第5話

 生物の常識を超えた脚力で跳躍し、一足で間合いを詰めてくる魔物に対し、ヘイルは斜めに駆け、先頭の一体とすれ違う。

 相手は跳躍の勢いのまま、飛び込んでくるヘイルを爪で引き裂こうとしたのかもしれない。しかしそれが成されなかったのは、単純に薙ぐべき自分の腕が失われていたからだ。交差するより早く、ヘイルは抜刀し、いかにも強固そうな鱗の身体を断ち切っていた。

「魔物相手なら、容赦はしない」

 威ある瞳で魔物に告げる。言葉の意味を彼らが理解したかどうかは疑わしいが、どうあれ互いに退くことはなかった。

 一瞬の間を置き、次いで向かってきた魔物の爪を受け止め、弾き、翻す刃で胴を薙ぐ。左右から挟み込む形で襲い掛かってくる二体にも、ヘイルは壁のようにその場から動かぬまま、一方の魔物の腕に剣を突き刺しながら、もう一方は素手で掴み取った。そのまま、明らかに人間離れした腕力によって絶壁へ向かって放り投げる。もう一体も剣を振り払う要領で同じ場所へ叩き付けた。

 壁にめり込む形で折り重なった二つのおぞましい身体が、絶命と共に青白い炎に包まれ消滅する――それは、先ほど打ち倒した魔物たちも同じだった。全てが等しく滅せられる。

 残る魔物はそれを見て、多少の脅威を覚えたのかもしれない。警戒し動きを止める彼らに、ヘイルは改めて剣を構えた。

 神々しい白光を湛える刀身。それはまさしく、魔を封じる使命と力を帯びた証だった。

 魔王を討つことの出来る唯一の剣と伝えられる、『勇者の剣』とでもいうべき存在。

 ルォォォォオオオ――!

 その威光に怖気付くまいとしてか、魔物は一斉に吼え猛った。

 奮い立たせた暴悪を剥き出しにして、天敵たる勇者へ殺到する。

 ヘイルは、しかしやはり退くことなく、これ以上は進ませぬという強い意志によって魔を迎え撃った。命を刈り取る残虐な一撃を切り払い、薙ぎ切り、叩き付け、蹴り飛ばす。

 軽装の身体に小さな裂傷こそ生まれるものの、ヘイルは恐るべき勇者然とした魔を退ける力によって、襲い来る全てを次々と蹴散らしていった。

 やがて……最後の一体が、斬り伏せられる。

 崩れ落ちた忌まわしい身体は炎と共に掻き消え、岩山に静寂が訪れる。もはや残った魔物はいない。

 しかし、ヘイルはそれでも剣を納めることはしなかった。静まり返った岩山の中に、ごく僅かながら鳴動を感じる。

 それは次第に大きくなっていき――やがて巣穴の中からその正体を現した。

 先ほどの魔物たちよりも、明らかに一回り巨大な体格をした、紛れもなく巣の親玉。獰猛な双眸は威風を増し、牙ですら爪のように鋭く伸びている。

 親玉が、そのおぞましい牙を湛える口を開く。

「ユウシャ……コロス……ユウシャ、コロス!」

「人語を介すのか。そんなことより、まずは別のものを学ぶべきだろうがな」

 しかし多少の知恵があるのは間違いない。ヘイルは警戒しながら構えを改めた。

 その時――

「ヘイル! 大変っ、大変だー!」

 叫びながら駆けてきたのは、アデルだった。

 異様に慌てた様子で、魔物の姿すら目に入っていないように、一目散にこちらへ向かってくる。

 そうまでして知らせようとする異常事態とはなんなのか、ヘイルがちらりと振り向くと――刹那。魔物が再び地獄めいた呻り声をあげた。

「ユウシャ、ナカマ……コロス!」

 魔物は僅かな知恵によって、新たに現れた組し易そうな少女の方を先に始末しようと考えたらしい。標的をそちらへ切り替えると、巨体に似合わぬ俊敏さ、あるいは巨体だからこそ可能となる脚力によって、異様な速さで跳躍する。

