第7話~キヨの過去~

~十二年前・ある森の中~

 キヨは物心ついた頃から一人だった。そして、彼には今までどのように生きてきたのか記憶が無かった。

 キヨは気が付いたら一人で雨の中、立っていた。身体はびしょびしょだが、特に雨宿りをしようともせず、ただボーっと立っていた。森の中にいるため、大粒の雫がキヨの金糸の髪にポツポツと落ちる。


「こんなところにいると、風邪をひきますよ」

「!?」

 不意に投げかけられた言葉と、頭に落ちなくなった雫に驚き、キヨは声のする方を向く。

 そこには、にこやかな笑顔をしてキヨに傘をさしてあげている、高年の男が立っていた。歳は六十代後半といったところだろうか。

「……」

 キヨは警戒した様子で男を見る。そんなキヨに、男は笑顔を向けたまま言う。

「そんなに警戒しなくても、何もしませんよ。君、名前は?」

 その言葉に、キヨは俯いた。

「分からない」

「分からない…?歳はいくつです?」

「四…」

 キヨの返事に、男は驚いたように目を見開く。

「名前は分からないのに、年齢は分かるんですね」

「どうしてか…知ってる…」

「パパとママは?」

「パパと、ママ?」

 キヨは分からないと首を傾ける。

「そうです。君を産んだ親です」

「知らない…。気が付いたら、ここにいたから…。そんなもの、見たことも聞いたことも無い」

「気が付いたら?じゃあ、いつまでは覚えてます?」

「何も、覚えてない。今、僕がこの場にいることが、一番新しい記憶」

「それって、記憶喪失…ですか…?弱りましたねぇ」

 男は困ったような顔をすると、う~んと言いながら、腕を組み考え込んだ。


「じゃあ、記憶が戻るまで、私の元に来ますか?行くところは無いんでしょう?」

 キヨはコクリと頷くと、男はニコリと笑った。

「決まりですね。私はこの森の奥にある研究所で暮らしている水谷博士ひろしと言います。研究所では、君以外にも何人か子供を預かっているんです」

「なんで?」

「最近、宝石の奪い合いをする人たちが現れてですね…。そのせいで多くの人間が亡くなる事件が起こっているんです。私が預かっている子達のほとんどはその事件で親を亡くしたんです。身寄りがないから、放っておくわけにもいきませんからね」

 男は笑顔だが、悲しそうな顔をしていた。

「さ、行きましょうか!」

「濡れてるよ」

「え?」

 キヨの言葉に、男はキョトンとした顔になる。

「僕に傘さしてるから、あなたが濡れてる」

 キヨに傘をさしているため、男の身体はずぶ濡れになっていた。

「ああ、いいんですよ。君が濡れなければそれで」

 男はキヨに傘を向けたまま、キヨの肩に手を添え、研究所の方へ誘導する。

「それにしても君、四歳なんですよね」

「そうだけど、なんで?」

「いやぁ、しっかりしてるし、難しい言葉使うなぁって。四歳って、そんなもんでしたっけ?研究所にいる子はみんな君より年上だからなぁ」

 水谷はアハハ、と笑うと、キヨもつられて口元を緩ませた。


 水谷が言った通り、森の中に研究所はあった。大きさは一般の幼稚園といったような広さだ(研究所の大きさは、各々の想像にお任せする)。一階のみの施設だが、窓が多くあるから、部屋数は多いのだろう。

