五章 開始《かいし》


開始/1


 田原は、小鳥遊の自宅へと招かれた。

 3LDKのマンションで、リビングでは、小鳥遊の妻である愛美が、大きくなっているお腹を愛しく撫でながら、読書をしていた。

「ただいま、恵」

 小鳥遊が言いながら、ソファへと座った。

「今日ね、何回もお腹を蹴られたの。女の子なのに、凄いやんちゃな子なの」

「そうか。名前は、任せるよ」

「うん。大体決まってるけど、ちゃんとあなたの意見も聞かせてね」

「あぁ、わかってる」

 田原は、やれやれと思いながらも、優しい笑みを浮かべていた。

「真。俺はさっさと話を終わらせたくなってきたぞ」

「あぁ、悪いな。俺の部屋に行ってくれ。それと、煙草は少し控えろよ」

「わかってる」

 田原は、小鳥遊の自室へとむかった。

 資料がそこら中に乱雑に積み上げられていて、足の踏み場も無いほどだ。

 若干遅れて、小鳥遊が入ってきた。

「適当に座れよ。いつもみたいに」

「いつもながら、凄い部屋だな」

 田原は、資料を丁重に扱いながら、座る場所を作る。

「で、調べ物はどうだった?」

「と言われてもな……あんまり多くは出なかったぞ」

 二、三枚の紙を、田原は小鳥遊に手渡す。

「ほとんど情報は増えてないな」

「当たり前だろうが」

「お……補導歴があるのか」

「未成年のときのだ。煙草所持が一回、喫煙が四回。まぁ、よくあることだ」

 田原は胸ポケットから、煙草を取り出す。だが、すぐにまた胸ポケットにしまった。

「遠慮していれば、煙草は吸っていいんだぞ?」

「それでは、遠慮してベランダで吸ってくる」

 田原は立ち上がり、部屋を出た。

 リビングを通る途中、恵がにっこりと微笑み、会釈をした。田原も会釈をして、ベランダの戸を開ける。

 夜の風は冷たく、多少身震いするほどだった。

 田原は、何となくだが、地上を見てみた。八階という高さだけに、眺めは悪くなかった。

 田舎というほど寂れてはいないのだが、小樽の夜は静かだ。特に、この入船いりふねという場所は、騒がしいという言葉とは無縁の場所だ。確かに、時々やんちゃな小僧が、バイクを飛ばしていくが、一瞬なので気にならない。

