第7話 スターリング

 静謐な夜の空気。そこに深紅の炎が舞った。

 ドワーフの村が粛々と焼けていく。

 隣を見やればハミッシュが下唇を噛みしめてその光景を目に焼き付けていた。



「あぁ! 大工房に火が!!」



 誰かの声に滲んだ悲哀が胸を締め付ける。

 それまで積み重ねてきた一切の物が清浄な炎によって塵に変わりゆく姿は痛ましく、俺達の村の姿と重なった。

 俺達の村も炎に消え、サヴィオン帝国の手中にある。それが鉛を飲んだように重く胸を締め付ける。



「皆、泣くなら今しかない。だが、おれ達はいずれこの地に帰る。サヴィオンの連中を追い出して、おれ達の故郷を取り戻す。その日まで戦い続けよう。

 明日からは戦の日々だ。泣くなら、今しかない」



 ザルシュさんの言葉に嗚咽が重なる。それでも彼らは燃え行く村を背に歩きだした。

 誰もが押し黙り、涙を流しながら夜の街道を行く。再び帰れる事を夢見て。



「俺達も、帰れるのかな?」



 肩に吊った銃が重い。何時になく重いそれを感じつつ、俺は小さく呟きながら背を向けた。俺達の村に、ドワーフの村に背を向けた。

 そして夜が深まり、街道の端で俺達は睡眠を取った。だが、誰しもが眠れなかった。天幕もなく、吹き付ける風から身を守る物もない野営。

 気が付けば東の空にオレンジの光が生まれていた。寒さの中、固い大地の上に横に成っていたせいか、体の節々が痛い。深い疲労感と共にやってきた朝に小さく毒づきながら身を起こすとミューロンが「おはよ」と囁いた。



「起こした?」

「ううん。寝てないと思うから、おこしてないよ」



 彼女は銃を抱きかかえるように寝てい居た――いや、横に成っていたようで、銃を両手で抱える様に座り直した。

 何をするでなく、何を話すでなく、俺達は晦冥を駆逐する光明を見ていた。ゆっくりと力をます橙の光が優しく頬を撫でるも、まだ温かさを感じない。

 ただ冷たい風が頬を撫でるのみだ。気が付くと吐く息すら白くなっている。



「村は無くなっちゃったのに、朝は来るんだね」



 チラリと白い横がを覗くと、碧の瞳が太陽よりその先を見ているような、遠くを見た瞳があった。



「リッカおばさんも、ウォーレスおじさんも、ヨシュアちゃんも――」



 壊れたように名を上げる彼女の口を俺の耳は静かに聞いていた。

 あの橋の近くに吊るされた皆の名を彼女は余すことなく口ずさむ。そして父上の名も。



「みんな、殺された……」

「だけど、他のみんなはきっと落ち延びたよ」

「かもしれない。でも、殺された仲間がいる。許せない」



 彼女の瞳に赤が混じっているのは深紅の太陽を反射しての事なのか、そうでないのか、判断に迷った。

 だが、彼女に共感する自分が居る。憎い。帝国の連中が憎くて仕方ない。



「……上手かったな。お前の射撃。二人やっただろ?」

「ロートスだって」

「俺は一人」



 手を握る。不思議と罪悪感が湧かない。

 それどころか俺の胸の内にあるのは未来への不安と帝国への憎しみしで占められていた。

 それで良いのかと自問しても答えなど出ては来ないし、答えを己の中に見出そうにも黒々とした感情と身一つになってしまった己の行く末がどうなるのかと言う事に思考がスライドして行く。

 それが現実逃避なのか、エルフとしての本能が無駄な事を考える暇があったら別の事を考えろとでも指図しているのか……。



「ハミッシュちゃん、結局外してたね」

「大口叩いていたのにな」

「でも、六人しか殺せなかったね。帝国人はまだ居るのに。あいつらを追い出さないと、村に帰れないんでしょ? なら、十人だろうと、百人だろうと殺さなきゃ。それで、あいつらに殺された皆の恨みを晴らさないと」



