第23話 始祖の記憶! こうしては麻生は出会ったのだ!

 引っ越して一ヶ月。普通なら新しい生活に慣れ、いくらかの余裕が出るそんな時期だったが洋明にそんなモノはない。



 「………………」



 何も感じず、何も思わず、何も望まず、同じ動作を繰り返すだけのずっと同じ毎日。友達も作ろうとせずたった一人で暮らしていた。


 一向に新生活に慣れる様子はなく疲弊していく日々が続いていた。もう洋明に表情というモノはなく、友人もいない学校生活と無音の自宅生活を繰り返している。もう長い間鏡を見ていないが、それはそれは酷い顔をしている事だろう。“何も無い”顔があるだけで、自分なのかと疑う程まで別人になっているに違い無い。


 おそらく自分はこれから先もずっとこうなのだろう。やっていけるのかという疑問はもうない。疑問する思考は消えてしまった。今はどうでもいいという感情しかなく、ただ毎日を過ごすだけだ。


 GWを過ぎても、まだ己はたった一人で知らぬ土地にいるのだから。



 「………………」



 買い出しの帰り、何の気無しに歩いているとバス停のベンチに座っている女の子を見つけた。


 長い黒髪が綺麗な女の子だった。しかし、その美しい黒髪とは対照的に彼女の目は虚ろに濁っており、身体もいくらか疲れているような印象を受けた。


 今にも死んでしまうのではないかと思ってしまう。



 「………………」



 だが、別に洋明には関係ない。自分はこのまま家に帰り眠りにつかねばならない。何かする気など全く起きないのだ。毎日洋明は睡眠を欲していた。


 それだけしか思えずそれしかできない洋明に、ベンチに座る女の子に構う気など起きるわけがなかった。



 「………………」



 ふと周囲を見る。


 今、洋明の近くにはベンチに座っている女の子だけで他には誰もいない。元々利用する人があまりいないバス停ではあるが、全く人影も音もないと何処か世界に取り残された感覚がしてしまう。


 だが、そんな洋明の後ろを二人のおばちゃんが通りかかった。



 「あら? バスが事故を起こした事をしらないのかしらこの子達?」



 と、そんな事を言いながら去って行った。



 どうでもいい事だが洋明もバス利用者にされていた。



 「………………」



 洋明はバス停を過ぎていく。暗く蹲るように背中をまるめている女の子を僅かに見ると、その後すぐに視線を外し。



 「………………」



 ベンチのすぐ側で立ち尽くしてしまい動けなくなっていた。



 なぜか、女の子から離れる事ができない。



 「………………」



 だが、それは数秒ほどですぐに洋明は歩き始める。


 何やらわからない自身の変化に少し戸惑うも別に問題はない――――――が、天候に問題が出てきた。

 雨が降ってきたのだ。



 「………………」



 突然の豪雨だった。洋明は屋根のあるバス停のベンチに逃げ込むと、止みそうにない雨とその雨雲を見上げた。


 天気が不安定な事は知っていたので洋明は一応折りたたみ傘を持ってきていた。しかしあまりにも雨が強いので傘を差したところで水浸しだ。少し雨の勢いが収まるのを待った方がいいだろう。


 いつ勢いを緩めるかわからない雨を前に、洋明は女の子の隣に一席空けてベンチに座った。




 「………………」



 「………………」




 会話はない。近い距離に座っている二人だが、特に意識もしておらず時間だけが過ぎていった。


 雨の音が聞こえるだけ。それ以外は何も感じ無い……はずだったが。



 「――――ッ」



 隣に座っていた女の子が突然道路に飛び出した。酷い雨の中、傘も差さずいきなりである。女の子は道路の真ん中まで走って行くと、座っていた時と同じ無表情で車線を真っ直ぐ見据えた。



 「………………」



 変な女の子だなと洋明は思ったがそこまでだ。それ以上は特に考えず女の子の事は無視していた。別に雨の中道路に飛びだそうが何をしようが自分には関係ないのだ。



 「………………」



 車が走ってきた。しかし女の子は動かない。立ち尽くしたまま、迫る車を避けようとしていなかった。

 運転手も居眠りでもしているのか、止まる気配も避ける気配も全くない。このままだと女の子を轢いてしまうのは確実だ。



 「………………」



 女の子と車の距離がどんどん縮まっていく。車は近づいて行き、女の子は動かない。


 凄惨な光景が洋明の脳内に映る。



 「………………な」



 瞬間、身体が勝手に飛び出していた。


 洋明はそのまま女の子を抱きしめ地面を転がった。完全に庇う形で転がったので、女の子に怪我はない。だがその分、洋明へ久しぶりに味わう激痛が走り、思わず顔を歪めた。



 「何やってんだお前ッ!」



 しかし、痛みを気にするよりも、女の子に洋明は怒鳴っていた。



 「あのまま撥ねられたらどうするんだよ! 死ぬ気かよ!」



 車はそのまま二人を無視するかのように走っていった。車体が車道から大きく外れており、もう居眠り運転に間違いないだろう。


 だが、洋明は車などおかまいなしで女の子を怒鳴りつける。こんなにも感情を露わにしたり、声を出したりするなど久しぶりだった。あまりに久々なので、まだこんな大きな声が出せるのかと自分に感心してしまう。



