星の在り処
皇帝栄ちゃん
第1話 みえざるもの
都市部寄りにあるそれなりの規模の町、御納戸町。
住宅街の外れに、かつて富豪が住んでいた大きな洋館がある。一家が他界して以来、十数年手付かずだったそれは、半年近く前に改築が行なわれ、つい二ヶ月前に完成したばかりだった。
外国から来た名家の子女が、屋敷を買い取り引っ越してきたのだという。
「ありゃ、どうしたのサイモンくん。寝るとき以外でサングラス外すなんて珍しいね」
「ああヴィエちゃん……長く使ってたせいかな、ヒビが入って壊れちゃったんだよ」
広々とした客間にて、一組の男女が他愛ない朝の挨拶を交わしていた。
女のほうは、栗色のショートカットとダークブルーの瞳、黒の洋服に身を包んだ、良家のお嬢様然とした印象の見目幼き少女。十一歳にしてチェコの名門ウビジュラ家の当主であるフヴィエズダ・ウビジュラ――この洋館の主で、通称ヴィエ。
男のほうは、一見して屋敷に似つかわしくない、角刈りに近い髪型の間抜けなチンピラ的風貌をした二十代半ばの青年で、国籍はドイツらしい。サイモン・コウ――ヴィエに好意を寄せられ、屋敷に住まわせてもらっているしがないフリーターだ。
「今日は休日でバイトも休みだし、昼から新しいのを買いに行くつもりなんだ。サングラスでカモフラージュしておかないと、美少女たちが俺の魅力に惑わされてメロメロになっちゃうからね」
フフフと擬音が飛び出しそうな笑みを浮かべるサイモン。実はこの男、妄想が得意でいい感じに重症気味だったりする。
そんな彼のステキ発言をさらりとスルーし、ヴィエはポンと手を打った。
「そうだ! じゃあわたしが新しいのつくってあげるよ」
「えっ? どういうことだい」
「だーかーらー、サングラス。わざわざお金出して買わなくても、造ってあげるって言ってるの」
「いや、そんな悪いよ。そこまでしてもらわなくても、一〇〇円ショップのやつで充分……」
「もうーっ、ダメだよサイモンくん! わたしが造ってあげるって言ってるんだから、少しは女の子の気持ちというのを推し量らないとっ」
「え、あ、はい。そそそ、そうだね、ごめん」
むーっとした顔で迫られ、あわててこくこく頷くサイモン。主に生活面全般で色々と立場が弱く、彼女には逆らえないのだった。
「うん、それでいいの。じゃあ今から造ってくるから部屋で待っててね、昼前には終わると思うから」
にっこりとした笑顔を残し、ヴィエはスキップするような足取りで客間を後にした。
なだらかな昼下がり。
トラペゾ教会は、御納戸町内にぽつねんと建つ小さな教会である。
「それで、君が彼のために特別なサングラスをつくったと」
薄灰色の丸眼鏡をかけた青年が、その柔和な口もとをほほえませた。
男の名は羽丘隆志、三十歳。半年前に亡くなった先代神父の後を継いで三ヶ月ほど前からトラペゾ教会を一人で営む神父で、ここ十年ほど海外で過ごしていたらしい。
「そうそう。前からサイモンくんのために用意しようって思ってたんだ〜」
とヴィエは、えへへーとノロケ全開ではにかんだ。隆志と彼女は一年近く前にチェコのプラハで知り合い、以降ギブアンドテイクで持ちつ持たれつの関係である。
「へえ、でもそんなものプレゼントする理由は? はい、ご所望のジキタリス」
「この町って怪異とかちょこちょこ起きてるみたいだし、見えれば回避できる危険は選択できるに越したことないでしょ? うん、確かに。ありがとうタカくん」
ヴィエが受け取ったのは一束のジキタリス。ここはトラペゾ教会にある秘密の地下室で、おもに魔術に使用される様々な毒草類が栽培されているミニガーデン。先代神父の時から存在しているらしく、一部の信頼置ける人間には販売がなされている。
「でも、ヴィエちゃんの彼氏君ってたしか、僕たちのような界隈の人間じゃないよね。――あ、『ルルイエ異本を基にした後期原始人の神話型の研究』のレポート借りたいんだけど」
「あとでうちまで取りに来てよ、学術書欄の棚にあるから自分で探してね。――そうだよ、わたしたちみたいじゃないから少しでも危機回避させたいんだもん」
「ちなみに、そのサングラスってどの程度のもの?」
「んーと……これっくらいの、かな」
「それは……見えすぎちゃってー困るの、レベルじゃ」
「そうかなあ」
思わず苦笑を醸し出す隆志だが、ヴィエは軽く首をかしげるだけだった。
封を開けた黒胡麻ポッキーをつまんで口に放り込む。
「よかったらタカくんにもメガネ造ってあげるよ?」
「あはは、遠慮しておきます。僕は必要なときだけ見ることができればそれでいいですから」
「そうなんだ。まあ無理には勧めないけど」
ポリポリポリと立て続けに八本平らげ、最後に指をぺろりと舐めた。
「それにしても……わたしは〈大いなる深淵の大帝〉の信奉者でしょ? で、タカくんは〈這い寄る混沌〉の信奉者。――よくこんな仲良くやってるよねぇ〜」
「ははは、それもそうですねえ。まあ意外にミスマッチということでいいんじやないでしょうか」
微笑する青年神父に、ヴィエはしみじみと頷いたものだ。
「おお、しかし本当なにか知らないが世界が広くなったような」
ヴィエに造ってもらったサングラスをかけたサイモン・コウ。街をぶらつく彼の眼前に広がる光景は、一瞥して以前となんら変わりないというのに、何故だか妙に視界がクリアになった感覚があった。
「そうか、サングラスを通してヴィエちゃんの想いがダイレクトに俺の瞳にラブ・コンバイン! 人は誰でも愛を知り、そして優しくなれるハズ……すばらしきこの愛! 人類はまだまだ大丈夫!」
うおおーと熱く拳を震わせ感涙。頭の中で広がる壮大なストーリーにユーはショック!
