『追憶』

矢口晃

第1話

 今日は、シナモンについての話をしよう。しかしシナモンと言っても、私がこの間まで飼っていたミニチュア・ダックスフンドのシナモンちゃんのことではない。シナモンちゃんは、このあいだ死んでしまった。かわいそうなことをした。別にそれは、私がシナモンちゃんを苛めていたなんて、そんなことじゃない。絶対にそんなことはありえないのだ。私は誰よりもシナモンちゃんのことを本当に愛していたし、一番世話もした。それはシナモンちゃんが一番よくわかってくれていたと思う。どんな日だって、生理で体中がだるくて一日気分が塞いでいた日だって、風邪を引いて三十八度五分の熱が出た時だって、私は一日だって、シナモンちゃんの散歩を忘れたことはなかった。台風が上陸して都心でその年の最高風速を記録した日だって、私は必ずシナモンちゃんを一日一度は外に連れ出して、新鮮な自然の空気を吸わせるようにした。ただその台風の日だけは、シナモンちゃんをひどい風雨にさらすのがあまりにも忍びなくて、結局シナモンちゃんをぎゅっと胸に抱きしめたまま、いつもの散歩ルートを私が代わりに歩いてあげたのだけれど。シナモンちゃんは、尻尾を振って喜んでいた。目なんて、いつもよりももっとうるうるに潤っていた。シナモンちゃんは、きっと胸がわくわくして仕方なかったのだろう。何せ、あんなに強く降る、横殴りの雨なんか体験したことは、それまでに一度もなかったのだから。おかげで私はレインコートの中までずぶ濡れで、家に帰ったらすぐ熱いシャワーを浴びてドライヤーで髪を乾かさなければならなかったけれど、シナモンちゃんの心底喜ぶ表情を見たら、そんなつらさなんて一遍に吹き飛んでしまうのだった。私の家は都心に近いマンションタワーの七階にあるから、下から上がって来る時はもちろんエレベーターを使うのだけれど、その日たまたま私がびしょ濡れの格好で、腕にびしょ濡れのシナモンちゃんを抱えて下りて来たエレベーターに乗り込もうとした時に、偶然一緒のエレベーターに乗ることになった顔見知りじゃないおばさんが、嫌そうな目でじろじろ私とシナモンちゃんのことを見ていたけれど、私は全然そんなことは気にしなかった。なぜと言って、このマンションはペットとの同居は認められているのだから。別に知らないおばさんから軽蔑される筋合いはない。そんなことより、あの時私とシナモンちゃんの体からはたくさんの水滴がたぽたぽ床に落ちていて、エレベーターの中をだいぶ濡らしてしまったが、後から誰か滑って転んだりしなかっただろうか。私がエレベーターを降りた後、同じエレベーターで十一階まで上がって行った知らないおばさんなんかのことより、私にはその方がずっと気になるのだ。

 シナモンちゃんは、とても賢い犬だった。私にとっては、犬というよりも、弟と呼んだ方がずいぶんしっくりくるのだ。シナモンちゃんを犬呼ばわりするのは、シナモンちゃんがあまりにかわいそうだ。だってシナモンちゃんはあんなにもお利口だったのだから。シナモンちゃんは、人のいる前では絶対に吠えたりしなかった。私と二人きりの時だけ、時々甘えた声で「クーン、クーン」と鳴いたくらいだ。お散歩の時だって、私がどんなに長いリードを持っていたとしても、シナモンちゃんはいつもコバンザメのように私のすぐ横に張り付くように歩いて来ていたし、信号が赤の時は自分のお腹の下にできた自分の影を黙って見つめながら、信号が青になるまで静かに待っていた。道にどんなに甘そうで色の綺麗な飴玉が落ちていたって、シナモンちゃんは他のわんちゃんのように、決して口にしたりはしなかった。そうかと思うと、いきなり知らない人から頭を撫でられたりすると、尻尾を振ってその人の手をぺろぺろと舐めてあげるのだ。シナモンちゃんは、本当に私の宝だった。私の、自慢だった。

