第三話 最果てのマリア

3-1 オーダーメイド・ソウル

 「君の腕を見込んで頼む。俺のアイドルを取り戻して欲しい」

 

 地中海・シチリア島。

 この島には2つの顔がある。

 1つは、島を取り囲む蒼海と数多の世界遺産によって成り立つ観光リゾートの顔。

 もう1つは、世界有数のマフィアである、シチリアン・マフィアの拠点の顔。

 麗しき美貌と凶悪な暴力。

 相反する二面性を持つこの島で、後者を象徴する者の一人。

 それが今回の依頼人、とある有力ファミリーの支配者ドン・ヴィンチェンツォ。

 短い黒髪と日焼けした浅黒い肌。少しやつれているが弱さは感じさせぬ精悍な顔つきに、獲物を捉える猛禽の如き眼光を宿す「イタリアの伊達男」の風情。

 シチリア海を見下ろす絶好の場所に構えられた邸宅に、依頼のため私は招かれていた。

 屋敷の調度は全てイタリア高級家具で統一されており、しかしその数と配置に嫌味がなく、洗練を感じさせる。大理石のテーブルに載せられたクリスタルグラスはいつもならワインで満たされているのだろうが、今日の所はミネラルウォーター。これはあくまでビジネス、客人の歓待ではないということか。

 そして本人もこの完成された空間にふさわしく、絞りこまれた体に付けいる隙の無い身なり。ソファに深く腰掛けくつろぐその所作には優雅さすら感じられる。

 今回の仕事は期待できそうだ…と思っていたのだが。


 「アイドル、ですか。それはいわゆる芸能人の事と解釈しても?」

 

 「まさか。この俺がそんなモノにうつつを抜かす男に見えるか?その程度のものならわざわざ人に頼むまでもない。自前でからな」


 己が悪党であること、それを示すことに何の躊躇いも誇張も無い。

 極自然に悪である生き方をしている男の呼吸。

 久し振りに、少しだけ肌がひりつく。


 「ならばそれは人間のことではなく、一般に偶像と呼ばれる物の事でしょうか」

 

 「言葉の上で言うならそういうことになる。しかしそこらの教会に一山いくらで転がっている像と一緒にされては困る。あれこそは、色褪せぬ永遠の美貌に無限の慈愛を宿して受肉した聖なるマリアそのもの。俺の命よりも重く、この世の何にも変えられぬ無二の至宝だ。それがこともあろうに、どこの馬の骨とも知れぬチンピラに拐かされた」


 凪のような表情で吐き捨てるように言う。よく見れば握りしめられた拳に青筋が走り、目線は己の足元の一点に据えられているが恐らく何も見てはいない。

脳内で怒りのビジョンに酔い、イメージの中でチンピラを血祭りにでもしているのだろう。伊達男として相好は崩せぬが憤懣遣る方無し、と言った所だ。

 …マリア像か。キリスト教圏であるイタリアでは別段珍しくもないありふれた偶像だが、「受肉したマリアそのもの」とは大きく出たな。この男にそこまで言わせるとは何か特別な曰くでもあるのか。


 「心中お察し致します。それでは私への依頼とは、その男を捕まえ像を取り戻すことでよろしいでしょうか」


 依頼人から指定された物を、望みの場所に届ける。

 求められる結果はそれだけで、手段も過程も一切不問。

 それが私のビジネスなのだから、これも充分に私の範疇。

 やはり、久々に腕の振るい甲斐がある仕事のようだ。


 「いや、そいつは既に捕まえて全て吐かせた上で、母なるシチリアの海へ還ってもらったよ。俺の部下はとても優秀で、仕事が出来る奴らばかりでね。捜索、捕獲、尋問、加工の工程を終えるのに二日もかからなかった。しかし、その仕事の迅速さを持ってしても、事は既に手遅れだった。君に頼みたい依頼はそこからの話だ」


 そう言ってグラスに口をつけ一呷りすると、それだけで先程の怒りも全て飲み下したかのように怒気が薄れる。組織の頂点に立つ者として、感情のコントロール程度は当然の嗜みのようだ。

 

 「そいつは幸いな事に、どの組織にも所属せずにフリーの悪党を気取っていた恐るべき馬鹿でな。おかげで無駄な根回しをせずに済んだ。聞けば悪事を度胸試しの一環か何かと勘違いしていたようだ。阿呆らしい。悪とはただひたすらに生業だ。明日を生きるため、己の矜持と命を賭けるからこそ悪だ。そうでなければ知恵の足りない

ただの間抜けだ。で、その間抜けは小銭目当てで俺の屋敷に忍び込み、何の自覚も

ないままに命をチップに大博打をしでかしたってわけだ。呆れたことに、最後の瞬間まで口を開けて『何が起きているのか分からない』って顔をしていたよ。そんな事も分からないから、海の幸の仲間入りをすることになる。稼いだ小銭を使う暇も無く」


