拙い青

あまり

第1話

 目の前で炎が揺れている。

 拙い青を燃料にした炎は思っていたよりも綺麗だ。

 その炎を眺めていると、どうしても彼のことを思い出す。

 私の、燃やしてしまいたい青春。



 ✳︎



 彼のことを意識したのは二年の十一月。


 私と彼は同じクラスだったけど、彼はクラスでは大して目立たなかったし殆ど空気みたいな人だった。


 だから、彼が私に話しかけてきた日には本当に驚いた。


「絵、上手いね」


 そんなお世話みたいな言葉。


 それが始めての言葉がそれだった。


 その日は文芸祭だったけど私たち美術部も他の文化部同様に閑古鳥が鳴いて莉央や響子ちゃんも吹奏楽の演奏を聴きに行っていた。


 私も全国大会出場の演奏を聴きたかったけれど留守番は必要だったし、じゃんけんで負けてしまった私は仕方なくそこにいた。


 客なんて誰一人来なかった。絵に興味がある生徒なんているわけない。抜け出しても大丈夫だろうって思った頃に彼がふらっとやってきて、そんなことを言い出したのだから本当に驚いた。


 それに、私の絵は上手くはなかったから余計に。


 青い海の絵。


 私の絵はかなり大雑把で、正直に言うと展示するほどの上手さではなかったと思う。


 私よりも部長の莉央や響子ちゃんの方がよっぽど上手かった。


「そんなことないよ。私よりも他の二人の方が上手いよ」


 この時点で私は馬鹿にされているのじゃないかと言う不安もあったし、かなり自虐的な口調だったと思う。


 だから思ったままそう言ったけど。


「ぼくよりも上手いよ」


 彼の方が自虐的だった。


 私と彼の出会いはそんなもので、それからは朝に会うとおはようと言ったり、たまに明日の時間割とか宿題の内容を教え合ったり、たぶん友達だったんだと思う。


 だけど、彼は三年の五月から学校に来なくなった。



 ✳︎



 以前から休めがちな人だった、一週間くらい一気に休むこともよくあった。


 彼は4月の終わりから一週間休んで、それから5月の一週間目だけきて、それ以来ずっと来ていない。


 みんなもそれなりに心配していた。主に体育祭のことだけど。


「どうせザボリだろ」


 彼と中学からの知り合いの戸村くんはそんなこと言っていて、みんなも笑ってた。


 私はほんの少し悲しくなっていた。


 二年の終わりことを思い出してしまう。


 二年生最後の期末試験が終わって、みんな浮かれている頃にも彼は学校を休んでいた。


 朝田先生が配ったプリント。


「学年最後だからクラスのみんなの良いところを書こう」


 そう言われて渡された『一年間ありがとう!』という題名のプリント。


 朝田先生が彼が休む度、彼の家に出向いていたことを知っていたし、私は声には出さなかったけどきっと彼のためのものなんだと思った。


 だけど、そんな恥ずかしいものを書くのは小学校以来だったし、みんなの不満も当然だった。


 それでも朝田先生は最後なんだから必ず書くようにと言っていた。


「最後って、このクラスほとんどが持ち上がりじゃないの」


 不満げに言ったのも確か戸村くんだった。


 文系四クラスのうち、たった一クラスだけの世界史組。


 事実上の持ち上がり、実際、私たちのクラスは三年になっても二年の時と殆どかわりばえしなかった。


 数名が特進に上がって、数名が特進クラスからの都落ち、そんなクラスだ。


 だけどもう渡された後だったし、先生も引かず、私たちも結局全員書いた。


 ちゃんと書いたのは莉央へのいつもの感謝の気持ちと、彼に絵のこと褒めてくれたことへのお礼の言葉。


 他のみんなに書いたものはあまり覚えてない。一年間同じクラスだからって私は女友達も多くないし男子にいたっては一度も喋ったことない人だって何人もいる。


 だから、ほとんど適当で、莉央のを写さしてもらった。


 莉央もなんとなくそのプリントの意図がわかっていたみたいで、彼のところには『しんどくても一年間ちゃんと来ていた!』と書いてあったのを見た。


 プリントを提出した後、莉央に聞けば他のみんなも同じようなこと書いていたらしい。


 そうだ。


 みんな一応彼のこと心配している風なこと、書いていたんだ。


 私はなんだが居心地が悪くなって次の日は学校を休んでいた。


 けれど、私はたった一日しか休めなかった。



 ✳︎



 それからも彼は学校を休んだままだった。


