Fの時代

久遠海音

プロローグ

―――西暦2125年の3月24日のAM4:23。


「おい、本当にこんなんで上手くいくのかよ?」


 何度も履いてよれよれになったジーンズ、汗がたっぷり染み込んだシャツを着た男が少し苛立ったように言った。薄暗い倉庫の中、同じように薄汚い恰好をした男が俺を含めて全部で4人。虚空を眺めている奴や顎に手を当てて考えにふけっている奴もいる。こんな奴らの名前なんかいちいち覚えちゃいねえ。金を手に入れるための一時的な協定でしかねえからだ。

 そして、そんな男達とは不釣り合いなガキが一人。身なりはいいが、ところどころ汚れがあり、乾いた自分の血がこびり付いていた。ガキは体を震わせながら蹲っている。その隣にはもちろんこの俺がいる。このお坊ちゃまのすぐ傍に。


「あぁ、もちろんだ」


 俺はそう答えると、ガキに目をやった。昨日まではピーピー泣き叫んでいたガキが今日はおとなしかった。どうやら、昨日の俺がほんの少し体に教えてやったことが、今日はちゃんと身についているようだ。


「だがよう、最近じゃ誘拐して身代金を取るなんて原始的すぎる。これが上手くいってたのはの話だぜ。俺はどうにもやっちまった感が――」

「じゃあ、なんでてめえはこの計画に賛成したんだ? え?」


 俺は食ってかかった。今更ピーピー喚きだすなんざ、どういう神経してやがんだよ、この木偶が。

「俺がこの計画を持ちかけたとき、てめえはしぶりもしなかった。むしろ進んでこの計画に参加してたように見えたんだがな」

 声を荒げると、木偶は委縮した。

「そ・・・そりゃあお前、俺だってこんな惨めな生活からおさらば出来るんならと・・・。俺には妻と子供がいるんだ。なのに、それなのにリストラ! この不景気のせいで。こんな時代になんのスキルもねえ中年オヤジが就職できるとこなんて毛ほどもねえよ。退職金も雀の涙ほどだし、こんなんじゃ一か月後には飢え死にさ! お、お前らだってそうだろ?」

 木偶は辺りを見回した。虚ろな男はぼーっと天井を見続けるだけだったが、考える男は顎から手を放してじっと見ていた。

「社会に見捨てられ、ゴミ屑のように生きることしか選択肢がなくなったんだ! だったら・・・どうせゴミ屑同然なら・・・強盗でも誘拐でもなんだってしてやるって思った。だから――」

「だったら二度とそんな口を叩くんじゃねえ!」

 俺は立ち上がり、木偶に詰め寄った。

「次、そんなこと口走ってみろ、俺はてめえを――」


「まあまあ二人とも!」


 考える男が立ち上がって、俺たちの中に割って入ってきた。暴力が嫌いな情けねえ優男だ。出張ってくるんじゃねえよ。

「こんなじめじめしたところでこもりっぱなしだから、皆イライラしているだけだよ・・・それに、こんな時に仲間割れは良くない! 上手くいく作戦も上手くいかなくなってしまうよ」

 俺の体を木偶から遠ざけるように優男は両腕で俺の腕の動きを止めた。俺は、腕を無理やり引き離し、優男の足元に唾を吐いた。

「よかったな。優男が間に入ってくれて。じゃなきゃ、てめえの汚ねえ面は増々血で汚れただろうよ」

 震えている男に一瞥くれてやり、俺はまたガキの傍に座った。ガキは俺が隣に座るとさっとまた顔を俯かせた。どうもこのガキはあの優男が気になるようだ。まあ理由としては俺の暴力から唯一存在だからだと思うが。


 だが俺はどうも気に食わねえ。あいつは、何かがありそうだ。


 当の優男は震えている木偶をその辺の廃材の上に座らせて慰めていた。さっきから静かにじっとして動かない男は、まだ天井をじっと睨みつけていた。そんな男達の様子を見て俺はにやりとした。確かにあの男が言ってたように、こんな計画は上手くいくわけがねえ。あいつらが存在する限り、な。だが、俺の本当の計画は上手くいくはずさ。全てを得るのはこの俺だけで十分。この計画はこいつらが知る必要もねえ。

 倉庫の中は沈黙で包まれた。もうそろそろは来るはずだ。このガキは上級ランクの一族じゃないが、それでも金持ちランクでは中の上の家柄だ。こいつの親はあいつらを雇うだけの金は絶対ある。


 突然、耳をつんざくような音が鳴り響いた。来た! すぐさま俺はガキの腕をつかみ、思いっきり引っ張った。その間にパスッパスッという乾いた音が空気を震わせていた。急いで俺は旧型のピストルをガキのこめかみに押し付け、叫んだ。


「てめえら! こいつが見えねえのか!」


 すると一斉にこっちを向いた。扉を吹っ飛ばされたおかげで、粉塵がもうもうと立ち込めているが、全体の様子が分かった。敵は三人。一人は女で、あとの二人は男だ。全員黒のライダースジャケットのような出で立ちで、銀の靴を履いていた。手には、銀の竹筒のようなものを二本、長いのと短いのとを組み合わせたような銃が輝いている。その銃が俺ともう一人に向いていた。


