embrace

白黒音夢

embrace

第1話 眠れない夜



 彼女は我が儘だ。

 そしていつも突然なんだ。

 僕のベッドを占領していた彼女は唐突に言った。

『ねえ、暇じゃない?』

 聞き慣れていた声は少しだけ眠そうだった。

 それにしても、僕は今せっせと食器を擦っているんだ。とてもじゃないけど暇なんてない。終わったら米も炊いておかなきゃならないし……。

「僕は片付けをしてるんだけど」

『キミも健気ねえ。私なんかの食事を作って』

 本当に彼女の言う通りだ。なんで二人分も作っているんだろうか。

「僕もそう思う。ああ、聞き忘れていたけど、味はどうだった?」

 クスッと小さい笑い声を漏らした後に、『私には数段劣るわね』とだけ言った。

 ずっと食べてきたから、少しはキミの味に近づいたと思ったんだけどな。

『このままだと寝ちゃうから、何か話してよ』

 ピカピカになっている食器を見ながら、僕は独りごちた。

「えぇ……。今更何を話せばいいんだよ。さんざん話してきたじゃないか」

 彼女はまたもや小さく笑った。

『そんなこと言っちゃってさー。最近大きな事あったでしょ。バレバレなんだからさ、強がらないで私に話してみなよ』

 すぐさま尋ねる。

「どうして分かったの?」

 内心、僕は彼女の言葉にビビっていた。

 うん、そうだ。ビビッたんだ。

 顔には出していないはずだし、声だって努めていつも通りを心掛けたんだ。

 ふふん、と何故か軽く鼻を鳴らして歩いてくる。

『だって私だから』

 囁くような声で言った。

「なんだよそれ」

 僕はむくれたような顔をして拗ねた声を出す。

 けれど、どこかで僕は望んでいるんだ。

 自信たっぷりで、なんでもお見通しの彼女が僕のことを心配してくれるのを。

『で、どうしたの?』

 彼女が寝そべっているベッドに近づいて、腰を掛けた。

「結構長い話だから、覚悟してね」

 どうせ話しちゃったら、僕もキミも眠れないし、眠れなくなるんだろうなあ。

 欠伸をしている彼女に、僕はゆっくりと語り出す。

「色々とキミに話してきたけど、たぶんこの話を喋ったことはないんじゃないかな」

『そうなの?』

「うん。子供の頃に出逢った、大切な人との想い出でさ」

 僅かばかりに目を細めて、彼女は興味深げな表情を浮かべた。

『うん』

「ちょうど僕が小一で、転校してきたばかりのときにさ――」

『私転校とか経験無いから分からないんだけど、友達と離れたくないよー! って泣いたりした?』

「……喋ろうとしてるのに質問しないでよ。まあいいや」

 せっかく人が盛り上がってきたところなのに。……まだ何も言ってないけど。

「あんまり覚えてないけど、あの頃は僕泣き虫だったからなあ。たぶん泣いたんじゃないかな。そうそう、で、僕は転校したわけだけど、そこで馴染めなかったんだよ」

 理由なんて特にないんだけどね。と僕は付け加える。ホント、なんでだろうなあ。

『あー、キミの挨拶の声が小さすぎたからじゃないかな。あとから男子達が笑ってたよ?』

「そんな理由だったのかよ……」

『そんな理由だったのよ』

「まあそういうわけで、僕は隅っこでコソコソしてる子だったんだけどさ。その大切な人が――女の子が来て、遊ぼうよ遊ぼうよって僕の手を引くんだよ」

『へえ』

 うん。まだ覚えてる。とっても髪が綺麗だったんだ。

 肩まで髪が伸びてて、教室に入ってくる陽光が黒髪を透過して、僕には茶色に見えてたんだよ。

 彼女は僕を見上げながらブンブン腕を振り回してたんだ。

「その子のおかげでクラスに溶け込めたんだ」

 ふうん、と言ったあと、彼女は続けた。

『つまりは恩人さんじゃない。感謝しなきゃ』

「してるしてる。本当に凄く感謝してるんだ」

 結局その子と一緒に人生を過ごしてきたんだからさ。


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