47 頑張る男と伝わらない気持ち6

「この、脇のところをもう少し広げられるか?」


 久志が茶色い着ぐるみを広げながら言った。

 先日の打ち合わせで袖は少し長め、裾は膝丈に改良されていた。耳と尻尾もなかなかの出来栄えだそうだが、芹澤には以前と同じようにしか見えない。


「そうですね……可能ですが、そうなると体を曲げた時、不自然に広がるんじゃないかなあ」

「ボタンを付けてはどうだろうか」

「……ボタンですか。それならファスナーの方がよくないですか?」


 着ぐるみの脇の部分を野添が人差し指でなぞる。


「なるほど」


 なるほどと言いながらも、野添の提案に久志は今ひとつ納得していないようだ。

 明日からの出張に向けて細かな打ち合わせをしないといけないのに、この男、分かっているのだろうか。

 芹澤はイラつきが表に出ないように、心を落ち着かせゆっくりと口を開いた。


「ボタンでもファスナーでもどちらでもいいじゃないですか。それより久志さん、仕事してください──全く、ポケットくらいどんなでもいいじゃないですか……」

「それだ!!」


 突然、久志が声をあげた。


「はい?」

「ポケットだよ、ポケット。野添くん、ポケットはどうだ?」

「いいですね。隠しポケット……その方面でちょっと考えてみます」


 にわかに盛り上がる久志と野添。

 訳がわからない芹澤は、久志が仕事をしてくれないのももちろんだが、何だか自分ひとりが話題から取り残されたような気がして面白くない。


「久志さ……」

「芹澤、ありがとう! ポケットという発想はなかった」


 久志が嬉しそうに芹澤の方を振り返った。


「芳美の思いついたアイデアを俺が形あるものにする……すばらしいよ! まさに俺と芳美の愛のコラボレーション!」


 そして野添はいつも以上にわけのわからないことを言っている。

 とりあえず野添は無視をする事にして、芹澤は久志に出張に必要な資料を差し出した。


「そちらの着ぐるみ、目処がついたのなら仕事してください」

「そうだな、わかった。野添くん、芹澤の案で進めてくれ。何日くらいかかりそうだ?」

「わかりました。そうですね、ベースは出来ているので一日もあれば」

「案外早く出来るな。あ……でも、それだと私は出張中か。参ったな……芹澤」

「イヤです」

「私はまだ何も言っていないが」

「言われなくてもわかっています。どうせ野添くんを出張に同行させるとか言うんでしょう」

「さすが芹澤だな。では野添くん追加で手配を頼む」


 当然とばかりに指示を出す久志に芹澤が目を瞠る。


「久志さん、わかっていますか? 出張は仕事なんですよ。そこに何故、野添くんを同行させないといけないんですか!」

「仕方ないだろう? 明日には出来ると言っているんだから」


 呆れて言葉が出ない。芹澤が黙っていると、さらに久志が言葉を続ける。


「それに気がかりな事があると、仕事に集中できない。着ぐるみの出来が気になって仕事が手につかなくなるかもしれないが、それでもいいのか?」

「…………わかりました。手配します。野添くんにかかる費用は久志さんが出してください。経費からは出しませんよ」

「当然だ。公私はきちんと分けないといけないからな」


 芹澤の口からため息が零れた。

 どの口が「公私を分ける」などと言うのか、呆れて言葉が出ない。

 それだけではない。ダメだと言いながら、結局芹澤は野添の同行を許してしまった。何のかんの言うくせに、弟のように思っている幼なじみについ甘くなってしまう自分にも呆れてしまう。


「芳美と旅行か。芳美、俺と二人きりじゃないからって拗ねるなよ」


 野添のバカがまた訳の分からないことを言っていたが、今度も一瞥もすることなく芹澤は携帯を取り出した。


「……あ、山路くんですか? 明日からの出張、ひとり追加出来ますか?」

『はい大丈夫だと思います』

「専務のプライベートな方ですので、請求は専務個人にあててください」

『わかりました……その、部屋は専務と同室の方がいいですか?』


 遠慮がちに山路が尋ねる。プライベートな相手だと聞いて、どうやら思い違いをしているらしい。


「同室でなくても大丈夫です。できれば近くの部屋にしてもらえると良いですね」

『了解しました。すぐに確認を取ってみます』

「急なことですみません。頼みましたよ、山路くん」

『は、はいっ! 山路にお任せください! 芹澤さんのために、最高の手配をしてみせます!』

「……宜しく。後でメールしてください」


 どうして自分の周りには、変な方向で個性的な人間しかいないのだろうかと、頭痛を覚えた芹澤は頭を抱えた。


「おい」


 突然、背後から低い声とともに芹澤の肩が掴まれた。

 肩を掴んだ手に強引に振り向かされると、芹澤のすぐ側に野添が立っており、不機嫌そうに顔を顰めている。


「ちょっと、野添くん。何をするんですか」


 肩を掴んだ野添の手を、芹澤が鬱陶しそうに払い除けるが、払い除けられても野添の手が直ぐに伸びてくる。


「野添くん?」

「芳美……山路って誰だ」

「――は?」

「お前が誰かにお願いしますなんて、その山路という奴とはそんなに親しい仲なのか?」


 最初は不機嫌そうに歪められていた野添の顔が、徐々に悲しげなものに変わる。


「俺というものがありながら、他の男に気移りするなんて……いくら俺と会えなくて寂しいからって、あんまりじゃないか」


 学生の頃から、この男は思い込みの激しすぎる所があった。

 自分で勝手に妄想を膨らませ、一人芝居をするだけで他人に迷惑をかける訳でもないので、いつも芹澤は野添のことは放置していた。だが、山路のことをとやかく言われることについては何故だか腹立ちを覚える。


「野添くん」

「芳美……いいんだ、悪いのは君じゃない。すべては君に対する俺の愛情が足りなかったせいなんだ」

「――ああ、鬱陶しい」


 芹澤がぼそりと呟いた。


「どうした? 何か言ったか?」


 人の話を全く聞かない野添に、芹澤の腹立ちのゲージが徐々に上がる。

 芹澤から発せられる不穏な空気に、長年共に過ごしている久志はすでに隣の部屋へと避難していた。


「鬱陶しい、と言ったんです」

「芳美?」

「山路くんは同じ会社の人間です。私が山路くんを頼りにしたところで、野添くんには全く、何の、関係もないでしょう!? 本当にいい加減にしてください。私はあなたのことなんて、これっぽっちも思っていませんから。全く勘違いも甚だしいですし迷惑です――ちょっと久志さん! どこに行ったんですか、打ち合わせをしますよ!」


 言うだけ言って、ムカムカしたものをすっかり吐き出した芹澤は、呆然としている野添を一瞥し、作業場となっているリビングを出ていった。


「……芳美。君がそんなに情熱的な人間だとは知らなかった。俺は君の新たな一面を知って、ますます君に惹かれているよ……俺をこんなに夢中にさせるなんて、君は本当に罪な男だ」


 この勘違い男は、かなり図太くて鈍い感覚の持ち主のようだ。

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