 憎悪に焼かれる幼なじみになんて言葉をかけよう。

 だが、俺の中にも赤々とした憎しみがある。故に、彼女の想いを否定する気にはなれなかった。



「寒いね」

「あぁ、寒い」



 朝の風が身にしみる。

 帝国人に復讐したいと確固たる思いはある。あるが、一陣の風が頬を切る度に村に帰り、暖炉に薪を足しながら冬を越したいと思ってしまう。

 あの暖かい家に帰りたい。それには帝国を追い出さなくてはならない。

 銃を握った両手に力がはいる。



「絶対に帰ろう」

「うん。帰ろう」



 小さい約束を交わす頃にはドワーフ達が起き出した。

 山間から完全に姿を現した太陽の下、俺達は簡易な朝食を食べて街道を進み出した。


 そして一昼夜と半日。

 気が付くと周囲を共に歩くのはドワーフだけではなく、他の村のエルフや狼耳の獣人と雑多な種族が混じっていた。

 誰もが戦火を逃れるために村を捨てる決断をした者達だ。

 故に空気は重く、いつまで経っても村を焼いた際の臭いが鼻の奥にこびりついている気がする。

 そんな最悪な思いの中、目指すスターリングの城壁が見えて来た。それと同時に土煙も。



「ありゃ、騎士様だな」



 ザルシュさんの言葉に俺はどうなるのだろうと不安を掻き立てられる。

 だが、心配を他所に土煙は大きくなり、それが三人の騎士である事が確認できた。

 誰もが良い服に光輝く鎧を身に着けている。



「貴様ら、北方の難民か? それならスターリングの東城壁に集まれ」

「え? 中に入れてくれないのですか!?」



 疲労を滲ませたミューロンの声に俺も同意の声を上げた。それに続いて「入れろ!」「もう限界だ」の声が響く。

 誰もが野営では落ちない疲れを抱き、家を失った悲しみを背負ってスターリングまで来たのだ。

 それなのに入城が認められないとなれば反抗もしたくなる。



「ダメだ! ダメだ! スターリング様の命により亜人の入城は認められていない!!」

「そんなバカな!? おれ達はあんたら人間と共に戦った戦士もいるのだぞ。その上でこちらは人間の命令で村を焼いて来たんだ。それなのにそのような扱いを受けるとは怒りしか浮かべぬ。

 領主殿に再考を願い出てくれ!!」



 ザルシュさんの叫びに「ならぬ物はならぬ!」の一点張りが返る。

 そのまま押し問答が行われるも結果は芳しくなく、ただ俺達は城壁の外に集められた。その後も続々と村を焼いて来た諸族と共にそこで待たされ、そして日が暮れようかと言う時、城壁の上に若いものの身なりの良い老騎士が現れた。



「皆の者! 静粛に!!」



 浪々と響くその声に「スターリング男爵じゃねーか」とザルシュさんが素早く頭を下げる。

 それにおずおずと皆も習う。それにつられるように静寂が広がり、誰もが耳を傾けた。



「皆、我らの状況はあまりに危うい」



 頭を下げる事こそ無かったものの、言葉の端々に謝罪の籠った声。

 為政者として自分の過ちを認める事は権威の失墜につながると聞いた事がある。それ故の行為なのだろう。

 だが、それよりも真実の暴露はどうなのだろうか。下手をすれば士気の崩壊に繋がりかねない。

 前世、会社のプロジェクトに参加した際に無茶な日程のプレゼンを押し付けられ、資料集めの際に「もうダメだ」と言っている奴が居たが、その時は俺もだめかもしれんと半ばあきらめを覚えさせられた事があった。



「しかし恐れる事は無い。このスターリング城で力を養い、公都より援軍を受ければ帝国など一ひねりである。

 ついてはこの堅城スターリングにて敵を迎え撃つ!

 そのための施策を我は打って行くつもちである。即ち周囲の焦土作戦による敵の足止め、籠城を行う」



 目的をはっきりと口にし、それを繰り返すと言う手法。宣伝においてこれほど効果的な方法は無いとは前世、同期入社した同僚の言葉だ。

 もっとも彼は広報部ではなく開発部のはずだったのだが、何故か広告部の方にも引っ張られていた。部署の垣根を越えて使役されるブラック企業故に聞けた話だ。



「それに当たって亜人の処遇に関して公都より今後の戦略方針の通達が来ている。まずドワーフは騎士団護衛の下、公都に向かってもらう。その際に必要な物は騎士団が融通するので安心して欲しい」



 鉄と土の神様に愛されたドワーフの製鉄技術の保護は必然。逆に帝国の手に渡る事を防ぐためにも優先的に保護される。



「その他の民については我に一任されている。故にドワーフ以外の民はこの地に残り、迫りくるサヴィオンを共に迎え討とう。義勇軍に入り、故郷を襲った蛮人に誅罰を与えるのだ。

 なお、今のスターリングに非戦闘員を迎える余力はすでにない。

 共に戦う兵士以外をスターリングは必要としていないのだ。共に戦い、共に日々の暮らしを勝ち取ろうではないか!」



 つまり、難民の徴兵がしたいのか。

 スターリング騎士団は先のレンフルーシャーの戦いにおいて敗北し、戦力が足りないはず。そこに家も故郷も無い難民が現れ、軍に入らねば入城を断ると言われれば志願せざるをえない。

