第2話 戦の足音

 ピリピリした空気を肌に感じつつ俺は銃の清掃をしていた。

 この銃は黒色火薬を使っているせいで射撃ごとに大量の煤を生む。それが機関部に詰まれば不発を招くし、ライフリング――螺旋状の溝に溜まれば弾道に悪影響を及ぼす。

 もっとも全長百二十センチ、銃身長百センチのそれを綺麗にするのはいささか億劫なサイズだ。もっと短いモデルカービンにしとけば良かったと思う。


 だが、これはこれで結構気に入っているので掃除の負担に目を瞑りつつクリーニングロットに取り付けたボロ布を使って銃身の中の煤をかき出す。

 それを続けていると、ふと眼前に影が差した。顔を上げるとそこには弱々しく笑うミューロンが居た。



「どうした?」

「べつに……」



 育ての親である父上の事を心配しているであろう事に思い当たるも、それに対してかける言葉を持ち合わせていない。

 それは昨日、散々ミューロンを安堵させる言葉を重ねに重ねていたから、今更何を言っても仕方がない。もう俺の語彙力では限界だ。

 だから俺は静かにクリーニングロットを動かす。そしてボロ布を真黒にする煤に溜息をつきつつ静かな朝を満喫する事にした。



「…………ねぇ、何度同じことしてるの?」

「ん? うん……」



 だが、心ここにあらず。気づけば俺は父の事が頭を過り、清掃に集中していられない。

 仕方ないのでクリーニングロットを銃身から抜き出し、簡単に駆動部分の点検をして清掃を終わりにする事にした。

 こんな日だ。のこのこと狩に行く気は起きないし、何よりこんな気持ちじゃ何も狩れないだろう。



「と、言ってもやる事がな……。弾丸の鋳造も集中力がいるし、火薬の精製もな……」

「かやく?」



 首をかしげるミューロンに「あの黒い粉」と伝えると露骨に嫌な顔をされた。



「あ、そうだ。硝石をかき混ぜよう。あれなら頭使わないし」

「え? あの臭い小屋に行くの?」

「臭いって言うなし」



 実は森の際にある古びた小屋を硝石小屋にしてしまっているのだ。元々、そこはうちの物置だったのだが、流行り病が出た際にそこを隔離病棟として使っていたため住む者も置く物も無い状態が続いていた。だから俺はそこの床を剥ぎ、黒色火薬の原材料となる硝石を製造場にしてしまった。



「苦節三年……。やっと出来上がった代物なんだぞ。そんな汚い物を見るような目で見ないでくれ」

「いや、嬉々と汚物をあの小屋に運んでいるんだからそう見たくなるわよ。それも村中に押しかけて。

 おじさん泣いて居たからね」



 哀れみ。憐憫。かわいそうな人を見るような視線にさらされて俺は顔をそむける。

 いや、父上が泣いていたのも知っている。夜、トイレに目が覚めた時に「あぁ育て方を間違ってしまった。どうしよう母さん」と天の国に居る母に向かって泣いていた父を思い出すと心が折れそうになる。

 あぁ、もっと弓の腕を磨いて銃が必要ないくらいの腕前に成っていればと後悔が過る。



「で、でも夢だったんだ。いや、確かに硝石くらい街に行けば売ってるさ! でもさ、やってみたかったんだ。せっかくだから自分で作ってみたかったんだ!」



 だが、クソを見る様な視線には耐えきれない。その視線から逃げる様にその小屋に行こうとして外に出ると、ちょうど村の中心に荷車が入って来る所だった。

 前世で言う所の大八車のような簡易なそれには筵がかけてある。

 それを見た瞬間、嫌な予感がした。


 荷車を引いて来る汚れたチェーンメイルを身に着けたドワーフの沈痛な顔。荷車を押す人間――いや、狼耳が生えているのを見るにワーウルフ族か――の戦士は片足を引きずっている。ハーフ・アーマーにべっとりとした血痕を染み込ませたケンタウロスは頭に巻いた包帯をどす黒い血が染めていた。

