Ⅱ
ユグド王国領空の遥か西。そこにある中規模の街、ルインヘイム。人口は約四〇〇〇人で、その多くが建築に携わる人間か、あるいはそんな人間を相手に商売を営む人間だと言われている。
その理由は一見すれば明白。
「見事に再建途中……って感じだな」
建物の多くに工事用の作業場が設けられており、その規模は街の六割ほどを占めている。
「戦争の爪痕……ですか」
「そういうことだ」
フィーユの言葉を、ノクトは物憂げに肯定した。
目の前の光景は約七年前にユグドに並ぶ三大王国のひとつ、ウトガルズ帝国との衝突から発した戦――のちに『響律戦争』と呼ばれる、両国の地方貴族同士の諍いから発展してしまった歴史に残る最大規模の戦いの戦果である。
「ルインヘイムは当時、その戦争の最前線のひとつだった。二年続いた小競り合いと、その後激化した戦争の結果、街はほとんど壊滅。人口の九割が犠牲になった。終戦後は長らく放置されていたんだが、人の住める規模の浮遊大陸には限りがある。それで三年前、ようやく再建が始まったってわけだ」
現代の技術で、新たな浮遊大陸を造ることはできない。故に、現存する浮遊大陸を最大限に利用する以外のことは、現在の人類にはできないのだ。
たとえ戦争の爪痕が深かろうと。
その地でどれだけの悲劇が起きたのだとしても。
生きるためなら、過去の惨劇だって苦汁として呑み込んでいかねばならないのだ。特に、今の空界では。
「……三年前」
フィーユがぽつりと呟いた言葉に、ノクトは微かに眉を動かした。
「どうかしたのか?」
「いえ」
問うと、少女はすかさずかぶりを振って見せる。そしてそのすぐ後に、まるで付け足すかのように言った。
「貴方と出会った時期が、丁度同じだと思っただけです」
「……なるほどね」
納得したようにノクトは肩を竦める。
三年前。
言われてみれば確かに。ノクトがフィーユと出会ったのも、丁度その頃だ。あの頃のノクトは未熟な自由傭兵であり、暗雲の下の大地に眠る過去の遺物を求める
そう言った意味では現在個人契約を交わし、認可傭兵として雇ってくれているエルには感謝しているが……変な勘繰りをしてしまうのもまた否めない。果たして本当に単なる傭兵として雇っているのか。それとも他に何か意図があるのかと思う名と言う方が難しいのだ。エルの場合は。
とまあ、そういった下らない感慨は抜きに、ノクトは納得した様子で嘆息した。
「そう考えると、早いもんだな……三年ってのは」
「はい。ですが……」
そこでフィーユが言葉を濁した。それは彼女にしては珍しいことだ。いつだって抑揚なく、何処か機械的に言葉を連ねていたのに。この瞬間、確かにフィーユは二の句を継ぐのを躊躇っているように、ノクトには見えた。
だが、ノクトはそのことについて言及することはしない。フィーユが言葉を濁す――それは彼女の中に確かな逡巡が生じている証明だ。そしてそれがなんであるか、ノクトには想像に難くない。
黙したまま続きを待つように佇むノクトの隣で、フィーユは囁くような声量で言った。
「――未だ自分が『何』であるか、判らないままです」
「そうか……」
返す言葉は特にない。いや、思いつかなかっただけとも言える。
彼女が何者であるのかは、ノクトも知らない。
出会った時点で、彼女が何者であるのか――如何なる存在なのか、それを知り及ぶことはできなかった。
本名も出生も何一つ判らない『
それこそが彼女だ。
「まあ判らないなら、判るまで悩めばいいさ」
「そういうものですか?」
「そういうものだろ。きっと」
おざなりな言葉を投げて、ノクトは適当に肩を竦めて見せた。
そんなノクトを見て、フィーユは僅かの間首を傾げたのち、納得した様子で首を縦に振った。
「では、そういうものとしておきます」
僅かに口元を綻ばせながら言う少女の様子に微苦笑しながら、ノクトは「さてと」と零して踵を返す。
「さっさと用事を済ませよう。悩むのはそれからだ」
ノクトの言に、フィーユは「判りました」と応じながら彼の後に続く。少女を伴い、ノクトは再建途中の街中を歩きながら端末を取り出した。端末内に保存されているファイルを開き、表示された情報(データ)に改めて目を通す。
「アルゴの情報が正しければ、この街が『ブロード』の拠点らしいんだが……」
