戦火の猟兵 転生そして異世界へ

べりや

第1話 転生、そして異世界へ

「さむッ」



 北風が頬を刺す。空はどんよりと鉛色。天気予報も朝から晩まで曇りか雨との事で家族も俺の外出に難色を示していた。

 だがそれでも今日、この日はどうしても外に出なければならなかった。この二月十五日を逃すと俺は来年度の生き甲斐を失うと言っても過言ではない状態なのだ。故にこんな悪天候でも俺はめげずに湿地帯を歩く。



「くそ、営業部は何があってもゆるさん」



 そもそもなんで今日、出かけているのかと言えば全てはあのヘラヘラと笑っていた同僚が悪い。

 納期一週間前に「ごめん、取引先が仕様変更してって言ってきたから受けちゃった」とてへペロして来た時はあいつの眉間に実包だんがんを叩き込みたくなったほどだ。

 そのせいで休みはおじゃん。笑顔の仮面をかぶってキーボードを叩きに叩き、なんとか仕事を終えて意気揚々と有給を申請した。の、だが別の案件が舞い込み、それを終えてもまた――。

 そんな無限ループまがいの暮らしをしていたらいつの間にか年が明けて二月も半ばになってしまっていた。


 許せん。絶対にあいつら許せん。

 奇跡的に取れたこの休みを無駄にしてなるものか。そうだ! 携帯の電源も切っておこう。これで電話がかかってきても気づかないな。うん。気づかなければ仕方ないよな! うんうん。


 そう、今日のような特別の日だけは誰にも邪魔されずに過ごしたいのだ。

 そう思いつつ真ん中から二つに折った上下二連式の散弾銃を担ぎなおす。ベレッタ社製のそれは定価三十万と重量以上の重みをもって肩に食い込んでくる。

 まぁ中古で三万だったのは秘密だ。最近は猟友会に入っている方の高齢化で銃を手放す人が多く、高価なモデルも中古で安く転がっているのだ。

 だが、問題は定価だ。三十万の重みを噛みしめつつ足場に注意して進む。



「雉かカモは絶対に捕らえる」



 ズンズンと枯れた葦をかき分け、冷たい湿地を進む。

 家族からしたら「なんでこんな寒空の下に猟に行くのか?」と言われる。いや、今日いかないと猟期が終わっちゃうのよ。今日を過ぎても狩猟してると狩猟免許を剥奪されるの。

 まぁ、罠猟とかの場合はセーフだけど鉄砲を用いるとね、鳥獣保護法とか、動物愛護条例とかに触れちゃうのよね。すると苦労して取得した銃の許可証を剥奪されてしまう。


 だから法令を遵守して唯一の趣味と言って良い狩猟をして命の洗濯をしなければならないのだ。そうで無ければ来年度まで狩猟はおわずけとなり、生きる希望が持てない。



「ん?」



 む、気配。

 空を見上げると一羽のカモが羽ばたいていた。あれなら行けるか。

 散弾銃を肩から下ろし、上下に並んだ薬室に赤い実包を装填。銃身を押し上げて銃身をロック。

 周囲に人影が無いことを確認して銃を構える。

 カモの飛ぶ少し先を狙い、撃つ。耳をつんざく銃声。ハズレ。

 そのまま狙いを調整してさらに撃つ。銃口から吐き出された鉛弾が網を広げるようにカモを包み込んだ。命中。

 グラリと傾いたカモが地面に落下していく。



「あっちか」



 猟犬が居れば落ちた鳥を探しに行ってくれるのだが、あいにくそんな相棒は居ない。

 調教するのも手間だし、残業楽しいデスな生活を送っていると犬を飼う余裕と時間もないし、俺の趣味のために家族に犬を飼ってくれとも言えない。

 だから撃ち落とした獲物は自力で探さねばならないのだ。

 葦をかき分け、泥に滑り。そうしてやっと先ほど撃ったカモ見つけた。

 泥にまみれ、冷たくなり、生から離れたモノ。


 そっと手を合わしてから血抜きにかかる。

 手を合わせた所で己の行いが殺生以外の何者でもない事に代わりはないし、正当化するつもりもない。

 だが、それでも獲物には礼を尽くさねばならないと言うのが俺の哲学だった。



「必ずお前を食うからな」



 せめて、俺の血肉となって来年度の俺を支えてくれと思いながら血を抜き、立ち上がる。

 しゃがんで作業していたせいで立ちくらみを覚え、足下がフワリとした。

 その時、一陣の風が通り抜けて被っていたオレンジ色の帽子がテイクオフした。



「あ! 三千円が!?」



 誤射を防ぐための帽子だってタダって訳では無いのだ。

 本来なら二千円(それでも高い)の物に猟友会のロゴが刺繍された無駄プレミアム仕様のそれを再度買いたくないと言うのもあるが、今日は猟友会のベスト(誤射防止のためオレンジの奴)を忘れてしまったため、絶賛目立たない格好になっている。そんな状態で猟場を歩くのは精神的によろしくない。

