第11話 希望溢れる過去! いつか麻生は取り戻す!

 「麻生さんったら。いつもキョロキョロするんですね」



 「え? そ、そうかな……」



 「そうですよ。もう、彼女が目の前にいるってのに……ヒドイです」



 「ご、ゴメン……」



 「でも、まあ許してあげましょう。その照れた顔がカワイイから……ふふふ」



 喫茶店のテラスで洋明と彩香の二人は、ラブラブで近寄りがたい会話をしながら注文を待っていた。


 洋明は春が好きだった。暑すぎず寒すぎず丁度良い気温が続く季節だからだ。それに風が一番肌に心地よい季節でもある。朝の日差しが柔らかいのも春だし、いろんな花が咲き乱れるのも春だ。


 しかし、何より春が一番好きな季節だと思うのは。



 「次のデートはドコにいきましょうか。私、東京アメリカンネズミングパークに行ってみたいです。今だと、きっと毎日混んでると思うけど……その分、麻生さんといっぱい喋られる時間ができるから……」



 彩香と付き合い始めたのが春だったからである。この理由に比べれば、他の春が好きな理由は虫の死骸以下である。



 「そういえば、この間麻生さんの家に行った時、グラタン作らなかったですね。しまったなぁ……私グラタンが一番料理で得意なんですよ。こんど行ったら絶対に作ってあげますからね。あ、でも麻生さん家に行くならもっと料理つくってあげたいなぁ」



 彩香はウーンと唸りながら考える。



 「…………得意じゃないけど和風料理も作ってみようかな。麻生さんの誕生日も近いし。うん、プレゼントと一緒に腕似よりをかけた料理も振るっちゃいますね」



 可愛く鼻を鳴らし、頑張るぞとばかりに腕を曲げて力こぶを作るポーズをする。



 「ありがとう。桑島さんの作ってくれたモノなら何でも食べられるよ」



 「あ、嫌いなモノがあったら言ってくださいよね! 私、麻生さんの嫌いなものなんて作りたくありませんから! 好みなんて人それぞれあっていいものなんですから。無理なんかしないでくださいね」



 彩香は「わかりましたか?」と頬を膨らませた。



 「うん、わかった」



 それを見ていると洋明の鼻の下が急激に伸びていき、にやける自分を抑えられなくなる。


 洋明は彩香を見ているといつもこうなるのだ。それだけ彩香が可愛いくて好きで仕方がないのである。


おそらく、今の洋明なら彩香をその眼にブチ込んでも痛くないと言うだろう。言い張るだろう。



 「遅いですね、注文」



 「そうだね。まあ、いいじゃない。急いでいるワケでもないし……」



 しかし、彩香を見ていると人は変われば変わるものだと感心する。


 最初出会った時の彩香と今の彩香が同じ人物だととても思えない。こんな明るく可愛らしい少女になるなど誰が思えただろう。


 まあ、変わり具合で言うなら洋明も同じなのだが。



 「……そういえば」



 そこで洋明は気がついた。ふと見渡して見ると、今テラスにいるのは自分たちだけだった。他の客は中で食事や話などしており、このテラスとは一線を隔てた場所にいる。外も人通りはなく、喧騒もない。


 完全ではないものの、二人きりの空間ができていた。それに気づくと、もうその思考は拭えない。麻生の心臓は高鳴っていき、その音はどんどん大きくなる。



 「あの……ですね……相談があるんですけど……」



 彩香がオレンジジュースをかき混ぜるとカラカラと氷の音が響き、二人だけという錯覚が一層強くなっていく。



 「な、なんだい?」



 動揺を何とか隠して洋明は返事をする。



 「私……呼びたいって……ずっと思ってるんです……その……名前を……呼び合いたいなって……」



 「え……?」



 恥ずかしいのだろう。俯き、先ほどまであった活発な表情は何処かへ行っていた。



 「いつも麻生さんって呼んでるけど……なんか彼女っぽくないし……やっぱ私彼女なんだし……その、洋明さんって……えっと……呼びたい……な……い、嫌じゃない……なら……なんですけど……」



 彩香がどんどん縮こまっていく。固まったまま顔を上げない“彼女”を見て慌てて洋明は反応する。



 「ぜ、全然嫌なんかじゃないよ! むしろ……い、いっぱい呼んでよ……」



 たどたどしく洋明がそう告げると彼女は麻生の方を見た。



 「え……?」



 「その……彼女に名前を呼ばれて嫌がる彼氏なんているわけないんだから……さ」



 「あ、ありがとう……その……えっと、洋明さん」



 「―――――――ッ!?」



 洋明の幸福ゲージは振り切ってそのままグルグル回転し始めた。感動でガタガタ震えそうな身体を必死に抑える。



 「じゃ、じゃあオレも呼ぼうかな!」



 照れ隠しのせいか、少し大きな声になってしまう。



 「はい! 名前で……よ、呼んでください!」



 すると彼女は麻生に溢れんばかりの笑みを見せた。



 「うん、それじゃあ……」



 と、そこで洋明は声につまる。


 彼女の名前。


 頭にあるべき当然の言葉が出てこない。


 ついさっきまで、何度も頭の中をオーケストラのように響き渡っていたというのに。



 (あれ……?)



 彼女の名前が。目の前の女の子の名前が突然消えてしまった。


 そんなバカなと必死に思いだそうとするが、頭に出てくるのは全く関係ない疑問が次々と沸いてくるだけだ。


 ここは何処なのか? なぜこんな所にいるのか? いつやって来たのか? 自分は何をしているのか?


 そして、なぜか急に寒さもやってきて。

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