二幕Ⅰ
――
それは、人類が生存領域を空界に移ってから三〇〇年余を過ごす中で当たり前の光景であり、日常の一片と化している風景のことだ。
かつて人類の技術の粋ともいえる、人工的に造られた浮遊大陸――アーク。
その数は大小合わせれば無数で、そのすべて地続きになっているわけではない。
かつて地上と地上の間に海原が広がっていたように、其処に広がる広い空を空海と呼んだ。
そして
大勢を乗せて浮遊大陸同士の移動手段となる飛行艇と、荷物などの運搬を任せられる
縦長の胴躯に巨大な二つの翼を携えた、小型の飛行艇。
その
鋼鉄の翼を持つ竜に跨り、武器を手にして果敢に空禍へと挑むその姿を揶揄し、その小型飛行艇は
――それに乗る者たちを、〈
◇◇◇
〈竜騎士〉、という呼び名をノクトはあまり好まない。
元々騎竜艇とは高速――それこそ音速以上の速度で飛ぶ空禍へ対抗するために生み出された空中戦闘用機体だ。航空艇や運搬船では不可能な超高速による三次元戦闘を行うために造りだされた兵器であり、その兵器を駆る者たち――騎士たちが〈竜騎士〉の始まりであったとされる。
しかし、騎士だけですべての空禍から浮遊大陸や航空艇を守ることは実質不可能であり、そもそも空禍と渡り合えるほどの実力を持つ騎士は極少数である。また、騎士団に所属する騎士の数は限られているし、その多くは王都周辺を離れることはできない。
よって、現在では様々な理由で騎竜艇に乗る者が増えた。
傭兵も、そんな『様々な理由』によって騎竜艇に乗るようになったうちの一つである。
騎士という言葉とは対極ともいえる存在――傭兵。
そんな考えは、エル曰く『実力さえあればどちらも大差ない』というが、そう思える人間は稀だ。
騎士たちにとって、『騎士』であるということは誇りであり、『騎士』という存在そのものが名誉の象徴と言っても過言ではない。
傭兵と言えば暴力に任せて好き勝手をする連中――そんな先入観が根強く、騎士たちは彼らが〈竜騎士〉と呼ばれることを好ましく思っていないし、傭兵たちの多くもまた、自分たちが『騎士』などと形容されるのを好まない。
無論、今となっては便宜的な名称でしかないが、それでもそこに存在する言葉自体の意味にこだわる者も少なくないのだ。
だから傭兵たちは自分たちのことを〈竜騎士〉と呼ばない。代わりに自分たちのことを〈
どちらかといえば、ノクトもこちらのほうが気に入っている。
名誉でも誇りでもなく、己の気の向くままに空を飛ぶ傭兵には、騎士など烏滸がましい。己が定めた行き先へしかと飛んでいく鳥のほうがまだ分不相応だ。もっとも、その進むべき方向が定まっているかと言われれば、言葉を濁さざるを得ないが。
――それはさておき。
周囲を飛び交う敵影から飛んでくる銃撃や閃光――
回避しながら、ノクトは近くを飛んでいる敵機に目掛け、銃身を切り詰めた
銃身に込められた響素が生み出す弾丸が、高速で宙を飛ぶ敵の騎竜艇の翼を正確に打ち抜く。
翼を撃ち抜かれた相手の騎竜艇は機体の制御ができなくなり、飛行圧力の影響で容易く解体されていくのが見えた。
これで三機目。
しかしまだ周りを飛ぶ敵影は幾つもある。
そろそろ周りを飛ぶ
なら、とりあえず引き離すとしよう。
速度を上げるために、ノクトは銃を
ノクトたちの駆る漆黒の騎竜艇――黒竜の異名を持つ〈ファーヴニル〉の速度は爆発的に加速。亜音速を超え、遷音速の域で大空を
「まだ、
「三機います。五時の方向。距離は目測で一七〇」
ノクトの後部座席に座るフィーユが淡々と言った。ノクトはちらりと背後を振り返れば、確かに。後方で辛うじて食いついている敵影が三つほど見える。
「随分と仕事熱心だな」感心した様子でノクトは嘯く。そして、背後の同伴者に、明日の天気でも尋ねるように、
「――墜とせるか?」
そう、問う。
「可能です」
フィーユは淡々と答えた。
「じゃあ、頼む」
「了解しました」
言うや否や、フィーユは身に纏っているコートを翻すと、その手に女性には不釣り合いなほど大きい拳銃が握っていた。
銘は〈
その銃を少女が危なげなく構えると、最早小さな点と化し微かにした捉えられない敵影に向け――何の躊躇もなく銃爪を引いた。
パスッ、という小さな音が耳朶を叩く。
「
「
射撃訓練でもしているかのようなフィーユの報告と、同じくらい感慨のない賞賛をノクトが送る。
「――しかし」
だが、続くフィーユの言葉に微かな戸惑いが宿っているのを、ノクトは聞き逃さなかった。
「様子が変です」
「と、いうと?」
言いながら、ノクトは周囲を警戒した。しまったばかりの〈黒閃〉を再び抜く。
嫌な予感というものは、総じて当たる確率が高い。それが実戦の中で培った危機察知能力の賜物なのか、あるいは自分の運の悪さに太鼓判を押しているのかは判断しかねるが……
警戒を強めるノクトに、銃を構えた姿勢(フォーム)のまま、フィーユは周囲を見回しつつ口を開く。
「恐らく――」
言いかけ、言葉が止まった。
正確に言えば、唐突に出現したその存在のせいで阻まれたのだ。
それは、眼下の暗雲の中から雲を突き破り現れた。
巨大な体躯に無数の鱗を携え、大きなギョロ目が左右に三対六。
刃のように研ぎ澄まされた一つの背鰭と、それ一つだけでノクトたちの乗る騎竜艇よりも巨大な翼を携えた異形。
目測するに全長は三〇メートルを超える――巨大な
その姿を
「なるほど――
ぼやきながら、ノクトは自分の不運を呪った。
怪しい集団に追っかけまわされた挙句、空禍に遭遇する――これを不運と言わずなんというだろうか。
「やっぱ貧乏籤じゃないか。エルの奴……報酬割増で請求してやる!」
ノクトはこの場にいない、しかしこの状況に自分たちを放り込んだ諸悪の根源に向けてせめてもの意趣返しを考えながら、迫る空禍をやり過ごすために騎竜艇の機体を旋回させた。
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