第19話

 井戸の中から、強烈な水柱が立ち上がる。そこから散らされた飛沫は、その場にいる者達に敵味方関係無く降り注いだ。そして、飛沫を浴びた蛇達は次々に力を無くし、動きが鈍くなっていく。

「何、コレ。どうなってるの? ……って言うか、葵は!? 葵はどうなっちゃったの、ねぇ!?」

「落ち着くにゃ! 今は、急いたところでどうにゃるわけでもにゃし……まずは現状の確認! それしかにゃいにゃ!」

 虎目に言われ、紫苑は頷いた。そして飛沫が降り続ける中空を見上げ、井戸の位置を確認すると、そこへ向かって駆け出した。蛇達が動かなくなったため、道を阻むものは無い。

「弓弦ちゃん、葵は!?」

 先から井戸端にいた弓弦に向かって、出来得る限り冷静に、紫苑は問う。すると弓弦は、険しい表情で「わかりません……」と呟いた。

「飛沫と、強力な神気に阻まれて……井戸の中を明確に見る事ができないのです。ですが……」

「ですが?」

 少しだけ、困った顔をして。そして、戸惑う様子を見せながら弓弦は水柱を見上げた。

「この水柱から溢れる、強烈な神気に……何やら覚えがございます。この気は、もしや……まさか……」

 弓弦の言葉が終わらぬうちに、水柱が破裂した。先ほどまでは霧雨のように降り注いでいた飛沫が、滝のように変貌して辺りを濡らす。

 そして、水柱が消えた中空には、一つの影があった。

 それは、人の形をした影だった。水干をまとった、十五かそこらの少年に見える大きさの、人の影。そこまでの情報を与えられたら、その場にいる者達が連想するものは一つしか思い当たらなかった。

「葵!?」

「無事だったにゃ!?」

「葵様……!」

 その声に、ゆっくりながらも影は声を発した。

「……あ……ゆ、づる……? しおん、ねえさん……とらのめ……?」

 その声は、確かに葵の物で。宙に浮いているという異常事態ながら、葵の無事を確認できた事に紫苑と虎目はホッと息を吐いた。

 だが、弓弦の顔は険しいままだ。

「……葵様……?」

 恐る恐ると言った体で、弓弦が声をかける。その声に、異常を感じ、更に己が宙に浮いたままという事に気付いたのか。

「え? ……え!? 何だよ、これ……」

 唖然として辺りを見渡し、そしてジタジタともがいた。その動きや声音からは、先まであった気だるさや苦しさが消えている。その代わり、焦燥感はあるようだが。

 ジタジタともがいたからか、それともその時節だったのか。葵の身体は次第にゆっくりと降下し始めた。

 地面が近付いてきた事で安心したのか、葵は次第に心が落ち着き始める。冷静になって怪我が無いか自らの身体を見渡した。

 また、葵が降下してきた事で、地上にいる弓弦達は葵の姿をはっきりと認識できるようになりつつある。二人と一匹は、葵に怪我が無いか……目を凝らして、葵の姿を見詰めた。

 そして、両者が同時に眼を見開いた。

 鱗が、全身にびっしりと生えている。

 弓弦の腕に生えている物と、同じ。瑠璃のように青くて、綺麗な鱗。ただし、弓弦の鱗よりも少しだけ深く暗い色をしているようにも思える。それが、腕に、足に、顔に。露出している肌全てに生えている。恐らく、背にも生えているのだろう。