 先ほどのカモを拾い上げ、葦をかき分けて帽子を探す。まだ天を見上げればフワリと舞う帽子が見える。それを追って走る。葦をかき分け、泥を踏みしめながら追う。


 その時、ドンと腹に響く銃声がし、思わず仰向けに倒れてしまった。

 ははは。まったく、銃声で倒れるとか、俺は何をやっているんだ。

 あれ? 起きあがれない。胸から赤い液体が流れている。

 がさがさと藪をかき分ける音と共に「うあ! 人だった!?」と慌てた声が遠くに聞こえた。


 そうか、俺、誤射されたんだ。

 目立たない恰好だったし、それで藪が動いたからこの人は反射的に……。



「きゅ、救急車……」



 鉛のように重い腕でポケットを探り、携帯を取り出す。だが、その液晶は黒いまま。



「電源……」



 会社から電話がかかってきても出ない様にするために切っていた携帯では救急車を呼べない。



「だ、大丈夫ですか!? しっかりして! 死なないで!!」



 ははは、そんな、死ぬわけ無いじゃないですか。救急車が、くれ……。

 あれ? 視界か黒……。何も……えない。

 音も……。さむ……。……ぬのか。

 カモ……。くい……。


 ◇


 静寂が広がる寒々しい森の中。

 俺は足音を消してそこを駆けていた。

 人の手で管理されていない森と言うのははっきり言って混沌としている。

 クマザサに似た下草のせいで足元が悪いし、間伐もされていないから夜が明けたと言うのにまだ薄らと闇が残っている。

 永くその場に留まりたいとは思えないと言うのが俺の感想だ。


 だがその感想とは裏腹に俺は巧みに木々の間を走り、本能で足場を探し出して森の中を移動して行く。

 人間だったら絶対に怪我するな、と言う感想を抱きつつ止まる。何か居る。

 だいたい、二十メートルほど先の茂みが揺れた。そこを観察していると茶色い体毛に覆われたウサギがピョンと飛び出して来た。


 背負っていた筒――ライフル銃を両手で握り、肩掛けにしたポーチから葉巻のような形のカートリッジを取り出す。油紙で出来たそれを噛みちぎりながら火打石を組み込んだ撃鉄を半分だけ引き起こし、カートリッジの中に収めた黒色火薬を火皿に振りまく。そして火蓋をして残った火薬を銃口から全て流し込み、最後に椎の実のような弾丸を押し込む。

 そして銃身下に取り付けられた込め矢カルカで弾丸をついてやる。これはあまりやり過ぎると鉛の弾丸が変形して直進性を失うのでほどほどに。

 そして込め矢カルカを戻してウサギに狙いを付ける。慣れたものでものの二十秒もあれば一連の動作が出来るようになった事に苦笑しつつ半分だけ上げた撃鉄を最後まで引き起こす。これで射撃準備完了。


「悪く思うなよ」



 木に銃身をくっつけ、それを左手で支えながら足を肩幅に広げる。そして息を少し吸って、止める。

 意外かもしれないが、人間はピタリと止まって居られないのだ。

 立っているだけでもバランスを取るために揺れているし、生きるために心臓は脈打つ。普段は気にかからない些細な動きでも精密射撃においては致命的に成りえる。

 それを学んだ大学生活だった。その経験がまさか来世で生きると、誰が思ったろうか。

 そんな事を頭の隅において銃口をウサギに向け、引鉄にゆっくり力を加える。すると勢いよく撃鉄が火皿に叩きつけられ、火花を散らす。そして轟音と白煙。

 撃鉄が落ちた衝撃で狙いがグラリと揺れたが、それでも弾丸は得物に突き刺さり、温かい鮮血をぶちまけさせた。

 恐る恐る近づくと派手に首の肉を削がれたウサギが痙攣していた。それに持っていた小刀で留め刺し、静かに手を合わせる。

 食うためとは言え、許してくれ。



「あ、あの音やっぱりロートスだったの?」



 鈴のなるような綺麗な声に振り向けばそこには美少女が居た。

 暗い森の中でも輝きを失せない金の髪。深い湖のような碧の瞳。そして白磁を思わせるきめ細やかなその肌。



「ミューロン、獲れたぞ」



 そう自慢げにウサギを指さすと彼女は複雑そうに眉を潜めて「矢じゃないじゃない」と不満を漏らす。

 だが彼女はすぐに俺の隣に歩み寄ると、ウサギに向かって小さく祝詞を捧げる。そして彼女は鋭い・・耳にかかった金糸をかき上げた。

 そう、ロートスもミューロンも人間では無い。エルフなのだ。



「ロートスってよく両手を合わせているけど、なんで?」

「え? いや、才能ってやつ?」



 言葉を濁しつつ先ほど小さな命を奪った小刀でまずウサギの腹部を切り裂く。すると真っ赤な内臓が姿を現す。それをかきだし、体の真ん中を通る動脈を切って血抜きを行う。テキパキと手を動かすのは獲物の味を落とさないためと言うのもあるが、合掌の理由をミューロンに突っ込まれたくないからだった。