 どう考えても昨日、父上の言っていた戦に赴いた人達だろう。



「……お前、ロートスか?」



 そう声をかけて来たドワーフには見覚えがあった。確かハミッシュの親父さんだ。

 彼は目を伏せて筵に視線を送る。

 その筵にはちょうど人が寝ているような、そんな盛り上がりがあった。口の中が干上がる。体が凍る。



「どうしたの?」



 やっとの事で振り返ればちょうど凍り付くミューロンを見ることが出来た。彼女は俺と荷車を見るや、「……あッ」とガラスが軋むような声を漏らし、両足が地面に崩れ落ちそうになる。その瞬間、彼女の手を取れたのは我ながらに奇跡に近かった。

 そしてゆっくりとハミッシュの親父さんに向き直ると、彼は小さく首を振った。その隣に控えるケンタウロスは「彼は勇敢な戦士だった」と絞り出すように言う。



「すまない。帝国の連中の攻撃が激しくて、連れ戻せたのはこの方だけだ」



 ワーウルフ族の戦士が深々と頭を下げた。確か、彼の一族は狼のように鋭い眼光をした戦士の一族だと聞いていたが、その眼には深い悲しみしか宿っていない。その意味が胃の腑に落ちた瞬間、体が凍り付いたのかと錯覚に陥った。