「ただいま!」

「あ、博士はかせ!」

「おかえりなさい!」

「皆、博士はかせが帰って来たよ!」

 水谷が研究所に入ると、わらわらと子供達が集まって来た。どの子も小学生なのだろう。あまり大きな子供はいない。

「はかせ?」

「ああ、私は名前が博士ひろしって書くんですけど、博士はかせと同じ字なんです。それに、私は研究もしてるから皆は私の事を博士はかせって呼ぶんです」

「そうなんだ…」


「ねえ、博士!その子は?」

 一人の少女がキヨを指さす。

「さっき、森の中で会ったんです。今日から皆の仲間に加わります。でも、どうやら記憶喪失みたいで…。名前が分からないんですって」

「名前が?」

「じゃあ、何て呼べばいいんだよ?」

 それぞれの子供が、わーわーと言葉を発する。困ったような表情をした水谷は、またもや腕を組み考え込む。すると、何かひらめいた様に明るい表情になる。

「そうだ!紅矢こうや!紅矢はいますか?」


「なんだよ、博士?」

 水谷の声に、気だるそうに少年が歩いてくる。

「君、この子に名前を付けてあげてください!」

 水谷の笑顔とは裏腹に、少年は嫌そうな顔をする。

「なんでだよ!ヤだよ!どうして俺が!」

「え、だって君はここの最年長でしょう?それに、この子の世話をお願いしようと思ってましたし…」

 当たり前のように、ケロッとした顔で水谷は言う。その顔に、紅矢と呼ばれた少年は、諦めたように溜め息をつく。

「分かったよ、じゃあ、考えとく…」

「だ・め・で・す!今決めてください!じゃないと決まるまで名前で呼べないじゃないですか」

「はぁ?今かよ!?」

 紅矢の言葉にキヨは驚いたのか、急に俯く。

「どうしました?」

「うう…」

「ああ!紅矢が怒鳴るから、この子泣いちゃいましたよ!さっきまで一人で寂しくて、知らない場所に連れてかれて、そして怒鳴られるんですもんね…。そりゃあ、怖いですよねぇ」