「ちくしょう・・・いったい何なんだ・・・?」


 もう一人、優男が左肩の出血を抑えながら俺の近くにいた。後の二人は目を半開きにしながら床に転がっていた。思はず口笛を鳴らした。正直、俺が傷を負ってないだけで上々だと思った。後の三人は俺が生き残る確率を高めるために仲間にしただけで、いわば捨て駒だった。だが、どうだ! 実際には駒は一つ残ったんだ。こいつの悪運が強いのか、はたまた、あいつらが思ったよりヘボいのか・・・。まあ、どっちにしろ俺にとっては思わぬ幸運だ。


「よし、お前ら!! その手に持っている空砲エアガンを捨てろ。おっと! そのまま捨てるんじゃねえ。解体してから捨てろ。知ってるぞ? それが二つに簡単に分解できることをな!」


 三人はすぐさま長い筒と短い筒に分け、長い筒を俺の足元へ捨てた。よし、これであの厄介な銃は使えねえ。あいつらが超スピードの持ち主だとしてもだ。一度分解した空銃エアガンより俺のピストルの方が速く火を噴くぜ。

「おい、お前、拾え」

 優男に命令すると、左肩から手を離し、苦しそうにうめきながら血まみれの右手で銀の筒を拾った。

「てめえらは手を後ろに組め。あと、ひざも地面につけろ」

 二人の男は一瞬一人の女に視線を投げかける。だが、女は見向きもしないで俺の言うとおりにした。二人の男たちもそれに倣った。

「それと、銀のバッチをつけてる女。お前の製品番号を言え」

 その女は一人だけ、胸に銀のバッチを煌めかせていた。女の顔は非常に整っており、白い肌に黒い瞳がよく映えていた。

「S―102569」

「任期はどのくらい残っている?」

「半年」

「お前の片割れの家柄は?」

 すらすらと他の質問にはすぐ答えたが、この問いには女は黙っていた。優男はなんで俺がそんな質問をするのか全く分かっていない様子だった。

「言わねえと、大事な坊ちゃまに傷が少しずつ増えていくぞ?」

 優男は嫌悪感をもろに出していたが、俺は無視した。ガキは、ボロボロ泣き出した。すると、女は無表情のまま答えた。


「西園寺家」

 

 俺は思はず舌舐めずりをした。俺はとことんついているようだ。Sランクの成績者はなかなかいねえし、血統も最上ランクだ。任期も半年程終え、そこそこ経験を積んだ黒制服らしいし、しかも美女だ。これが本当ならどんなに安く叩かれても、無人島買って遊んで暮らせるだけの金は手に入るぞ!


「―――お前が嘘をついていない証拠は?」

「製品番号は首筋に書いてある」

「本当かどうか見てこい」

 優男は女の後ろに回り、女のショートヘアとスーツの隙間から番号を見た。

「合ってる!」

優男は叫んだ。Sの成績は本当みたいだ。他が嘘でもS成績ってだけで確実に遊んで暮らせるぜ。

「ようし。・・・それじゃあ、お前とこの坊主、交換だ」

 女は無表情のままだった。二人の男の内、目つきの悪いほうは顔を引きつらせている。俺のとこまで戻った優男は口をあんぐりと開け、正気か、と呟いた。

「お前、何を―――」

「てめえは黙ってな!」

 優男は口をつぐんだ。まったく。本当の価値を知らねえって怖いな。海外じゃ、あいつらは金の延べ棒より高く売買されるってのに。無知ってのは本当に怖いねえ。その中でも上玉に出会えたこの幸運を分かち合えないとはね。


「女、立て。そこの二人の野郎どもは立つなよ。立てば、ガキの足に銃弾ぶち込むぞ」

 とうとうガキは嗚咽をもらす。だが、俺は気にしなかった。

「おい、まだこっちに来るんじゃねえ! その銀の靴。そいつを脱いでもらおうか。そこの野郎どももだ!」

 こっちに歩いてこようとした女は動きを止め、一瞬ためらったが、俺の言うとおりにした。二人は、俺をにらみながら脱いだ。


高飛びフライハイされちゃ、適わねえからな。靴は遠くに投げろよ」

 銀の靴が高く舞い、金属がぶつかり合う喧しい音が倉庫中に響き渡る。

 裸足になった女はゆっくりと歩いてきた。しかし、俺と敵二人の丁度真ん中でピッタリと止まった。


「どうした? さっさと歩け!」


 声を荒げた俺とは正反対に冷静で冷たい声が倉庫内で響いた。


「人質と交換ならば、ここまで人質を一人で来させなさい。私たちはそっちの条件をずいぶん飲んだ。私たちの条件も一つくらい飲んでもよいだろう?」


 あいつは絶対人質が返されるという確信がない限り動かないつもりだ。だが、こいつを手放せば一気に襲い掛かる可能性も・・・。

 俺はふと思いついた。俺にはまだ優男がいるではないか。それにあいつらは丸腰。優男はけがをしているとはいえ、武術の腕は癪だが俺よりもかなり上だ。逃亡する時間稼ぎくらいにはなるかもしれねえ。それに俺に突進するのは確実にあの女だ。体格的には俺のほうが上だし、6発しかないがピストルで十分威嚇できるし、あの真ん中までの距離なら見せしめにガキも確実にぶち殺せる範囲だからな。それに思ってたよりあいつら、骨がなさそうだ。誘拐犯の条件をこんなにもあっさり飲んだからな。所詮中学生くらいのガキ。噂のほうが間違ってたんだ。