 目は、弓弦ほどぎょろりとはしていない。だが、それでもいつもより目付きが悪くなっている。色も、黒から金へと変じている。

 爪や歯も、伸びて鋭くなっているように思う。肉食獣とまではいかないが、これで引っ掻かれたり噛みつかれたりしたら、軽傷では済まないだろう。

「何、これ……どうなってんの!?」

 声は葵の物だ。顔も、よく見ればちゃんと葵だし、遠くから見ればその姿は葵にしか見えない。

 なのに、今弓弦達の前にいる葵は葵のようには見えなくて。

「ふぅむ……気配は、確かに葵だにゃ。けど、葵だけじゃにゃい……」

「うん。別の何かの気配も感じるね。……葵の中に、何か、いる……!」

 緊迫した面持ちで言葉を交わす紫苑と虎目の横で、弓弦は呆然と葵の姿を見詰めている。……いや、見詰めているのは姿ではなく、更にその内にある物であるようにも見える。

「葵様の中で息衝いているこの気配……先の水柱から溢れ出てきた強烈な神気と同質のこれは……やはり……!」

 その時、井戸の陰で何かが動いた。

 蛇だ。陰に隠れる事で井戸水の飛沫を浴びずに済んだのか、他の蛇達と違い今まで通りに動けている。

 その存在に、弓弦達はまだ気付かない。蛇の視線が、弓弦の首元を捉えた。蛇はチロチロと赤い舌を出し、そして大きく口を開けた。

「! 弓弦!」

 真っ先に気付いたのは、まだ少し浮いた状態で弓弦達を見下ろしていた葵だった。一匹の蛇が弓弦に向かって飛び掛かる姿を視界に捉え、思わず叫ぶ。

「!」

 葵の声で、弓弦も気付き振り向いた。だが、反応が遅い。右手を振り上げるが、わずかながらに間に合いそうにない。

 葵は必死に右手を伸ばす。体が傾き、足よりも頭が地面に近くなった。だが、それでも手は弓弦を救えそうにない。

(駄目だ……駄目だ! このままじゃ、弓弦が……!)

