二章 08:交戦

『信哉。少し先じゃが五、六……いや、八か。計八名がこちらに向かってきておる』


 明るく照らされた廊下を走っている最中、静から声が掛かる。


「何っ!?」


 静の言葉で俺の足にブレーキがかかる。急なことだったが、隣を併走していた少女も、俺が動きを止めてから数歩先行して立ち止まった。


「ど、どうかしたんですか?」


 急に立ち止まった俺に、少女は不審な思いを抱いたのだろう。

 雨合羽のような外套がいとうですっぽりと顔が覆われているので、表情が見えにくい。けれど、俺には困っている少女の表情が、容易に思い浮かべることが出来た。

 だが、今は余計なことを考えている場合じゃない。その想像は焦りと共にすぐ消えてしまう。


「すまない、ちょっと待ってくれ」


 こいつには悪いが、かまっている余裕はなかった。


「あとから来たにしては、いくらなんでも早すぎる。他に増援の気配は?」


 言葉に苛立ちを帯びているのが、自分でも分かった。


『それはわからぬが、向こうの角から八人迫ってきていることは感じる。すぐそこじゃ』


 この時間に偶然、八人もの人数が通りかかるとも到底思えない。明らかに追っ手だろう。


「くそっ……」


 通路は南門まで道なりに続いている。このままでは遅かれ早かれ、少女の走る速さを考えるといずれ追いつかれることだろう。

 このまま逃げるか、戦うか。前者を選択する場合、早く決めねばならない。

 ――俺は選択に迫られていた。


『どうするのじゃ』

「仕方ない……ここで迎え撃つ」


 南口までまだまだ遠い。これが俺ひとりだけなら、別に構いやしないことだったが、今は少女を護りながら戦わなければならないのだ。いくら戦いに自信があれど、捨て身の飽和攻撃を受けてしまえば少女を護れる自信がない。それだけはなんでも避けたかった。


鏖殺おうさつするのか?』


 戦闘の意志を告げた途端、静が妖怪らしく愉快そうにわらう。


「なるべく殺さないに越したことはないんだがな」

『斬り殺した方が早かろうに』

「駄目だ。それは最後に取っておく」

「あの……」


 立ち止まってからの独り言にいよいよ疑念を拭えなくなったのか、少女から心配そうな声で話しかけられる。


「走りにくいし、暑いだろ? もうそれ脱いで良いぞ」

「へっ?」


 突然、少女に向かって話を振ったからか、彼女は素っ頓狂すっとんきょうな声を上げただけで、思考と一緒に体が固まってしまったようだった。俺が少女の頭に被さっている部分を取っ払うと、熱で上気した少女の顔が露わになった。外套を服の上から羽織って走るのは、さぞ暑かっただろう。


「予想よりも早く見つかった。着てるだけ無駄だってことだ」


 少女は俺の言うとおり、慌ててその場で外套を脱ぎ始める。そのまま脱ぎ捨てて良かったのだが、少女は外套を脱ぎ終えると、丁寧にも丸めて抱え持っていた。


「邪魔になるから捨てて良い。ここでじっとしてるんだ」


 少女が通路の脇へ外套を投げ捨てることなく置いたあたりで、静の言ったとおりに一人、また一人と、武装した戦闘員が通路の曲がり角からぞろぞろと現れた。その数はこれも静が言ったとおりに、ちょうど八人だった。こうなってしまえば、もう後には引けない。


「止まれ。死にたくなかったら、ゆっくりと手を頭の後ろにあてろ」


 先頭で短機関銃サブマシンガンを構えている男から、面白いほどに常套な言葉を言われて俺は苦笑する。


「――っ」


 少女のほうは怖くなってしまったようで、息をのむ音が俺の耳に届く。


「嫌だと言ったら?」


 これもまた返し文句としては、月並みだろう。

 俺は怯えた少女を背後に隠し、静を傍らに連れながらゆっくりと戦闘員へ歩を進めてゆく。その間、はぁはぁと少女の荒い息づかいが背中越しに伝わってくる。耳を澄ませば少女の心臓の音まで聞こえてくるんじゃないだろうか。