 シナモンちゃんは、私にとって二番目のペットだ。シナモンちゃんが家に来るより前には、ユウスケというオスの豆芝を飼っていた。私が物心ついた頃にはユウスケはもう家にいたから、ずいぶん長いこと家に住んでいたんだと思う。シナモンちゃんに比べると、ユウスケは少しだけ不幸せだった。なぜかと言うと、ユウスケは家にいる時は、いつも狭いゲージの中で生活させられていたからだ。ウンチもオシッコも、ちゃんと自分用のトイレでできて粗相なんて一回もしたことなかったし、ご飯だって必要以上に食い散らかしりしなかった。はしゃぎすぎてうるさくすることだってなかったのだ。なのになぜ、ユウスケはあんなに狭い、歩き回ると言ってもせいぜい柵の内側ぎりぎりをくるくる回転することくらいしかできないゲージの中なので暮らさなければならなかったのか。家のマンションはペットは飼育していいことになっている。でも私のお父さんの強い反対意見で、結局はお散歩の時と、とっても天気の良い日曜のお昼以外は、ユウスケは狭いゲージに囲われていた。マンションはいいと言っているのに、お父さん一人の考えだけでユウスケを閉じ込めるのは、あんまりだ。

 でも、そんな話はどうでもいいのだ。今日私が話そうとしていたのは、そんな悲しい過去にまつわる話ではないのだ。シナモン、と最初に言ったから、つい最愛の弟シナモンちゃんのことを思い出してしまったけれど、もうその話はよそう。話せば話すほど私のさみしさは募っていくばかりなのだ。私がどんなに泣いたって、シナモンちゃんは帰ってきてはくれない。ああ、窓の下に見える、広場に集まったおばさん達の話し声や笑い声。そしてその足元で、所在なさげに毛づくろいをしている、何匹かの小型犬たち。どんなに探したって、あの中に私のシナモンちゃんがいるはずはない。もう思い出すのはよそう。うっかり、シナモンの話なんかしようとしたのが、そもそもの私の間違いだったのかもしれない。