 そこから先は、何をどうしたのか、葵は覚えていない。ただわかる事は、気付けば口が勝手に開いていた。そして。

「喝!!」

 ただ、ひたすらに大きな声で叫んでいた。稲妻が落ちたのではないかと勘繰りたくなるほどに、大きな声だった。

 紫苑と虎目は思わず耳を塞ぎ、弓弦はビクリと体を強張らせた。ビリビリとした気が大気を渡り、波となって押し寄せる。

 声の波動で、弓弦に襲い掛かろうとしていた蛇は吹っ飛ぶ。他の蛇達も、地に縫いつけられたようにぺしゃりと這いつくばった。

「すごっ……葵、今何やったの!?」

「何って……」

 首を傾げながら、葵は地面に降り立った。先ほど体勢を崩したせいで、地に足がついた瞬間に転びそうになったが、何とか堪えた。

 葵がきちんとした体勢で立ち、三人と一匹がやっと落ち着いて話せるようになったところで、葵達は早速話を切り出した。相手は勿論、弓弦である。

「弓弦……訊いても良いかな? あの井戸は、何なのか。……弓弦は、何者なのか」

「どっちも気ににゃるけどにゃ。オイラとしては、まずあの井戸の事を教えてもらいたいにゃ」

「そうだね。どうして葵がこんな姿になったのかも気になるし……ボクもまず、井戸について聞かせて欲しいな」

 そう。葵の姿は、未だに鱗がびっしりと生えたままだ。普通の井戸なら、落ちただけでこんな事にはならない。弓弦も、井戸に突っ込んだ腕に鱗が生えている。

 そして、蛇達が大人しくなるほどの神気を含んだ水。どう考えても、この井戸には、何かがある。

 弓弦は目を閉じ、少しだけ考えると頷いて目を開けた。開けた目は、黒い色に戻っている。見れば、袖から覗く白い手や腕からも、鱗が消えていっている。

「そうですね……こうなってしまった以上は、事情をお話しするしかないでしょう。実は……」

 そう、弓弦が話し始めようとした時だ。

「ふぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」

 クセのある叫び声と共に、栗麿が凄まじい速度で向かってくるのが葵には見えた。その後には、ぞろぞろとした蛇の大群。どうやら、追われているようだ。

「あー……」

「にゃー……」

「……すっかり忘れておりました……」

 紫苑、虎目、弓弦が頭に手を当てた。その間にも、栗麿は大量の蛇を引き連れてどんどんこちら側へと迫ってくる。

「……って言うか、あの馬鹿! 折角弓弦ちゃんと葵が、こっちの蛇を何とかしてくれたってのに……」

 眉を吊り上げながら、紫苑が臨戦態勢に入る。虎目も、毛を逆立てた。そして弓弦は、もう一度井戸に手を潜らせようと、振り向いた。だが。

「……!」

 いつの間にか井戸の縁に、一匹の蛇がとぐろを巻いている。しかも、蝮だ。咬まれればただでは済まぬとわかっている以上、迂闊には近付けない。

 蛇の群れはどんどん近付いてくる。弓弦は、どう動くべきか決めかねている様子だ。

 その困惑した気配を弱った獲物と認識したのか、井戸端の蝮がしゅるりと動いた。

「! 弓弦!」

 葵が咄嗟に動き、弓弦と蝮の間に腕を割り込ませる。蝮が、葵の右腕に咬み付いた。

「葵っ!?」

「……っ!」

「葵様!」

 青ざめて葵の腕を取ろうとする弓弦を、葵は左腕で制した。蝮はまだ葵に咬み付いているのだ。下手に手を出すと、弓弦が危ない。

「大、丈夫……」

「蝮に咬まれて大丈夫なわけがないでしょ! ……虎目、葵達の方へ行って。ここはボクが何とかするから!」

「……にゃ!」

 短く返事をして、虎目が葵と弓弦の元へと駆け寄ってくる。蝮は葵に咬み付いたまま離れる様子が無く、葵は鱗の生えた顔をしかめている。

「どう、すれば……虎目様、このままでは、葵様が……。私は、どうすれば……」

「落ち着くにゃ! まずは、葵の未来を見る。にゃんとか、助かる未来に繋がる手段を見付けるにゃ!」

 それだけ言うと、虎目は顔を険しくして葵の姿を見詰めた。

 例えば、今のままでは駄目でも、何か処置をする事を考えれば、元気な葵が京を駆け回っている姿が見えるようになる可能性だってある。葵が助かる未来が、必ずある筈だ。

 そう信じて、虎目は葵を見詰め続けた。やがて、険しく細められていた目が、次第に丸くなっていく。

「……どういう事にゃ、これは……」

 虎目がその言葉を最後まで口にする事は無かった。

「あ、ぐ……うわぁぁぁぁっ!」

 突如葵が雄叫びを上げ、左手で蝮の胴体を鷲掴みにした。そして、力任せに蝮を引っ張り、右腕から離そうとする。

 蝮の胴体がブチブチと音を立てて千切れ、遅れて右腕に残っていた頭部がぼたりと落ちる。

「……どういう事にゃ……」

 もう一度、虎目は呟いた。葵の突然の行動に、その呟きを聞いている者は誰一人としていない。それでも、彼は呟き続けた。

「何もしにゃくても、葵が助かる未来が見えた……。それに、あんにゃ……蛇を力任せに千切るにゃんて、葵らしくもにゃい行動……。まるで、何かに取り憑かれているようにゃ……」

 虎目が呟いている間も、葵は叫び続けている。先ほど蛇達を鎮めたのとはまた違う、叫び声。先ほどのあれが稲妻ならば、今度のこれは荒れ狂う暴風のようだ。

 葵は一しきり叫ぶと、辺りにいる蛇達をぎろりと睨み付けた。そして、まるで獲物を見付けた猫のように俊敏な動きで蛇達に踊りかかると、そのまま素手で蛇達を次々と掴み、引き千切っていく。暴れる蛇達に腕や顔を咬まれようが、お構いなしだ。

 その目には、人間の情らしき物が消え去っている。かと言って、狂気が宿っているわけでもない。例えるなら、そう。縄張りを守る狼のような。

「何、これ……。葵、どうなっちゃったの!?」

「わからにゃいにゃ……。蝮の毒が頭に回ったというわけでもにゃいみたいだけどにゃ……」

 為すすべ無く立ち尽くす紫苑と虎目。弓弦も、葵の行動を息を呑んで見詰めている。

「ふぉぉぉぉぉっ!?」

 そして、いつもと調子が変わらぬ栗麿。ただし、葵が蛇の数を減らしたためか、よく見ると先ほどまでより若干余裕があるようにも見える。

「何でおじゃるか。何でおじゃるか、その見た目はっ!? 葵、イメチェンでおじゃるか? イメチェンでおじゃるな!?」

 栗麿の相手をする事無く、葵は蛇を攻撃し続ける。しかし栗麿は挫けない。

「おおう! いつもだったら、何だかんだでトホホな顔をしつつも麿の話を聞く態度を取ってくれるというのに、何だか急に冷たくなったでおじゃるな! それが葵の新しいキャラでおじゃるか!? 麿は悪くないと思うでおじゃるよ! 闇に堕ちた孤高の戦士のようでカッコ良いでおじゃる! 寧ろ、トラブル巻き込まれ体質で苦笑しながら振り回されていた今までよりも良い……」