 水谷は泣くキヨに頭を撫でながら、紅矢をジ~っと見つめる。紅矢はばつが悪そうな顔をし、叫ぶ。

「わかったから!決めたから!だっから泣くな、キヨ!」

「…キヨ?」

「あ…」

 紅矢の声に、キヨは顔を上げる。紅矢はヤバいといった表情をする。

「カラクナ、キヨ…。それが僕の名前?」

 キヨの言葉に、紅矢は「はあ?」と驚いた。

「キヨは確かに名前だけど…カラクナなんて苗字付けた覚えはねーぞ?」

「もしかして、“だっから泣くな”から聞き取れたのが“カラクナ”って言葉だけで、それが苗字だと思っちゃったんじゃないですか?」

「ま、まじかよ」

 水谷の解説に、紅矢は冷や汗が出てしまった。

「いいじゃないですか、カラクナキヨ。記憶が無く今はっぽだけど、くすらかな子。いいですね、気に入りました」

「無茶苦茶だろ、博士それ」

 嬉しそうに言う博士に対し、紅矢は呆れたように溜め息をつく。


「キヨ…か。なんか懐かしい感じがする」

 キヨはポツリとつぶやく。

「もしかして、本当にキヨって名前だったのかもね!」

 近くにいた少女は、キヨに笑顔を向けながら言う。その言葉に、紅矢は驚いた様にキヨを見る。

「んなわけねぇだろ!だってキヨって名は…」

「今、紅矢兄がつけたんだろ。偶然にしては出来すぎてる。お前の勘違いなんじゃねえの?」

 メガネをかけた少年は、呆れたように少女とキヨに言う。

「……」

 キヨも何となくであったため、それ以上は何も言わなかった。


「じゃあ、紅矢。キヨにここの事、いろいろ教えてあげてくださいね。じゃあ、残りの皆はご飯の時間が近いですし、お皿を出す手伝いをお願いします!」

「は~い」

 水谷の言葉に子供達は元気よく返事をすると、食堂の方へ走っていった。

 残されたキヨと紅矢は、少しの沈黙ののち、紅矢が口を開いた。

「じゃあ、まず部屋から案内すっから、付いてこい、キヨ」

「う、うん」

「ああ、そうだ。俺の自己紹介してなかったな。俺は紅矢。歳は十二。よろしくな、キヨ」

「成瀬…」

「ああ、キヨ。お前ずぶ濡れだから、先に風呂入れよ」



「風邪をひきました」

 キヨが研究所に来た翌日。水谷は風邪をひいて寝込んでいた。

「あんな雨の中、濡れて帰ってくるからだよ、博士」

 ゴホゴホと咳をし、水谷は自室で寝込んでいた。その周りには研究所の子供達が集まっていた。もちろん、成瀬とキヨも。

「そういえばキヨは大丈夫なの?キヨも結構濡れていたよね」

「うん、僕は何とも無い」

 キヨは水谷と違い、ピンピンしていた。

「子供は風の子って言いますからねぇ。キヨは風邪ひかないんですよ」

「関係ないよ博士」

「むしろ子供の方が風邪ひきやすいよ博士」

「お外でたっくさん遊ぶもんね」

「冬はほとんど風邪ひくもんだよな」

「うるさいですよ。正論で返してこないでください。私の心まで傷つける気ですか」

 水谷は子供たちに冗談が通じないことがショックだったのか、布団を顔まで被ってしまった。

「あ、博士が傷ついた」

「ほっとこうぜ~。時々ふてくされるんだよな、博士」

 ぞろぞろと子供達が部屋を出て行く中、キヨと成瀬は残っていた。

「ごめんなさい、博士。僕のせいで風邪をひいて」

 キヨは罪悪感で顔を下に向けた。

「気にしないでください。君に何も無くてよかった、それがなによりです」

 水谷はキヨの頭にポンッと手を置くと、優しく微笑んだ。キヨもつられてニコリと微笑む。

「ありがとう、博士」



「紅矢兄~!勉強教えて~!」

「またかよ、ロマン。自分で少しは考えたのか?」

 キヨと成瀬が水谷の部屋から出ると、ロマンと呼ばれた少女が成瀬に駆け寄ってきた。

「考えた考えたっ!も~めっちゃ考えた!」

 笑顔で言ってくるロマンに成瀬は溜め息をつく。

「わかった。じゃあ、食堂で勉強するぞ」

「わ~い!」

「「紅矢兄~!外でサッカーしよーぜ!」」

 今度は、サッカーボールを持ってきた少年たちが現れる。二人は顔がよく似ている。双子なのだろう。

「かなた、ひなた…。お前らもかよ」

「紅矢兄は今から私に勉強を教えてくれるの!」

 横から割り込まれ、ロマンは顔を膨らませる。

「「知るかよ!他の奴に教えてもらえよ!」」

「紅矢兄がいいの!」

「紅矢に~ちゃん!ゲームしようよ!」

「わ!また増えた!」

 わらわらと、成瀬の周りに子供が集まる。そしてそれぞれが紅矢といたいと叫ぶ。喧嘩にもなっている。

「わかった!わかったから!順番だ順番!まずはキヨに昨日、途中までしかできなかった施設案内してからだ!」

 成瀬の言葉に、全員が「は~い」と笑顔で返事をし、その場を去っていく。


「ったく」

「人気者なんだね。でも、大変じゃない?」

 キヨの言葉に、成瀬は困ったような表情をする。

「最年長だしな…。ここの奴らは皆、親がいねえ。俺が、博士と一緒にあいつらを支えてやんねえとなって思ってるからよ。あいつらに出来ることはしてやりてぇんだ」

 成瀬はこの研究所では、兄のような存在だった。家事なども積極的に行うし、他の子供達の面倒も見ている。悪態をつきながらも、世話焼きなところがあるから、研究所の子供達は成瀬を心底慕っていた。キヨはそんな成瀬に、憧れを抱いていた。