 「既に像は売り払われていたのですか。盗む前に売り先の当てがあったとしか思えない速さですね。つまり最初から像を目当てに盗みに入ったと」


 彼が立ち上がり、海に面したベランダへ出て、彼方に思いを馳せるかのように遠くを見据える。その果てにあるものを見失うまいとするように。


 「そうだ。そして既にどこに流れたのかも聞き出し済みだ。そこがちと我々にとって厄介な場所でね。そう簡単に押しかけて家探しというわけにもいかなくなった。そこで君の出番という訳だ、ミス・セブンブリッジ」

 

 振り返って言うドン・ヴィンチェンツォ。

 佇まいこそ平素のものだが、向けられた眼光は射殺さんとするばかりに鋭い。

 ここまで聞いた以上断るまいな、という無言の圧力。

 無論それはただの圧力ではない。ここで下手に応じればそれこそ射殺されることになるだろう。

 上等だ。こういう展開こそ私は待ちわびていたのだから。


 「委細承知致しました。どうぞこの私にお任せを。如何なる場所でも足を運び、必ずや像を取り戻してご覧にいれましょう。それで、その厄介な場所というのは」


 そこで初めて、ヴィンチェンツォの纏う空気が崩れた。

 心底理解できぬという、理不尽に戸惑う表情を浮かべている。







 「まさか、海の向こうから私の神を訪ねて来られる人があろうとは。同胞たちですらまだ分かってくれませんが、あなたが来られたことが私の神が確かなものである何よりの証拠となるでしょう!」

 

 長い手足をオーバーアクション気味に振り回し、私に神の素晴らしさを説くこの青年の名はカリム。自身が崇める神の思わぬ理解者に出会えた喜びか、まるで人懐っこい犬のように、私の周りをくるくる回りながらはしゃいでいる。その喜色満面の表情には何一つやましいところがなく、その眼はただひたすらに輝いていた。


 「ええ、貴方の神の噂を聞き、どうしても一目見たくてやって来てしまいました」

 

 一方私はというと、流石にこの気温の中で成人男性にまとわりつかれると暑苦しくて仕方がなく、先程から汗が止まらない。汗をかいているのはカリムも同様なのだが彼はまるで参る様子がない。流石にここは風土に対する慣れの差が出るか。土地に馴染むために白の柄TシャツにGパンという服装をしてきたのだがそれでも暑い。しかしこれ以上薄着のしようもなく、耐えるしか無かった。


 「歓迎いたしますよ、さあこちらへ。海より流れ着かれた私の神を訪ね、海の向こうから我が国に友人が来る。正しく神霊の思し召しでしょう」

  

 彼の案内に従って歩いて行くと、村の広場にたどり着いた。目的地へはこの広場を抜けていくらしい。

 広場では若者達が半ば半裸に近い格好で、誰かが叩くコンガの音色と歌に合わせて踊っている。土埃が陽光に暖められた空気と混じり合い、独特の香りをたてる。

 太陽と大地の狭間で、何者にも咎められずあるがままに舞う。そこには生命の輝きそのものがあった。

 

 

 ベナン共和国。

 西アフリカにおける共和制国家の1つであり、ブードゥー教を国教とする国。

 黒人奴隷制度を通じてハイチやキューバに広まっていったアミニズム宗教だが、元来はこの国の前身であるダホメ共和国の信仰であるという。

 ブードゥー教といえば一般的にはゾンビで有名であるが、それは西側諸国によって歪められた恣意的なイメージであり、その本質は苛烈な環境を逞しく生き抜くための生と死に寄り添う文化である。しかし、同時にブードゥー教には呪術、黒魔術が含まれていることもまた事実であり、ブードゥーマーケットには無数の動物のミイラや頭蓋、骨を用いた装飾品などが売られている。

 そして、そのマーケットに何を間違ったのかヴィンチェンツォのマリア像が紆余曲折を経て流れてしまったという。確かに現在のベナンは国民の半数がキリスト教徒でもあり、ブードゥー教と半ば融合してしまっているらしいのだが、それでもよく売れたものだ。

 本来ならばその時点でもはや事態は絶望的だが、それでも藁を掴む思いで部下に無茶を言って捜索を続けていた所、最近ある若者が奇妙な像を手に入れて独自の信仰を始めたという情報を掴んだらしい。

 ブードゥー教は生活に根付いた風習そのものであり、その儀式に『祭祀が選ばれた村人に傷を付け、その傷と血を媒介にして神を憑依させ祀る』というものがあるが、これは「神・精霊を持ち回りで演じ祝祭を行う」という民間信仰のパターンを踏襲していて、集団生活の運営、集団心理の形成に大きく影響を与えている。いわゆる

「ムラ文化」というやつだ。

 そんな村社会の中で唐突に独自の神を勝手に祀り始めればどうなるかは想像に難くなく、その若者は異教徒として村で浮いてしまった。そしてその異質さが人々の噂となって伝わり、ヴィンチェンツォの網にかかったというわけだ。

