僕の世界は生まれながらに死んでいた

青空奏佑

第一章~はじまり~

第1話~出会い~

 僕の世界は生まれながらに死んでいた。


 この言葉を説明するために、まずは僕の世界とは何なのかということを話さなければならないだろう。


 世界。僕にとっての世界。一般に言うところの世界と言えば、すべての生物、物質、そういったものが存在している場所のことだろう。社会だとか、世間だとか、過去や現在、未来といったすべてが世界という一つの言葉に集約している。


 だけど、ここで言うところの世界はそういう意味の世界ではない。ここで言いたいのは、僕たち人間が一人一人持っている世界のことだ。

 ある人、ある生き物が生まれてから死ぬまでの時間。その中で構築していく自分という名の世界。僕の世界はその世界を指している。


 そして、僕の世界は生まれながらに死んでいた。


 死んでいたというとやや語弊があるかもしれないが、しかし概ね間違っていない。


 これは想像でしかないのだけど、多くの人たちの世界は、一般的な世界をその目で見ることで構築されていくのだと僕は思う。生まれて、目を通して外の世界を見て、色鮮やかな世界を見て、自分の中へと取り込んでいく。その際、何も視覚だけでなく、嗅覚だとか、触覚、聴覚、味覚といった五感すべてを駆使して経験していくものなのだろうけど、やはり視覚から得るものが一番多いのだと思う。

 鮮やかな外の世界から自分の世界へとあらゆるものを取り込んで自分の世界を作っていくのだとしたら、その鮮やかさを見ることが出来なければならない。

 空は青色。雲は白色。海は深い青色。葉は緑色。木は茶色。太陽と月は輝いていて、人間は肌色で、人それぞれ自分の世界を区別するように全く違う顔をしている。

 そう言ったことを知るためには見えなければならない。世界を見ることが出来なければならない。


 でも、僕にはそれが出来なかった。生れ落ちた僕の世界は、暗闇に満ちていた。


 僕の目は、外の世界を映し出してはくれなかった。


 だから、僕の世界は生まれながらに死んでいた。


 ただ、僕にとってそれが普通なのだと思っていたから、そのこと自体に苦痛を感じたことはそれほどない。世界を見ることが出来なくとも、耳や肌、そう言ったもので感じ取ることが出来る。世界の表面をなぞるような、そういう方法で僕は僕の死にかけた世界を保ってきた。


「今日は少し暑いな」


 毎月の定期健診を終えた帰り道。気が付けばもう七月。目が見えないから、季節の移り変わりを直接見届けることは出来ないけれど、気温だとか、空気の匂いだとか、それと周りを歩いている人の会話だとかで僕は季節の移り変わりを文字通り体感する。

 まだ蝉の鳴き声は聞こえてこないから、本格的な夏とは言い切れないだろうけど、数日前の梅雨独特な空気感はすっかり消え失せている。

 僕は梅雨の時期も決して嫌いではないのだけど、やはり空は晴れていて欲しいと思う。きっと今日の空はとても清々しいものになっているのだろう。そんな気がする。今日出かける前に聞いた、天気予報のお姉さんもそう言っていた。


 土手を歩く。何回も歩いてきたと言え、階段を上る時は未だに注意してしまう。手に握っている棒をいちいち動かし段差を把握して上がる。

 階段を上ったところで立ち止まり、周りの雰囲気を感じ取ってみる。昨日は突然の大雨だったから、川が増水しているらしく、先週来た時よりも川を流れる水の音が激しい。夏になった所為なのか、生える雑草の背も伸びたらしく、風に揺られて音を立てている。

 草花が風に揺れ、川の水は留まることなく流れて行く。どこからか鳥の声が聞こえてくるし、虫の鳴き声も聞こえてくる。子供の声や大人の人の会話する声も聞こえてくる。

 この時期になって来ると、そんな様子が顕著になるから、夏は生き物が喜ぶ季節なのかもしれないなんて、そんなことを毎年思ってしまう。


「ス~……」


 ここに立つと、必ず僕は周りを確かめるように、味わうように空気を吸う。川こそ増水しているみたいだけど、今日もこのあたりの様子は変わりないようだ。

 すでに癖になってしまったような一連の行動を終えて、僕はさっそく足を進める。今日は定期健診が思っていたよりも早く終わったから、ゆっくり歩くことにしよう。たまにはいいだろう。

 足の裏に伝わる感触。棒を通じて手へ伝わる感覚。もう十年以上歩いてきた道だ。ここを歩くと、妙な安心感に浸ることが出来る。なんだか不思議な話だ。


 そんな風に、安心感を抱くほど慣れ親しんでいるこの道だけど、最近になって少し気がかりになっていることがある。まあ、最近と言ってもつい数週間前くらいからなのだけど、どうやら毎週日曜日のこの時間帯、必ず決まった場所に座っている人がいるように思えた。

 僕は直接見えないから本当にそうなのかと問われれば自信を持ってそうなのだということは出来ないけど、何となく、この数週間同じ人が同じ場所で同じ景色を眺めているような気がしていた。

 それが僕は気になった。まるで、誰かに話しかけられるのを待っているかのように思えてならなかったからだ。僕は僕の生きてきた十年と数年間、人の顔と言うものを未だに一度も見たことがない。でも、その人が纏う何となくの雰囲気で、どんなことを考えているのかが何となくわかる。

 だから、この土手で座り込んでいる人がそんな風に思っているのではないのかと僕は思った。


「すいません。先週もこの時間帯にここにいませんでしたか?」


 話しかけようと思ったのは、本当に気まぐれだった。たぶん、定期健診がいつもよりも早く終わっていなければ、今日もいつものように素通りして終わっていただろう。


 僕が話しかけると、やはりそこに人はいたらしい。「あ、そ、その……えっと……」なんて声が聞こえてくる。

 声からして僕と同い年ぐらいの女の子らしい。ただその声を聞いた瞬間、どうしてか頭の奥底が疼いたような気がした。周りの音が少しずつ消えていって、この女の子の声だけが頭の中で何回も反響する。