「うがぁぁぁっ!」

 最後まで言わせまいとするかのように、葵が叫び、そして腕を振り回した。腕は栗麿の顎に当たり、栗麿は虎目達のところまで吹っ飛ばされる。

「ふぉぉぉうっ!?」

「あー……異常にゃ状態ににゃってても、やっぱりこの馬鹿の馬鹿発言は癇に障るんだにゃー……」

「馬鹿につける薬はございませんね……」

「……と言うか、この状況であんな発言ができるのも、ある意味凄いよね。……馬鹿だけど」

 馬鹿馬鹿大合唱に、流石の栗麿もムッとしたらしい。唾を飛ばしながら、虎目達に詰め寄った。

「なっ……何でおじゃるか! 皆で馬鹿馬鹿言うなでおじゃる! ……と言うか、イメチェンでないなら、何なんでおじゃるか、あの葵の格好は!? 何をどうやったらあんな姿になるんでおじゃる!?」

「それを聞こうとしていたところで、おみゃーがあの蛇達を連れてきたんにゃ! ちょっとは空気を読め!」

「あんなのに追っ掛けられて、空気を読むもクソも無いでおじゃる! それぐらい察するでおじゃるよ、この化け猫!」

「化け猫言うにゃ、この馬鹿!」

「馬鹿って言うなで……」

「馬鹿な言い合いしてる場合じゃないでしょ!」

 一人と一匹の罵り合いをいつもの調子で強制終了させ、紫苑は弓弦に視線を向けた。

「蛇が減るのは頼もしいけど、このままじゃ葵が壊れちゃいそうで心配だよ。弓弦ちゃん、何か……葵を元に戻す方法、知らない? さっきは弓弦ちゃんも、今の葵みたいになってたのに、今は元に戻ってる。……何か方法があるんだよね!?」

「ございます。ですが、あれは自力で行うもので……それ以外の方法では、葵様が力を消耗するのを待つ他は……」

 現状、打つ手無し、であるようだ。紫苑は「マジ……?」と呟くと、困ったように辺りを見渡した。

「あー、もう! どうなってんの、これ!? 栗麿は馬鹿だし、蛇は出るし、葵はおかしくなっちゃうし! 誰かどうにかしてよ、これぇっ!」

「お手上げか? まぁ、お前らにゃあ、これはまだ荷が重かったかもしれねぇな」

 不意にかけられた声に、紫苑達はハッとして振り向いた。見ればそこには、三人と一匹が予測した通りの人物が、不敵な笑みを浮かべて立っている。

「師匠! それに、盛朝おじさんも!」

「全員、無事だな? 良かった良かった。惟幸に呪い殺されずに済みそうだ」

 朗らかに笑う盛朝は、抜き身の太刀を手にしている。刃に脂が付着しているところを見ると、ここへ来るまでに相当数の蛇を斬ったようだ。

「さて……盛朝は笑ってるが、中々、笑えねぇ事になってるみてぇだな」

 状況を眺めて唸る隆善に、紫苑はハッとした。

「そ、そうなんですよ、師匠! 葵が、何か急に暴れ出して! 何か鱗が生えたりとか、目の色が変わっちゃったりとかしてますし! あ、さっきまでは弓弦ちゃんも何か同じような感じになってて……今は違いますけど! 二人ともあの井戸の水に浸かったら、何かあんな感じに! ……って言うか、そうだ! 井戸に落ちる前に、葵が何か急に具合が悪くなって! 井戸から出てきたら治ってて、でもその後蝮に咬まれて……」

「あー。わかった、わかった。わかったから落ち着け」

 煩そうに手をヒラヒラと振りながら、隆善は視線を弓弦へと向けた。

「弓弦」

「……はい」

 どこか警戒している様子の弓弦の目を、隆善はまっすぐに見た。

「……おろち誕生の時が、近いんだな?」

「! ……はい」

 サッと顔を強張らせ、そして頷く。

「……おろち? 何の話ですか、師匠?」

「……何にゃんにゃ、これは……」

 首をかしげる紫苑の横で、虎目が顔を険しくする。どうやら、未来を垣間見たようだ。

「おい、隆善! これは一体、どういう事にゃ!? にゃんでコレが今の時代に……にゃんでコレが今まで、オイラの目に見えにゃかったんにゃ!? その様子だと、おみゃーと惟幸は知ってたにゃ? ……にゃんで隠してた?」

「え? どういう事、虎目? え? 師匠? え? え?」

 隆善を睨む虎目と、混乱した様子で虎目と隆善を交互に見ている紫苑。そして、顔を強張らせたまま難しい顔をしている弓弦。二人と一匹を順番に眺め、隆善は溜息をついた。

「順を追って話す……が、それは葵も揃ってからの話だな。おい、盛朝」

「わかってますよ、たかよし様」

 頷き、盛朝は抜き身の太刀を引っ提げると、葵が蛇達を引き千切り続けている場へと身を躍らせた。盛朝が太刀を一振りする度に、十を超える蛇達が両断され、ぼたりぼたりと地に落ちる。あっという間に、百とも二百ともとれる数の蛇がその場から消えた。

