フルメタル・パニック! - Lord of the Flies -

ふかしいも

第1話 蠅の王

 そこは蠅の世界だった。


 大地や空を黒く染めるような数の蠅が宙を舞っている。重なる無数の羽音は、途切れることなく大気を震わせた。羽音の主たちは、戦場に残されたあらゆる残骸に取り付いて、その表面を這い回り、食べれるものなら食べ、そして卵を産み付けられるのならば卵を産み付けた。死を苗床に繰り返される蠅たちの生命循環。彼らにとっては幸いなことにアフリカでは繁殖に必要な死に事欠かなかった。


 先進国の基準からすれば文明的とは呼べぬにせよ、もちろんそこに人々の生活があり、その拠点としての村があった。そこで人は働き、食べ、寝ていた。だが、今は、もう誰もいない。残されたのは焼き払われた廃墟と死体の山、そして蠅の群れだった。


 長らくアンゴラ解放人民運動MPLAの勢力下にあった村は、たったの数時間前、アンゴラ全面独立民族同盟UNITAの攻撃によって壊滅した。別段、どちらの勢力に与していたとか、戦略上の要衝だったとか、そういう事情があったわけでもない。ただ地図を塗り分けた際に、この村が破壊者のものとは別の色で塗られていただけのことだ。


 悲劇ではあったが、かといって珍しい話というわけでもない。二十年以上も内戦が続くこの国では、ラジオから流れるジミ・ヘンドリクスのギターと同じくらいにはありふれている。村が襲われました。大勢が死にました。では続いてはジミ・ヘンドリクスでパープルヘイズといった具合に。


 廃墟の新たな王となったUNITAの野戦指揮官は、壁や天井の吹っ飛んだ建屋に椅子を立て、葉巻をくゆらせていた。甘い紫煙パープルヘイズ。ハバナの高級品だ。おそらくこの街にいたMPLAの誰かの所有物だろう。持ち主を探し出してもよかったが、きっと時間が掛かるだろう。水も漏らさぬような殲滅だったから、どこかで死んでいるのは間違いない。どこかで瓦礫に混ざっているか、焼けた壁の染みになっているかは分からないが。


 指揮官は気だるげに首を巡らして米国製の無線機を引っ掴む。プリセットした帯域で呼びかける。一秒、二秒、三秒と待ってからジッという共に無線がつながった。


「何してる」うんざりとしながらに問いかける。

『なにって……んっ、そら、お分かりでしょ』


 荒れた息遣いと共に下卑た声が返ってきた。無線機の向こうからは女の悲鳴やすすり泣きが混然となって聞こえてくる。やれやれ、まったくバカな質問をしたものだと天を仰ぐしかない。


「命じた仕事はどうした」

『全力で遂行中でさ。ただね、んハァ、とっ捕まえたお供の女が怖くてブルブルと震えてやがるもんですからね、皆でところです』


 最悪だ。胸がムカムカしてくる。反吐が出そうだ。何が悲しくて男の喘ぎ声などを無線機で聞かなければならないというのか。


「いいか、十分以内だ。それまで標的をここに連れてこい。それと標的には手を出すな。もしやれば貴様の汚いケツにもう一つデカ穴をこしらえてやる」

『アイ、サー。通信終わりアウト


 ようやくに気色の悪い声が消え去ったかと思いきや、今度は蠅の羽音が先ほどよりずいぶんと蠅の羽音が大きくなっていることに気がつく。村人共が死体になって、まだ数時間だというのに、これだ。蠅の方が、部下らよりよほどに働き者だった。


 首筋や頬にぶつかってくる蠅を手で払いながらに胸ポケットから写真を取り出す。写真の粒子は荒い。おそらく望遠レンズで撮られたものだろう。首都ルアンダの市場を背景に、タンクトップの上に麻のシャツを羽織った、ジーンズという出で立ちの少女が映っていた。その恰好だけでも珍しいというのに、その中身はといえば内戦中のこの国では、めったにお目にかかれない白人のティーンエイジャーだ。


「ガキと村一つが引き換えかね」


 野戦指揮官は怪訝そうに写真を見つめる。上役は、彼と彼の部隊に、この村に立ち寄った白人娘の拉致を命じた。ついでに村は徹底的に破壊しろとのこと。誰が拉致したのかを隠したいらしい。とはいえ、あの『弓矢アルフレッシャ』をはじめ武装組織には事欠かないこの国のことだ。長い長い容疑者リストが作られたとして、誰もまっとうに捜査したりなどしないだろう。