「かっこいいね、成瀬!」

「かっこいいか?つか、なんで成瀬なんだ?」

「なんとなく!下の名前は皆が呼んでるからかな…。僕は、成瀬って呼びたいんだ。いいでしょ?」

「別に、呼び方なんてどーでもいいし」

「やった」


 その日から、キヨは成瀬のまねをするようになった。成瀬みたいになりたいという憧れからによるものだ。一人称は“俺”になり、しゃべり方も、髪型も成瀬に似せた。



 キヨが施設に来て、半年が経った。キヨは、水谷に呼ばれた。

「博士?なんか用か?」

「君には、まだ私の研究の事について話していないと思いましてね。あ、ここの部屋です」

 水谷は施設の一番奥にある部屋のドアに、持っていたカードキーを翳した。

 ピーという音がし、扉のロックが解除される。扉が自動で開かれると、中は研究室と呼ぶに相応しい機械や書類などが沢山あった。

 そして、中には何人か研究員がいた。

「博士…。ここは?」

「私は宝石の研究をしているんです」

「宝石?」

 確かに、研究室の中にはいくつか宝石が置かれていた。研究員は顕微鏡で宝石を見ていたり、何かの機械に宝石を入れていたりしていた。


「なんで、宝石の研究をしているんだ?」

 キヨの質問に、水谷は悲しそうな表情になる。

「キヨ、前にも言いましたが、ここの施設にいる子供達の何人かは、宝石の騒動で親を亡くしたって言いましたね」

「ああ」

 キヨはコクリと頷く。

「私は、宝石の力を消す研究をしています」

「消す?」

「はい。彼らの親みたいに宝石に力が出てきてしまったせいで、多くの人間が亡くなりました。私はこれ以上、そんな人達が増えて欲しくない。だから、宝石を消す研究をしているんです」

「博士、でも今、この日本はJMという組織が統治をしてんだよな?JMは宝石の力を使って支配してる。そんなJMに宝石を消す研究なんてしてるってバレたら博士が危険なんじゃ?」

 宝石の力を消されてしまえば、JMの適合者は無石と変わらなくなる。支配なんて出来なくなる。そんな研究をしている人間を、黙って放っておくわけがない。

「安心しなさい、キヨ。この研究はJM公認なんです」

「はあ?なんで?」

「適合者でJMに逆らう者が出てきた時のためのけん制…になり得るだろうってことなんでしょうかね。よくわかりませんが。だから、気兼ねなく研究が出来ます。表向きはJMのためですが、私は宝石の力を消して、元の日本に戻します」

 水谷の目は真っ直ぐだった。

「ああ、頑張ってくれよ博士!俺も応援する!」

「ありがとうございます、キヨ」

 水谷は優しい笑顔をキヨに向ける。


「この宝石…」

 キヨは、いくつかある宝石の中で、紅く輝く宝石が目に入った。

「あ、やっぱりそれが気になります?それは、ルビーですよ」

「ルビー?」

「はい。宝石の中でも、五つだけ特別視されているものがあるんです。力が他の宝石とは全然違うんですよ。それらを五大貴石って呼んでいるんですが、その一つがこのルビーなんです」