 その様子に、これまで暴れ回っていた葵はぴたりと動きを止め、「ほぉう……」と唸った。声が、葵のようであって葵ではない。先の弓弦と同じ……腹の底に響き渡るような、ズシリと重い声だ。

「人間風情が、中々やるではないか」

「そりゃどうも。……惟幸やたかよし様から聞いていた通りだ。お前、葵じゃないな? 葵の中にいる、別の何かだ」

 盛朝の言に、葵……いや、葵の中にいる何かは呵々と嗤った。仕草が、どう見ても十五、六歳の若者のそれではない。もっとずっと、大人びて落ち着いている。

「わかっているのなら、話は早い。……おっと」

 道端の石でも避けるような気軽さで葵は右足を持ち上げ、そして勢い良く地面を踏んだ。胴を踏み潰された蛇が、痙攣し、絶命する。

「これで全部か。ご苦労さん」

 隆善が、悠々と葵と盛朝の元へと歩いてくる。その様子に、葵はムッと顔をしかめた。

「何だ、お前は。何もせぬまま、偉そうに……」

 言いかけて、葵はジッと隆善の顔を見た。そして、ふむ、と唸る。

「お前……あの時の若造か。……そうか、この武士もののふに私の事を話したというのは、お前だな? ……あの時一緒にいた、もう一人の若造はどうした?」

「残念ながら、あいつは山に引き籠りっ放しで、出てきやしねぇ。……さて、昔話に花を咲かせてぇところだが……そろそろ限界じゃねぇのか?」

「何?」

 隆善の言葉に怪訝な顔をし、直後、葵の膝はくずおれた。

「……っ!?」

「葵っ!」

「葵様!?」

 突然倒れ込んだ葵の姿に、弓弦と紫苑が顔色を変えて駆け寄ってくる。蛇の死骸の山頂で、脂汗を流しながら葵は土を掴む。

「……何故だ。何故、急に……」

「単純に、疲労だろ。憑代よりしろになるのに慣れてねぇ奴の身体で、いきなり暴れ過ぎなんだよ。俺や惟幸が葵を鍛えてなかったら、もっと早くに力尽きて、今頃葵は黄泉の国で伊弉冉尊いざなみのみことに謁見中だ」

 しゃがみ込んで上から説明する隆善に、葵は悔しそうに拳を握った。

「くっ……やはり、人間の身体では無理があったか……」

「どうだろうな。……まぁ、とにかく、今は休め。お前が休んでいる間に、こいつらには説明を済ませておくからよ」

 そして隆善は、葵の額を右手の人差し指と中指でトン、と叩いた。その途端、全身から力が抜けたように葵はくたりとなってしまう。

「葵!」

「葵様!」

「安心しろ、眠っただけだ」

 そう言うと、隆善は葵の上体を持ち上げ、顔を弓弦達に見せてやった。その顔はいつもの、まだどこかに幼さの残る葵の顔に戻っており、すーすーと寝息をたてている。そして、いつの間にか顔や手から鱗は消えていた。

「……おい、隆善」

 虎目がジトリとした目で見詰め、隆善は煩そうに顔を顰めた。

「わかってる、わかってる。事の説明だろ? ……まぁ、こんな場所で話すのもアレだ。一旦邸に戻るぞ。話はそれからだ」

 そう言うと、隆善は立ち上がり、邸の方角へと向かってスタスタと歩き出した。その後に、葵を背負った盛朝が続く。背負われた葵を気遣うように、盛朝の斜め後ろに弓弦が就いた。

「あ、待ってくださいよ、師匠! 盛朝おじさん、弓弦ちゃんも!」

 慌てて紫苑が後を追い、盛朝の横に並んで歩き出す。その後姿を……いや、正確には盛朝に背負われた葵と、その斜め後を歩く弓弦の姿を眺めてから、虎目は地面へと視線を移した。

 無数の蛇の死骸が散らばっている。見ただけでゾッとするその光景に、虎目は顔を顰めた。

「虎目? 何やってるの? 置いてっちゃうよ!」

 遠くからかけられる紫苑の声に、虎目はハッとした。そして、蛇達の死骸に背を向けると、紫苑達の元へと駆けていく。

 その時、死骸の山がごそりと動いた事に気付いた者は、誰一人としていなかった。

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