 そして、野戦指揮官が鬱陶しさのあまりに叩き潰した蠅が五を数えた頃になってようやく、先ほど無線に出た男が部下を数人引き連れダラダラとした足取りで姿を現した。その背後にはライフルを背中に突き付けられた例の少女、そしてその連れと見える白人女性の姿があった。


「……時計を見るくらいは出来るようだな」野戦指揮官が命じた刻限までは二分少々を残していた。「俺は標的を連れて来いといった。だってのに、どうしてそんなまで一緒に持ってきた?」


 野戦指揮官は汚物を見るような眼差しでお付きの白人を見やった。服をはぎ取られた女の顔には殴打の跡と思しき鬱血が浮かび、赤くなった内腿には幾つかの体液が混ざったもの伝って垂れていた。焦点のあっていないその目は虚空を見つめ、彼女の正気が既に失われていることをまざまざと物語っていた。


 部下が愉快そうに肩を揺らして応じた。


「いえね、お嬢さんが置いていくのは忍びないって仰るもんで。その泣き様がなんというか、あまりに、こう……感動的だったもんでね、これは連れていって、隊長殿にもお見せすべきかと思って」

「さっさと殺せ」悪ふざけには付き合っていられないとばかりに手を振る。


 その時だった。


「よしなさいッ!」


 少女が眉を逆立てて怒声を放った。英語だったが、ごくごく簡単な単語だった為に皆が理解し、一様にゲラゲラと笑い声をあげる。


「ほらね、隊長殿。感動的でしょう?」

「ああ、感動的だ。胸に来るよ。だが仕事の邪魔だ」


 野戦指揮官は腰のホルスターから拳銃を抜いた。そして白雉同然の女の額を照星で捉え、


「よしなさいと言っているのよッ!」


 少女が女性を庇うようにして立ちはだかった。咄嗟に後ろから銃を突き付けていた男が、その銃床で少女の背中をしたたかに殴りつけた。鈍い音がして少女が「がはっ」と息を漏らす。床に倒れ伏した少女は、衝撃のあまりに息もできないようだった。


 乾いた銃声がした。少女は驚きに身を固くし、恐々と背後を振り返った。お付きの女性は――まだ生きていた。だが、その傍ら、少女を殴りつけた男がもんどりうって倒れていた。獣じみた悲鳴が上がる中、


「――標的に手を出すなと言ったろ、クズが」


 野戦指揮官の拳銃がもう一度、火を噴いた。それきり悲鳴は聞こえなくなった。


「ころ……したの?」

 

 這いつくばったままの少女は震える声で確かめた。いや、聞かずとも、もう少し首を振り向ければ何がどうなったかわかる。だが、それを確かめることが恐ろしかった。


「そうだよ」


 あっさりとした指揮官の頷きに、少女は衝撃を覚える。どうして、こんなにあっさりと人を殺せるというのだろうか。そして更に理解できないのは、周囲の男達もまた、射殺された仲間に同情する風でもなく「バカな奴だ」と嘲笑っていることだった。


「これが俺たちのだからね」


 野戦指揮官は、訛りはあるもののそれなりの英語で続けた。


「英語が……話せるの?」

「大学で英語を学んだ。教師をやっていたこともある」


 その落ち着いた声音が、少女により一層の恐怖と嫌悪感をもたらした。自分と同じ言語を操り、これほどまでに冷静に話せる人間が、どうしてこれほどまでに躊躇なく暴力を振るえるのか。さっぱり理解できなかった。


「お互いの言葉が通じて何よりだ。人間は言語を通じて互いを理解する。そう、たとえば俺の仕事についてとかね」

「いったい……どうして、こんな酷いことを……?」

「上からの指示だよ。それ以上のことは俺も知らない。俺に命じられたのはお嬢さんを生きたまま連れ帰ってこいということだけだよ」

「答えになってない。私だけが狙いなら、どうして村を滅茶苦茶にしたりジェシカをこんなに目に……!」

「お嬢さん、もしかしたら先進国の人間からすると信じがたいかもしれないけどね。俺達もね、いつまでも山に分け入って獣をとって食うような生活をしているわけでもないんだ。労働の対価として正当な報酬を得るのさ。君がイギリス人かアメリカ人か、それ以外かは分からないけれど君の国だって同じだろう?」

