27 新生活5

 週に一度、各役員の一週間分の大まかなスケジュールが秘書課へあがってくる。それを役員同士の予定がブッキングしないように擦り合わせ、山路が全体のスケジュールを作成する。


 夏樹の仕事は、山路が組んだ全体のスケジュールをPCに入力し、各部所へメールで知らせることだ。

 そこまで難しい仕事内容ではないのだが、KONNOがそれなりに規模の大きな会社であるため役員の数も多い。


 その上、一人あたりのスケジュール内容が結構細かいため、ただPCへデータを打ち込むだけでも骨が折れる。

 他にも取引先への接待確認や会食の予約と、することは細々とあり、これ全部を山路は今まで一人でこなしていたのかと、夏樹はキーボードの上の手を止めて、ため息をついた。


「夏樹、ちょっと休憩しようか」

「はい」


 夏樹が秘書課へ移動となって二週間が過ぎた。

 仕事や周りの雰囲気にも慣れ、秘書課のお姉さま方から送られる意味深な視線にも少々のことでは動じなくなった。


「うちにもだいぶん慣れた?」

「はいなんとか。まだ、たまに山路さんに聞かないとわからない所もありますけど、凄くやりがいもあります」


 夏樹は苦笑いを浮かべながら、なんとかという有名パティスリーのマカロンをかじった。もちろん秘書課のお姉さまからの差し入れだ。


「そうか、それならいいけど。何かあったら遠慮なく相談するんだよ。おっと、夏樹、こぼしているぞ」

「――あ」


 マカロンの鮮やかなピンク色の欠片が夏樹の膝の上に落ちた。それを山路が甲斐甲斐しく払い落とす。


「すみません」

「全く、夏樹は手のかかる甥っ子みたいだな」

「…………はあ」

「さて、そろそろ仕事に戻ろうか」


 山路はそう言って夏樹の頭をくしゃっと掻き回した。

 修一からは妹として認識されていたが、山路からは甥っ子として認識されたようだ。

 どちらにしても子供扱いなのは変わらないが、甥っ子ということは少なくとも山路からは男として見てもらえているということだ。

 子供扱いなところは置いといて、男として見てもらえていることがちょっぴり嬉しい。

 夏樹は山路の期待に少しでも応えられるよう、気合いを入れ直した。





 夏樹が移動してからというもの、久志は毎日秘書課へ顔を出している。

 会社役員として忙しいはずなのに、スケジュールの合間に少しでも時間ができると、いそいそと夏樹の顔を見にやって来るのだ。

 仕事が終わっても自宅へ戻ったら顔を合わせるのだし、自分の顔を見るだけのためにわざわざ来なくてもいいのでは?と、夏樹は一度芹澤に言ってみた。

 冷静な芹澤のことだ。すぐに久志へひとこと言ってくれるだろうと思っていた。なのに「その方が専務の仕事も捗りますし、秘書課の雰囲気も良くなりますので」と夏樹の意見は芹澤から相手にしてもらえなかった。


「まあ、ちゃんと仕事をしているならいいんだけど」


 そう言う夏樹の表情が晴れない。

 実は昨日の夕方から、久志が二泊三日の予定で出張に行っているのだ。

 認めたくはないが、毎日を一緒に過ごすうち、気づいたら久志の存在が夏樹の中で大きなものとなっていた。正直言って一日顔を見ないだけでちょっと寂しくなってきている。言うと久志を無駄に喜ばせてしまうので絶対に言わないが。


(あの人、もっと大人だと思っていたんだけど)


 先日、夏樹と会えなくなるから出張なんて行きたくないという久志に、さすがに呆れた芹澤が声を荒げた。

 三泊四日の所をスケジュールを無理矢理切り詰めて一日減らし、それでも渋る久志の首根っこを芹澤が掴み、引きずるように久志が出張へ連れて行かれたのが昨日の夕方だ。


(俺に会えないから出張に行きたくない、なんて久志さんが言ってるのを喜んでしまっているあたり、俺も終わってるのかも)


「夏樹、終わったか?」


 つい考え込んでしまって手が止まっていた。山路の声に夏樹が慌てて机の上を片付ける。

 どうも夏樹は昨日から気を抜くと久志のことを考えてしまう。


「すみません、すぐに片付けますから」

「慌てなくてもいいよ。でもちょっと急ごうか」


 山路が意地悪そうににやっと笑う。

 夏樹がもう一度、すみませんと慌てて言うと、山路は冗談だよといつもの豪快な笑いとともに夏樹の背中をばしばしと叩いた。

 実は芹澤からの指示で、久志が出張の間、山路が夏樹の送り迎えをしているのだ。

 大丈夫です、会社くらい一人で通えます。夏樹はそう芹澤へ訴えたのだが、盗撮犯がまだ捕まっていない以上、夏樹を一人にするのは感心しないと言われてしまうと、夏樹もそれ以上は何も言えない。


 芹澤第一の山路が彼からの頼み事を断る訳もなく、今朝も早くから使命に燃えた山路が自宅まで迎えに来たのだ。

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