37 不審な影6

 朝から芹澤が、何やら大きな箱を抱えて秘書課の部屋へ入ってきた。


「……おはよう、ございます」


 入口の所で箱の角が引っ掛かったのか、バランスを崩した箱と一緒に芹澤の体が傾いた。


「芹澤さん!」


 その様子を目敏く見つけた山路が、素晴らしい反応のよさと信じられないほどの素早さで芹澤に駆け寄る。

 芹澤と箱は、床すれすれの所で山路の逞しい腕に支えられた。


「大丈夫ですかっ!?」

「――大丈夫。ありがとう……それにしても、山路くん。君、すごいですね」


 山路の右腕に背中を支えられている芹澤が、もう片方の腕でそこそこ大きさと重さのある箱を難なく抱えている山路に目を瞠った。


「これくらい何て事ないです。それより芹澤さん、力仕事があるなら俺を呼んでください。芹澤さんがケガでもしたらどうするんですか」

「ああ、そうですね。次からは山路くんに声をかけます」

「約束ですよ」


 はいはいと立ち上がる芹澤の後ろを、箱を抱えた山路が嬉しそうに続く。芹澤の役に立てることが本当に嬉しいようだ。


「山路くん、箱はそこに置いてください」


 ちょうど秘書課の部屋の中央にやって来た芹澤が、自分の足元を指差した。

 箱の中には長方形の平たい箱や、手のひらに少し余るくらいの大きさの箱がいくつも入っている。


「芹澤さん、これは何ですか?」


 夏樹が興味深々な様子で箱の中を覗きながら尋ねた。


「キーボードとマウスです。今度うちから出す予定の試作品なんですが、とりあえず秘書課で使ってみることになりました」

「試作品ですか」

「まずは二週間。二週間後にアンケートをとりますので、実際に使ってみて改善点などがありましたらそこで報告をお願いします」


 それぞれの机に、山路がキーボードとマウスの入った箱を配る。


「箱は捨てないでくださいね。山路くん、松本くんにはこちらのキーボードとマウスを」


 夏樹だけ他の人とは違う箱を渡された。


「あの、何で俺だけ違うやつなんですか?」

「松本くんのは専務からの指示でちょっと違うタイプのものになりました」

「――はあ」


 久志からの指示というところが少し引っ掛かるが、上司からの命令なら仕方がない。夏樹は山路から渡された箱をとりあえず開けてみた。


「何ですかこれ」

「夏樹? どうした」


 キーボードの箱を開けて目を見開いた夏樹が、続いてマウスの箱も開ける。


「――どんぐり?」

「何だこれ。マウス型どんぐり?」

「違うでしょう、山路くん。どんぐり型マウスです。話には聞いていましたが、私も実物を初めて見ました。さすが専務です、松本くんのイメージにぴったりですね」


 山路がマウス型どんぐりと言ったのも頷ける。箱の中には妙にリアルな、縦半分に切った形の巨大などんぐりが入っていた。

 ちなみにキーボードは丸太をイメージした木目調だ。木目調とは言っても、リアルなどんぐりとは違い絵本の中に出てきそうなポップなものだ。


「夏樹、よかったな。これだったら今使っている葉っぱのマウスパッドにも合うぞ」

「はあ……」


 はっきり言って嬉しくない。他の秘書課の人たちに配られたものはシャープな洗練されたデザインのものなのに、なぜ自分はどんぐり。


「あの、俺ってどんぐりっぽいんですか?」


 夏樹をイメージしたということは、自分は他からどんぐりのように丸っこい人間だと思われているのだろう。丸いというより、どちらかと言えば痩せている方だと思うのだが。


「そうですね。松本くんはどんぐりそのものではなくて、どんぐりを持っているイメージですね」

「夏樹、ちょっとマウスを両手で持ってみろ」

「……はい。こうですか?」

「もうちょっと上。顔の前あたりがいいですね」


 夏樹がどんぐり型マウスを両手で持ち、こてんと首を傾げた。同時に部屋のあちこちから携帯のシャッター音があがる。


「なっちゃ……松本くん、素晴らしいです。リアルな質感までこだわっただけあって、実際に松本くんが手にするとこれ以上ないくらいしっくりきますね」


 よくわからないが誉められてはいるようだ。


「このマウス、芹澤さんが言う通り触った感じも本物のどんぐりみたいです。でも、キーボードがあまりリアルな感じではないので、ちょっと合わない気がします」

「確かにそうだな。マウスが写真ならキーボードは絵本か」

「なるほど。デザイン部にその旨、報告しておきましょう。今日のところはそれを使ってください」


 キーボードとマウスをそれぞれ試作品に付け替える。

 今まで使っていたものはまとめて空き机に置いておくように言われたが、夏樹は営業課のみんなから貰った、てんとう虫型のマウスは机の引き出しに入れておくことにした。


「松本くん、すみません」

「はい」

「その今まで使っていたてんとう虫のマウスをちょっと見せてもらってもいいですか? 形が面白いのでデザイン部へ見せたいのですが」

「あ、はい。どうぞ」

「ありがとうございます。ちょっとお借りしますね。あとでちゃんとお返ししますので」


 芹澤は夏樹からてんとう虫型マウスを受けとると、そのまま部屋を出ていった。

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