「ああ。いいぜ。そのくらい。俺はフェミニストだからな。野郎のいうことは聞かねえが、あんたのような別嬪さんは別だぜ。おら、ガキ、前に進め。ただしゆっくりな」

 背中を押すと、ガキはよろめいた。そしてゆっくりと女の方まで進んだ。

 女はじっとガキを見つめていた。ガキが女のところまで着くと、女の口が微かに開いたように見えた。

「てめえ、何を―――」

 すると、ガキは背中を向けてダッシュし、女は俺に向かってものすごい勢いで突進してきた。

「このアマッ! ふざけんじゃねえ!」

 ガキがダッシュし出し、女が素早くガキが俺の死角になるように横に動いた。俺はガキを狙うのを諦め、代わりに女に向かって銃を乱射した。

「クソッ! なんで当たらないんだ!?」

 銃弾の動きを読んでいるかのように女はサッとよけながら猛スピードで俺に向かってきた。

「ひぃッ」

 速すぎていつの間にか目の前にいた。女はピタッと俺の顎にひんやりとしたものをくっつけた。さっきばらした銃の一部、短い銀の竹筒にトリガーがくっついたものだ。俺は思はず笑った。

「ハッ! んな壊れた銃で何を――」

 その時、ほっそりとした人差し指がトリガーを引いた。その瞬間、顎から頭のてっぺんまで、熱い何かが一瞬で駆け抜けた。熱いのか痒いのか痛いのかよく分からない間隔が俺の全身を襲った。まるでさしたナイフを抜き取るように、女は銀の筒を俺の顎から外した。頭に何か生暖かいものがじわじわと広がってきた。俺は、一気に膝をついた。目の前には返り血をつけた女の手と銀の筒が変わらずあるだけ。どう見ても刃は付いてなかった。ただ俺の頬には微かに風を・・・熱風を感じた。ただ、それだけ。俺には訳が分からなかった。何が起こったのか全く分からない。目の前の床が血に染まるのを眺めていると、そのまま世界は暗闇に包まれていった。



「―――ひっ」

 主犯格の男が足元に崩れると、今まで草木のように突っ立っていたもう一人の男は後ずさりをした。何があの男を襲ったのか訳が分からないという表情で震えている。見るからにこの男からの戦意は消えていた。それを確認すると私はトリガーを一瞬引いた。すると見えない刃はたちまち元通り無くなった。私は地面に転がった主犯格の男を見た。この男はそこらの人間より情報通のようだったが、中途半端だ。私たちの価値を知っているくせに、その価値がなぜ高いのか考えなかった馬鹿だ。同情をする余地もない。


「人質は安全か?」

 私は後ろの二人に訊いた。

「はい。すぐに後方に控えている仲間の元に行かせました。たった今空車ジェットカーに乗ってクライアントの元へ飛び立ったようです」

 サラサラとした黒髪の目つきの悪い男が答えた。もう一人はふわふわとしたくせっ毛の糸目の男で、遺体搬送車を呼んでいた。

「そうか」

 私はおびえている男に向き直った。


「立て。お前に少し話がある」


 男を無理やり立たせると、男はふらつきながらも足を踏ん張って立った。

「私のエアシューズを取ってくれ。この男を人気のないところに連れて行きたい」

 糸目の男が私にシューズを投げた。

「お一人で大丈夫ですか? 人一人抱えての高飛びフライハイは危険ですよ。ましてや、その男は全くの素人のようですし、バランスが――」

「心配ない」

 私は男のうなじに手刀をきめると、男は短く唸って私に倒れかかった。

「気絶させれば、騒がれない」

 二人の男は顔を合わせた。あっけにとられ、やれやれという感じで向き直った。

「お好きにして下さい。私たちはあなたについていくだけです。サラ」

 目つきの悪い男はわざとらしく恭しく言った。

「お前が言うと不思議と嘘くさいよ、タスク」

 エアシューズを履き、気絶した男を担いだ。

「しかも吐き気までする」

 右足を左足にこするようにおろすと、カチッと音が鳴り、スイッチが入った。するとエンジンが唸り、地上から5センチほど浮かんだ。

「後のことはタスクの指示に従ってくれ。書類だけは私が書く」

「分かりました。お気をつけてください。サラ様」

 糸目の男が答えた。

「“様”付けは気に入らんと言ったはずだが。リュウ」

「もう癖です」


 奴はにっこりほほ笑んだ。私はため息を吐いた。全く。マリアのせいだな・・・。毒づきながらも、地上高く私は高飛びフライハイをした。

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