69 俺の意思じゃないですから!2

 長年タクシーの運転手をしていると、色々と不思議な偶然に出くわすものだ。岩永はハンドルを握りながら、バックミラー越しに後部座席へ目をやった。

 そこには数時間前にも岩永が運転するタクシーに乗った男が、さっきと同じ場所に座っている。


 男は先ほど、大きめの箱を大切そうに膝に乗せ、ツッコミどころ満載なのにどこから突っ込めばいいのか悩む類の独り言を喋っていた。

 だが今度は一人ではなく、何やら着ぐるみのようなものを着せられた少年を連れている。


「夏樹、大丈夫か? あと少し我慢してくれ」


 そう言われた着ぐるみ少年は、ぐったりとしたまま荒い呼吸を繰り返すばかりで男の問いかけに答えない。


(大丈夫なんだろうか)


 変に関わり合うなと頭の隅でもう一人の岩永が制止している。だが、自分の娘と変わらない年頃の子供が具合悪そうにしているのを、見過ごすなんて岩永にはできない。

 岩永は頭の隅で止めろと訴えているもう一人の自分を無視して、後部座席の男に声をかけた。


「具合でも悪いんですか?」

「――ああ、ちょっとな」


 男は着ぐるみ少年を見つめたまま、優しげな手つきで少年の頬を撫でている。その様子から、岩永は彼と少年との間に強い絆のようなものを感じ取った。

 もしかしたら親子なのかもしれない。そうだとしたら、少年は男がかなり若い頃の子供になる。


(若いうちから苦労しているんだなあ……)


 男――久志の境遇を想像する岩永の目にうっすらと涙が浮かぶ。

 年のせいだろうか。岩永は最近、すっかり涙もろくなってしまっていた。


「あの、夜間診療をしている病院に向かいましょうか?」

「いや、大丈夫だ。そのまま自宅へ向かう」

「はあ……」


 子供は急に容態が変わることがある。今は大丈夫なようでも、深夜にいきなり高熱になることもあるのだ。

 岩永が心配していることを察したのか、顔を上げた久志とミラー越しに目が合った。


「しばらくしたら落ち着くはずだ。それまでは私の手で何とかしてやりたいんだ」

「そうですか、わかりました。えっと……では、申し訳ないんですが二、三分お時間をいただいてもいいでしょうか?」

「――かまわないが?」


 久志から了承を得ると、岩永はアクセルを踏む足に力を入れ、車のスピードを上げた。


「――ここは?」

「すぐに戻りますので、少し待っていただけますか?」


 途中で見つけたコンビニへ入ると、岩永は後ろを振り返りながらシートベルトを外した。


「構わないが……店に入るなら、コーヒーゼリーを買ってきてくれないか? 代金は後で払う」

「コーヒーゼリー、ですか」

「ああ。夏樹の好物なんだ。元気になったら食べさせてやりたい」


 着ぐるみ少年は夏樹という名前らしい。


(子供が元気になったら食べさせたいだなんて、いい父親なんだな)


 岩永の中では久志と夏樹の関係は親子ということで落ち着いたようだ。


「わかりました。お父さんは? 欲しいものはありますか? 一緒に買ってきますよ」

「――父? いや、分からないが、特に欲しいものはないと思う」

「そうですか。では、行ってきますので」


 そう言うと、岩永はコンビニへと駆け込んでいった。


「父? あの運転手は父の知り合いなのか?」


 早々に買い物を終わらせてレジに並んでいる岩永のことを、タクシーの中から眺めながら久志は首を傾げた。


「久志さん」 

「ん、どうした? 気分が悪くなってきたのか?」

「熱い、熱いです……これ……脱がせて……」

「夏樹」


 久志にもたれかかった夏樹が、喘ぎながら着ぐるみの胸元を引っ張った。


「久志さん……熱い……っ」

「夏樹、もうちょっと我慢してくれ」


 脱がせて欲しいと夏樹は訴えているが、こんなところで肌を晒させるわけにはいかない。どこで誰が見ているかもわからないのに、また変な輩に目でもつけられたら大変だ。


「夏樹」

「熱が上がってきたみたいですね、これを」


 コンビニから戻ってきた岩永が冷却シートを差し出した。


「お父さんも心配かもしれませんが、子供は良くなるのも早いですから」

「……? ああ、すまない。ありがとう」


 岩永が手際よく夏樹の額へ冷却シートを貼り付ける。


「…………んっ」

「お子さん、可愛らしいですね。少しでも楽になるといいのですが」

「子供? 私たちの間にはまだ子供はいないが」

「そうですか、お二人目はまだ……でも兄弟がいるのもいいものですよ。うちは娘が一人で……って、急がないといけませんでしたね」


 岩永が運転席へ着くと静かに車は走り出した。

 久志が隣へ目を向ける。冷却シートのおかげで落ち着いたのか、夏樹は静かに目を閉じていた。

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