愛のため地球を護るため変身したシーンまで進んだところで、現実という名の列車がサイモンの前に到着した。
しくしく……しくしくしく……
女が、すすり泣いていた。
淡い桃色の着物姿の、十代半ばと思われる少女が、さめざめと泣いていた。
サイモンは思わず立ち尽くした。見れば、少女が泣き崩れているというのに人々の喧騒は無関心に通り過ぎていく。ふるふると、怒りに打ち震えるサイモン。
可愛い女の子が泣いているのに無視するなど、およそ考えられないことだ。
「お嬢さん、どうしました? よければ僕に悩みをぶつけてごらん」
「……お願いがあるの」
少女は涙に濡れた眼差しを向けてきた。
「一緒に、きて……」
「ああわかった! 俺の優しさで君の悲しみに終止符を打ってあげるさ!」
背を向けて歩き出す少女にぴったりついていくサイモン。泣いている女の子に救いの手を差し延べない選択肢など、彼には微塵たりとも存在しなかった。そう、周囲の人々から集中する訝しげな視線も気にならず。
気がつくと、サイモンは街外れの廃倉庫まで連れてこられていた。
「あなたが……欲しいの」
「えっ!?」
薄暗い中で、艶然とした色を浮かべて寄り添ってくる少女。いきなりの展開に動揺している間にそのままの格好で押し倒される。衣擦れの音。はだけた着物からあらわになる色っぽい肢体。
「ああ、そんないけない、俺にはヴィエちゃんというマイラバーが……でも悲しみに暮れる女の子を見捨てるなんて! これは、二人ともお嫁さんにしなさいという天からの啓示か? この幸せ計画にみんな異論はないね!?」
すっかり思考がテンパったサイモンに覆いかぶさり、少女は、湿った吐息を漏らす唇を強く押し付けた。
その瞬間、サイモンは考えるのを止めた――
もう何度目だろうか。腹上で二桁に達する嬌声が上がったとき、サイモンは遠のく意識を手離した。
「それじゃあ、そろそろ……」
ゆらりと立ち上がる少女。全裸になった途端、火照った肌はたちまち青銅色の鱗に覆われ、口は耳まで裂け、かろうじて女と分かる顔を般若のように歪ませ、そして、寂れた倉庫内に大蛇の影がそそり立った。
長く伸びた真っ赤な舌をちらつかせながら、鋭くとがった牙を眼下へ向けたそのとき、薄闇に閉ざされた空間にオレンジの光が射した。見開かれた蛇眼の先、扉から溢れる夕陽を受けて伸びる小さな影。
その小柄な身体から発する並々ならぬ魔力を感じ取り、蛇女が叫ぶ。
「な、何奴!」
「淫逸」
見よ、冷たいダークブルーの双眸を。
チェコ第五の魔道士フヴィエズダ・ウビジュラは、凍えるような声で言い放った。
「寝取り魔。泥棒猫。人の彼氏に手を出す女は淫売。売女。あばずれ」
「わらわの誘惑に負けたのはお前の彼氏であるぞ」
「サイモンくんは誘惑に負けただけであなたに本気になったわけじゃないから」
「ええい小癪な魔道士め! 去れ! ここより去れ!」
大きく開いた口から無数の針が放射される。それと殆ど同時に右手の五指を開くヴィエ。
燃え上がる五芒星形が小さな手の平に浮かぶやいなや、凶針は瞬く間に消滅した。のみならず、蛇女が奇声を発して恐れおののいたではないか。
エルダーサイン――旧神の印。
幻夢境に存在する地域ムナールで採掘される灰白色の石に、炎の柱を囲む五芒星形を刻んだ護符。それを体内に取り込むという魔道実験に成功したヴィエはその力を独自の形で行使できる。
「キエエーッ!」
胴体をくねらせた蛇女が尾を鞭のように叩きつけてくるが、光り輝く五芒星の前に難なく弾かれてしまう。
「ナイトゴーント!」
ヴィエの呼び声に応じるかのごとく、蝙蝠の翼とねじれた角をもつ顔のない黒色の怪物が空間から躍り出た。幻夢境に棲息する夜鬼という生物で、ヴィエはエルダーサインの力で一匹だけ召喚使役が可能なのである。エルダーサインを体内に融合させた代償として一切の攻撃系魔術を扱えなくなってしまった彼女にとって、ナイトゴーントは唯一の攻撃手段なのだ。
のっぺらぼうの黒い怪物が滑らかな動作で飛行旋回を繰り返し、その鋭利な爪で大蛇を切り裂いていく。数分後には、全身からどろりと濁った体液を流して疲弊する蛇女の姿があった。