「ドワーフの武器を使うのは良いけど、なんで弓じゃないの? おじさんが悲しむよ」

「いや、これはマジで使い勝手が良い! 弓なんかよりも格段にさ。そうだ、ミューロンの分も作ろうか?」



 この世界の文明レベルはぶっちゃけ中世のそれだ。そのせいか、火器の普及はそれほどでは無い。

 もっとも前世での中世だとそれなりに火器は普及し始めている。だが、この世界では火器の姿は見られない。つまり銃が存在しなかった(少なくとも俺の知っている限り)。



「いらないわよ。鉄の塊だし、それに――」

「それに? あ、もしかしてドワーフ差別か?」



 ミューロンを含め大多数のエルフは俺の発明した火器に否定的だ。

 それはエルフと言う種族が鉄を嫌い、ドワーフを嫌っていると言うのもある。もっとも古典的なエルフはと付け加えねばならないが。

 確かにエルフは他種族――とりわけドワーフ族を嫌っていたのだが、それも昔の話。

 エルフを始めドワーフも他の種族も今は人間によって支配されるようになってこの地の先住種の生活は一変した。今まで物々交換が主だった生活に貨幣経済が導入され、村に閉じこもっているだけでは衰退を免れない状態になったのだ。

 そのせいで都に交易しに行ったり、逆に行商がやってきたりする。そうするうちに今まで関わり合いの無かった他種族との交流も生まれ、昔のように他種族を嫌う風潮もだいぶ無くなってきた。



「ハミッシュの奴は良い奴だぞ。ドワーフだからって差別するのは良くない」

「わたしも会った事あるから言うけど、確かにハミッシュさんは良い人よ。それに、それが嫌なのはハミッシュさんのせいじゃないし」



 それじゃなんのせいだと言うのだろうか。

 首を捻りつつ小刀を一振りして血を落とし、ボロ布で拭いてから鞘に戻す。ミューロンが銃に関する反対意見を述べきっていないような気もするが、早く帰らないと日が暮れてしまう。



「【水よ、我が呼びかけに応えよ】」



 その言葉に合わせて周囲の魔素が青く輝く。それに魔力を注ぎ、魔法式ことばを組み立てていく。



「【湧き水アクア】」



 周囲の魔素が魔法式を通して水へと姿を変え、それがウサギの体の中を洗う。

 これがこの世界の魔法。

 ぶっちゃけ質量保存の法則とかどうなってるんだろうと思惑も無いが、考えない、考えない。そもそも文系の俺にそんな理系の話は通じないので知らないで置くことにしている。

 それにしても魔法と言うのは便利だ。便利だが、ぶっちゃけこんな小規模な事しかできない。そりゃ、高価な魔具を使えばもっと魔法も使えるのだろうが、そんな金は無いし、この程度で十分。



「さて、戻るか」

「いつも思うけど、手際が良いよね、ロートスは。これで弓が上手ければモテただろうに」



 うるさい事を。

 てか、エルフとして生まれ変わったおかげで顔面偏差値は大幅に向上している。だが、エルフにとって必須ステータスである弓が俺は絶望的にへたくそだった。


 ――あぁかみさま! なんて仕打ちをなさるんですか!?

 せっかく転生したと言うのにやっぱりモテないんですか!? 前世だと会社の同僚と付き合ってベッドイン手前までこぎ着けた所で俺の趣味が露顕して破局した俺になんたる仕打ちか!


 まぁ、この風習を冷静に観察すると、獲物が取れないと家族を養えないと言う事に直結するせいだろうと言う答えを導き出せる。

 こんな余計な事を決めた祖先を恨まないはずがない。絶対に許さないからな! ご先祖様!!