「何を言って……」

「ただ我々の文明化はまだまだでね。タイムカードを切ったら、その分の給料が約束されるわけでもない。だから稼ぎは、ある程度自分達で何とかする。奪えるものは奪うし、女はレイプする。アフリカ流だよ」

「……ッッッ!」


 少女の目が衝撃に見開かれる。ダメだ、この男は完全に狂っている。自分と同じく英語を喋っていようが何だろうが根本的に頭の中身が違う。理性や善性などといったものは欠片も期待できないのだ。


「これが俺達の仕事だ。理解し難い? 大丈夫だ。君には時間がある。少なくとも俺達と一緒にキャンプへと戻るまでの間くらいはね」


 野戦指揮官は話は終わりだというように肩をすくめた。


 それを合図に部下の男が少女を乱暴に引き起こした。荒々しく肩を捕まれながらに少女は思った。終わった。キャンプとやらに連れていかれた自分を待つ運命とやらについては考えるまでもない。

 

(こんな、ところでっ……)


 少女は悔しさを堪えるように奥歯を噛みしめた。


(姉さんに会うどころか、何もできないままに……!)


 このまま自分は十六年の生涯を閉じるのだろう。だが、それ以上に辛いのはジェシカのことだった。彼女に合わせる顔がない。自分のわがままに付き合わせた挙句、こんな地獄のような目にあわせてしまったのだから。


「ごめんなさい、ごめんなさい、ジェシカぁ……」


 すすり泣きをあげながらに少女は連れの名を呼んだ。ジェシカと呼ばれた女性は、うつろな表情のままに少女を見上げていた。その瞳はどんよりと濁り、やはり何も映していなかった。


「ジェシカさんというのか。アンタもご苦労だった」


 野戦指揮官が、今度こそというようにジェシカの額に拳銃を向けた。


 少女はその光景から咄嗟に目を逸らそうとして、しかし渾身の力を以て、それを押し留めた。ジェシカは自分が殺すも同然だった。その罪から目を逸らしてはならない。自分が、その罪を背負わなければならない。


 きつく噛みしめた唇から血が流れ出したことにも気づいていなかった。そして堪えきれず「ジェシカぁ!」と大声で名を呼んだ時だった。


 連続する爆音が、少女の叫びを吹き飛ばした。にわかに世界が白く染まるような閃光と爆風が廃墟となった村を駆け抜ける。


 何事だ――野戦指揮官は、そんな間抜けなセリフは発しなかった。分かりきっている。敵襲だ。が誰かは分からないにせよ、それだけは確かだった。


「状況はッ!」


 放り出したままの無線機を引っ掴んで怒鳴った。


『敵、敵ですっ!』


 無様にうろたえた声に、指揮官は脳神経が焼き切れそうになるのを感じた。


「何が何匹いるかで答えろッ間抜けが!」

『てっ、敵は』


 悲鳴の向こうから猛るようなガスタービン・エンジンの音。そして低い駆動系の唸り。


――』


 金属ひしゃげるような音と断末魔の合唱を残して通信機が沈黙した。


「……ASアーム・スレイブだと?」


 野戦指揮官の表情に、初めて人間らしい感情が浮かぶ。それは深い困惑であり、恐怖であった。どうしてこんなところにASがいるというのか。アンゴラで対立する各勢力は、たしかに各支援国からASを供与されている。だが、そんなものを運用するのは各軍の中でも一部の選りすぐりだけだ。それがどうして、こんなチンケな戦場に?