 俺は、少女に伝わるぐらいの声で大丈夫だと呟いた。


「二度目の警告だ。これを無視するようなら発砲するぞ。手を頭の後ろにあてろ」


 男の警告を俺は無視する。

 この時、俺はいかにして敵を無力化することだけを考えていた。


「……交感こうかんするぞ、静」

『合点じゃ』


 静の身体が光の粒子となって消え、俺の周りに集まり始める。


稲荷玄狐いなりげんこ静とその契約者、長谷部信哉。いざ――」


 光は次第に強くなり、俺の身体を覆ってゆく。


「推して参る」

「かまわん、撃て!」


 誰かの指揮で俺へ目掛けて短機関銃を発砲するが――遅い。弾丸が俺に到達する寸前のところで、バサリと音を立てて赤い大きな円状の物体が展開した。

 くるくる、くるくる、と。かざぐるまのようにそれは回る。


 戦闘員は一瞬怯んだようだが、発砲はやめていなかった。バーストしているものの、九ミリパラベラム弾は正確に赤い円に当たり、バスバスと鈍い音を奏でてゆく。

 しかし、どんな銃でもいずれは弾切れを起こすものだ。


 少しして、長いようで短い射撃の時が終わった。

 戦闘員は八人なので、マガジン八本分。計三百発以上は弾丸をばらまいた計算だ。ここにいる誰しもがそれだけ撃てば終わったと確信しただろう。

 ――が、無慈悲にも赤い円はゆらりと動く。そして、円は円錐へと変わる。

 軍服とは大きくかけ離れている白い羽織に黒い袴。最初から収まっていたかのように和傘が右手にあり、俺の横では黒い尾がゆらゆらと揺らめいていた。


「いったい、どうなって……」


 俺の姿に少女は呆気にとられているようだった。

 俺が和傘天気雨を畳むと、笠の部分に残留した弾の破片がぱらぱらとこぼれ落ちた。


対物ライフルアンチマテリアルでも持ってくるんだったな」

『ククク、そんな遊具では余の天気雨に傷一つ付けられぬぞ』


 こいつらからすれば、絶望の光景と言えるだろう。いや、絶望よりも不可解の方が勝っているのだろうか。この場にいる俺以外の全員が、呆気にとられているようだった。


 俺はお構いなしに、閉じられた天気雨の柄を握ってゆっくりと引き抜く。俺が傘の柄から抜き出したもの、それは一振りの刀だった。その刀は静が持つ、唯一にして無二の殺傷武器であり、妖刀にして神器。

 ――名は日照ひでり

 日照は通路の光源を受けて、鈍い血の色に輝いていた。


 その色は、日緋色金ヒヒイロノカネと呼ばれる和国最古に作られた伝説の金属が持つ独特の色からくるものだった。かつて、和国の人々は日の様に輝く色を日緋色ひひいろと名付け、日緋色に輝く金として日緋色金と呼んだ。

 そんな逸話を持つ金属から出来ている日照だが、こうとも言えるかもしれない。

 ――己を燃やし、を乾かす刀……まさに日照だと。


「さ、散開しろっ。相手はここの兵でマレビトだ。何があるかわからないぞ」


 急に我に返ったのか、戦闘員のだれかがそう叫んだ。良い判断だと俺は思う。

 俺は準備運動のように軽く日照を払うと、兵達に向かって駆けだした。

 先頭で短機関銃を構えている戦闘員まで、あと数メートルといったところで、俺は頭の中で状況を整理する。


 一、少女は自分の真後ろ辺りに居る。体勢は伏せておらず、直立の状態だ。

 ――あらかじめ伏せておくよう、指示をすべきだったが、もう遅い。


 二、銃口は俺に向けられているが、流れ弾が少女へ当たる可能性がある。

 ――少女は防弾服の類を一切身につけていない。

 これは、彼女の体型にあったものを用意するには特注しかなく、間に合わせることができなかった。故に、跳弾でさえ当たってしまえば終わりだ。


 三、既に戦意を喪失している者が数名。すぐに射撃できるは目視で八名中、四名。

 ――相手は対マレビトのプロフェッショナルであるはずだが、この状況は意外だった。


 とはいえ、数人でも少女へ向けて制圧射撃を受ければ、俺は彼女を護らねばならない。

 しかし、俺と少女はほぼ直線上。

 敵の視線は俺へと向いている。これに関しては幸いか。

 状況だけを総合して見れば、こちらが不利なのは明らかだろう。

 だが、問題はない。


 俺は戦闘員との間合いが離れている内から、日照りを大きく振るった。

 静の刀は神器と銘打めいうっているものの、とてつもなく長かったりするわけでもなく、おおよそ八十センチとありふれた刀の長さだった。

 もちろん、これでは全く刀は戦闘員へ届かない――のだが。

 俺が振るった剣先からは炎があふれ、刀身が伸びた。


 突如吹き出した、赫奕かくえきと燃え盛る炎と熱に戦闘員が戦く。しかし、炎を含めた俺の斬り付けは、誰一人として身体を掠めることはなかった。

 戦闘員にかすり傷すら与えられなくとも、俺は笑う。

 こんなものはただの惑わしだ。

 ボクシングで言えば、ジャブに相当する脅しに相当する。


 戦闘技術と知識を有したとしても所詮、生身の人間。人に在らざる力を使うまでもない。

 俺は先頭にいる男の懐に飛び込むと、刀の刃を返して一閃させる。

 振り抜かれた刀の峰は丁度脇腹辺りに食い込み、ゴリっと嫌な音を響かせた。悲鳴すら上げさせない。先頭の男は、無言のままドサリとその場に倒れ込んだ。

 まずは一人。


 そのまま、短機関銃を構えていた二人目の腕を、一人目と同じように峰で正確に狙う。下から突き上げるようにして打たれた衝撃で、二人目の銃が綺麗な放物線を描いて宙を舞う。二人目の銃が床へ落ち、カツンと音を響かせた頃には二人目はもとより、近くにいた三人目も無力化させることに成功した。