 汚いやり方だ。

 拒否権の無い選択ほど唾棄すべき物は無い。前世での苦い思い出が蘇ってくるようで吐き気がした。



「ロートス、顔、怖いよ」



 ミューロンの言葉に思わず頬を触ると固く凝り固まっていた。

 そんな間が生まれたために怒りが霧散し、残ったのは何もない空虚感のみ。



「ミューロンは志願するのか?」

「だってしないと入れてくれないって言うし……」



 誰しもがそうなのだろう。

 ドワーフであるハミッシュ達に視線を向けると、彼女は小さく頷いた。



「わしも志願する」

「アホ! 何言ってやがる。デクはとっとと騎士団の指示に従って公都に行け」

「親父! わしは――」

「頼む。あんま心配かけんな」



 ゴツゴツとした手がハミッシュの小さな頭を撫でる。彼女は連れていってくれと言わんばかりに俺を見る。

 だが、首を横にふるしかなかった。



「なに、すぐ会えるさ。スターリング様も言われていたろ。冬になったらサヴィオンは引くだろうって。もう一月もすれば冬だ。あいつらが引けばすぐに会える」



 力強く笑う。笑おうとする。

 本音を言えば逆だ。俺も共に逃げたい。逃げて平和に暮らしたい。

 なんたって転生しても命をすり減らす様な暮らしをしなければならないって言うんだ。

 あれほど努力を重ねても手柄は全て上司に取られる生活を、人としての暮らしを無視した人生を二度と味わいたくない。

 転生出来たことだって前世のその因果故の事だと信じている。

 あの辛い生活があったから、転生して穏やかに暮らしているのだと思っていた。

 だから戦争に巻き込まれるのは嫌だ。逃げられるのなら逃げたい。

 だが、隣にはミューロンが居る。彼女は逃げる事など考えていない。そんな彼女を放っておけないし、背を向けて悲鳴を上げたい俺を親友に見せたくない。

 そんな意地が俺に仮面をしろと囁く。

 前世のような営業スマイルを浮かべろと命令してくる。



「……大丈夫だ。行ってくれ」

「……約束なのじゃ。すぐに会うと」

「あぁ、約束だ」



 そうしていると「ドワーフは集まれ」の声が掛かった。

 それでもザルシュさんはその場を動かないで居てくれたのだが、騎士の一人に見咎められ、公都に向かう列に連れて行かれてしまった。



「くそ、放せ! おれは戦うぞ!!」

「暴れるな! 閣下の命に従え!!」



 激しい問答の末、数人の騎士に体を押さえつけられながらも彼らを引きずりながら俺達に向かって来た。



「おい、死ぬなよ。公都で待つ」

「ザルシュさん、短い間でしたがありがとうございました。父上の事も、なんと感謝したら良いか――」

「感謝は公都についてからしてもらうぞ。良いな? 何があっても諦めずに公都に来るんだぞ!!」

「――わかりました」



 このドワーフはなんと優しい人なのだろう。

 そう思えた。種族も違うし、彼にとって俺達は娘の友達でしかないはずなのに、それなのにこの人は――。



「必ず公都に行きます」

「わたしも絶対に」

「……相、分かった。あと、カッコつける必要はねぇ。諦めずに意地汚く生きろよ。それじゃな」



 深々と腰を折る。ここまで身を案じてくれたこの人のためにも、生き残らなくてはならない。

 そうしてドワーフの一行が公都を目指して進み出す。

 それに手を大きく振る。それを返してくれる小さな陰が消えるまで振る。急に静かになったような気がした。

 そう思っていると手のひらに温もりが触れた。



「寂しくなっちゃったね」

「すぐに会えるさ」



 エフタルの冬は厳しい。北の海流が運んでくる寒風がすぐに雪をもたらす。そうなれば整備されていないスターリング以北の街道は積雪で使い物にならなくなる。

 そうなれば帝国人の食料等を運ぶ馬車はこちらまで来れなくなるだろうし、寒さのせいでまともに戦う事なんて不可能だ。



「雪が降るまであと二月くらいか?」

「うん。そうだね」



 二月の別れ。その二月を生き残る事に全力を捧げなければならない。

 その上で憎い帝国人を殺していれば二月なんてすぐだろう。



「でも、弾薬が持たないな」



 持ち出せるだけ持ち出してきたが、カートリッジはミューロンのと併せて百も無い。

 弾丸に関しては鋳造は簡単だし、簡易な道具を持っているから作れない事はないが、火薬の生成――硝石と硫黄の補給がネックとなる。



「弾が無くなったら弓を使えば良いよ」

「苦手なんだよな……」

「知ってる。代わりにわたしが帝国人を殺してあげるよ」

「かっこつかないな」

「カッコつけるなって言われたばかりでしょ」

「そうだった」



 俺はミューロンが握ってくれた手に力を入れる。

 必ず生き抜いてやる

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