「え、えっと……?」


 そんな女の子の声で我に返った。


「あ、いえ、驚かせるつもりはなかったんです。純粋に、気になっただけなので。すいません」

「あ、は、はい。問題、ないです……」


 あまり大きくはない声。そよ風ぐらいの声量だ。それでいて、どこか懐かしくもあり、優しい声だと思った。


「先週も、ここにいました」


 少し遅れて、彼女は僕の質問に答えてくれる。


「あ、ああ、やっぱりそうだったんだ」


 とにかく、僕の読みは当たったらしい。


「あの? なに笑っているんです?」

「へ? あ、なんでもないよ」


 どうやら当たった事への嬉しさが表情に出ていたようだ。アイスの棒が当たったら、きっとこんな気持ちになるのだろう。まあ、当たった棒など見たことはないのだけど。


「隣、いいですか?」


 両親やお医者さん以外の誰かとこうして話をすることが久しぶりだから、ついついとそんなことを口走ってしまった。

 彼女からの返答はない。


「あ、あの。嫌ならやめますけど……」

「い、いえ! か、構いません……よ!」


 許しも出たところで僕も座り込む。この女の子、どういうわけかひどく動揺している。声のリズムが不安定だ。

 座り込んで少し時間が経つ。隣に女の子が座っていると思うのだけど、不思議なことに気まずさだとか、そういうものは感じなかった。


「あ、あの!」

「はい?」

「そ、その棒、何に使うんですか?」

「棒?」


 きっと、棒とは、現在彼女と僕の間に横たわっているであろう棒のことを言っているのだろう。


「ああ、この棒はね。まあ、僕の目みたいなものかな」

「目? ですか」

「うん。僕、実は目が見えないんだ」


 僕がそう言うと、彼女が息を飲むのを感じ取った。こういう場面は何度も経験してきたし、今更動揺する僕でもない。


「そ、そうですか」


 ただ、どういうわけか彼女の方が気にしてしまったらしい。声が暗くなった。


「別に気にすることはないですよ。目が見えないだけで、他は通常だから」


 できる限り、うまく出来ているかわからないけれど笑って見せる。


「じゃあ今度は僕から質問。君はどうして毎週この場所にいるの?」

「私、ですか? そう、ですね……」


 彼女の言葉が詰まってしまった。もしかしたら言いたくない事情と言うものがあるのかもしれない。


「いや、無理に答えなくていいよ。じゃあさ、君の年齢は?」

「ね、年齢ですか?」

「そう。年齢」

「一応十六才です」

「一応って、なんか変な言い方」

「へ? そ、そうですかね?」


 そんな彼女の物言いに、自然と頬が緩んでしまう。でも、やはり年齢の方も読みが当たっていたらしく、僕と同い年だった。


「あなたは、何歳なんですか?」

「僕? 僕も十六才。君と同じだよ」

「そ、そうですか……」


 再び会話が途切れる。僕はこう言った場面は苦手ではないのだけど、どうやら彼女はこういった場面は苦手なのか、随分と落ち着かない空気が伝わって来る。

 まあ、話しかけたのは僕の方なのだし、何か話題を投げるべきなのは僕だろう。

 さて何を話そうか。


「君は、この場所が好きなの?」


 とりあえず、そんなことを口に出してみた。特に意味はない。


「えっと……好き、というか、なんというか」


 特に意味なく聞いてみたけど、どういうわけか彼女の返答の仕方で僕は妙に気になってしまった。


「なんというか?」

「嫌いではない、です……」


 好きか嫌いか。この場所は決して嫌いではない。ああ、何となくこの子がどういう子なのかわかって来た。


「そうなんだ。僕はこの場所、好きだよ」

「そ、そうですか」

「毎週来る場所だから、安心できるっていうのもあるんだけど、なんだかここに来ると気持ちが軽くなるんだ」

「へ、へぇ~」


 ここに来て彼女の声の調子が変わる。何か僕に尋ねたいことがあるかのような、そ

んな感じだ。そして、僕のその読みはどうやら当たりらしい。


「あ、あの!」

「なに?」

「えっと、その……あなたは、どうして私に声をかけてくれたんですか?」

「かけてくれたって、君は誰かに話しかけてもらうことを期待していたみたいな聞き方だね」

「そ、そういうわけじゃないですけど」


 彼女の声がしぼんでいく。ああ、やっぱり図星だったか。


「別に、話しかけたのは気まぐれみたいなものかな。僕、この近くにある病院に毎週定期健診を受けに来ているんだけど、今日はそれがいつもよりも早く終わってね。それと最近、数週間前から同じ時間帯にこの場所に座っている人がいるなって気になったからって感じかな」

「す、座っている人がいるって、その、失礼かもしれないけど、目が見えないのにそんなことわかるの?」

「あ~、うん。何となく。まあ、外れることもそれなりにあるんだけどね」


 その後、彼女はそうなんだと小さく声を漏らした。


「さて、僕はそろそろ帰るよ。良い時間つぶしになった。ありがとう」

「そ、そうですか」

「うん。それじゃあね」


 棒を手に持って立ち上がる。彼女の様子は見ることが出来ないけど、もしかしたら歩く僕の後ろ姿を見ているのかもしれない。

 こんな風に同い年の誰かと話をすることが出来たのは久しぶりだ。彼女は来週もこの場所にいるのだろうか。


 ここに来る楽しみが一つ増えたと、そんなことを思いながら家へ帰ることにした。

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