「糞っ、糞がっ!」


 だが、現実は現実だ。認めるしかない。野戦指揮官は壁に立てかけてあったAKを肩掛けにして半壊した家を飛び出した。無線で状況報告を呼びかけながらに重機関銃を据え付けたピックアップに乗り込もうとして、はたと背後を振り返る。


「お前ッ、標的を守れ! 絶対に死なせるな!」


 先の下卑た部下に鋭く下知する。男はこわばった表情のままにコクコクと頷いた。先ほどまでの嫌らしい笑みは消え、一転、狩られる者へと変わった我が身に深刻な不安を抱いているようだった。


 野戦指揮官はピックアップの銃座に座り込み、ブーツの底で荷台を蹴った。運転席から怒鳴るような声で「どこへ」と聞かれたので乱暴に「北」とだけ短く吠えた。日本車を改造したピックアップが走り出し、状況の確認へと向かう。これまで寄せられた報告からすると襲撃をかけてきたASは三機。ソ連製のサベージとかいう、ずんぐりしたカエルに似た機体らしい。


「……MPLAか?」


 ソ連からの支援を受ける勢力は幾つかあれど、ASを運用するような組織といえばまずはMPLA以外に考えられない。確かに襲撃した村はその勢力下にあった。だが、いくらなんでも動きが早すぎる上に、たかが村一つの奪還の為に虎の子であるAS部隊を回すとも思えない。


「あるいは……」


 あの白人の少女の顔が思い浮かぶ。まさかASを投入しても惜しくないほどの価値を、あのガキが持っているとでもいうのだろうか。


「――とにかく今は糞ったれをぶっ潰すだけだ」


 野戦指揮官はしっちゃかめっちゃかになった頭を落ち着けるように自分の頬を張った。


 戦力配置と村の地図を頭に思い浮かべる。南北に伸びる細長い村だ。敵は高地側の北から進入してきた。村には同じような重機関銃を据えたピックアップでまだ動くものが他に三台。歩兵は約四十人からいるが、歩兵用のライフルなどAS相手には無力だ。他には無反動砲は米国製のものに加えてソ連製の有名なRPGもあるが火力不足は否めない。だが、それでもやるとなれば前面装甲はともかく背面装甲――中でも膝関節や股関節に撃ち込めば脚くらいは止められる。そうすれば逃げ切れるかもしれない。


 野戦指揮官は無線機に向かってがなり立てる。


「各ピックアップを敵の鼻先に回して走りまわれ。他に動ける奴は南の広場で廃墟に身を潜めろ。ピックアップで釣り出して、ブリキ人形どもを後ろから無反動砲でやるッ」


 無線機の向こうで抗議の声が上がった。曰く、死んじまうだとか、無謀すぎるだとか。


「黙れ糞どもがっ! 貴様ら全員ぶっ殺してブタの餌に混ぜるぞ!」


 野戦指揮官は通信機へと叩き付けるようにして怒鳴りつけた。役立たずめ。レイプする時ばかり目をギラつかせやがって。逃げた奴は地の果てまで追いかけて首を落として窯で焼いてやる。だが、それは後だ。今はとにかくASを仕留めることだけ考えねば。


 野戦指揮官を乗せたピックアップは村の西側を抜けて北へと昇っていく。無線で状況を聞く限り、各車両は不満を漏らしながらも敵の誘導に南広場へと走っているらしい。となれば、ひとまず北には敵はいないはずだった。


 その時、村の中央部から恐ろしく高レートの射撃音が響いた。そして爆発音が一つ。ピックアップが一台やられたらしい。あの身の毛のよだつような射撃音は、サベージの頭部据え付けの14.5mmだろうと推測する。だが、それ以外の発砲音はない。

 

 その不思議を確かめるように野戦指揮官は村の高所から敵の姿を捉えた。


 それは絶望的な光景だった。


 全高で8mを超える鉄人が、轟音と共に砂塵を巻き上げて疾走している。暴力の象徴とでもいうべき巨大なハンマーを手にしていた。どうやら37㎜などの飛び道具はないらしい。だが、だからといって指揮官の胸中には大した喜びも生まれなかった。一見、鈍重そうに見える巨人が、恐ろしい速度で駆ける姿はそれだけで恐怖でしかなかった。ガタガタと震えだす体を、どうにか落ち着かせながらに無線機に呼びかける。


「……準備は?」


 恐慌を来す寸前とはいえ五人分の返答があった。まだ見どころのある男が五人いたというべきか、豚の餌志望が三十五人いたというべきか。だが、それを喜ぶもの嘆くのも生き残ってからのことだ。


「敵が背中を向けたところに叩き込め。いいか、まずは関節だ。装甲に覆われた部分では抜ききれん」


 背面に当てれば、ある程度のダメージは望めるだろう。当たり所によればMBT主力戦車すらも行動不能に追い込めるのだから。だが、それで仕留めきれるかどうかは未知数だ。あのサベージとかいう機体はとにかく堅牢さが売りらしいと聞く。ならば確実に脚を止めねば皆殺しにされかねない。生存には必殺が最低の必要条件――最悪だった。