 「見てるこっちはたまらないんだ! 二度とするんじゃない!」



 ドシャ降りの道路に転がったまま洋明の怒声が飛ぶ。


 慌てて突き飛ばしたからとはいえ、覆い被さるように洋明は女の子を押し倒していた。 濡れている洋明の顔や髪から雫が滴り落ちていく。女の子は顔に落ちてくる水滴を受け、それと同時に怒りに満ちた洋明の顔を見ていた。



 「…………ってゴメン!」



 ひとしきり怒声を飛ばしていた洋明だったが、押し倒している事に気がつき、慌てて女の子から離れた。酷い雨の中にいる事も思い出し、手をひっぱってベンチ下まで連れて行く。


 それなりに雨に打たれているはずなのに女の子の手は温かかった。



 「タオルの変わりにできるもの……なんてあるわけないか」



 無駄だとわかっていたが、自分のリュックを探しても濡れた身体を拭けそうな物は何処にもない。女の子も持っておらず、ポケットにハンカチも入れていないようだった。



 「………………」



 「………………」



 無言の空間が再び始まった。



 「うぐ…………」



 怒声がスイッチを切り替えてしまっていた。先程までは何ともなかった無言が重たい空気となって洋明にのし掛かっている。


 ベンチに戻ったので一段落ついた、再び無気力な自分と無言の少女の二人の空間になる。



 と思ったのだが、どうやらそうはいかなくなっていた。



 「ぬぐぐぐぐ…………」



 洋明は埃を被っていた感情のエンジンを久々に動かし、動こうとしなかった身体を否応無しに動かした。


 それは完全に引っ越してきてからの自分を捨て去る行為であり、一瞬で無気力な自分が何処かに吹き飛んでいった。マイナスをずっと走っていた精神が、女の子に怒りをぶつけた事で無理矢理引き上げられ正常になったのである。


 つまり、元の自分に洋明は戻れたのだった。



 「えーと…………とにかくもうあんな事するなよ……な」



 だが、洋明が無気力な自分を捨てられたのはそれだけが原因ではなかった。



 「死ねるのかなって……思ったんです」



 女の子の口が動いた。



 「どっちでもよかったんです……あのまま車に撥ねられても……車が私の横を通りすぎていっても……ただ、死ねるのかなって思っただけで」



 女の子にも洋明のような変化があったのだろうか。無表情ではあるものの無気力な様子が消えている。虚ろな目も消え失せ生気の戻った顔になっており、言葉には感情が込められていた。



 「車が真っ直ぐ向かってきて……それでいいと思いました。何もせず毎日が過ぎていって……友達もいないし帰っても誰もいない……ただ一人で生きているだけだから……」



 「………………」



 「ちょっと……ためしてしまいました」




 死ねるのかな、と。



 自身が生きている実感を矛盾する行動で得ようとした。



 「でも……それは違ってましたね」



 女の子が自分の手を見つめる。


 その手は僅かだが震えていた。



 「死んでもいいなんて……私、思ってませんでした」



 死ぬのは怖い。



 そんな当たり前の感覚を取り戻せていた。生きている“だけ”ではなく、生きて“いたい”と思える。

 疲弊した精神を元に戻す事は難しい。


 だが、元に戻すのは一瞬の事である。



 「ありがとうございます……あなたがいなかったら……私、きっと後悔してました」



 洋明に女の子は感謝していた。変わってしまった自分を戻す事ができたと。


 その顔はほんの僅かだが笑っていた。



 「べ、別に礼なんて……」



 女の子を直視できず洋明は顔を逸らしてしまう。不自然に逸らしてしまったので、何処か変ではなかったかと無性に洋明は気になってしまう。


 しかし、逸らした顔をすぐに戻す事はできない。赤くなっている自分の顔を見せる事など恥ずかしくてできなかった。



 「でもまた……こんな事しちゃうのかな……」



 女の子が力無くため息をついた。



 「せっかく、おかしな自分から元に戻れたのに……またこんな事してしまいそうで……怖い」



 当たり前の自分に戻る事ができても、またさっきのような自分になってしまうかもしれない。例え元に戻る事ができても、そうなってしまった日々を変える事ができないのなら意味がない。


 そして、その日々を変えるのは途轍もなく難しい事だ。


 たった一人――――――それだけが続くのならば。



 「じゃあ………………また会おう……か」



 洋明はありったけの勇気を振り絞って言っていた。


 赤くなった顔が元に戻る気配はない。なので、やや伏せ気味に女の子へと向き直る。



 「オレ達二人がまた会えば……いや、会い続ける事ができれば……大丈夫になるんじゃないかな」



 洋明はリュックから折りたたみ傘を取り出し、女の子に差し出す。


 キョトンとした顔で女の子はそれを受け取った。



 「こ、この傘は理由にしよう。君はオレにその傘を返さなきゃならない」



 気がつくと雨の勢いが緩んでいた。これなら傘を差せば普通に帰る事ができるだろう。


 まあ、すでにびしょ濡れの二人には関係ない事なのだが。



 「だから……またその……会ってもらえない……かな?」



 我ながら何を言っているのかと、洋明の脳内で自己嫌悪と自己罵倒と自己後悔が目一杯繰り広げられた。


 しかし、言ってしまったものはしょうがない。というか、この一連の流れがあまりにもアレなので赤くなるだけに止まらず顔から爆炎が出そうになる。


 もしや、引かれたのではないかと洋明は内心心臓をバクバクさせていたが。



 「はい、こちらこそお願いします」



 彼女は顔いっぱいの笑顔で洋明に返事をした。


 返ってきた答えと予想外の笑顔は、さらに洋明の心臓を激しく鳴らした。

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