第10話わいせつ折り鶴の里

 今日、わたしの手にタバコの煙を吹きかける客がいた。最後にそれをしないと満足を得られないらしい。わたしははじめてのことに少しとまどってしまったけれど、させるがままにしておいた。いつも怖いおかみさんも黙ってみていたので、あれは許容内のことなのだろう。むかし、店に出前をとってラーメンの熱い汁をぶっかけようとした客もいたらしいが、黒服の男たちに連れて行かれてしまったという。


 わたしの仕事は折り鶴を折ることだ。折り鶴を折るところを客に、たいていは男の客に見せる。それだけのことだ。そして、たいていの男たちは折り鶴を折るわたしたちを見て興奮する、いわゆる特殊な性癖をもった人間たちだ。


 鶴を折るわたしたちは、茶髪のギャル風だったり、黒髪に眼鏡の文学少女風だったりといろいろだ。細かい客の要望にこたえるのが店の信条なのだ。けれど、わたしたちには一つの共通点がある。わたしたちはみんな同じ里の出身なのだ。


 その里は……里としか呼びようがないから里というのだけれど、関東からちょっと離れたある県の山奥にあった。観光名所も温泉もない、なにもない里だった。だから、近隣のだれからも顧みられることもなかったし、他県からわざわざだれかがやってくるなんてこともなかった。わたしたちは、そんな閉ざされた場所で育てられた。


 そんな里にも一つの伝承があった。むかしむかし、裏山の沼に住む大蛇が暴れて里の畑を荒らして、みんなが困った。そこで、一人の乙女が折り鶴を折ってお稲荷さまに捧げたところ、大狐があらわれて暴れる大蛇をくわえると、山のそのまた向こうの山に去っていったという。それ以来、わたしたちの村に生まれた女の子は、みな折り鶴折りを仕込まれるようになったのだった。


 そして、明治になってすぐのこと。里に一人の行商人がやってきた。めったに人が訪れない里だったので、人々は歓迎したが、行商人が扱っているのはわいせつな形をした石膏だった。里人はみなすぐに興味を失ってしまった。行商人の方も、ここでものを売るのは諦めて、なにやら山の地層を調べはじめた。そんなとき、彼は目にしたのだ、神社の境内で折り鶴を折る少女たちの姿を。


 行商人は里の長を呼んで話をした。曰く、これは東京で金になる、と。長は折り鶴が金になるのかといぶかしがったけれど、行商人が言うには折り鶴そのものでなく、折り鶴を折る行為こそが金になるのだという。また、金に換えるための伝手もあるという。


 長は村の主だった面々を集めて相談をした。単に娘を遊女として売り飛ばす人買いではないかという声もあったが、行商人にはいわく言いがたい信頼のようなものもあって、長い話し合いの末、ためしに三人の少女が東京に出ることになった。


 わたしたちのこれは、それ以来のことなのだ。百年たったのかどうか、わたしにはよくわからない。ただ、長い間わたしたちの里では少女たちが折り鶴を折る特訓をして、一人前になると東京に出てきて、ここで働く。働けばけっこうなお金になるので、そこから独立して新しい店を始める子もいれば、べつの商売をはじめたり、あらためて勉学の道に進む子もいる。それは人それぞれだ。


 ただ、里での折り鶴折りの特訓といえば、みながみな思い出したくもない厳しいものだった。最初は普通の折り紙で普通の折り鶴を折るところから始める。そこまではたいてい誰にだってできる。ところがだんだん紙が大きくなっていき、しまいには畳二畳分の和紙を小さな体できっちり折り上げなければならなくなる。また、一方でどんどん小さな紙で折るように仕込まれて、しまいには顕微鏡と特殊なピンセットで米粒ほどの折り鶴をおらなければいけない。目隠ししながら寸分違わぬ折り鶴を千羽折ったり、逆立ちしながら足と手の両方で二羽の折り鶴を折ったりもした。


 そんなわたしたちは、十二、十三歳のころには相当な折り鶴の折り手になっている。だが、本当にたいへんなのはここからだった。ある日、折り鶴師範にこう言われるのだ「今まで身につけたすべての技術を忘れなさい。そして、初めて折り鶴を折るように折るのです」と。


 わたしたちの体は、指先は、極めて精確な折り鶴を折るように仕込まれていたから、少しでも気を抜くと精緻な折り鶴を折ってしまう。それではいけないのだ。わざと順番を間違えたり、折り目をずらしたりしなくてはならない。わたしたちは日夜、下手な折り鶴づくりに没頭させられる。まだ子供だとはいえ、いっぱしの折り手であるわたしたちには辛いことだった。それぞれの心のなかにある理想の折り鶴からあえて離れなくてはならないのだから。


 ここで脱落者が何人か出てしまうのが常だった。精緻な折り鶴は、訓練しだいでほとんどの子供が折れるようになれる。しかし、初めてではないのに、初めて折り鶴を折るように折れる人間というのは限られているのだ。どうやったらそうできるのかを、言葉で説明するのはむずかしい。ただ単に下手に折ろうとしてはだめなのだ。器用に初心者の折り鶴を真似てもだめなのだ。頭のなかにある折り方を、初めて折り紙の本を見るようになぞりながら、必死になって折って、できたものが真に歪な折り鶴になるのだ。


 そういう折り鶴を折れるようになった子には、折り鶴の師範からこう告げられる。


 「あなたの大蛇はお稲荷さまがくわえ去った」


 そうしてわたしたちは東京に出る。そして、繁華街の一角の、上品とも下品とも言えない、ただしどこか落ち着いた佇まいの店に折り手として雇われるのだ。店を取り仕切るのはきまって女性で、おかみさんと呼ばれていた。おかみさんは里の者ではないのが決まりだった。帰り際の客に、故郷の特産物である小豆を渡すのがならわしになっていた。年号が明治から大正にかわろうと、昭和になろうと平成になろうとそれだけは変わらなかった。


 そして、わたしたちが「慣れない折り鶴折り」をするのを見て喜ぶ男たちも各時代にかならずいた。なかには政財界の大物であるとか、芸能界の大御所といった人も顧客にいて、そういう場合は料亭などで折り鶴を披露することになっていた。一晩で家が一軒建つくらいのご祝儀が出たという話もある。でも、近ごろではそんな粋人も少なくなっていて、わたしにもわたしの同輩たちにもそんなお声がかかったことなんてないのだけれど。


 里はいえば、今も昔も変わらない。昭和のレジャーブームのころ、こんなわいせつな産業は捨てて、折り鶴の里として観光客を呼びこもうという革新的な意見も出た。しかし、東京からの仕送りは、地方の寒村にとっては莫大なものだったし、なにか日本を縦断する巨大なわいせつネットワークのようなものの力によって立ち消えになるのが常だった。


 里に残された男たちといえば、すべてのきっかけとなった、ある種の行商人になって村から出たりするものもいたが、たいていは女たちからの仕送りでぐうたらと暮らしていた。一方で、いちど東京に出た女が里に戻ることは少ない。ただ、何年かに一人、その秘儀を伝えるために折り鶴師範となるために里に帰る人もいた。師範になると、里では一種の神職として扱われ、たいていは生涯独身で終えるのだった。


 今日も、そして明日も、きっと明後日も男たちの前で不器用に折り鶴を折るわたしはどうなるのだろう? まだ先のことは考えていない。わたしの中から大蛇が連れ去られたときから、なにかが空っぽになってしまったような気もする。それでも、わたしはわたしのふるさとを愛していないといったら、嘘になる。そうしてわたしはわたしの折り鶴を折りつづけるのだ。

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