「立派な最期だった」



 俺はその馬車に走り寄り、筵を引きはがす。

 戦装束こそ昨日見たそれだが、一晩でそれは様変わりしていた。

 ズタズタに破れ、矢が刺さり、そして――。



「エルフの戦装束だったからこの村に連れて来たのだが、確証が取れない。なんたってが無いのだから」



 ぽっかりと開いたそのスペースに俺は吸い込まれるようにそれを見つめた。

 そしてその首なしの手を握れば確信が得られた。



「……父上の、手です」



 思ったより弱々しい声が漏れる。

 確かに俺はこの父とは十五年しか暮らしていない。前世の親と過ごした日々の方がまだ永い。だが、それでも俺の中にぽっかりと空いたこの穴をどうしろと言うのだろう。

 手足の凍るような空虚感をどうしたら良いのだろう。

 父の冷たい手に触れ、喪失してしまったものの大きさに俺の思考は完全に止まった。

 だが、そんな凍った俺を溶かす様に温かい手が重ねられた。父上の冷たさを感じるせいか、手に伝わるその温もりに涙が頬を伝う。



「……ありがとう、ミューロン」



 彼女は何も言わず、ただ黙って手を重ねてくれる。それが無性に嬉しかった。

 だが、現状は俺達を待ってくれはしない。

 ワーウルフ族の戦士が申し訳なさそうに口を開いた。



「すぐに帝国軍が進軍してくる。お父上の事は残念だが、今は悲しみ暮れている時間は無いぞ」

「馬が来たぞ!」



 村人の声。にわかに動揺が広がっていく。

 俺は目に貯まった物が無いよう、強引にそれを拭う。



「取りあえずうちの中に! 見つかったら事です」

「かたじけない。だが、くれぐれも早まった行動はとってくれるな」



 最後にワーウルフ族の戦士が俺に耳打ちして家の中に飛び込んでいく。

 戦える村人はまだ居るだろう。だが、それは所詮雑兵の域を出ない。対して敵は数も知れない軍だ。下手な対応をすれば虐殺の嵐が吹き荒れるかもしれない。


 そう考えているうちに十騎が村に駆け込んできた。もちろんエフタルの騎士では無いようだ。

 彼らは手に長槍を持ち、威圧するように村の中をかけて行く。

 砂埃が舞い、馬に蹴られた木桶が悲鳴を上げる。

 そんな威圧の後、村の中央に立った一層煌びやかな鎧を着こんだ人間の騎士が声を張り上げる。



「我は栄えあるサヴィオン帝国西方鎮定軍第二軍総大将であらせられるネイア・デル・サヴィオン姫殿下直属の東方辺境騎士団である。

 西方蛮族共に姫殿下より勅が出された。しかと我の言葉を聞くが良い!!」



 偉ぶった言い方をする騎士の言葉を要約すれば、すでにエフタルの軍は壊滅したので帝国の支配を甘んじて受ける様にとの事だ。



「して長はどいつだ?」



 その言葉に応えるエルフは居ない。誰もが押し黙って事の成り行きを見守っていると言って良い。

 それに村の方針を決めるべき村長はすでに居ないのだ。俺だってどうして良いか分からない。



「誰だ!!」

「……死にました。昨日の戦で」



 やっとの事で絞り出した言葉にその騎士は声の主たる俺を睨んだ。かぽかぽと呑気な蹄の音を響かせながら俺の近くに歩み寄ると手にした長槍を俺に向けて来た。その鋭い殺気に思わず一歩引き下がる。



「その死骸が長のものか?」



 それに小さく頷く。すると槍の穂先が天を向き、高らかに笑いだす貴族。



「なら俺様が長をしてやろうか! アッハハハ!!」



 下卑た笑いに嫌悪感が募る。だが、騎士はそんな事お構いなしと言う様に従者と思わしき他の騎士達に命令を下していく。

 どうやら斥候らしく、本隊に伝令を送るつもりのようだ。

 そして四騎ほどがかけて行くと眼前の騎士が巧みに馬から飛び降りた。



「エルフってのは美形ぞろいだな」



 ツカツカと歩み寄って来たかと思えば俺の後ろに居たミューロンの顎を遠慮なしにつかみかかった。



「きゃ!」

「はッ! 可愛い悲鳴だな」

「隊長、俺達にもちゃんとヤらせてくださいよ」

「うるせ! 他にも顔の良い奴はごろごろしてるだろ」



 その言葉に顔色が変わる。誰がとは言わない。いや、それは村中なのかもしれない。

 思わずミューロンを掴んでいる騎士の肩に手をかける。すると彼は容赦なく右ストレートを俺に叩き込んできた。

 眼前に火花が散ると言うのは都市伝説じゃ無かったのか。



「貴様! 俺様に触れるとはどういう了見だ! 良いか! 我らに手を出すと言う事は西方鎮定軍に手を出すと言う事だ。その意味が分かるな? 俺様達の手にかかればこんな村、日が沈むまでには跡形も無く消し炭にすることなど容易なのだぞ」



 明滅する視界の中、その言葉に冷たい思いが広がって来る。確かに村の事を考えれば迂闊な行動など取らない方が良いに決まっているのだ。

 ふと、馬車の上に横たわる父を見る。この村を守るために戦に出て死んだ父を見る。

 それこそアルツアルに征服されたエフタルの民ではあるが、自治権を認められ、緩やかな統治の下、穏やか暮らしてこれた。それが人間至上主義のサヴィオン帝国に支配されるようになればどうなるか明白だ。