 狙った獲物へ食らいつく俺に向けて、誰かがこう言った。

 これが猟犬か、と。


「えっ……」


 四人目が驚きの声を残して散ってゆく。若い男の声だった。

 そして俺は五人目、六人目と続けざまに倒してゆく。

 俺に怖じ気づいたのか、残りの二人はその場でうずくまっているようだった。戦うことを放棄したからといって、情けを与えるほど俺はやさしくもない。


「ひっ――」


 一人には、両足と横腹を狙い――


「最後だ」


 最後の一人には、刀の柄で延髄を殴りつけた。

 最後の兵が崩れ落ちると、俺は静かに刀を和傘の鞘へ収める。その時にはもう、争いがあった場所と思えないぐらいにシン――と、水を打ったように静まりかえっていた。


「さて、と。急がないと誰かしら起き上がってくるぞ」


 そう言って後ろへ振り返ってみれば、少女は腰を抜かしてしまったのか、その場にぺたんと座り込んでしまっていた。


「おいおい、大丈夫か?」


 俺は少女の手を取って立ち上がらせる。


「すみません、びっくりしちゃいました」


 そのまま少女の手を引いて、俺たちは倒れた兵が埋め尽くす床を悠然と歩いて行く。


「……この人達は大丈夫なんですか?」


 命を狙われたのに、相手の心配をするのか。

 殺してはいないが、俺は再起できないよう骨折するぐらいの力で戦ったつもりだった。今は気絶しているが、気絶から覚めたところで銃を撃つどころか、立ち上がることすらかなわないだろう。


「心配するな。気絶しているだけだ」


 大怪我の一歩手前、といった怪我を負わせたことについては黙っておく。


『刀に悪いから、逆さに使わんで欲しいのだがな。ればもっと早いものを……』


 交感によって、尻尾となって顕現している静が不満げに愚痴をこぼす。刀の扱いというよりは、相手を殺さなかったことに対して不満があるようだった。


「あの、この声はどこから……」

「……っ!?」


 驚いた。静の声が聞こえるのか?


『余の声が聞こえるのか?』

「えっ、あっ……はい」


 戸惑いながらも、少女は静の言葉に頷き返す。


『余の声が聞こえる者は久方ぶりじゃな』


 静の言うとおり、これが初めての事ではなかったが、何度もあった訳ではなかった。


「こいつは一体……」


 何か特殊な力があるのか、それとも法則性があるのか。マレビトだけなら幾多も遭遇しているが、この少女を除いて静の声を聞けた者は二人だけだった。


『おい、信哉。余のことを説明してやるのじゃ』

「あー、今まで黙っててすまないな。こいつは俺の相棒で、静って言うんだ」


 今まで誰かに静のことを紹介をしたことがなかったので、静の説明は困難を極めた。


『ふむ、相棒か……』


 言葉を吟味するかのように、静が言葉を繰り返す。


「不満か?」

『いや、今後はそれでいこうかの』

「えっと……静さん?」


『うむ。様付けの方がよいが、強制はせぬ。余の名前は静。今はこんなのじゃが、余はとってもありがたーい存在なんじゃぞ。開運招福、無病息災、家内安全、安産祈願――なんでも叶えたもう』


 酷く偉そうな静に、俺は肩をすくめる。


「……一番身近な俺ですら、良いことよりも悪いことの方が多い気がするんだがな」

『お主、久方ぶりの話し相手じゃ。水を差すでない』

「実を言うと、俺はこいつに取り憑かれててな。お前は知らなかっただろうが、俺だけじゃなく、いつもこいつも居たんだよ」


『む。こいつ呼ばわりな上、悪霊のように申すか』

「違ったか?」

「えっ……それは、私が知らなかっただけで、静さんも一緒に居たって事ですか?」

『うむ。そちが寿司を食ったところもみーんな知っておるぞ』


 まだあのことを引きずっているのか。

 別に寿司のことでなくとも、色々な出来事が他にもあったはずだ。


「あのことはメロンソーダで手を打ったはずだぞ」

『そうじゃが……っと、少しおしゃべりに夢中になりすぎたみたいじゃな』


 俺達の視線の先――そこには一人の青年が立っていた。

 この距離になるまで、静が気付けなかったことを考えると、かなりの仕手だろう。


「早速、不幸が祟ったか?」

『物は言い様じゃの』

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