「へぇ…」

 キヨは真っ直ぐ、その宝石を見つめていた。


「博士~」

 研究室の中から、ロマンが現れる。

「ロマン?お前、なんでここに?」

「あ、キヨ!」

 キヨもロマンも驚いた表情になる。

「あ、ロマン。お疲れ様です。どうでした?」

「ダメだよ、博士。全然宝石の力消えない」

 ロマンがそういうと、ロマンの手から短刀が出現する。

「わっ!」

 キヨが驚きの声をあげる。

「ロマン、お前適合者だったのか?」

「私だけじゃないよ。かなた、ひなた、みなと、かおり…。あと、紅矢兄!紅矢兄はすっごいんだよ!」

「成瀬も?」

「適合者が何人かいるので、研究の手伝いをしてもらっているんです。なにぶん、適合者でないと宝石の力を出せませんから」

「宝石の力を消すためだからね!協力するよ、博士!」

 ロマンはにこやかに言う。

「なあ、成瀬は凄いってことは…」

「うん、紅矢兄はルビーの適合者なんだよ!」

 強いんだから!と、自分の事のようにロマンは誇らしげに語る。

 キヨも、さらに成瀬に対する憧れを強めていた。

 そして、子供達のために研究を続けている水谷が、さらに好きになった。


「成瀬、宝石の力をみしてくれよ!」

「なんだ、急に」

 研究所の廊下を歩いていた成瀬にキヨは声を掛ける。

「いいから!」

「……。いいけどよ、宝石は博士の研究所に…」

「じゃ~ん!博士が寝てる間に、カードキーを奪ってきたんだ!」

「なにやってんだお前」

 嬉しそうに言うキヨとは対照的に、成瀬は呆れるように溜め息をついた。

「わかった。いこうか」

「やった!」

 キヨはピョンっとその場で跳ね、スキップしながら研究室に向かった。


 研究室に入ると、お昼休憩だからか、研究員はいなかった。

 成瀬はルビーを手に取ると、紅く光らせた。

 ——綺麗だ。

 キヨはそう思った。

 すると、成瀬の手からは、ポッと炎が出現した。

「うっわ、すっげぇ!」

 キヨは声をあげて喜ぶ。

「俺のルビーは炎と拳銃を出せるんだ」

「すげーな、成瀬!」

「そんなでもねえよ」

 照れているのか、成瀬はそっぽを向いてしまった。

「なあ、成瀬照れんなよ!」

 ニヤニヤとキヨは成瀬の背中を見る。しかし、成瀬はこっちを向いてくれない。

「な~るせ?」

「うっせぇな!」

 成瀬はそのままルビーを元の場所に戻し、さっさと出て行ってしまった。

「そんなに照れんなよ」

 キヨは嬉しそうに言う。成瀬の顔が赤くなっていたのが見えたからだ。

 ——素直じゃね~な。

 キヨは笑顔で研究室を出た。



 ある日の事だった。研究所の食堂に、子供たちが集められた。

「何の集まりなんだ?」

 キヨが隣に座っている成瀬に尋ねる。

「一人、ここを出て行くんだよ。引き取り先が見つかったんだそうだ」

「え!?」

 キヨは、ずっとここにいられるものだと思っていた。しかし、そういう訳ではないのだ。

「俺みたいな適合者は研究のためにずっといるけど、無石の奴らは引き取り先が決まり次第、そっちにいっちまう。もう、何十人も見送ってる」

「そう…だったんだ」

 キヨは無石だ。だから、自分もいつか追い出されるのだろうと不安になった。


 食堂に、メガネの少年が入ってくる。前に、キヨの名は偶然だ、勘違いだと言っていた少年だ。名は、リオ。

 リオの横に、スーツを着た、品のいい男性が立っていた。歳は四十歳くらいだろう。

「皆さん、こちらの方はリオ君の新しい家族となる方です」

 水谷は、男性を見ながら言う。

「初めまして、早部といいます。この度、リオ君を預かる事となりました」

 にこりと話す男性に、子供達は安心できた。

「さ、リオ。皆にあいさつを」

 水谷に促され、リオは口を開く。

「皆、今までありがとう。この施設にいれて、俺は幸せだった。また、会おうな!」

 リオの目には涙がたまっており、それに釣られ、子供達も一斉に泣き出した。

「じゃあな、リオ!」

「また会おうね!」

 それぞれが別れの言葉を言う。キヨも、リオとは喧嘩をしたことがあったが、勉強を教えてもらったりと、何かと世話になった。キヨの目からも涙が零れ落ちる。


 リオは早部に連れられ、研究所を去った。

「おい、キヨ。部屋に戻らねーのか?」

「なあ、成瀬」

「なんだよ」

 キヨは、食堂の椅子に座ったまま、天井を見上げていた。

「早部って人、良い人そうだったな」

「そうだな」

「俺もいつか、施設を出るんだよな」

「そうだな」

「良い人と会えるかな」

「会えるだろ、きっとな」

「うん」



 キヨが研究所に入って二年が経った。施設の子供達とは家族のように親しくなり、大切になっていた。二年の間に、多くの無石の子供達が施設を出て行った。それと同時にキヨよりも歳が下の子供達が何人か施設に入って来た。キヨはその子供たちの世話を頼まれることもあった。キヨは研究所での生活が楽しくて仕方が無かった。



