従妹です。この人うちの学校の司書さんな。」
これで司書?うまく想像出来なかったがとりあえず頭を下げた。
「俊一がお世話になってます。」
「いえいえ。こちらこそ木下君にはお世話になってます。
図書委員としてしっかり働いてくれるので助かります。」
「こんな所で恥ずかしいからいいよ。やめてくれ…。司書さんって家がこっちなんスか?」
「いいや。友達がこっちにいるからね。それでさ。」
「私、林檎飴食べたいから買ってくるね。ちょっと待ってて。」
何となく話が続きそうな感じがしたから林檎飴を買いにすぐ傍の屋台に並んだ。
可愛らしい真っ赤な林檎の他に小振りの苺が二つ連なった物と太った三日月のマンゴーがある。
三種類を一本ずつ購入して談笑している二人の元へ戻った。
「失礼します。よかったら司書さんも一本いかがですか?」
「え?何?私にくれるの?」
「はい。是非一本貰って下さい。」
「はぁー。よく出来た子だね。じゃあお言葉に甘えて…林檎にしようかな。
ありがとう!いただきまーす!」
司書さんはウィンクをして林檎飴を手に取り、天使の輪の様に頂点で広がる飴を器用に半分だけ割って口に含んだ。
咲き誇る月下美人の様な笑顔で私の手からマンゴー飴を取ってシュンちゃんに渡した。
「木下はマンゴー飴。そして、イトコラッパーちゃんは苺飴。」
「ラッパーって何スか?」
「あれ?そういうお遊びって感じで選んだんじゃないの?まぁいいや。
貴女は良い子だから学祭か何かでうちの学校に来た時は図書館に寄ってちょうだい。
今度はお姉さんが奢ってあげるわ。」
「私そんなつもりじゃ。」
「良いのよ良いのよ。これから帰りなんでしょう?
木下!あんたちゃんとエスコートしなさいよ!じゃあね~。チャオ!」
一方的に別れを告げて司書さんも下駄なのに颯爽と参道の中へ消えていった。
「シュンちゃんの学校にはすごい人がいるんだね。」
「あれでも学校じゃお淑やかな人で通ってるんだぜ?不思議だろ?」
どちらからともなく歩き出す。苺飴の先を少しだけ齧る。
甘い果汁が朝露の様に舌に乗った。
何も聞いてこなかったけれど、私は今日神社に向かってからの出来事を訥々と話し始めた。
賽銭を投げた後、清子さんの事を考えてくれたに違いないと思ったからだ。
所々分からない事を聞いてくる以外は聞き役に徹してくれた。
少しずつ苺は小さくなっていき、一つ無くなった時には大きな道から外れて住宅街の中だった。
話し終わって見上げた夜空は街灯に塗りつぶされて星が離れ離れになっていた。
「巫女さんはこっちに引っ張ってくれたのかもしれないな。」
「急になに?どういうこと?」
シュンちゃんを見ると小さくなっていたマンゴーに横から齧りついて全て口に含んだ。
「鳥居があって神社がある。参道がまっすぐ敷いてある。」
目の高さに丸を書いて「鳥居」と言い、少し見上げた空に丸を書いて「本殿」と言った後両方の丸を繋ぐように真っ直ぐ線を引いた。
「参道の右側進んでいると、右腕を引っ張られた。そのまま右の森に入っていった。」
縦線の「参道」の中程から右に線を引き、一度止めた。
「右往左往しつつもたぶん真っ直ぐに先導した巫女さんは開けた場所に出ると、振り返って浴衣を直した。
着付けを終えると巫女さんはまた振り返って、森を指し示した。
そこを進むと直ぐに参道に出た。」
再び右に線を引き始めて直ぐに止めた。
「左右を見たら右側に鳥居が見えて、人とぶつからないように左に注意して歩いた。」
真下に手を進める。
「話を聞く限りだと時計回りに周ったんだろうな。
森を軸として鏡合わせになっている別な参道を歩いている感じ。」
「え?なにそれ…そんな事って…。」
「左前で鳥居をくぐったから…じゃないかな。
その前から不思議な所に迷い込んでいたのかもしれないけど。」
「まさか…。」
信じられなくて息を飲んだ。
「浴衣が左前になっていたから亡くなった人が歩く参道に入ってしまって、それに気がついた巫女さんが生きている俺らの参道に案内してくれたんだと思うな。」
「もしそうだとしたら…すごい人が多かったのにどうして私に気がついてくれたのかな。」
「そりゃお前、アレだ。」
シュンちゃんは何もついていない串をくわえた。
「そんだけ綺麗だったら誰だって見るだろ。」
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