 私の通っている大学の校門を出て、大通りから住宅街に続く小道に入って、右に一回、左に一回、そして右にもう一回曲がって四メートル進んだところの左手に、小ぢんまりとしたたたずまいの、私の行きつけの喫茶店がある。私は今年で大学四年生だが、一年生の時、そう、まだ桜が咲いてようやく散り始めて来た、まだやっとそのくらいの季節の頃に、いくつか誘われたサークルの内、どこに入ろうかなあ、と考えながら、ふらふらと上の空で歩いて来て、と言うよりも、迷い込んで来た、と言う方が正解に近いだろう。何しろあの時の私は本当に心ここにあらずで、ずっとあこがれだった大学に、死ぬほど猛勉強した割にはとても簡単な入学試験に合格して入ってきた大学で、まさに人生の絶頂だと思って頭がのぼせあがっていたのだ。見るもの、聞くものすべてが何だかふわふわとしていて、自分でも地に足のついていないのが自覚できたくらいだ。だからその日だって、いったいどの路地をどう曲がってきたか思い出せなかったくらいなのだから、歩いてきた、というよりは、やはり迷い込んできた、というべきなのだ。そんないきさつで、本当に偶然に、けれども運命的な出会いをした喫茶店。見た目は昔ながらの喫茶店で、扉はもちろん木製で、金色の褪せたドアノブが付いていて、ノブのすぐ下には、これぞザ・鍵穴と言いたいくらいの、もう思わず笑いが噴き出しちゃうような、誰もが鍵穴と聞いて想像するような形の鍵穴がついていて、入口の脇にはよく意味のわからない蛙の置物が置いてあった。カエルは上を向いて口を開けて上機嫌で、手にはアコーディオンを弾いている。扉を押して開けると、カランと質素な鐘の音がして、もちろん中は無人。店主らしい、六十歳くらいのおじいさんが、一人でテレビを見ながら店番をしていた。店の中は薄暗くって、ほとんど照明なんかない。東向きの窓から自然に入ってくる太陽光だけが唯一の明るさなの。カウンター席が四つ、テーブル席が二つ。満席になっても、やっと十人。そんな小さな喫茶店。メニューはテーブルに置いてあって、内容はとってもシンプルなの。ホットコーヒー、アイスコーヒー、ホットティー、ホットレモンティー、ホットミルクティー、アイスティー、アイスレモンティー、アイスミルクティー、それに、ベーコントーストと目玉焼きトースト。以上。私の注文は、いつも必ず決まっていた。ホットティー。それだけ。注文をすると、その店主らしいおじいさんは、おもむろに見ていたテレビを消すの。それもリモコンじゃないのよ。手で押すやつ。耳が遠いせいか、テレビのボリュームはとても大きかった。でも、私が注文をすると、テレビを消して、代わりにBGMを流してくれる。主にバロック時代の、古いクラシック。それが、薄暗い店内に漂う木の香りと、瓶から漏れるコーヒーの香りと、とても絶妙にマッチしていた。おじいさんは、おでこの方から頭頂部まで、髪の毛が抜けていて、耳の周りから後頭部にかけてだけ、白い天然パーマの髪を生やしていた。銀縁の丸眼鏡をかけて、笑ったり話したりすると、上の左右の糸切り歯が抜けていた。そして銀歯も何本かあった。ふわふわの卵焼きみたいな色のシャツを着ていて、その上から古ぼけた白い色のエプロンをつけていた。太い指で、不器用に淹れてくれるその紅茶は、でも、そんなかわいらしいおじいさんが淹れてくれたとは思えないほど、香りがさわやかで、まろやかな甘みで、飲み終えた後の余韻が素晴らしく豊かな、世界でここだけでしか味わうことのできない絶品だった。そして、おじいさんの紅茶には、いつでも一本、シナモンスティックが添えられていた。私はおじいさんとそれほどたくさんお話した記憶はないけれど、時間さえあれば、その喫茶店に足を運んでいた。その喫茶店で、クラシック音楽を聴きながら、おじいさんの淹れてくれた紅茶をシナモンスティックでくるくると掻き回しながら飲んで、やわらかな日光を浴び、好きな本を読んでいるのが何よりも幸せだった。

 ある日、それは、私がまだ大学二年生の時で、ちょうどその前日に、最愛の弟シナモンちゃんを失った直後のことで、深い悲しみのどん底から抜け出せなくて、一晩中泣いたせいでお肌がぼろぼろで、もともとそばかすの多い顔なのにファンデーションをどんなに塗ってもその日はそばかすを隠すことができなくて、おまけに目の下には真っ黒なクマ、まるでゾンビかミイラみたいな表情の時だった。でも、それまでにさぼり過ぎて単位の危うい講義があったから、どんな顔でもその授業だけは出席しようと思ってどうにか自宅を出て電車に乗って、でも電車に乗っている間もシナモンちゃんのことがずっと頭を離れなくって、涙がどんどん溢れてきちゃって、幸い昼下がりの電車だったから人もそれほど乗ってこなかったのだけれど、電車の窓ガラスから外の景色を眺めていると、知らない間に窓ガラスには元気だったころのシナモンちゃんの顔が浮かびあがっていて、どうにか嗚咽を噛み殺しながら大学について、講義に出ても、結局九十分間ずっとシナモンちゃんのことばかり考えていた。それからやっと講義が終わって、友達にそんな泣き腫らした上にそばかすだらけの情けない顔を見られないように風のように講堂を抜け出して、まるで導かれるように、いつものあの喫茶店に入った。いらっしゃい、という代りに、いつものようにおじいさんは私に軽い会釈をしてくれた。そんなおじいさんの優しさが嬉しくて、温かくて、私はまた泣き出しそうになるのを必死でこらえながら、すでに私の指定席となっていた窓際の日当たりのいい席に座って、窓ガラス越しにぼんやりと外を眺めていた。すると間もなく、注文もしないのにいつも通りの紅茶が出てきて、私はありがとうも言えずに、黙ってそれを啜っていた。なぜだか、いつもよりもおいしい気がして、なんと言うか、香ばしくて、苦味が利いていて、そう言えばいつもよりも店の中にシナモンの香りが強くするなあっと思いながらもまた黙ってぼんやりとしていたその後で、静かに私のテーブルの傍らからおじいさんが差し出したのは、白い丸いプレートに乗せられた、一枚のシナモントーストだった。

