奇々怪々は夜を征く

@quklop

第1話

一先ず俺は、首から上を失った友人と、その傍に座す狼の前で、状況の整理を始める。


場所は柳本高校二階、二年五組教室。事が発生したのは、午後六時丁度。

同じクラスの連中も帰り始め、教室に残っていたのは俺と長谷川の二人だけだった。


何の前触れも無く、その瞬間俺の視界に入っているもの、全ての色合いが変化した。

赤紫がかった正体不明の暗さを孕んだ色、それでいて物と物の境界はハッキリと見て取れる。

兎に角自然界に存在しうる色では無い。

長谷川も驚きの声を上げていたので、多分俺の目がおかしくなったのでは無く、世界そのものの色が変わったのだろう。


俺たちは数学教師横山の、変態的縦ステップについての考察を一旦停止し、お互いに顔を見合わせた。

長谷川が口をワナワナと震わせて、何かを言いかけたが、それは声にはならない。

その前に長谷川の首から上が、綺麗さっぱり消滅してしまったからだ。


長谷川の首が消える瞬間を、俺は目撃する事が出来なかった。

何故ならそのタイミングで、更に奇妙な現象が連続して発生したからだ。


まず、俺の視界が四つに割れた。

何かの例えでは無く、綺麗に四分割されたのだ。

いや、四倍になったと表現する方が近いかも知れない。

通常の四倍の大きさのテレビで、画面を四分割して対戦するタイプのテレビゲームをプレイする感覚だ。

四分割されたうちの一つは、普段通りの、自分の顔前方の視界。

二つ目は、教室後方の小型黒板が映っていた為、自分の後方が映っていると思われる。

三つ目はゲームで言う所のステータス画面そのもので、鬼瓦正義という俺の本名を表す文字の下に、スキルだったり健康状態だったりが、ゴチャゴチャと表記されている。

そして最も奇妙なのが四つ目だ。

『夜へようこそ』

黒地を背景に、ただその一言だけが、素っ気なく明朝体でタイプされている。

その一言を読み終えた瞬間、俺の脳に異常が起きた。

恐らく0.1秒にも満たない間に、俺はこの一連の現象全てがゲームである事と、その最低限のルールを理解したのだ。


ここまでの回想から推察して、現在の俺が取るべき行動は、この教室からの脱出だろう。

低い姿勢を保って俺の事を睨みつける、あの狼が長谷川を殺した事は、まず間違いが無い。

アレがプレイヤーなのか所謂モブモンスターなのかは分からないが、兎に角こっちに危害を加えてくることは確実だ。


俺は椅子から立ち上がり、敵に背を向けて、教室の出口へと走った。

後部の目で敵を補足しつつ、机と机の間を縫うように移動する。

背を晒した事が俺の隙だと思ったのか、狼は直線的な動きでこちらに迫ってきた。

机と椅子を跳ね飛ばす、弾丸のような突進。

だが真っ直ぐここに向かって来るならば、つまるところ俺が横に動けばそれは当たらない。

狼の攻撃を躱す間に、俺はステータス画面の中身を確認する。

何やら下を向いた小さな三角形を見つけたので、それに対して意識を集中してみると、突如、異形の怪物が視界の中に大写しになった。

俺は直感的に、これが現在の俺の姿である事を認識する。

全体的に赤黒く、硬そうな体表。

狐に近い雰囲気を持つ顔面。

手と足が2本ずつあり、一応人型の造形をしてはいるが、肘であるべき部分の先は、左右それぞれ剣とライフルのような形状をしていた。

成る程こいつは戦えそうだ。


俺は鋭利な爪先を床に突き立てるように着地し、回避動作を終了する。

それと同時に、敵はさっきまで俺がいた空間に牙を突き立てた。

ガチンと、牙と牙がぶつかる音が、教室中に響き渡る。

アレに噛まれたら、痛いだけでは済まなさそうだ。


俺はほんの少しの躊躇いの後、マントのような形状をした背部、その中心にある目を見開く。

モードを2に設定。

敵を背後視界の中央に捉えて、《察照視》を放った。

ステータス画面のスキル説明に書いてあった通り、背後の視界が潰れ、代わりに敵の持ち技が表示される。

その内容を確認して、俺は思わず口の端をニヤリと歪めた。