辺りを軽く見回してみるが、表通りと目されるこの通りは再建途中の街にしては随分と人が溢れていた。
「見つけられますか?」
「いや、無理だな」
「では、酒場か何処かで情報を集めますか?」
「……それも残念ながら、よろしくないな」
フィーユの問いにばっさりと答える。情報の筋は確かだが、アルゴがくれたものは断片的なものだ。細かいことは自分でやれと暗に言われているように思えるが、正直この街で情報収集するのは得策ではない。
この街は一度王国が放棄した地だ。それは言ってしまえば、一度は国が定める法から廃され、野放しになったということでもある。
王都から離れた土地にはそれぞれの地方の統治を任される地方貴族や執政官などが存在するが、この街には未だそれがないのだ。代替的な監督官や、街の警備を任される憲兵はいるだろうが、それも何処まで機能しているか判ったものではない。
いわば無法地帯と大差ないだ、このルインヘイムは。
三年前の再建工事に伴い集った労働者たち。
その労働者たちを標的とした商い目当ての商人。
そんな連中に釣られるようにして様々な人が集まってできているのが、現在のルインヘイムである。
いろいろな人間の欲や思惑が交錯しているこの街は、
ましてや法の力が行き届かない場所では、蜘蛛の巣のように裏から手が回っている。そう考えれば人が集まり、情報が出入りする宿や酒場は殆んど
そんな場所で情報収集しようものなら、『お前たちを探っている人がいますよ』と特大の
そんなことをしていたら、良くて『ブロード』たちから襲撃。最悪『ブロード』の息がかかった街の人間全員で袋叩きにあって死ぬ可能性もある。
しかし、だからといって手をこまねいているわけにもいかない。
さてどうしたものか……そう思った矢先、何かがノクトのコートを後ろから引っ張っているのに気づく。当然ながらそんなことをする人間は一人しか思いつかず、ノクトは溜め息交じりに振り返った。
「なんだよ? 何かあったのか」
振り返り、コートの裾を摑むフィーユに問う。すると、少女は無言で頷いて見せると、とある方向に視線を向けた。
仕方なく、ノクトも彼女の視線に倣った。
「どうした?」
「四〇メートルほど先。通りの左側です」
見ろというのだろうか。まあそれくらいなら構わないだろうと、ノクトは言われた通りフィーユが示した場所に視線を向け――そして訝しげに眉を顰めた。
幸か不幸か。どちらかといえば嬉しくない部類で見慣れた人物の姿がそこにあった。見間違えかもしれないと思い、目頭を抑えてもう一度。今度は凝視してその姿を見据えるが、やはり見間違いでも思い違いでもないらしい。
再三の確認として、ノクトはフィーユを見る。それだけでノクトの意図を察したのか、少女は大仰に頷いて見せた。
「間違いなく、彼だと思います」
フィーユまでそう言うのだから、やはり見間違えということはないらしい。
人垣の向こう。周りより頭一つ分突き抜けて目立つ、筋骨隆々とした偉丈夫のその姿を捉え、ノクトは困惑気味に言った。
「……なんで此処にいるんだ?」
その後ろ姿は間違いなく、数日前に王都の『ノルンの泉亭』で突っかかってきたあの自由傭兵――デルムッド・アキュナスのものだった。
そしてその周りには、何時も引き連れている仲間ではなく――明らかに傭兵とも市民とも異なる雰囲気を纏った厳つい面々が居並んでいる。
「怪しんでくれって言ってるみたいだな、ありゃ」
そう言って肩を竦めるノクトに、フィーユは問う。
「では、どうするのですか?」
「決まってるだろ?」
首を傾げるフィーユに向けて、ノクトは溜め息を吐きながら言う。
「どうやら、勝手に案内してくれるみたいだからな。後を追いかけさせてもらうさ。運が良いな」
「その割には、幸薄そうな表情をしていますよ?」
「ほっとけ」
幸薄そうなのは元からだ。いや、そうではなく……
「仕方ないだろ」ガシガシと髪を掻きながら、ノクトは忌々しげに言い放つ。
「こんなうまくことがとんとん拍子で進むわけがねぇんだ。きっとこのあと碌でもないことが起きるに決まってる」
「日ごろの行いのせいですね」
「ああ、ホントその通りだよ」
皮肉の利いた科白に、ノクトはただただそう返す以外言葉がなかった。
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