 この時間帯になると、人通りも少なくなる。まだ、八時だというのにだ。

「いいもんだねぇ……」

 田原は、東京からここに飛ばされた。最初こそ、田舎だなんだと馬鹿にしていたが、小鳥遊と出会い、そして他の仲間達とも出会い、今ではこの街がとても好きになっていた。

 それくらい、この小樽と言う場所は魅力があった。この小樽に住む人々全てが、まるで、ゆっくりとした時間軸の中に生きているようにも感じる。

 煙草の火を消そうと携帯灰皿を取り出すと、視線の片隅で、何かが動いた。人だった。

「こんな時間に出回るのは、若者と相場は決まってるんだがな」

 田舎とはいえ、若者は若者らしく行動している。この時間帯にぶらぶらしているのは、近くのやんちゃな小僧や、暇を持て余した大学生だ。

 田原は目を凝らす。

 見覚えのある容姿だった。彼は、リビングに戻り、大声で小鳥遊を呼ぶ。

「おい、真! 出かける準備をしろ!」

 田原は、恵に軽く挨拶をして、すぐに玄関へと向かった。


開始/2


 田原と小鳥遊は、見慣れた人影を尾行していた。

「あれは……比翼か」

「あぁ。あいつの自宅からのコンビニは、もう過ぎている。もしかしたら……」

「あぁ」

 一定の距離を保ち、彼らは動く。

 すると、急に比翼は立ち止まった。

「なんだと思う?」

 田原が小鳥遊に問う。

 小鳥遊は、警察手帳を捲りだす。

「あいつに彼氏はいない。密会とかではなさそうだが……」

 小鳥遊がそう言った直後、一人の男が比翼に近づいた。

 見るからに今時の若者だった。太いズボンを腰ではき、何が書かれているかわからない英単語のプリントされたシャツを着ていた。

 二人は笑いながら短い会話をした後、花園グリーンロードと言われる、細長い公園へと向かっていった。

「あれじゃあ逆戻りだな」

 田原が首を傾げた。

「ホテルが一件あったな」

「あー。Lホ?」

「なんだ、それは?」

「ラブホテルの略語だよ。俺的ブームなんだよ、こう言うの」

「……馬鹿らしい」

 小鳥遊は腕時計をちらっと見て、すぐに視線を前へと移す。

「どうした、真?」

「いや……この時間に高校生がうろついていても、補導はできないと思ってな」

「Lホに入れば別だ。不純異性交遊とか、適当なこと言えばいいだろう」

 しかし、二人はラブホテルに向かうどころか、花園グリーンロード内にあるベンチに腰掛ける。

 小鳥遊と田原は、暖簾に腕押しの気分で、肩を落とした。

「本当にただの逢引かもしれないな」

「真、お前、言葉が古いんだよ。逢引、なんて今のご時勢ほとんどの人間が使わないぞ」

「……くだらない」

 小鳥遊は、少しだけ照れを隠すように髪をいじり、田原を睨み付けた。


開始/3


 夕食が終わった比翼は、コンビニに買い物に行くと言って、すぐに家を出た。清貴は、それに何も言いはしなかったものの、やはり心配なのか、一度だけ彼女を引き止めていた。

 しかし、彼女は、それを軽く受け流し、出て行った。

「まったく……」

 清貴が腕を組み、ソファへと座る。それに続き、秋華もまたソファへと座った。

「あの子は大丈夫よ」

「まぁ、身持ちは硬そうだからいいが……」

 夕食の片づけを終えた雅詠が、酒を片手に清貴の向かいのソファに座る。

「あのくらいの子なら、こっちじゃあよく出歩いているぞ」

「そっちとは一緒にしないでくれ。あんな夜も明るい街は苦手だ」

 清貴は、煙草に火を点ける。

 秋華は、にっこりと微笑むと、立ち上がった。

「どうした?」清貴が、少々驚いたように彼女に言う。秋華は、「お風呂に入ってくる」と言って、そのまま浴室へと向かってしまった。

 リビングに取り残された二人は、顔を見合わせ、二人同時に溜息をついた。

「どうする、清貴?」雅詠が、つまらなそうに言う。

「カラオケとかは?」清貴もまた、つまらなそうに返した。

 清貴は、時計を見る。まだ八時になってはいないが、あと数分でその時間になる。

「テレビ……はやめておくか」

「あぁ。今はお前のニュースで持ちきりだもんな」

 今、世間では、清貴のファンが起こした猟奇殺人で、賑わっていた。当然、その皺寄せは清貴にも来た。清貴の作品には、グロテスクな表現が多いため、それが今回の殺人の引き金にもなったのでは、とも言われている。その影響を受けたのか、出版社側からは、そういった表現が使用されている作品の自粛を言い渡された。

「まったくもって、迷惑な話だよ」

「影響も何も、って感じだよな」

「あぁ、まったくだ」

 雅詠は、煙草に火を点けた。

「父さん」

 連理が、スウェットにロングTシャツというラフな格好で、居間に来る。

「どうした、暇なのか?」

「いいや、違うよ。ちょっと出かけてくる」

「あぁ、そうか。遅くなるなよ」

「うん。じゃあね」

 連理は、ヘッドフォンを耳にかけ、家を出た。

「息子は心配じゃないのか、清貴?」

「あいつは大丈夫だよ、雅詠」

 清貴は、そう言って、深く溜息をついた。

「そういや、いつ帰るんだ?」

「明日」

 清貴は、先程よりも大きい溜息をついた。


開始/4


 外の空気は冷たく、どことなく、気持ちが澄んでいく。

 連理は、大きく深呼吸する。そして、軽くストレッチをして、走り出す。

 連理が腕時計を見ると、丁度八時を刺していた。連理はマンションの前にある坂を真っ直ぐに下っていく。やはり、八時にもなると人影は少ない。

 耳からは、清貴の好きなミュージシャンの音楽が流れる。サビに入り、連理は、小さくだが歌いだした。

「奪われたのはなんだ。奪い取ったのはなんだ。繰り返して少しずつ。忘れたんだろうか。汚れちゃったのはどっちだ。世界か自分のほうか。いずれにせよ、その瞳は。開けるべきなんだろう……」

