46 頑張る男と伝わらない気持ち5

 アルコールを取り上げられしまった夏樹は、料理を食べるふりをしながら隣に座る山下のことを横目でちらりと見た。

 偶然目があった山下が夏樹にニコリと笑いかける。


(ほんと山下っていいやつだよな)


 まだ営業課へ籍を置いていた頃、夏樹は何となく山下のことが苦手だった。

 先日、偶然山下の部屋を訪れることがあり、あまり気は進まなかったが山下からの強引な誘いに流されるように乗ってしまった。

 部屋へ入ってからも一応警戒はしていたが、山下が夏樹にこれといってどうこうすることはなく、それよりも仕事に対してとてもやる気を見せる山下に夏樹は感心し、彼のことを見直した。

 実際、最近の山下は仕事で目に見える結果をきちんと出している。

 夏樹は頑張って結果を出している山下の話を人伝で聞くたびに、自分も見習わないといけないなあと思っていた。


「何? 松本くん」

「――いや、何でも」


 目が合ったままじっと見つめる夏樹に、山下が首を傾げる。


「おおっ!? 夏樹、もしかして浮気か?」


 二人の仲の良さそうな雰囲気を修一がからかう。


「なっ……浮気!? 何でそうなるんだよ!」

「夏樹? いくら彼氏に放っておかれてるからって、浮気はダメだぞ」

「だから彼氏じゃないって」

「でも、好きじゃーん」

「修一っ!」


 山下もいるのに、修一は何を言い出すのか。


「今村くん、結構飲んだみたいだね」


 そう言って山下が修一の前を指差す。

 夏樹にはもう飲むなと言っておきながら、修一の前には空のグラスがいくつも並んでいる。

 しょうがないねと言いながら苦笑いをする山下の様子から、修一の発言は酔ってふざけたものだと思ったようだ。


「どうする? 今村くん、だいぶん酔ってるみたいだし、そろそろお開きにしようか」


 テーブルを回って、すでにぐでんぐでんに酔っている修一を、山下が介抱する。


「ここからだと今村くんの家の方が近いから、今日は僕がこのまま今村くんのところに泊まるよ……今村くん? ほら、大丈夫? もう帰るよ」


 もう半分寝てしまっているのか、山下の呼びかけに修一は反応しない。


「あの、山下」

「ごめん、荷物だけ持ってきて」

「あ、うん」


 何もかも山下に任せてしまい、申し訳なくて口を開きかけた夏樹を気に留めず、山下は修一を軽々と担ぎ上げた。

 そのまま当然のように会計を済ませようとする山下へ、さすがにこれはダメだと夏樹が声をかける。


「ちょっと待って山下。支払いは俺がするよ」

「いいよ。実は今日、会社から臨時ボーナスが出てたんだ。だから今日は僕の奢り」

「でも悪いよ」

「今村くんも、今日は最初からそのつもりだったんだ。予定外のボーナスだったし、飲むぞ! 奢れ! ってね」

「……修一」


 ここ数年なかったくらいによい成績をあげた山下に、今日は会社から臨時ボーナスとして金一封が出たそうだ。それを聞きつけた修一が、山下に奢れと迫ったらしい。


「なんかごめん」

「いいよ、気にしないで。仕事もみんなの協力があってのことだし、僕も松本くんとこうやって食事ができて嬉しかったし」


 山下が夏樹にはにかんだように笑いかけた。


「山下?」

「――ね? だから今日は僕の奢りってことで」


 夏樹の返事を待たず、山下はさっさと会計を済ませ店を出て行ってしまった。


「それじゃあここで。駅まで送れなくてごめん」

「そんな……こっちこそ修一を任せてしまってごめん」

「気にしないでいいよ。それじゃあ、また」


 店の前から修一と山下の二人を乗せたタクシーが走り出す。夏樹はタクシーの姿が見えなくなるまで歩道に佇み見送った。


「――さて、俺も帰ろ。終電何時だったけ……っ」


 くるりと方向を変えた夏樹が、誰かにぶつかる。


「すみません……え?」


 ぶつかった人物に謝ろうと顔を上げた夏樹が目を瞠った。


「え、どうし……」


 夏樹の口許がハンカチのようなもので覆われる。

 薬品だろうか、嗅いだことのない頭の痛くなるような臭いに頭がくらりと酩酊する。そのままろくな抵抗もできず、夏樹は目の前に立つ人物の胸元に倒れ込んだ。

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