 学園祭は結局彼がいなくてもそれなり楽しめて、みんなも満足したまま夏休みに入った。


 もう誰も彼のことを気にしていなかった。


 私もまた夏休みの間、ずっと塾通いで彼のことなんて気にする余裕もなくひたすら問題を解いていった。


 勉強に勉強を重ねて、たまに莉央と遊びに行ったりして、こんな風に高校生は、青春は終わっていくのものなのかなんて。


 案外そんな楽しいもんじゃなかったななんて。


 そんなこと思っていたら彼に会った。


 8月の終わり、夏祭りの日だった。


 毎年のように莉央と一緒に行って莉央と別れたその帰り道。


 祭りが終わって人の多いコンビニ、そこで水だけ買って、外に出たところで彼と出会った。


「北村さん、久しぶり」


 いつもと変わらない風に思えた。


「北村さんも祭りにきてたの?」


「莉央と一緒に。篠原くんも?」


「うん。僕は一人でだけどね」


 誇るでもなく、恥ずかしそうにするわけでもないいつもの彼だった。


 私と彼は一緒に帰ることに帰ることにした。


 二人で夏祭りのことを話した。


 花火が綺麗だったこと、屋台の店が美味しくもないのに行列ができてしまうこと、ステージに出ていたブームの去った芸人のこと、その芸人より笑いをとっていた中学生のこと。


 思えば彼とこんなにも話したのは始めてなのかもしれなかった。


 夏祭りの熱気おかげかもしれないし、夏の蒸し暑さのせいなのかもしれない。


 私はなにか確信を得た気がして彼に聞いた。


「夏休みが明けたら学校くるよね?」


 そう何気なく、けど自信を持って聞けたはずだ。


「実はもう転校の手続きをしたんだ」


「えっ」


 言葉が詰まる。


 なんて声をかければいいんだろう。どうして辞めてしまうんだろう。


 さっきまで普通に話せていたはずなのに急に、彼の表情が見えなくなった。


「ごめん」


 なぜか謝られた。


「どうして」


 ってしか言えなかった。


「自分でもわからないんだ。」


 彼の表情は見えなかったけど、困っていた。


「自分のこと、わからなくて、わからないことが、嫌なんだ。夜が眠れなくて、親に当たって、いつか学校でも、騒ぎ散らすかもしれないと思うと、自分が、嫌で仕方ないんだ」


 彼は途切れ途切れにそう言った。


 私は少しフラつきそうになった。


 彼の言っていることの意味は殆ど理解できなかったけど、それが思春期からくるものだってことくらいはわかった。


「みんな、心配していたよ」


 だけど、やっぱりは私はそんなことしか言えない。


 もっと気の利いた言葉はなかったのか。そんな風に後悔し始めた時にはもう彼は喋り始めていた。


「メッシーにも言われたよ。学校に来いって、みんな心配してるからって、家までわざわざ来て」


 休んでいた間のノートは飯田くんが持って行っていたのは知っていたけど、


「正直、困ったよ」


 彼はいきなりそんなことを言い出す。


 体が汗ばんできている。


「困ったって?」


「期待されたこと、重いんだ。ぼくはただサボってしまっただけなのに、大丈夫か、なんて、みんな心配してることが怖いんだ。本当は怒られていいはずなのに」


 彼の声は震えていた。


 私たちは近くの公園の前まで来ていた。酔っ払った男女が抱き合っているのが見える。


 他にも、祭りの熱が冷めていていない騒ぎ声が聞こえている。


 なのに、こんなにも騒がしいのに、私たちは孤独だった。


 彼の言っていること、私には理解出来なかった。そんな経験が私にはないから。


 私は私でしかなくて、彼のことが理解できないこと、次の言葉が紡ぎ出せないことが腹立たしかった。


 彼は続ける。


「誰かのせいにするとか最低だと知っているし、今はもう誰にもいじめられてやしない。だけど、それでも夜になると思い出すし、少しでも明るくしないと、メッシーやお母さんにぼくは少しでもマシになっていること見せていないといけない」


 ダムが崩壊したみたく、彼は喋り続ける。


 歩みも早くなる。


「しんどくても一年ちゃんと来てたなんて、みんな言うけれど、ぼくは自分の心の都合でサボっていたし、そんなこととかみんなのこと恨んでしまう。宿題が面倒だから、テストが面倒だから、そんなことを理由にして罪悪感でいっぱいなのにどうしてぼくなんかに優しくするだよどうしてぼくは人に優しくなんてできないのに、なにもできていないのに」


