はじまりの鐘(4)

 とまあ、柄にもなくそんなことを思い出してしまったわけだけれども。

 部長についていこうと決意したことをちょっぴり後悔したこともないわけじゃない。というより、そっちの方が日常茶飯事だ。

 それでも……

 クラエス先輩は、考え込んでいた俺の顔を覗き込んで問う。

「ブルーは、セイルのこと、友達だと思ってくれてるのかな?」

「もちろんですよ。最高の、相棒です」

 そうやって、迷わず答えられる程度には、部長のことを認めている。

 結局のところ、良いところも、悪いところも、全部ひっくるめて部長なのだ。それでいいのだ、自分が足らない部分を部長が知らずフォローしてくれるように……部長にできないことは、俺が手を貸せばいい。多分、俺たちはそういう関係なんだと思っている。

 そんな俺に対して、クラエス先輩はにっこりと笑う。獣人は人間からすると表情がわかりづらいけれど、それがきっと、満面の笑顔だったのだ、ということくらいはわかって。それで、急に気恥ずかしくなって付け加える。

「あ、俺がこんなこと言ってたの、部長には黙っててくださいね」

「ええ、何でさ。いいじゃないか、言っても」

「悔しいじゃないですか、部長に負けを認めたみたいで」

 視線を逸らして、口の中で呟く。クラエス先輩は、横でぷっと吹き出した。

「勝負しているわけでもないだろうに、変なところで意地っ張りなんだから」

 だけどそれもブルーらしいところだよね、と楽しそうに笑いながら、先輩は鞄を手に横手の道に一歩を踏み出す。

「じゃ、僕はこっちだから。これからもセイルと仲良くしてあげてね」

「わかりました。クラエス先輩も、お仕事頑張ってくださいね」

「うん、今年も年末はライラ祭で演奏するから、是非見に来てくれると嬉しいな」

 去年のファンファーレの迫力と、魔王城址から見た舞台の上に現れた聖女ライラの勇姿を思い出す。クラエス先輩がそう言うのだから、今年も、きっと素敵な祭になるだろう。そんな確信と共に、笑顔で頷く。

「楽しみにしています」

「ありがと。それじゃあまたね、ブルー」

「はい、それでは」

 手を振って、クラエス先輩と別れた。先輩は、小さな体と長い尻尾を揺らしながら、道の向こうに消えていく。それを立ち止まったまま見送って……今度こそ、学校へ向かって歩き出した。


 

 学校の門をくぐり、一限開始までは少し時間があるから、と思って部室の扉を開けると、

「よう、ブルー!」

 何故か、そこに部長がいた。

「部長、いつ帰ってきたのですか?」

 リムリカさんから聞いた話では、実家がどたばたしていていつ帰ってこられるかわからない、ということで。今日の朝も部屋には帰ってきていなかったというのに。

 部長は家から持ってきたのだろう、四角い鞄を抱えて大げさに溜息をつく。

「今だよ、今! もうやんなっちまうよな! 跡継ぎとか、正直弟にやらせりゃいいと思ってんだけど、そう簡単な問題じゃねえのなー……」

 ――まあ、それはそうだろうな、と思う。

 むしろ、今までその問題を無理やりにでも回避し続けてきたのがおかしかったのではないかとすら、思う。

 部長は、レクス帝国の宮廷魔道士に端を発する、旧レクスの名門貴族ブリーガル家の嫡男であるという。

 その事実を聞かされた時、にわかには信じられなかったことを覚えているけれど……よくよく考えてみると、やたら仰々しい名乗りといい、学校では決して習わないような魔法の技術といい、普通に暮らしていれば決して身につかないことを当たり前のようにやってのける部長だ。そういう背景を持っていても、不思議ではない。

 それに……その話を聞いて、少しだけ、納得してしまったのだ。

 部長もまた、人からの評価が少なからず「肩書き」だったり「生まれ育ち」に左右されるということを、初めからわかっていたのだ。方向性は自分とは正反対かもしれないけれど、それはそれで何かしら思うところがあったに違いない。

 だけど、部長は何だかんだで自分の意志を貫きながらも、上手く周りと折り合いつけて生きていくのだろう。やることなすこと危なっかしいけれどもそういう部分はやたら器用な人だから、実のところあまり心配していない。

 ただ、流石に今回ばかりは部長にとってもなかなかきつい帰郷となったのだろう。珍しく疲れきった表情で言う。

「久しぶりに帰ってみたら弟は全くかわいげなくなってるし……そうそう、何かブルー、お前に似てきたかも」

「……それは、俺がかわいげないってことですよね」

 すかさず指摘すると、部長はこちらを見上げて、かわいらしく小首を傾げてみせた。

「てへっ」

「てへっ、じゃねえよ」

「ブルー、最近本性見えてきたよな」

「十中八九部長の責任です」

 俺の責任かよ、と部長は頬を膨らませる。こんな普段通りのやり取りも、ちょっと間を置いてみると新鮮に感じるから不思議だ。それでいて、部長の反応が帰郷前と何も変わっていないことに安心もした。