————そう、あの日が来るまでは————



「腰が引けてんぞ、キヨ!」

「うっせえ!成瀬が強すぎるんだ!」

 キヨと成瀬は木刀を使った模擬戦闘を行っていた。水谷から、今後のために強くなっていた方がいいのでは、と言われたからだ。

 成瀬は強く、キヨはまるで歯が立たなかった。

「休憩しようぜ、成瀬」

「はっ。しゃーねーな。つーか今日はここまでにしようぜ。もうすぐ夕食だ」

 辺りはもう夕暮れ時だった。昼頃から模擬戦闘を行っていたが、まさかもう夕暮れになっていたとは気付かなかった。


「なあ、成瀬」

 キヨは食堂でスパゲッティを頬張りながら、成瀬に声を掛ける。

「なんだよ」

「博士の研究の手伝いって何してんだ?」

「……。宝石の力出したり、宝石を貸すくらいだよ」

「そんだけ?」

「ああ」

「実際どこまで進んでんだろーな」

「さあな」

「早く研究終わればいいのに」

「……」

 成瀬は何か考え込んでいる様だった。

「宝石の力が消える…か」

「成瀬?」

「いや、何でもねえ」


 夕食を終え、就寝時間が近づく。成瀬は水谷に声を掛け、研究室の方へ向かっていた。

 ——今日も研究の手伝いかな?

 成瀬はいつも夜に研究室に入っているため、キヨはあまり気に留めていなかった。

「あれ、そういえばロマンは?」

 キヨはロマンを探した。昼頃から見当たらないのだ。

「そんなこと言ったら適合者組、皆いねーよ。今日は研究が長引いてるみたいだ。気にせず先に寝てよーぜ」

「……」

 他の子供にそう言われたが、キヨには少し、胸騒ぎがした。


 ベッドに横になるが、胸がざわざわする。

 ——なんだ、どうしたんだよ、俺…。それに、なんか熱いし…。

 キヨは眠れず、ベッドから起き上がる。

 今は秋だ。だいぶ涼しくなってきたのに、熱い空気が流れている。


 すると、ドオン!と何かが壊れた音がする。

「な、なんだ?」

 キヨは不審に思い、部屋を出る。


 ——部屋の外の方が熱い…?

 キヨは研究所を走り回る。どこも熱い。だが、あそこに——研究室に近づくにつれ、熱さは増していく。

 ——まさか、まさか!

 キヨは夢中になって研究室まで走る。


「ああ!」

 キヨが研究室の廊下にたどり着くと、研究室の扉は壊されており、炎がちらちらと見えるのだ。

「博士、成瀬、ロマン、みんな!無事か!?」

 キヨは扉に近づく。ボオっとキヨに炎が襲う。

「なんで、なんでこんなことに!」

 消火器を持ってこなければ、とキヨが思ったとき、研究室から人影が見えた。

 炎に紛れ、同じ色の、紅い髪が揺れている。

 その髪を見た時、キヨは安堵の表情になる。

 よく知っている、憧れを抱く男の髪色。

「成瀬っ!」

 キヨは嬉しそうに男の名を叫ぶ。その声が聞こえたのか、成瀬はゆっくり、キヨの方を向く。

「無事だったんだな、成瀬!早く、こっちに!博士は?ロマン達も無事か?」

 キヨの声は聞こえているはずだ。だが、成瀬は動こうとしない。

「成瀬?何してんだよ!早く、なる…」

 キヨは言葉の途中で、あることに気付く。

 成瀬の顔にかかった血、手に持った拳銃。

 ————そして—————


「はか……せ?」

 成瀬の足元に血を流して倒れ込んだ、愛する水谷の姿だった。



「はか……せ?なんで、博士が倒れてるんだ?」

 状況を理解できなかった。キヨはもう一度成瀬を見る。

「……」

 成瀬はただ黙ってキヨを見ていた。

「な、なぁ、成瀬?なんで博士が倒れて…。いや、まだ間に合うはずだ!はやく、こっちに…」

 そう言っても成瀬は動かない。

「成瀬!」

 そう叫んだ時、キヨはさらに絶望する光景を見る。

 博士だけではない。研究員やキヨのよく知っている少女、少年達も血を流して倒れていた。

「ロマン?かなた、ひなた…。みなと、かおり?」

 そう、適合者の子供達だ。

 キヨにもわかる。皆、死んでいるのだ。


 信じたくない。その思いが頭を駆け巡る。だが、そんなことも言っていられない。

 顔にかかった血、手に持った拳銃、そして炎。


 あの人が、いや、あの男が、あいつが……!