 しかし、この若者カリムの熱心な布教とその神像の美しさによって、信仰者は少しづつ増え始めているという。

 ヴィンチェンツォはそれを聞いて「それこそ俺の像に違いない」と確信を得て私に依頼をしてきた訳だが…


 「神は肉体を持たず、ただ我々の体に乗り移ることでのみ思し召しをなさるものですが、あの像を見た時、私は初めて形のある神というものを知りました。この素晴らしさを多くの人に知ってもらいたいと思うのですが、なかなかうまくいきません。しかし、貴方をきっかけにしてこれからベナン中に広まっていくでしょう」


 「不躾な希望かと思い、神にお会いすることは難しいと思っていましたがこんなに歓迎して頂けるとは思っていませんでした。少しでも信仰を広めるための力になれれば光栄ですわ」


 流石にアフリカでは目立つかと思い、髪を黒く染め肌を焼き、黒のカラーコンタクトまで入れてきたが無用の心配だったかもしれないな。カリムは自身の信仰に興味を持ってもらえて嬉しくてしょうがないらしく、先程から終始笑顔を絶やすことがない。心の底から私を信じきっているようで、まるで人を疑うという事がない。

 いや、彼は元々そういう人柄で、それはこのベナンという土地柄によるものかもしれない。そう思ってしまうほどにこの土地は純粋な活力に満ちている。

 都市部はそれなりに文明的な街並みなのだが、そこから少し外れると地面は舗装などとは無縁の剥き出しの土で、建物も木と藁で出来た掘っ建て小屋。

 如何にも貧困のアフリカといった光景なのだが、先程から見かける住人達は皆活き活きとしており、その表情に暗い所は少しもなく、心から楽しそうに一日を謳歌している。これでは、漂白されたコンクリートジャングルで日々疲れ切りながら生きている富裕国の人間のほうが余程ゾンビに近いのではないか。

 そんなことを考えながら導かれるままに歩いていると、やがてカリムが立ち止まった。

 

 「さあ、着きましたよ。あそこに神像が祀られています」


 その建物は先程までの開けた村と違い、森の中に埋もれるようにして建っていた。

ただ神像を置くだけにしては少し大きい。教室ひとつ分くらいはありそうだ。入口の前には十数人の若者達が神妙な面持ちで立っている。彼が増やした信徒達だろう。

 

 「はい、ありがとうございます。思ったより大きな建物なのですね」


 「いえ、これからまだまだ大きくしていきますよ。そうしないと皆が神像を目にすることが出来ませんからね」


 両腕を大きく広げ、天を見上げるカリム。

 きっとこれからの教団の未来に思いを馳せているのだろう。

 その隙にヴィンチェンツォから渡された写真を確認する。

 そこにはヴィンチェンツォと彼の妻が写っている。妻は既に故人であるらしい。

 件の神像は、その妻アマーリアに瓜二つなのだという。

 像そのものの写真はなく、このアマーリアの面影と像に刻まれたヴィンチェンツォのサインがその神像の証明であると言われて渡されたのだが、自身の妻と同じ容貌のマリア像を「色褪せぬ永遠の美貌」とはよく言ったものだ、流石はイタリア男というべきか。ひょっとするとオーダーメイドで妻に似せて彫らせたのかもしれないな。


 「それでは、失礼致します」

 

 扉をくぐり中に入ると、内部の造りはキリスト教会の礼拝堂と殆ど同じになっており、中央に道を開け、その道を挟むようにして長椅子が並べられている。これで奥の壁に十字架があれば完全に教会だがそれは無く、代わりに最奥部に例の神像が安置されている。その神像は直立ではなく、椅子に腰掛け両手をその前に組んでいた。マリア像ではよくある構図だ。

 その神像は確かに遠目から見ても繊細な作りをしていて美しさを感じるが、私はその美しさに何か違和感を感じた。その違和感の正体を確かめるため、より詳細に観察するべく神像に近づいて、私は気付いた。気付いてしまった。


 その衝撃に耐えかねて、思わず両手を礼拝堂の床につけ跪く。 


 「ああ、ああ、まさか、そんな…」


 カリムが跪いた私の横に立ち、迷える子羊を導く司祭のように囁く。


 「この神像を初めてみた時、私もそうなりました。外の信徒達も皆同じです。そして今、海の向こうより来られた貴方もその美しさの前に膝を折られた。やはりこれは間違いなくこの世に降りられた神そのものなのです…」


 カリムが涙を流している。己の信仰に完全な確信を持った故の、感動の涙。

 しかし私は別の意味で泣きたかった。

 確かにこの像は美しい。

 緻密な計算によって導き出された完全なプロポーション。

 その体型に添って仕立てられ、ボディラインを浮かび上がらせる薄い白のベール。

 弱々しくも儚げに折りたたまれた、すらりとした手足。

 精緻に彫り込まれた、完璧な均整を誇る顔立ち。

 宝石のように光る大きな瞳。

 一切のほつれも痛みも無い、絹の艶やかさを思わせる亜麻色の髪。

 染み一つなく、陶磁器のように滑らかな白い肌。

 そしてその内側に女性的な柔らかさを宿らせるシリコンのボディ。


 そこに座っていたのは、日本の某社が現代科学の粋を結集させて開発した

最新式ラブドールの最高級オーダーメイドモデルだった。

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