 驚いた表情でおじいさんを見上げると、おじいさんは丸眼鏡の少し下にずれた愛らしく優しい笑顔で私のことを見つめていた。

「メニューにはないのですが」

 おじいさんはそれだけいうと、カウンターの向こうにある自分専用の丸椅子に腰かけ、バロック時代の古いクラシックに耳を傾けながら、首をうなだれて眠ったようにしてしまった。

 思いがけないことに、しばらく私は何も考えることができなかった。テーブルには、焼きたての、香ばしいシナモントーストがまだ湯気を上げている。

「おじいさん」

 私は、思わずカウンターの向こうのおじいさんに声をかけた。その声は、今思えば、どんなに小さかったことだろう。それも無理はない。その時の私は、唇はからからに乾き、のどがけいれんして、思うように言葉も発することができなかったのだから。でもおじいさんは、そんな私の微弱な呼びかけに応えてすっと顔を上げると、

「シナモンが、好きみたいだから」

 と、ちょうど私の後ろの窓ガラスから入ってくる太陽光がまぶしいからか、あるいはただ単に照れ臭かったからか、はにかむような表情で私にそう答えた。おじいさんの焼いてくれたシナモントーストは、もう言葉にする必要も感じないくらい、おいしかった。世界一おいしいシナモントーストを頬張りながら、もうシナモンちゃんのことで思い煩うのは、やめよう。シナモンちゃんは、幸せにあの世に行った。きっと、私のことを、ありがとうって思ってくれているはずだ。いつまでもくよくよとうつむいていたら、それこそシナモンちゃんに悲しい思いをさせてしまう。明るく、前を向いてがんばっていこう、そう自分を励ましていた。

 それから二年。大学も最後の年を迎えた私は、今もこうして、この名もない小さな喫茶店に通い続けている。そして毎日のように、おじさんの淹れてくれるシナモンスティック付きのホットティーを味わっている。太陽の光は、店の中を淡い光で包みこんでいる。店のカウンターには、一枚の古ぼけた写真立てが、四年前から変わらずに立てかけられている。それは、おじいさんのかつてのお嫁さんの写真だそうだ。だいぶ歳をとられた後の写真だそうだが、その若々しく活力に満ちた笑顔は、かつての美貌を彷彿とさせている。

 奥さんは、数年前に病でなくなったそうだ。おじいさんは、奥さんのことをとても愛していて、今でも毎日のように夢に見るそうだ。おじいさんが六十歳を過ぎた後、かねてから奥さんの望んでいた喫茶店を、二人で始めた直後のこと、奥さんが重い病で倒れてしまったという。おじいさんの懸命の看護の甲斐なく、奥さんは間もなく息を引き取ってしまった。

 喫茶店の名前は、奥さんの発案で決められたそうだ。それは今でも店の入り口に掲げられているというが、ペンキがすっかりはげ落ちてしまっていて、私はおじいさんからその話を聞くまで、その店の名前を知ることはなかった。

 奥さんは、大のシナモンティー好きだったらしい。そこで、この喫茶店は、「シナモン」と名付けられた。

 今日話そうと思ったのは、ただ、それだけのことだったのだ。

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『追憶』 矢口晃 @yaguti

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