 それを少しでもアルツアル時代と同じ待遇を受け入れられるようにするなら、ここは引き下がるべきだ。

 だが――。



「その手を放せ!!」



 手にしていた銃の銃床ストックで騎士の後頭部を強打する。

 兜を被っていないおかげで吸い込まれるようにストックは騎士の後頭部に直撃。それでもまだ動きがあったのでさらにストックで殴りつける。

 ふと、我に返ると周囲の村人も騎士の従者達も俺を凝視するばかりで誰も動かない。

 その中で従者の一人が「お、お前!!」と素っ頓狂な声を上げた。



「わ、我らを東方辺境騎士団の者と知っての狼藉か! その罪は重いぞ!」



 下馬していた従者の腰から凶刃が抜かれる。

 直剣が鈍く太陽の光を反射し、ギラリと俺を睨みつけた。



「死ね!!」



 その声と同時に走り出す。どっちに? それは従者とは反対の方向に。

 全力で家の中に飛び込むと中で息を潜めていた三人が険しい顔で俺を見ていた。



「早まるなと言ったろうに……!」

「始まっちまったもんは仕方ない。やるぞ」

「ロートス! 男を見せたな! ガハハ!!」



 三者の言葉に面食らうが、最後にハミッシュの親父さんが「やるんだな?」と念を押して来た。

 俺はそれに頷くと部屋の隅に吊られている革製のポーチを掴み、その中から油紙に包まれたカートリッジを取り出す。

 手早くそれを噛みちぎり、中に収められた黒色火薬を少量、銃の火皿に移して火蓋兼当たり金フリズンを閉める。残った火薬を銃口から中に注ぎいれ、最後に油紙ごと円形の弾丸を押し込み、銃身下に取り付けてある込め矢カルカで無理やり奥に詰めていく。



「逃げても無駄だ!!」



 血走った眼の従者が扉を蹴り破って来る。

 暗い屋内でも白銀に光るプレイトメイルが腰を低くして刺突の構えを取る。せまい室内なのだから大ぶりな斬撃を繰り出せないとの判断だろう。

 短い呼吸と共に裂帛の掛け声。そして鋭い一撃が俺に向かってくる。



「あぶね!」



 みっともなく床に転げてその一撃を回避。無理な姿勢のまま、さらに何度か込め矢カルカで弾丸を奥に送り込む。そうしているうちに従者が空振りから再び刺突の構えを取る。



「今度こそ後悔しながら死ぬがいい!!」

「うるせー!!」



 込め矢カルカを投げ捨て、撃鉄を起こす。後は引鉄に力を加えればバネの力で撃鉄が当たり金にあたって火花が散る。それが火皿の火薬を通して薬室の火薬に引火。生き物から命を奪う凶弾を吐き出せる。


 そう、命を奪える。

 そう考えた瞬間、俺の中で時の流れが遅く、粘りつくように動き出す。従者の動く様がコマ送りのように止まって見えた。


 今、銃を撃てば確実に命中出来ると言う確信の下、引鉄に添えた人差し指に力を籠める。

 だが、指は石のように動かない。

 そうしている間にも騎士の緩やかな刺突が迫る。それを助けようと従者の背後から手斧を振りかぶったハミッシュの親父さんが動く。

 その時、玄関からミューロンの叫び声が聞こえた。



「ロートス!!」



 間延びしていた時間が加速する。本来あるべき時間に戻った従者の刺突が俺に繰り出される。

 親父さんの一撃が空を切った。

 俺はその光景を他人事のように眺め、鋭い切っ先の剣が胸に届くのを見ていた。見たまま、引鉄に力を入れた。

 轟音と白煙が吐き出され、銃口から飛び出した殺意が従者のプレイトメイルを貫き、その下にある柔らかい肉に喰らいつく。

 その反動で俺に迫っていた刺突は押し返され、従者が盛大に吹き飛んだ。

 鼻をくすぐる硝煙の香りと血の臭い。それがあまりにも現実離れしているなと他人事のように思えた。



「ぼさっとするな! 残りを片づけるぞ!!」



 ケンタウロスが足を引きずりながら飛び出して行く。それに続いてハミッシュの親父さんが手斧を持ったまま出ていく。

 そして逆にミューロンが俺の下に飛び込んできた。



「バカ! なにやってるの! もう少しで死んじゃう所だったじゃない!!」



 我に帰れば薄煙を上げる銃口と鎧の隙間から深紅の血が流れ出す従者。俺に泣きすがる幼馴染。そして俺に手を差し出して来たワーウルフ族の戦士。



「………………」



 無言でその手に引き起こされると、彼は小さくも嫌の籠った声で「死にたかったのか?」と詰問してきた。



「躊躇うな。躊躇えば、死ぬぞ」



 そう言うや、ワーウルフ族の戦士は外に駆けて行った。

 そして俺達はただ、冷たくなっていく従者を見ながら動けないでいた。

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