 坂を下り終え、すぐに彼は右へと曲がる。目の前に花園グリーンロードが見えた。連理は、その直前で左へと曲がり、最近出来た大きなマンションへと向かう。

 マンションの前に着いた連理は、立ち止まり、大きく深呼吸をし、時計を見た。約十分が経過しており、短いジョギングだったものの、自分の体力が低下していることを思い知るのには、充分だった。

 連理はマンションを見上げた。入居者の数はまだ半数程度らしいが、このマンションの規模から見て、数百人は既にこの中に住んでいるのだろう。

 連理は再び時計を見る。八時十五分になっている。辺りは相変わらず静かだ。

 連理は適当なところに腰掛け、煙草に火を点けた。運動した後なので、気持ちが悪くなる。

 マンションの自動ドアが開く。ゴミ袋を持った身重の女性が、ゆっくりと歩きながら少し離れたゴミステーションへと向かった。

 彼女は、こちらに気付いたのか、軽く会釈をする。

 ゴミステーションへとゴミを捨てた女性は、やはり連理を見つめる。

「こんばんは」

 連理が挨拶をすると、女性はにこやかにこちらに挨拶をする。

 連理は、首の骨を軽く鳴らし、ストレッチを行う。そして、大きく深呼吸した後に、腕時計を見て、また煙草に火を点けた。

「ジョギングですか?」

 身重の女性が、連理に興味を持ったのか、話しかけてくる。

「えぇ、まぁ。体力が落ちたので、取り戻そうとして」

 連理は、自分にゆっくりと歩み寄ってくる彼女を見て、まだ充分に残っている煙草を捨てた。

「失礼しました」

「心遣い、感謝します」

 身重の女性は、にっこりと微笑んだ。

「どうして男の人は煙草を吸いたがるのかしら?」

「さぁ……」

 一瞬、清貴が頭に浮かぶ。

「きっと、格好をつけたいからじゃあないですか?」

「自分のことなのに、疑問系なんですね」

 朗らかに女性は笑う。

 その彼女の笑顔を見て、連理は、心の内に何かしらの破壊的な衝動を描いた。

 この人の腹を殴り、その中に宿る命の灯火を消したら、どのような声で鳴いてくれるのか。そして、どのような顔で、自分を見てくれるのか。

 しかし、彼にも良心はちゃんとある。これから産まれてくる無垢なる命を奪う権利など、誰にもないのだ。

 そのようなことを考えた自分に嫌気が差し、大きく溜息をついた。

「どうかしましたか?」

「あぁ、いえ。男とは馬鹿だな、と思いまして。ところで、旦那さんはいらっしゃらないのですか? その、他人の家庭に口を出すつもりはないのですが、こんな時間にゴミを出させるなんて……」

「あぁ、今旦那は仕事中でして、仕方なく」

「そうなんですか……大変ですね」

「えぇ」

「あ、そういえば、自己紹介が遅れましたね。二岡におか 連理です」

「あ。私は、小鳥遊 恵です」

 小鳥遊と聞いて、驚嘆の声が喉まで出かけたが、なんとか飲み込む。

「よろしくお願いします、というのも変ですね。それでは、妊娠中の女性を夜風に当てるのは、申し訳ないので、これで」

 連理は手を差し出し、握手を求めた。彼女はそれに応え、連理の手を遠慮気味に握る。

 連理と恵は、優しく微笑む。そして、連理はマラソンを再び開始した。

 数十分走り、彼は自分の強運に、身震いするほどに感激する。

「僕は運がいい」

 くくく、と小さく笑いながら、彼は当初の予定よりもずっと長い道を走り続けた。


開始/5


 連理が家に帰っている途中、花園グリーンロードに、比翼がいた。比翼は、男子と楽しそうに話していた。連理は、彼女を常に視界に入れながら走ったが、そのとき、小鳥遊ともう一人の男がいた。

 見るからにその二人は比翼を監視している。

 再び連理は自分の運の良さに笑い出してしまいそうだった。あの小鳥遊の性格は癖のあるものだ。それなのに二人で監視しているということは、あの人物は小鳥遊にとって信頼に足る人物であるということには間違いない。

 そして、最近清貴の周りで起きている犯罪は解決した。今は、高校生の行方不明についてだろう。彼らは自分と比翼に目をつけた。しかし、それでも捜査に大人数を裂けるほどではない。彼らは個人的に捜査をしているのだろう。ならば、あの二人に気をつけていれば、それでいい。もう一人の男の顔を覚え、二人がいないときを見計らっていつもの殺人を行えばいいだけだ。