「糞っ、糞っ、なんてことだ……」


 野戦指揮官はバクバクと煩い鼓動の音を聞きながらに、双眼鏡を覗き込んでタイミングを測る。ピックアップが南の広場に達し、それに追随するASが設定した殺戮地帯キルゾーンへ入り込み、


「撃てッ!」


 決死の指示が飛び――しかし、その時、双眼鏡の中で予想を上回る動きが生じた。


 まるで狙いを読み切っていたかのように、三機のサベージが前方への慣性を殺すように上体を前へ屈め、そのまま器用に肩から地面へと接地し、身を斜めに転がしたのだ。その鈍重そのものの外観からは信じられないほどに滑らかな動きだった。



「なっ、んだと……」


 まるで人間そのものの動きに野戦指揮官は目を疑うしかない。だが、そもそもASというのは、そういった無茶な可能とするための最先端技術の結晶なのだ。米軍やソ連で開発が進められている第三世代機ならば、おそらく忍者のような跳躍での回避機動すら可能だろう。


 サベージのとった回避機動により無反動砲の弾頭は、巻きあがる砂塵を吹き飛ばしながら虚しく空を切るしかなかった。


 濛々と立ち込める砂煙の向こうで、三機のサベージはいやにゆっくりと立ちあがった。ぐるりと頭部を巡らせる。まるで狩るべき獲物をねめつけるように。そして、連続して銃火が瞬いた。三機の頭部14.5mm機関砲が、空の無反動砲を手にした五人を屑肉へと変えた。三秒もかからなかった。


 それが済むと、ハンマーを威圧的に構えた一機が、廃墟に突っ込むんで停止したピックアップの前へと立ち塞がる。その外部スピーカーが声を発した。


「――降りろ」


 若い男――いや、声変わりを迎えたばかりの少年のもといってもいい声だった。その声には戦闘による緊張はなく、あくまで淡々としていたが、それがかえって奇妙な凄みを聞く者に感じさせた。ピックアップに乗り込んでいた兵士達は慌てて車から飛び降り、そして一目散に駆け出した。


 その無様な背中に向けて、三機のサベージは14.5mmを容赦なく撃ち込んだ。着弾と同時にパッと赤い霧が舞い散って、それきり砂埃にまみれて見えなくなった。


 その光景を見ていた野戦指揮官は自らの死を悟った。そして、うっすらとだが敵の正体についても。


「まさか、奴らは……」


 噂は聞いたことがあった。アンゴラの赤茶けた大地を跳梁する所属不明のASについての。ぶるぶると震える手で野戦指揮官は双眼鏡を覗き込む。そしてそのサベージの右肩に刻まれたエンブレムを確かに見た。


「――ベールゼブブ」


 蠅の王ロード・オブ・フライズの名を冠する少年兵達によるAS部隊。

 

 戦場の腐肉漁りにして、死を苗床にして生まれる者達の名だった。


 野戦指揮官は双眼鏡越しにサベージと目があった。昆虫めいて無機質な頭部センサは砂塵の向こうに確かに最後のピックアップを捉えていた。魂までをも射殺すような冷たい眼差しだった。


 そして、その14.5㎜が――。




 三機のサベージが戦場を制した後、村の北側から数台の車が進入してきた。ベールゼブブに所属する支援要員だった。といっても、その顔つきは若く、少年や少女といった年頃の者たちがほとんどだった。


 二機のサベージがそのまま周囲の警戒にあたる中、一機がエンジンを停止させ、降着姿勢をとった。装甲がスライドし、そのコクピットから這い出るようにして少年が姿を現した。