 それでなければ、部長じゃない。

 しばしぎゃあぎゃあと下らない言い合いをしているうちに、話はお互いの帰省の話に変わっていた。一通りの愚痴を吐き出した部長は、不意に俺に問うてきた。

「なあ、ブルー」

「何ですか?」

「きちんと、兄貴には話できたのか?」

 俺にとっても、久しぶりになった帰郷。思い切って足を踏み出してみれば、ずっと馬鹿兄貴との対峙から逃げていた自分が馬鹿馬鹿しくなってしまった。帰ってみれば、兄貴は、当然のようにそこにいて、俺が帰ってくるのを待っていたのだ。

 だから。

「もちろんですよ」

 今なら、笑って答えることができる。

 部長のこと、宝探しのこと、これからのこと。色々なことを話した。正しく伝わったかどうかはあの人のことだからわかったものじゃないけれど、きっと、伝わったと信じている。

 部長は、そんな俺に嬉しそうに笑いかけて、言った。

「よかったな、ブルー」

「――はい!」

 こちらも笑顔で答えた……その時だった。

 こけこっこー、という高らかな声と共に、何かが頭に向かって襲い掛かってきた。

「ぎゃああああああ」

 視界が青に染まり、強烈な痛みが頭に襲い掛かってくる。今までのようなかわいい痛みじゃない、これ何、いや本当に何!

「シェル! だからお前はいちいちブルーをいじめるなって!」

 部長が慌てて頭に被さっているものを引き剥がす。その時に髪の毛が何本か思いっきり引きちぎられた気がするけれど、攻撃され続けるよりはマシだと思うことにする。

 涙目になりながら顔を上げると、部長の手の中にいるそれが、こけっ、と鳴いた。くちばしに空色の髪の毛を数本咥えて、勝ち誇ったようなふてぶてしい顔をしているのは、

 とさかから足の先まで、綺麗な青をした、一羽のにわとり。

「……部長……これ、何ですか」

「実家に連れ帰ったら急に育っちゃったんだよね。文献見た感じ、やっぱり賢者鳩と一緒で魔力摂取が必須の種族っぽいから、ここだと魔力足らなかったんだろうなあ」

 ……まさか。

「これ、もしかして……本物の青い鳥だったんですか?」

「え、お前、まだ気づいてなかったの?」

 はい、気づいていませんでしたとも。

 すっかり、青く染められたひよこだと思い込んでいた。けれど、考えてみれば確かに色々おかしいところはあったのだ、なかなか成長しないし、青い色は落ちないし、それに何よりも……賢すぎるのだ、こいつは。

 魔力を過剰に浴びて育った動植物……もちろん人族も含む……は、肉体や精神を変異させ、原型を失った「魔物」となるが、その中には上手い具合に変異を起こして、人並みの知恵を持ち、人と共存していくことの出来る種族もいる。

 人族の使い魔として知られる賢者鼠や賢者鳩はその一つ、そして時々人前に現れて幸せをもたらすという、青い鳥もその一つ。とはいえ青い鳥はあまりに珍しすぎて、伝説扱いなのだと思い込んでいた。

 それが祭の屋台で売られてるなんて、思いもしないに決まっているではないか!

 思わずまじまじとシェルを見つめていると、シェルは明らかに敵意を剥き出しにしてこちらを睨んできた。これは、やはり「自分以外に青い奴は許さない」的な敵愾心なのじゃないかなあ、と思わずにはいられない。

 ここで部長がシェルを抱えたまま、いい笑顔で言った。

「ちなみに、こいつ、卵も産むぜ」

「メスだったんですか!」

 正直、それはすごくどうでもいい。その貴重な卵をどうしたのかは、ちょっとだけ気になりはしたけれど……食べたのだろうか。やっぱり食べたのだろうか。直接聞くのはちょっと怖いが、そんな予感しかしないのが困る。

 部長は、ひよこ時代と同じように、でっかいシェルを頭に乗せて笑う。

「とりあえず、きちんと言い聞かせれば大人しいし、これからも一緒に暮らしてくつもりだから。寮の庭に柵作ってもらってさ」

「……は、はあ。リムリカさんが許せばいいんじゃないでしょうか。ただ、俺には近づけないでくださいね、髪の毛何本あっても足りません」

「いっそ剃っちゃえば?」

「即刻却下です」

 だよねー、と部長はけたけた笑う。わかっているならば聞かないでいただきたい。もし俺が兄貴なら、真に受けかねないから。あの人には冗談は通じない……わけではないが通じにくい。限りなく。

