短編集 さまざまなそれ
村ののあ
皺の形
「天才少年あらわる」という新聞の見出しにつられ、冥土の土産にご尊顔でも拝しておこうかと件の天才少年宅へ押しかけたは良いが、すでに少年は文字通り頭脳だけの存在になっていたのである。
見上げる目線のその先には、培養液らしき液体漬けになりゆらゆらと、脳みそが揺蕩っていた。
どうしてその形に成ったのか、と問えば、少年の母が答えるに、脳のみで生きることがもっともエネルギー効率の良い形であるそうだ。
成る程シンプルで良いかもしれない。「脳死は死か」なんて論議が行われていたことを思い出すが、この状態は確かに脳が生きているのだから死んでいるわけではないということになる。
しかし他の臓器もないでは、美味いものも食べられぬし、美しい風景もみられぬ。
これでは何を今後楽しみにして生きていくのだ。
そう少年のこれからを案じながら謎の液体漬けになった件のやわらかい脳みそだけの天才を眺め、はらはらと涙を流していると、またも少年の母から説明がある。
少年の趣味は将棋や空想、計算問題を解くことなどであり、それらはほぼ脳みそさえあれば事足りるとのことだ。また、電気信号で美しい風景だとかうまい食べ物の情報だとかは脳みそに直接送ることができるわけで、これも問題ないそうだ。
つまり少年はこの世で通常生きていて手に入るもののほぼ全てを手に入れることができる。
電気信号という形態ではあるが、少年曰く世の中のことというのは殆ど電気信号であるから、身体を持ちながら何かの欲望を満たすことと、こうして脳みそだけとなって電気信号の形でそれを受け取ることというのは全くの等価であるばかりか、場所も物質も超越してそのような電気信号を意のままに得られるということはとても価値のあることだそうだ。
少年の母はニコニコしている。ほかならぬ少年の頼みでこのような大それた実験を請け負ったそうだが、この少年の母の脳みそもこの場で見てやりたいほど何かが狂っているのではないか。この親にしてこの子ありということか。
しかしながら、世の中のムズカシイ問題というのはこの少年のもとに常に送信されることになっているそうで、それを解いて得られる収入だけでもこの母の生活や少年の機能維持に余りある程度の金がもらえるということだ。
かつて天才少年であったものの、脳みその皺はどことなく満足気で、笑っているように見えた。
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