三幕Ⅰ
「……さて、今頃どんな目にあっていることやら」
エル=アウドムル・ユグドは、愛用の
「如何されました?」
対峙するエルの腹心の部下――メリア・イスマールは、目前の主に問いかけながら騎士に普及される
一歩で数メートルの距離を飛び、瞬く間に距離を詰めたメリアは、
腕全体を回転させ、螺旋を描きながら繰り出される一閃。
「いや、なに――」
迫る細剣の切っ先。寸分の狂いもなくエルの眉間へと迫った一撃を、しかしてエルは余裕の笑みをたたえたまま僅かに身体を捻るだけで躱す。
「――なんでもない。気にするな!」
そして声を上げながら無造作に銃剣を薙ぎ払い、剣を振るうと同時に
銃剣型響律武装に標準搭載されている術式だ。
――ブゥゥゥゥゥゥン……
金切音が空間に響き渡り、〈福音・第三楽譜〉の剣身が鳴動。銃剣の剣身部分が超振動を伴い、
エルが剣を振るうと同時に、メリアは凄まじい脚力で
辛うじて凌いだ振動剣の一撃。しかし、エルの勢いは止まらない。
にんまりという言葉がぴったりな満面の笑みと共に踏込み。地を揺らすほどの震脚と共に眼前へと飛び込んできたエルの姿にメリアは小さく悲鳴を上げた。
一閃、二閃、三閃。
鳴動する銃剣が次々と力任せに振り抜かれ、対してメリアはその剣閃を死に物狂いで捌き、あるいは躱す。
「楽しくなってきたな、なあメリア!」
「私は全く楽しくありません!」
快活に叫ぶエルに対し、メリアは必至の思いで怒鳴りを上げた。が、メリアの主は全く意に介した様子もなく、左腕を持ち上げる。その腕に備わるのは白銀の指揮甲。エルのその挙動を見た瞬間、嫌な予感が脳裏を過ぎた。
そして、それは的中する。
左手の先に顕現したのは蒼氷色の
咄嗟にメリアも指揮甲を操作。組み込んでいる十一の術式の内、防御系の術式を選出。掌の先に虚空楽譜が顕現し、事前充填してある響素を込めて簡易起動。
不可視の防御力場がメリアの眼前に顕現するのと同時に、エルもまた充填された虚空楽譜を突き出して響律式を起動させた。
響素によって顕現した六本の氷槍が一斉に射出。矢のように飛来した氷槍を《防堰陣》が堰き止め――相殺。両者の響律式が消滅し、形成していた響素が分解される。
障壁が消え去ったと同時に再びエルが肉薄。
メリアがそのことに気づいた時にはすべてが遅かった。咄嗟に響律式を発動させたことで、回避も防御もままならない姿勢の所を、エルは的確に狙って追撃してきたのだ。
目前に迫ったエルが銃剣を振る。大上段からの振り下ろし。世に脳天空竹割りなどと呼ばれる必殺を目的とした振り下ろしだ。
振り上げると同時にエルが銃爪を引くのが見えた。
回転式弾倉が回り、撃鉄が雷管を打つ――
もう駄目だ。
自分は――死ぬ。
そう感じた次の瞬間――エルの握る銃剣が思い切りメリアの脳天に振り下ろされ――ピタリ……と、寸前でその刃が止まった。
寸止めされたということを理解するのに、数秒を要した。そして、そのことを理解した瞬間、メリアの全身から冷や汗がどっと溢れ出す。
心臓の動悸が激しく、呼吸が荒くなるのを自覚した。
「殺される――とでも思ったか?」
含み笑いと共にエルが問うが、メリアはそれに答える気力すらなかった。ただ、辛うじて首を縦に振って見せることだけはできた。
本当に自分が真っ二つにされたような錯覚がある。あるいは幻覚かもしれないが、それくらいの威圧感が、剣を振るった時のエルにはあったのだ。
未だに動悸が収まらない。
先ほど感じた死の錯覚を骨の髄まで。魂の根底にまで刻まれたような気分だ。
「――ほれ」
そんなメリアに向けて、エルはひょいと筒状の何かを投げ渡す。反射的にそれを受け取り、それが
「あ、ありがとうございます!」
「構わん。つき合わせてすまなかったな」
そう言ってエルが淡く笑んだ。思わず見とれてしまいそうなほど美しい微笑に、メリアは思わず目を奪われる。
「普段ならばノクトにつき合わせるんだがな……少し前に仕事任せたのは失敗だった」
が、次の瞬間エルの口から零れた言葉に、メリアは思わず眉を顰めた。そして常々疑問に思っていたことを、これを機にと尋ねる。
姿勢を正して膝をつき、こうべを垂れながらメリアは言った。
「――僭越ながら、殿下。ご質問をしてよろしいでしょうか?」
「構わん。なんだ?」
メリアに手渡したものと同じ飲料水に口を付けながらエルが振り返る。そうしているだけならば、とても一軍を率いる将とは思えない少女の姿を見上げながら、メリアは言う。
「何故、そこまで『黒騎士』に入れ込むのですか?」
「うむ。ノクトか」
「ええ。ノクティス・リーデルシュタインです」