「――やぁやぁ、我らが王様じゃないか。お疲れさまだね、ジョゼ」


 大地に降り立った少年兵――ジョゼを出迎えるようにして、支援要員の少年がブルゾンを手渡した。


「エンリケ、収穫はどう?」


 先ほど降りろと命じたのと変わらぬ冷静な調子で、ジョゼはブルゾンに袖を通す。エンリケは期待外れだとでもいいたげに肩をすくめた。


「ほぼ無傷のピックアップが二台。だよ。これはそこそこの値がつくかも。あとはAKをはじめ各種小火器と弾薬がわりと。無反動砲が弾薬込みでまぁまぁってとこかな」

「……エンリケ、報告は正確に頼んでいいか」

「なんにせよ今、片っ端からうちの車に積み込ませてるからさ。キャンプに戻ってからのお楽しみってことで」


 エンリケの困った癖だった。普段は何にでも気が回るのだが、戦闘後はいつも興奮のあまり雑になるところがあった。だが、そんなエンリケもキャンプに帰り着く頃には落ち着く。それもいつものことだから、ジョゼは、さして気にもしていなかった。


「生き残りは?」

「村の連中は残念ながら誰も。逃げようとした連中は全員、向こうでみたいになってるよ」

「そっか」


 エンリケの口調はふざけていたし、ジョゼの口調は淡々としていた。だが、どちらにも共通することとして、まぁ、そうなるだろうなという諦観が拭いようもなく滲んでいた。


「やったのはUNITAの下っ端らしいけど、ここまでやるかってくらいの徹底ぶりだね」

「連中、どうして、こんなMPLAとの境界付近の村を襲うんだろ」ジョゼが首を傾げる。

「さあ? おおかた食うに困っての現地徴発ってとこじゃないのかな」エンリケは大して興味なさげに肩をすくめるだけだった。


 エンリケの言うことももっともだった。ゴルバチョフの死後、先鋭化する一方のソ連が熱心にMPLAを支援する一方で、UNITAの支援勢力である米国ではアフリカのなんぞからはさっさと手を引けという声が強まり、容共派のワシントンポストなどはもっと社会保障に金を回せと声高に訴えている。そんな海の彼方の世情は露知らずとも、ジョゼもエンリケも、食うに困ったUNITAが、あちこちで無法を働いているという噂は当然把握していた。


「何か残ってないか見回ってくるよ」


 ジョゼがそう切り出すと、エンリケはお好きにどうぞというように手を開いた。


 ざくざくと大地を踏みしめてジョゼは村の中を歩き回る。どこかに敵の残党が潜んでいるかもしれないから拳銃は携帯していた。だが、ASに襲われて平穏でいられるほどUNITAの下っ端の肝が据わっているとは思えない。生きているのならとうに逃げ出しているだろう。


 南の広場を抜けて、そこかしこの廃墟を覗く。どこもかしこも死体だらけだった。そして、その死体には蠅が山のように集っていた。一刻ごとに強さを増す死臭におびきよせられてのことだろう。


 それはボク達も変わらないけれど――ジョゼは内心でぼんやりと考えた。


 ベールゼブブを名乗る自分達は戦場の分解者スカベンジャーだ。放置された兵器や金目のものを漁っては食料や水、武器弾薬を購っている。生きるために死を苗床にしている。それが自分たちの生命循環だ。この蠅と自分達の間に何の違いもジョゼ自身見いだせなかった。

 

 それが故のベールゼブブだった。


 ――だが、それでも、もし強いて違うところを見つけるんなら。


 ジョゼが、そう考えた時だった。村の西側で乾いた銃声がした。立て続けに三発。にわかに高まる緊張に大気が張り詰める。ジョゼはホルスターからオートマチックを抜いて駆け出した。


 駆け付けた先は、それなりに立派な廃墟だった。その壁を背に、ジョゼは中を窺って目を丸くした。そこには白人の少女がいた。返り血で赤く顔を染めて、両手で拳銃を手にしたまま荒い呼吸のままに肩を震わせていた。


 白人がいることの理由は、ジョゼにはさっぱり分からなかったが、それでも状況は何となく察した。無理やりにさらわれた女の子が、今や床に赤い染みを広げる為のポンプとなった男に報復を果たしたのだろう。


 そして、その報復の根拠は彼女自身だけでなく――。


「……あ?」


 膝立ちの半裸の白人女性が、うわごとのような呟きを漏らした。


「――ジェシカ?」

「……アナ? いったい、これは?」


 まだ正気には、ほど遠いが、ジェシカと呼ばれた女性は徐々に周囲を認識し始めたらしい。だが、果たして、それは彼女にとって幸せなことだったかどうか。


「わたしは、いったい……これはっ――っっあぁぁぁっぁぁっっ!?」


 ジェシカの喉から悲鳴が迸った。胸を裂くような痛切な響きだった。


「いやっ、いやああっ、やめてっやめてええええっ!!」


 頭を掻きむしりながらにかぶりを振る。そうやって現実を否認する。だが、身に刻まれた暴力の証が――魂に刻み付けられた汚辱が、ジェシカの精神を虫食い穴をつくるように蝕んでいく。