 それはヘイルの頭上を超え、自らの体重を乗せた一撃で少女を叩き潰そうと、空中で腕を振りかぶった。

 狙われていることに気付き、アデルは足を止め、驚愕に見上げた。巨大な魔物は眼前に迫っている。その間を遮るものはなく……

 怪物の咆哮が降り注がれ、叩き落とされる。

 激しい爆音のような鳴動が轟き、岩山全体が揺るがされたのではないかとさえ感じた。少なくとも絶壁からは小石がばらばらと舞い落ちてくる。

 魔物が叩き付けた地面は僅かに抉れ、周囲にひびのような痕を走らせていた。岩程度の頑丈さでは、間違いなく圧殺されてしまうだろう。

 しかし、そこに潰れた肉の破片はなかった。代わりに血の痕が、抉れた地面の端から山道を滑るように延びている。

 その先には少女を抱きかかえて地面にうつ伏せる、ヘイルがいた。背中に爪の痕と、それをなぞるような赤い血を滲ませながら。

「ヘイル!? お前、私を助けるために、こんな……」

「爪に引っかかれたくらいでよかったよ」

 驚愕と動揺を見せる少女に、ヘイルは痛みを堪えながら冗談めかしてそう告げる。しかしそれ以上に軽口を続けることはなく、それよりも急ぎ身体を起こすと、剣を振りかぶった。

 既に背後では、魔物の親玉が仕留め損なった敵を求めて地を蹴っている。

 アデルを抱えて飛び退くことが出来たのは、さほどの距離でもない。あの巨体には数歩と待たず到達されてしまうだろうと推算し、ヘイルは振り返ることをやめた。

 瞳を揺らす少女の頬にそっと手を触れ、剣を逆手に持つと、数える。地鳴りのような足音。それが確実に、自分の背に肉薄しただろうという歩数を待ち――

 ヘイルは逆手に持った剣を、思い切り背後へ向かって突き出した。

「グルォォァアア!」

 硬質さを備えた体表を貫いたという確かな手ごたえと同時に、魔物が苦悶の咆号をあげる。それは断末魔と言ってもいいだろう。ヘイルは突き刺した剣をそのまま薙ぎ払い、魔物の身体を切り裂いた。

 今度は声をあげる余裕すらなく、魔物が仰向けに倒れる音が聞こえる。直後、背後が青白く光ったのを感じ取り、ヘイルはそこでようやく剣を納めた。

 立ち上がり、アデルにも手を貸し起き上がらせると、彼女の無事を確認する。怪我の有無を問う呼びかけに、アデルはしばし動揺のまま頷いていたが、はたと気付いて「そんなことより!」と反対にヘイルの身体を心配し始めた。

 背中を向けさせ、傷の具合を見る。大きな爪痕。尋常ならざる身体能力のおかげか、傷は肉を裂きながらも浅く、奇跡的に致命傷を避けているが、血は既に足までも赤く染めていた。

 その怪我に顔をしかめ、狼狽した様子でアデルは叱責する。

「どうしてこんな無茶な……私なら、あのくらいどうにでもなるのに! 私は元々、あいつらの親玉だったんだぞ!」

「……そうだったな。普段が危うげだから忘れてた」

 ぱらぱらと小石や砂が降る中、それを払うついでにぱたぱたと手を振り、冗談めかして――心底忘れていたのだが――少女を落ち着かせようとする。当然、大した効果は得られなかったが。

 しかしそんな慌てふためく彼女を見て、思い出す。傷の痛みは見せないまま、「そういえば」と。

「お前、妙に急いでたみたいだったけど、どうしたんだ?」

「え?」

 アデルはきょとんと聞き返し――

 一瞬の間を置いてから、また盛大に慌て始めた。ヘイルの心配とはまた別種のものだったが、早口に叫んでくる。

「そうだった! 魔物が暴れ回ったせいで、山が崩れそうなんだ!」

「山が?」

 聞き返してから、気付く。思えば先ほどから、細かな砂利が降り続けていた。巨大な魔物は既に炎となって掻き消えたというのに、地鳴りも収まっていない。

 嫌な予感を覚え……二人でゆっくりと、まだ遠い山頂を見上げる。

 まさか、その僅かな振動が最後の均衡を崩したというわけではないだろうが――

 二人の目に映ったのは、今まさに岩山の一部が崩れ、巨石となって滑り落ちてこようとする瞬間だった。

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