 今にも飛び掛ってきそうなシェルにびくびくしつつ、とにかく授業が始まる前に、部長にこれだけは伝えておかなければならなかったのだ、と思い出す。

 椅子の上に載せておいた鞄を取り、中からノートを取り出して部長に手渡す。部長は「何、これ」とぱらぱらとノートをめくるけれど、中は白紙だ。最初の一頁目を除いて。

「航空部日誌を、再開しようかと思いまして。新しく部員が入った時も、これを見れば少しは活動内容がわかるかな、と」

「お、いいね、それ!」

 部長は手を叩いて喜ぶ。そういう反応をいただけると、こちらも考えたかいがあるってものだ。

「一応、最初の頁は俺の方で書いておきましたので、続きから書いていただければ、と思いまして」

「ん、了解だ。後で書いとくな」

「お願いします。それじゃあ、俺は授業に行ってきますが……部長は、どうしますか?」

「俺は新入生のために掃除を」

「俺が帰ってくるまで待っててくださいお願いします。というか部長はまず授業に出てください! 聞きましたよ、今期卒業が無理だって話! どれだけサボってたんですかアンタ!」

 あはは、と部長はあくまでお気楽に笑う。部長は成績だけで言うなら俺よりもずっと優秀なのだから、そこで単位を落とすということは絶対にないわけで。考えられる原因はただ一つ、部室の資料漁りや設計に集中していて、授業の存在をすっかり忘れるということだけだ。

 家は何も言わないのだろうか、それとも言われていても華麗に無視を続けているのか。絶対に後者だろうなと思いながら、呆れの感情を言葉にする。

「そんなことしてると、二代目学園のヌシになっちゃいますよ」

「お、それはいいかも」

「よくねえよ! 何だよその『すげえ魅力的』みたいな顔!」

 とにかく、卒業くらいはまともにして欲しいと思う。後から入った自分がいつの間にか先輩になってるなんてぞっとしないではないか。

 じっと部長を睨むけれど、部長は愉快そうに笑う、笑う。それにつられて、つい、吹き出してしまう。

 まったく、部長には敵わないよ。

 白紙の日誌を大切そうに抱える部長は、そんな俺に向かってひらりと手を振った。

「それじゃ、授業頑張ってな、ブルー」

「そっちもですよ」

 てへっ、というかわいらしさを装った笑顔が返事だったから、まともに授業に行く気は無さそうだ。多分今回も、新入生にあのやたら派手な魔道実技を披露するだけで終わりにしてしまうんだろうな。先が思いやられる。

 とはいえ、これは部長の問題で俺がどうこう言うことでもなく。部長と、いつの間にか部長の横に降りていたシェルに向かって、鞄を手に頭を下げる。

「では、失礼します」

 おう、という声と耳慣れぬにわとりの鳴き声を聞きながら、部室を後にして……ふと、自分の手で閉ざした扉を振り返る。その時、時計塔の鐘の音が、高く、高く、響き渡った。

 ――兄貴。

 アンタは、この鐘の音を「終わり」だと言ったし、実際にアンタにとっては、夢のような日々に終わりを告げる鐘だったのかもしれない。

 けれど、俺にとってはこれが「はじまり」なんだと思う。

 今までの俺は、アンタの影を背負うことが当たり前だと思っていた。アンタに出来なかったことを俺の手で叶えることで、アンタに報いることが全てだと思っていた。

 だけど、もうそうやって考えるのは止めようと思う。

 俺は空を目指すよ、兄貴。

 でも、それは決してアンタのためじゃない。子供みたいな顔で空を見上げるアンタのことが好きだった、もちろん今も嫌いにはなれない俺自身のために……『机上の空』に描いたアンタの夢を、現実の空に形にしてみせる。誰よりも俺が、空を舞うアンタの船を見たいって強く強く望んでいるから。その思いは、きっと、あの部長にだって負けない自信がある。

 空を見上げる。いくつもの船が飛び交う風の海はどこまでも青くて……けれど、それはもう、悲しみの色なんかじゃない。

 晴れた空と同じ色の前髪にそっと指で触れて、この色を好きだと言ってくれた誰かさんを思い出して。

 その時に感じた暖かな思いを胸に、ほんの少しだけ微笑む。


 はじまりの、鐘が鳴る。


 それが一限開始の合図だということに今更ながらに気づき、慌てて教室に向かって駆け出した。

 部室から響き渡る、幸せを呼ぶシェルの高らかな鳴き声を聞きながら――


 今日も一日、素敵な日になる。そんな気がしていた。

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