いや、今の俺に口腔は存在しないので、正確には頬の肉を歪めた。


敵が使えるスキルはたったの二種類。

《突進》と《噛み付き》の二つだけだ。

しかし、長谷川が即死した事を考えると、《噛み付き》は絶対に喰らいたくないし、噛み付ける間合いに入る為、若しくは素早く離脱する為の《突進》まで備えている。

たったこの二つだけで、一つの戦法が成立しているのだ。

少しのミスが即死に繋がる、単純ながらも危険な相手と言えるだろう。

だが、俺の持つ《察明視》に類似したスキルを持たない事を知れたのは、大きな朗報だ。


《察明視》を使用すると、代償として背後の視界を失う。

つまり先程のように、背を向けた状態で攻撃を躱すことは困難になる。

しかし、敵にこちらのスキルの詳細を知り得る手段は無いため、あの狼の頭には、背後からの攻撃は効果が薄いという情報だけが残る。


もう一つ駄目押しをしておこう。


俺の肋骨は、通常の人間とは逆の方向に反っており、先端部分がマント状の背中を突き出ている。

俺はその肋骨を、狼の足が床に着く音と同時にぐいっと伸ばした。

背後から近づけばカウンターを喰らわせるぞ、という警告だが、実際は背後が見えないのだから、タイミング良く肋骨を動かす事は不可能に近いし、そもそもこの伸縮は骨組織の間と間を離す事により行っているので、突き刺さるどころか触れられたらポロポロと崩れていく。

だが、そんな事は知られ得ないので、敵の頭の中では背後に回り込むという選択肢が消滅した筈だ。


俺は狼の方へと振り返った。

思った通り、狼は俺を睨みつけるだけで、大きな行動には移らない。


今度は俺が仕掛ける番だ。

《骨粒弾》を右手に装填する。

一、二、三、四。

順々に、肘の辺りから細かい骨が、腕の先へと送られて行くのがわかる。

不思議と痛みは無いが、薄気味悪い感触だ。


装填完了。

俺は狼に銃口を向けた。

狼がピョンと左斜め前に跳ぶ。

慌てて動きを追ったが、視線が追いついた時には、もう既に反対方向へ跳ばれていた。

次第に距離を詰められて行く。

このままでは、《噛み付き》の攻撃範囲まで飛び込まれてしまう。

《地噛鋏》で俺の周囲に罠を敷くか?

いや、設置にかかる1.2秒は、致命的な隙になる。

いっそ《錆鉄塞》でカウンターを狙うか?

しかし、目視するのがやっとのあのスピードに、打撃を当てられる自信は微塵も無い。


結局俺は、一旦この場から退散する事を選んだ。

「スマナイ、リジチョウ」

嗄れた奇妙な音が、俺の口らしき器官から漏れ出る。

俺は波打つ剣と化した左手を振り上げ、《穿打》を発動した。

《穿打》は、剣の組織密度を高め、一旦凝縮し、対象へ攻撃する瞬間にその密度を元に戻す事により、爆発的な突きを放つ技だ。

それを俺は、床に対して振り下ろす。

バネの様に伸び跳ねる剣と俺の力が加わり、俺の足元に大穴が開いた。

背筋が凍るような感覚。

教室が高速で上へと流れていく。

落下中に上を見上げると、狼が俺を追って穴の中へと飛び込んでいた。

空中ならば羽でも付いていない限り、落下以外の動きは制限される。

つまり、真下から真上へと、真っ直ぐに撃つ事さえ出来れば、あいつに《骨粒弾》をお見舞いする事が出来る。

俺は穴が開いていた位置に向かって、装填されている四発全てを叩き込んだ。

途轍もない衝撃。

爆音。

俺の頭が情報を処理しきれなくなる。


発砲時の反動が、俺を二階教室の床に突き落としたらしい。

背中を強打したようだ。

痛みに悶絶しながら起き上がった。


背中の表面を生暖かい液体が流れ落ちる感覚。

血塗れの狼が、木製の床の上に転がっていた。

まだ息はあるようで、狼の白い腹がゆっくりと震えていた。


銃撃一発で動けなくなるというのは、

ゲームとしてバランスが取れていないんじゃないか。

そんな事を思いながら、俺は左手の剣を、狼の喉元に突き付けた。

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