「ねぇ、そんな顔しないでよ」

「させたのは誰だ。お前、ウサギ食わさないぞ」



 ミューロンの家は流行り病で三年前に両親が他界している。そのため近所であり、村長であるうちが彼女の面倒を見ていた。と、言っても彼女ももう十五である。そろそろ独り立ちの頃なのだろうと思うと僅かながら寂しさを覚える。



「ご、ごめんって」

「いや、許さないね。そうだ。今夜は骨ごとウサギを刻んで肉団子にしよう。それを汁物にして熱々に煮たてて食ってしまおう。

 肉の臭みは香草で消して、そんで塩で煮ればあっさとした出汁が出来るから、飯が進むだろうな。

そんで余ったのは雑炊にして明日食おう。そうすりゃ無駄が無いし、うま味の残った汁を米が吸収して最後まで美味い。

 いや、残念だな。そんな美味い飯を食わせられなくて。いや、ほんと――」



 ミューロンの碧の瞳一杯に涙が貯まっていた。今にも決壊しそうなほど。だから言葉が止まってしまった。



「いや、その、嘘だって。ほら、早く帰ろうぜ」

「……う、うん」



 喋ると目じりの物が溢れそうなのか、言葉少なにミューロンは俺の跡について来た。

 そう言えば、よく彼女は俺の背後について来る。森に木の実を取に行くとき。街に買い出しに行くとき。そして今も。

 その距離感が程よく、心が安らぐ。

 転生して良かったと思える瞬間だ。

 前世だと納期に追われ、上司の無茶ぶりに辟易し、やはり心休まる時は日常には存在しなかった。

 非日常――と、言って良いのか定かではないが、荒れた日々を癒してくれたのは狩の時だった。

 獲物との真剣な勝負に俺は一喜一憂し、命の大切さを学んだ。そして己の手にしている銃がその命をいとも簡単に奪える道具である事を身を持って知った。

 それでも俺は銃を手にしてしまう。



「業なのかな」

「ゴウ……?」

「いや、何でもない」



 だが、今はこの暮らしを気に入っている。

 もちろん獲物が取れずにひもじい思いをした事もある。楽ばかりではないが、それでもブラック企業に勤めていた前世では味わえなかった日々を送っている。

 通勤の傍らに読んでいたネット小説では内政とかやって成り上がっていく話があったが、そんなものは必要ない。

 不便ではあるが、充実した毎日を送っている。


 今は、それで良いと思う。

 幼馴染とゆっくり暮らし、父上と笑いあって暮らせる今が。

 それに密かに感謝を捧げつつ、深い森に囲まれた村に戻ると、何故か空気がピリピリしている。



「帰ったかロートス!」

「父上? どうしたのですか? それにその恰好……」



 村長をしている父の姿はまるで戦装束だった。いや、それそのものだ。

 革鎧に短弓……。軽装ではあるが、深い森の中を疾風迅雷のごとき速さで駆けられるエルフにとって利に叶った装備。



「戦ですか?」

「あぁ。さっき、辺境伯様からの遣いが来た。サヴィオン帝国は知っているな?」

「えぇ。街でも噂でしたので」



 東の盟主サヴィオン帝国は人間至上主義を掲げる大帝国だ。最近はよくエフタル公国とアルツアル王国の国境で小競り合いをしていると聞いていた。



「いよいよ開戦だ」

「エフタルがですか?」

「エフタルもそうだが、帝国がアルツアルに宣戦布告をしたようだ。エフタルは盟約にのっとってこの戦に助力しなくてはならない。知っているな?」



 アルツアル王国。それは人やその他の種族の者達が団結して作り上げた反帝国を基盤とする国である。

 だが、その団結に加わらなかった者達もいた。それが俺達のご先祖様――エフタルの先住種達だ。誰かの支配を受ける事を潔しとしない生き方は好感が持てるが、王国の膨張政策を受けて戦争となり、それに負けて王国に併呑されてしまった。

 それでも抵抗心が強いこの地には特別に自治権が与えられ、王国の属国と言う立ち位置にある。

 そのためいざ、本国のアルツアルが開戦を宣言するならばそれに応えなければならない。



「それじゃ、俺も……」

「ハッハハ。その意気ごみは嬉しくあるが、そんな情けない顔をして言うな。なに、徴用は村に五人だけだ。私達が行ってくるから留守を守っていてくれ」

「でも――」



 すでに俺も十五歳だ。確かに戦場に出るのは怖い。それでも村のために戦わなくてはならないのなら、俺はそうしたい。

 それこそ前世のテレビで見ていた少年兵の姿に「かわいそうに」とは思っていた。だが、この世界で暮らして十五年。前世とは違う道徳観の元に育てられた身として、戦って村を守りたいと言う想いも育っている。



「そうだな。だが、お前は弓がへたすぎる。矢が当たらいんじゃな」

「それでも俺には銃があります。これなら――」

「ロートス。確かに最近のお前は猟が上手くなった。その上で戦に行きたいと言ってくれて、エルフの男になってくれたのだと思うと、本当に嬉しい」

「父上……」

「だが、今はその時じゃない。それに大事なのはその勇気の炎を消さない事だ」



 俺はそんな父さんに何も言えなかった。ただ、優しく頭を撫でてくれる大きな手の温かさに震えそうだった。



「明日戻る。それじゃ――」



 そうして村の戦士を送り出した。

 そして誰も帰ってこなかった。

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