 連理は歩きながらその二人に近づく。何かしら会話をしていたが、どうやら比翼を監視することで手一杯なのだろう。連理には気付いていない。

「何をしているんですか、小鳥遊さん?」

 連理が小鳥遊に声をかけた。

 小鳥遊は、一切驚いた表情を見せずに、連理を見た。

「君は連理か」

「えぇ。何をしているんですか? かなり趣味が悪いように見えますけど」

「仕事の一つさ」

 小鳥遊の横にいる男が、小鳥遊の代わりに答えた。

「真から話を聞いてるよ。俺は田原だ」

「初めまして」

 連理が手を差し出す。その態度が気に入らないのか、小鳥遊は連理を鋭い瞳で睨み付ける。

「なんのつもりだ?」

「別に、ただの挨拶です。構わないですよね、田原さん?」

「あぁ、別に構わないよ」

 田原と連理は握手を交わす。連理はなるべく自然に、そして違和感なく笑顔を作る。

「藪から棒に申し訳ありませんが、若者の恋路を邪魔する権利は、警察にないと思いますけど」

「あぁ。失礼したよ。あのような事件があったあとだからね。少し、彼女には気を配ってるんだ」

 田原はもっともらしい理由を言って、連理に笑いかけた。

「では、僕はこれで失礼します」

 連理は会釈をして、その場を後にした。

 連理の背中が見えなくなったあとで、小鳥遊は溜息をつく。

「煙草、吸うか?」

 田原が小鳥遊に煙草を一本差し出す。それを何も言わずに小鳥遊は受け取り、田原からライターを借りて火を点けた。田原は小鳥遊が最初の煙を吐き出したところで、自分も煙草に火を点けて吸い出す。

「ありゃあ確実だな」

 田原は、小鳥遊に話しかけた。

「そうだろう。だが、証拠が出て来ないんだ。なんでだと思う?」

「絶対にばれない場所。少なくとも、あいつらの身近にはないところ……」

「しかし、あいつらは怪しいところに行ってない」

「あぁ。変なところに行けば、お前が気付くしな」

「それなら、どこだ……」

 小鳥遊は煙草を捨てて、苛立ちを隠せないままに踏みにじる。

「今日は一旦帰るか。これ以上見てても、何も変化はなさそうだ」

「あの女狐の尻尾、必ず掴んでやる」

「なんであいつだけを目の敵にするんだよ」

「あいつは、狂ってやがる。見てわからないのか?」

「知るかよ」

 二人は舌打ちをし、尾行を終わらせる。


開始/6


 クラスメートの男子と、比翼は楽しく話していた。

 この男子は、次のターゲットとなる人物だ。不良の真似事をしている男で、性格は連理の友人の白石と似ている。しかし、白石と彼とでは、一つ違うところがある。

 それは、女性経験がないということ。この年頃の男子は、性欲に素直に従う。つまり、誘惑をかければ、警戒もせずにひょいひょいと付いてくる。

「けど、高山たかやまくんも暇だね、こんな夜に」

「こんな夜と言っても、まだ九時前だろう?」

 頬を紅くして、緊張している様子が手に取れる。そこが可愛く見えた比翼は、くすくすと、鈴が転がるような笑い方をした。

「な、なんだよ」

「高山くん、可愛いところあるじゃん」

「茶化すなよ」

 このような世間話は、彼女にとっては時間の無駄だった。それよりも自分の絵画を、そして、自分の計画を進めなくてはならない。

 連理には、まだ大丈夫だと言ってあるが、さすがに、少々追い詰められている。

 計画は順調に進んでいる。あくまでも、実験に関してのみだが。

 これ以上被験者を増やす必要はない。欲張りすぎると、逃げ切れない可能性だって出てくる。しかし、次は自分の番。ここで止めてしまうと、連理が何を言い出すかわからない。ここで、一気に終わらせるべきか。いや、もう少し慎重になったほうがいいかもしれない。