 先ほどアナと呼ばれた白人の少女が、唇を噛みしめながらに半狂乱のジェシカを抱きしめる。


 涙を堪えようとした。だが、溢れだしてくる。押し留められない後悔と罪の意識。ごめんなさい、ごめんなさい、そう繰り返すことで何かを救おうとする。己の魂か、あるいはジェシカの壊れた心をか。しかし、それでは何も救えないことをアナ自身、気が付いていた。ただ、そうすることしかできない自分の無力さが、愚かさが呪わしかった。


「貴女は絶対にこの私が――」


 アナが決然とした意志を込めて、そう漏らした時、


「無理だと思うよ」


 すっと滑るような身のこなしでジョゼが姿を現した。その動作があまりにさりげなかった為にアナは警戒をすることもしなかった。呆気にとられるアナを前にジョゼは同じセリフを繰り返す。


「無理だと思うよ。その人はもう、ここで終わらせてあげる方がいい」

「何を勝手なッ!」


 アナは、そう反論してから気がついた。目の前にいきなり現れた少年もまた英語を話しているということに。


「……ここまで酷い目にあってさ、その人はそれでも生きてたいとは思わないよ」

「どうして貴方がそんなことを! 彼女の命や魂は彼女のものであって、貴方のものじゃないわっ」

「君のいうことは正論だと思う。だけどさ、ここは地獄だ。皆、自分のお腹を満たす為だけで精一杯さ。そんな地獄で、誰が彼女を救ってくれるの?」

「ッ! わっ、私がやるに」


 決まって――その言葉は遮られた。 


「――ほんとうに?」


 ジョゼが一歩を前へと踏み出したのだ。


「この人は生きていたとしてもこれからずっと悪夢に襲われる。呪いみたいなもんだ。でも、どんな呪術師だって解けないよ。だって、その呪いは彼女そのものだから」

「ジェシカ……自身が?」

「無茶苦茶な暴力で痛めつけられた傷は薄れるかもしれない。だけど記憶は残る。絶対に。脳味噌の皺に地獄が刻まれるんだ。いずれ、その地獄が呼ぶんだ。どうして自分は生きてる、あんな目にあったのに……いっそ死んだ方がマシだって」


 だから、と――ジョゼは拳銃をジェシカの頭に突き付けた。


「ここで終わらせてあげよう。苦しみを長引かせてあげるのは……酷だから」

「なんでそうなるのよ! おかしいわよ! 貴方がどうしてそんな知った風な口を!」

「……こうする方がいいんだよ」


 ジョゼは頑なな声音のままに、そう呟いた。


 哀れな白人女性。全身痣だらけで、きっと元は美しいはずかっただろう顔はその全体が青黒くはれ上がっている。膨れてめくれあがった唇の端からはダラダラと唾液を垂らし、その目は恐慌に捕らわれたまま落ち着きなく閉じたり開いたりを繰り返している。


 その姿がジョゼの脳裏に嵐を吹き荒れさせる。


(殺して殺して殺して殺して殺して殺してお願いだから殺してよっ)


 嘆きの残響。そう、自分の脳味噌にも地獄は刻まれている。逃れようもないのだ。吐き気がこみ上げる。ぐっと喉を鳴らして、それを飲み込んだ。


(――お願いだからわたしを殺してよジョゼ――)


 ああ、そうだ。死が救いだなんてのはジョゼ自身も認めるつもりはない。


 だが、この世には――この地獄そのものの世界には、どうしても、その間違いが、ひっくり返って正しさになることがある。それを認められないのは――安全地帯から他人を非難するだけの馬鹿か、世間知らずの夢想家のどちらかだ。


「ちょ、ちょっと待ってよ、貴方本気なの?」

「……」ジョゼは答えなかった。


 もはや言葉が通じる領域ではない。人間は言語によって互いを理解できない。理解なんてのは全部錯覚だ。分かるのは生きているか、死んでいるかだけだ。ジョゼは瞳を鋭くして、グリップを握り込み、トリガーにかける指に力を込め、