 ——博士たちを殺した!!!



「何してんだよ、成瀬ぇ!!」

 キヨは、怒りにまみれた。


 ——なんでだ、なんでだなんでだ!


「何で殺したんだよ、成瀬ぇ!」

 涙が、殺意が、憎しみが止まらなかった。

 信じていたのに、憧れていたのに!


「……」

 成瀬は黙っていた。


「何とか…言えよ…」

 キヨはその場に座り込んだ。

 否定して欲しかった。俺ではない、と。


「認めるのかよ…」

「……」

「くそおおおおおおおお!」


 キヨは炎の中、研究所に入ろうとする。

 すると、後ろから肩を引っ張られる。

「やめなさい、死ぬ気ですか?」

 メガネをした、二十代くらいの男性が突如現れる。

「邪魔すんな!」

「落ち着きなさい、何が起こって…」

 そう男が行ったとき、目の前の状況を見て、理解した様だ。

「なるほど、そういう事ですか」

 男が研究所に入ろうとすると、成瀬は研究室の窓ガラスを割り、その場から去っていった。

「待て、成瀬!」

「あ、ちょっと待ちなさい、君!」

 男に呼び止められるが、キヨは目もくれず、研究所の正面玄関にまわり、成瀬を追う。

 ——よくも、よくも!殺してやる!

 しかし、キヨが外に出た時には、成瀬の影が消えていた。それでも、キヨは森の中を走り、探した。それでも、見つけられなかった。

「くそおおおおおおおおおおお!」

 キヨの叫びが、森の中に響き渡った。



 あれから三日が経った。

 キヨは研究所に戻ることはせず、ただずっと歩いていた。お腹も減り、泣き疲れ、体力は無くなりつつあった。

「このまま、死んじまおうか…。いや、あいつを殺すまでは…」

 キヨはふらふらと森の中を歩く。森が広いのか、それともキヨの歩く速度が遅いのか。いや、両方だろう。そのおかげで、キヨは中々森を抜けられなかった。


 雨が降って来た。キヨは、その雨を眺めると、水谷と初めて会った時の事を思い出していた。

 ——博士…。

 キヨの頬には雨だけでなく、涙も流れてきていた。


 もう、ダメなのだろうか、そう、キヨが思った時だった。



「風邪ひくぞ」

 傘が、キヨに向けられた。


 ゆっくり、キヨは傘を向けてくれた男を見る。


「死ぬなんて、言うな」

 目の前には、成瀬と同い年くらいの少年が立っていた。横には、フードを被り、顔が分からないようにしている子供もいる。

「何のために生きるか、それはお前が決めることだ。だが、自ら命を絶とうとは思うな。生きろ」

「あんた…は?」

 全てを知っているかのような目で、少年はキヨを見る。


「俺は佐野つばさ。行く所がないなら俺の所に来い」

「佐野様!?」

 フードを被った子供が口を開く。声からして男の様だ。

「いいんだよ、佐助。里に一人連れてくくらい、平気だろ?」

「この前JMが里を襲ってきて、皆は復興に手がいっぱいです。そんな時にこんな得体の知れないガキを…」

「だからってこのままにしちゃダメだろ。だーいじょーぶ。俺が責任を持つ」

「はっ」

 フードの少年は深々と頭を下げる。


「お前、名前は?」

 佐野に聞かれ、キヨは複雑そうに名を名乗る。


「キヨ…。カラクナ、キヨ」


 憧れていた

 好きだった

 憎んだ

 殺したい

 そんな男が付けてくれた名前。

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