「どうしたんだよ?」

「別に、何にも」

 携帯電話を見てみると、メールが一通届いていた。

「誰から?」

 誰でもいいじゃない、などと思いながら、「連理から」と笑顔で比翼は答えた。

 内容は簡単なもので、「いちゃついている余裕があるなら、絵でも描いたら」というものだった。

 比翼はどこかで連理に見られているのではないかと、少し辺りを見回した。連理らしい影はないものの、自分を見かけててこのようなメールを送ったのだろう。

「ごめん、連理に見られたし、帰るね」

「そ、っか。あのさ……また、会えないか?」

「いいよ」

 また笑顔を彼に向けて、比翼は帰路を辿った。


 家に戻る途中に、比翼はコンビニに寄った。そこにはラフな格好をした連理がいた。

「あれ、連理」

 連理はヘッドフォンを耳にかけ、雑誌を読んでいた。その雑誌には、自分達が住んでいるマンションで起きた、死体遺棄事件の特集が、見出しで大きく取り上げられていた。

 その雑誌に集中しているせいか、連理は比翼に気付かなかった。

 そんな連理が気に入らないのか、比翼は彼のヘッドフォンを取り上げた。

「なっ!」

 心底驚いた表情を連理は比翼に向けた。

「ぷっ」

 そんな連理の表情が、とても面白く、比翼はコンビニの中で、「あはははははっ!」ととても大きく笑い出した。

「比翼、こんなくだらないいたずらするなよ!」

 比翼からヘッドフォンを取り返し、連理は雑誌を棚に戻す。

「だって、すっごい、変な顔」

「これだから比翼は……まったく」

 大きく溜息をついて、連理はコンビニから出た。比翼は少しだけ反省をして、連理のあとに続く。

「ごめんってー」

「そんな心のこもってない謝罪はいらない」

「もう、あんなに驚くこともないじゃん」

 連理は比翼に振り返る。

「小鳥遊と小鳥遊の相棒が君を見張ってたんだぞ」

「えっ?」

「あと、小鳥遊の奥さんにも会った」

 自分が今まで懸念していたことが、一気に解決されたような気持ちだ。

 しかし、彼女は手放しに喜ぼうとはせずに、わざと笑みを崩し、真剣な面持ちを作り出す。

「嘘、でしょう?」悲劇を演じるかのような、彼女の物言い。

「本当だよ。でもね、比翼。僕はしっかりと顔を覚えた。これであいつらの尾行は無意味さ」

「なんで?」

「あの事件はもう解決したんだ。未成年の行方不明で、そんなに何人も人員を裂くほど警察も暇じゃないだろう? だからきっと、僕らを尾行しているのは、彼らだけさ」

 彼女は笑みを隠すように、口元を手で覆う。

「そう、かな」

「あぁ、そうさ」

 どうしよう。

 こんな連理を見てるのも、案外楽しい。

「そっか、ありがと」

「うん」

 連理はまたこちらに背を向け歩き出した。

 僅かだが、彼の体は震えているように見える。もしかしたら、個人的に尾行がついたことに、今更ながら危機感を抱いているのかもしれない。

「比翼」

 連理は少しだけ歩いて、すぐに比翼に向き直った。

「僕たちは運が良い。そうだろう?」

 連理の顔は歪んでいた。尾行を付けられたという焦燥か、それとも、この計画がばれるかもしれないという恐怖からか。

 しかし、比翼にとってはどちらでもよかった。ただ彼女は、彼が歪み始めたという、この現実が堪らなく嬉しかったのだ。

「連理、なんで笑ってるの?」

「君だって、本当は笑いたいんだろう?」

 連理のその言葉に、比翼は笑みを返した。

 彼女の笑顔は彼と同じように歪んではいるものの、それは根底では全く別のもの。

「ふふふ。連理、そろそろ進めようか」

 比翼が楽しそうに連理に語りかける。

「君は嘘をつくのが上手いな。さっきのあの顔、とても面白かったよ」

 どれもこれも演技。

 私のこの顔も、言葉も、何もかも。

「そうでしょう? あなたも中々よ」

「まずは、舞台の設置からだね」

「えぇ、その通りよ」

「昔から遊んでた場所があったよね?」

「ははっ。いいわね、そこにしましょうか。そこなら、あいつも簡単に誘われるし」

 二人を手を繋ぐ。それはまるで恋人のようにも見えた。

「連理、これで解決するわね」

「あぁ、比翼。これで解決だ」

 比翼は、彼の手から伝わってくる震えを感じた。

 連理は、彼女と触れ合うことで、少しでも罪の重さから逃れようとした。

 今、計画は完成間近となった。

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