第3話 メルヘン

昔、よく「ドクタードリトル」を観て動物と「話せる能力」があればいいな、

と思っていたけど、歳を重ねるごとにその能力が現実に存在するなら

恐ろしいことなることを理解した。

だから今、その能力が欲しいかと問われれば、答えは否である。


確かに動物との意思疎通ができれば、相手の思いに対して正当な受け答えができる。

お互い、心を交し合っているのだから何不自由ない生活が送れるだろう。


だが、問題は人間と動物には決定的な違いがあることだ。

人間も動物ではあるが、他の動物と違い、法という形で社会を成り立たせている。

そして動物はその法の中ではかなり低俗な扱いを受けている立場にある。

そのような立場が成り立っている社会で動物の声を聞けたとしても

求めていた声とは相反する答えが帰って来るであろう。

人間は支配者、動物は奴隷の関係にあるからだ。

とくに殺処分を行う施設で「話せる能力」があるのであれば、

聞くに堪えず、精神的に崩壊してしまうかもしれない。


だからこそ、この「話せる能力」はメルヘンであるべきなのだ。

叶わない方が本人にとってずっと夢や理想であり続ける。


もし、本当に「話せる能力」が欲しいのであれば、覚悟が必要である。

聞こえる声を受け入れることもそうだが、その声に答えることの任も課せられるのだ。


ノブレス・オブリージュ

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る