「……アナ? そこにいるの?」


 ジェシカの腫れぼったい唇が、かすかに動き――ジョゼは指の動きを止めた。


「ジェシカ? わたしよ! ええ、ええ、わたしはここに!」

「ああ、ああ、よかった、アナ、よく無事で!」

「ええ、わたしは無事だから! ごめんなさい、貴方を私のわがままに巻き込んで」

「――お願いがあるの」

「なに?」

「ころして」

「え」

「ころして」

「ちょ、何を、何を言って?」

「ころして」

「ジェシカ?」

「ころ」


 銃声。


 ジェシカの右側頭部から入った弾丸は、斜めに走り抜けて小脳と脳幹に重大な損傷を負わせた。


 痛みを感じる時間もなかっただろう。



 アナは呆然とジェシカの死体を見つめていた。半裸同然だった彼女の死体には、ジョゼが自分のブルゾンをかけてやっていた。


「……埋めてあげたいのはやまやまだけど時間がないんだ」


 どこか言い訳がましくジョゼはアナに言った。


「通信が途絶えたことを知ればUNITAが、ここへやって来る。ボクの経験からすれば、それはそんなに遠くのことじゃない。だから、ボク達はもう行くよ」


 そう声をかけてもアナは身じろぎ一つしなかった。ただ物言わぬ肉の塊になったジェシカに目を注ぐばかりだった。その姿が痛ましくてジョゼを多弁にさせる。クソと内心で毒づく。


「気の毒だったとは思う。だけど、こうする以外に方法が――」

「……そうやって全部、諦めるのね」


 冷たい声にジョゼは思わずびくりと身をすくめた。


「そうだよ。そうしなきゃ生き残れないからね」

「そうね。きっと貴方の言っていることが正しいのかもしれない」

「……」

「わたしは夢ばかり見てる甘えた子供でしかないのかもしれない」

「……」

「だけどっ、それでも――!」


 アナは手の内の銃をジョゼに向けた。手が震え、銃口はふらふらと定まることがない。


「わたしは貴方の正しさが許せないっ!」

「……ボクを撃ちたいなら、それでもいいよ」


 だけど、だったら――ジョゼは静かに語り、そっと手を持ち上げた。


「ボクも君を撃って生き残る」


 アナに突き付けた銃口に揺るぎはない。


「ボクは蠅だ。死を苗床に生きる蠅だ。ボクの命は誰かの死だ。その死を無駄にしない為にボクの命はあげられない」


 自分と蠅の決定的な違いはここだ。蠅は死によって導かれるだけだが、自らは誰かに死を導く蠅だ。その死を糧に、また自分は命を繋ぐ。果たしてそれが蠅より上等なのか下等なのかは分からないが。


 そして、銃を突き付けあったまま二人はにらみ合った。十秒、二十秒、三十秒と過ぎ――やがて少女が動いた。その手が拳銃を放した。いや、違う。力が抜けて落ちたのだ。そして、まるで糸が切れた人形みたいに少女は倒れ伏した。


「……気を失ったか」


 無理もない。目の前で親しい人がレイプされた挙句、頭を撃ち抜かれたのだ。むしろよくもった方だ。ジョゼは拳銃を素早くホルスターへ押し込む。その時、まるでタイミングを見計らったかのように、その背後からの声がした。


「ジョゼー、どうしたの、その子」あくまで呑気そうなエンリケだった。

「なんでも……ないことはない。とにかくこの子は連れてく」


 ここに残せば死ぬだけだ。確実に。それはさすがに後味が悪かった。

 

「白人じゃん。売るの?」

「売らないから」ジョゼがため息を漏らす。

「だったらどうするつもり?」

「……後で考えるから、とにかく撤収する」

「了解。でも後で揉めるよ、絶対に」


 エンリケの不吉な決めつけを無視して、ジョゼは自分のサベージへと戻った。ベールゼブブの一隊が廃墟を後にする。


 後に残ったのは死体の山。吹き寄せた風が、その死臭を遠く遠くへと運んでいく。その匂いに誘われて、蠅はますますその数を増していく。黒い霧のような蠅が大地を、空を埋め尽くす。


 世界に満ちる。

 産めよ殖やせよと。

 死を苗床に。


 そこは――蠅の世界だった。

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