「さあて、そろそろ限界? 尻尾巻いて逃げる? あっ、蛇なら脱皮かなあ」
「な……なめるなぁぁぁッ」
怒りの雄叫びを発し、見る間に巨大化する蛇女。その勢いで滞空していた夜鬼を丸呑みにしてしまった。
「ナイトゴ――きゃあっ!」
続けて振り回された尾の一撃に、ヴィエの体は宙を舞った。先刻のように弾くことはできなかったが、それでも大幅に衝撃を軽減したのは確かだ。
ふわりと中空で弧を描いて着地したヴィエは、癇癪を起こした子供のように不機嫌な表情を見せた。
「いったぁ〜……もうーっ、なんなのーっ?」
「フハハハハ! 妾が喰ろうた人間どものエネルギーを使ったのだ」
「……まるで溜め込んだ蜜を消費して体温を上昇させるミツバチだね」
「口の減らぬ小娘が!」
ごおおと、大蛇が灼熱の炎を吐き出した。
反射的にエルダーサインをかざすヴィエ。炎を打ち消すまではいかないものの、肌に汗が滲むだけで済んでいるあたり、盛夏の陽射し程度には抑えている。
「うー、わたし暑いのきらーい」
ついでに寒いのも嫌いだ。
「さてどうしようかな。こういう手合いは力押しが一番なんだけど……」
「何をぶつぶつ言っておる。いつまでも防いでいられると思うな!」
余裕に満ちた蛇女に対し、こちらも余裕を持った笑みを浮かべるヴィエ。
「ふう、芸が無いけどまあいいか。……じゃ〜あ。――汝、〈大いなる深淵の大帝〉に仕え、脆弱なる大地の神々の秘密を守護する者。漆黒の体躯持ちし、〈夢の国〉の空を駆ける夜魔也」
ヴィエが喚起の言葉を並べるや、燃え上がる五芒星形の呼応と共に、蛇体の一部から黒き光が爆ぜた。
「ギィええエェェぇぇぇッ」
のたうちまわる大蛇の腹腔から飛び出したナイトゴーントは、闇の霧を纏っていた。絶叫する蛇女の口から放たれた炎もそれによって阻まれる。
そして、夜鬼の右手が曇りガラスの刃に変わった。
「レンのガラスよ、五芒星の輝きのもとに旋回せよ」
ヴィエの声に合わせ、高速で飛翔するナイトゴーント。懐まで飛び込んだ瞬間、ヒヤデスで造られし硝子の刃は大蛇の上半身をざっくりと袈裟懸けに切り裂いた。凄絶な笑みを浮かべて近づくチェコ第五位の魔道士に、着物姿の少女に戻った蛇女は息も絶え絶えで命乞いを始めた。
「ヒィ……ひぃぃぃ、助けて……もう人を食べたりしないから」
「いや、べつに責めてるわけじゃないの。あなたが人間をどれだけ食い殺したって構わないとゆーかどうでもいいとゆーか、わたしには関係ないし」
「そ、それじゃあ……」
「だからね――それとコレとは話が別」
静かな怒りを秘めたダークブルーの眼を据わらせ、
「姦通罪は死刑」
冷然とした声音で宣告するヴィエ。奇声を発して逃げ出す着物少女をがっしりと押さえつけたナイトゴーントが、漆黒の爪を無慈悲に振り下ろす。身の毛もよだつ絶叫と血飛沫が噴き上がった。
「さてと」
いまだ気を失ったまま半裸で横たわる恋人を見下ろし、ヴィエはそのサングラスを取り外す。
「悪いけど眼鏡を返してもらうね、代わりはすぐに造ってあげるから。――ごめんね、サイモンくん」
すまなそうに眉を八の字に下げて謝ると、そっと眼を閉じてサイモンに口づけした。そこに確固とした愛情を乗せて。
「たしかにこれは、ちょっとばかり見えすぎたみたいかな」
手にしたサングラスを眺め、夕陽を浴びながら唇を綻ばせるヴィエだった。
翌日。ソファに腰を下ろし、眉を寄せて複雑そうに溜息をつくサイモン。
「うぅむ……」
「サイモンくん、何を鬱々とした顔してるの?」
「いや……初めての相手が蛇の化物だったのかと思うと、ちょっと……」
それを聞いたヴィエは、きょとんと口を引きつらせた。
「えっ、サイモンくん童貞だったの!?」
「ぎゃーっ、そんな、負け犬を見るような目で見ないでぇーっ!」
「だ、大丈夫だよ、わたしは処女だから――」
あまり慰めになってないフォローに、しばらくサイモンは立ち直れなかったそうな。
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