あえて、フルネームで呼ぶ。そうすることで確執と差別化を生むことを承知の上で、メリアは言葉を続けた。
「腕が立つとはいえ、あのものはそのほとんどが出自も判らぬ卑しい傭兵です。噂では響律式の才を持たぬとも聞きます。下賤で野蛮な、金の亡者ともいえる傭兵如きを殿下の傍に置くなど、貴女様の品位を損なってしまいかねません」
第三王女エル=アウドムル・ユグドが一介の傭兵を子飼いにしているという噂は、城内の至る所から聞こえてくるエルに対してのいわれない誹謗中傷の一つだ。
特に何をするでもなく城内を闊歩し、王や次期王とされる長兄ロード=アウドムル・ユグドとその側近に媚を売るためだけに来ている貴族連中は、そういう噂話を肴にするのを好む。
酷いものでは、ノクトがエルの哀願奴隷だとか、市井で作った恋人などと言うものまである。そういう噂が広まり続けるのは、後々エルを脅かす火種になりかねない。
「ですので、あまり彼を贔屓するのは――」
「……それは誰の意見だ? メリア」
「え?」
ぞくり……と、背筋を何かが走った。同時に目の前で何かが膨らむ気配。なんだろうと思い、メリアは身震いしながらふと顔を上げてエルを見――そして顔を上げたことを後悔する。
背筋に走ったものが恐怖による悪寒だと判った。
膨れ上がったものが、目の前の少女から発せられる怒気と殺気だと理解した。
――暴風だ。
殺意と怒りの嵐。研ぎ澄まされた刃物や、獣のような殺気ではなく――まさに荒れ狂う嵐のような殺気を膨らませ、燃え上がらせている。
そんな幻視をしてしまいかねないような殺気が、目の前の少女から発せられていた。
「もし、それがお前個人の意見だというのならば――二度と口にするな。次は……言わなくても、判るな?」
遮二無二首を縦に振る。
此処で異を唱えるのは間違いなく愚の骨頂。もし言おうものなら、恐らくこの王女は迷うことなくメリアの首を飛ばすだろう。それこそ、先の稽古の時のように――いとも容易くだ。
そんなことを考えていたメリアを見下ろし、やがてエルは大きく肩を竦めて溜め息を吐いた。
深い深い溜め息。そして――
「……まあ、お前が言いたいことも分からないではない」
不意にそんなことを言ったため、メリアは我が耳を疑ってエルを見た。
「――単に腕が立つだけならば、他にも使える傭兵はいるだろう。なのに、あいつだけを贔屓していれば、そう見られるのも致し方ない」
「ならば……」
――何故? そう問うよりも早く、エルはメリアを見据えてにやりと笑んだ。それは随分と子供じみた笑みだった。
「それでも、私はあれを手放す気はない。手放すには惜しい理由があるからな」
「そ、それは一体?」
思わず問うてしまう。どうしてそんなことが気になってしまったのかメリアは判らなかったが――対し、エルは先ほどの笑みを一層深くして楽しげに言った。
「なんだ、随分と興味津々じゃないか。文句を言っているようで、実はあいつに気があるのか?」
「そのようなことは断じてありません!」
声を荒げ、肩を怒らせ、メリアは全身でエルの言葉を否定した。
「如何に腕が立とうと奴は市井の傭兵――あのような粗忽者は願い下げです!」
「あまり理由になってないような気もするな……が、そうでないと困る」
「あれは私のだからな……」ぼそりと、エルが小声で何かを言ったような気がしたが、上手く聞き取れなかった。
「何か仰いましたか?」
「いや、なにも。それより、そろそろ艦に向かうとしよう。直に離陸準備も終わるはずだ」
初耳だった。一体いつの間にそのような準備をしていたのか。この王女は相変わらず秘密事が多い。いや、どちらかといえば勝手事が多いのかもしれない。
そんなことを考えながら、メリアは溜め息交じりに尋ねた。
「……何処に向かわれるのですか?」
「決まっている」
メリアの問いに、エルは揚々と答えた。
「荒廃の辺地――ルインヘイムだ」
「ルインヘイム……」
呟き、メリアは自分の記憶の中の情報を探る。
ルインヘイムは、王都から見て東に位置する辺地の浮遊大陸に存在する街の名で、七年前まで続いていたユグド史上最大の戦――『響律戦争』の激戦区であった場所の一つのはず。
「そのようなところに、一体何の用が?」
「そこでキナ臭いことが起きそうなんだ。人に任せようと思ったが、やはり気になってしまった。だから今から向かうのだよ」
「……左様ですか」
最早意見するだけ無駄らしい。なら、黙って従うのが臣下というものだろう。
メリアはそう自分に言い聞かせ、盛大なため息を吐きながら先を行くエルの後を追った。
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