 勢いよくダムから流れ出した言葉は止まらず私はどうすることもできなかった。


 ただ人通りのない、街灯すらない、田んぼ道にまでやってきて、彼と一緒にいるしかなかった。


 何も話すことができなかった。


 もう泣き崩れている彼の話をただ黙って聞いているしかなかった。


 彼の言葉、そこから先はもう聞き取れなかったし、それを全て聞けるほどの器を私は持っていなかった。


 どうすることもできなくて、私はどうして彼がこんなことを私に話しているのかそれだけが疑問だった。


 誰かに話しを聞いて欲しかったんだろうか。


 私と彼の関係って一体なんなんだろうか。


 彼の言葉を理解しようとする脳と、それを諦めている脳がそんなこと考え出す。


 友達以上、恋人未満なんて言葉があるけど、私と彼の関係はもっと下だった。


 恋人でもなければ友達だと言うほど仲が良かったわけでもない。


 知り合い以上、友達未満と言ってもよかったかもしれない。


 だけど、私はそんな彼のこと、私の絵を上手いと言ってくれた彼のこと好きだったのかもしれない。


 いくら他に喋るような男子がいないからってそんなことでいきなり恋に落ちることはなかったけど、確かに意識はしていた。


 私が彼のこと意識しだしたのも、彼と話をするようになったのもあの絵がきっかけだった。


 こんな空気のまま彼と別れるわけにはいかなかった。


 どこかで何か空気を変えたかった。


 彼の泣き言は聞きたくなかった。


 だから、私はもう泣き止んで、少し落ち着いた彼に聞いた。


 本当は励ましたかったけど、それくらいしか彼にかける言葉が見つからなかった。


「去年、私の絵、褒めてくれたよね。どうしてわざわざ美術部にきて私のあんな拙い絵を褒めてくれたの?」


 私が選んだ言葉は最悪だということくらい一瞬でわかることだった。


 私は間違えた。


「君が好きだから」


 そう、私の目を確かに見て言われた。


 時が止まったみたいだった。


 意識の全部が思考停止して、だけど色んなことが走馬灯のように蘇っていく。


 私は言葉を探している。


 記憶の糸をひたすら遡って、この場面で最も相応しい言葉を、彼への気持ちのありかを必死に、必死に、探している。


 今さっき考えていたこと、自分の気持ちに整理すらついていないのに、こんなこと聞いてしまったことを後悔している。


 好きか、嫌いか。


 彼の本音と涙が私にはわからなかった。ひいたし、共感もできなかった。


 だけど何か、何か言葉を言わなくちゃいけない。それなのに私は。


 色んな言葉が、記憶が、思考が巡る。頭の中で巡っている。


 私は、ここで、なんて言えばいいんだ。


 どんな言葉が正解なんだ。


 たぶん私がずっと黙っていたからだろう。


「ごめん」


 彼がそう呟いてしまった。


「こんなこと、いきなり無茶苦茶になるようなやつのこと、もっと色々ダメなやつのこと無理だよね」


 私は、


「ダメじゃない、私は篠原くんに頑張って欲しい」


 そんな言葉を言いたいんじゃなかった。


 また、間違えた。


「ありがとう。もう帰ろうか」


 私の夏はそれで終わってしまった。



 ✳︎



 夏休みが終わっても彼はやっぱり学校に来なかった。


 しばらくして朝田先生が彼が学校を転校したことを告げるとみんな最初こそ驚いていたけれどその日の夕方にはみんな各々自主室に篭って勉強していた。


 それから更に冬も終わって、私は無事に大学に受かった。


 あの夏の日のことは誰も知らない。


 彼のことも、もうわからない。


 あの日のこと、今でも思い出すけれど彼も私も最低だった。


 彼は私なんかにあんな濁った気持を吐露すべきじゃなかったし、私もあんなこと言うべきじゃなかった。


 彼のこと、中学生の時にいじめられていたこと知らなかった。


 どうやってそれを乗り切ったのか、その後どんなトラウマを抱えていたのか私にはわからない。


 未だに理解できないし、もう一度あの時に戻ったって納得のいく言葉なんて、でないだろう。


 だけど、それでも、あんなこと、あんな結果のわかったことはもう言わない。言いたくない。


 これが私の青春だったなんて信じたくない。


 頑張って欲しいだなんて。


 私の彼への気持ちは今もわからない。


 いま私はあの時の絵を、海の絵を燃やしている。


 私の青春も一緒に灰になれと祈りを込めて。


「燃えてしまえ、青春」


 私の呟きに応えたかのように炎が勢いよく燃え上がる。


 拙い青が命の炎みたいに激しく燃えている。


 バチバチと、音を鳴らして燃えている。


 それが思っていたよりも綺麗で、


 思わず、涙が零れた。

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拙い青 あまり @amarimono

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