第1話 『気になる彼女』
「おはようございます、司」
「おはよ~」
午前六時半。鳴りやまない玄関チャイムに叩き起こされ、俺の日常は始まった。
「早く顔を洗って、着替えてきてください。私も手早く朝食を作りますので」
「了解」
腰に届くくらいの長い黒髪をなびかせ台所に向かったのは、幼馴染の冬見香凛。
俺の両親は夜勤なので、いつもこうして香凛が世話を焼いてくれる。
顔を洗い、二階の自室に戻って制服に着替える。ここで二度寝しようものなら、気品のある香凛から鬼畜香凛に様変わりして脅されるので、余計な真似はできない。朝奉行の香凛は恐ろしいのだ。……って、朝奉行ってなんだよって話だけどな。
そんなことを考えながら教科書を鞄に入れかけて、はたと気付く。
「今日始業式じゃん。授業ないじゃん」
そう。今日は四月七日。高校二年第一学期の始業式なのだ。道理で眠いわけだ。
「もたもたしてる暇などないのですよ! 早く降りてきてください! さもないと──」
「すぐ行くから!」
慌てて鞄を片手に部屋を出る。階段を降りてリビングに入ると、香ばしい匂いが漂ってきた。
今日の朝食はどうやら和食らしい。ご飯とみそ汁、それに鮭の焼き魚とほうれん草のおひたしが並べられていた。
「今日もうまそうだ」
「ありがとうございます。では、いただきましょう」
二人手を合わせ、「いただきます」と唱和する。
俺の健康は香凛に守ってもらっていると言っても過言ではない。
その後、急いで支度をして学校に向かい、今は午前八時。
「もう少し早く来た方がよかったでしょうか……」
「そうだな……」
学校に着いて、大きく張り出されたクラス名簿を確認しようにも人が群がっていて見えない。
と、そこで俯きながらこちらに向かってくる背の低い女子生徒。
どこかで転んだのだろうか、もともと紺色だったブレザーが全体的に汚れている。
「そこのあなた。大丈夫ですか?」
香凛が声をかけると一瞬ビクッとする。
「う、うん……。ありがとう。何でもないから。何でも、ないから……。それじゃ……」
「あの!」
「まだ何か……?」
「クラス、確認してないんじゃない? もしよかったら確認してこようか?」
「ううん。大丈夫。後で確認するから」
「でも、その、失礼だけど見えないんじゃ……」
「大丈夫。気遣い、ありがとね」
ぎこちない笑みを浮かべて、踵を返して一目散に逃げていく小さな女子生徒。
「大丈夫かな……」
「どうでしょう。何かしら抱えているような気がしますけれど……」
「とにかく、時間もないし、多少強引だけど確認してくるよ」
「ええ、気を付けてくださいね」
香凛の声を背に受けて、人ごみの中に突入する。バーゲンの時のおばさんの気持ちってこんな感じなんだろうなと思いつつ、押しつ押されつ何とか見える場所まで到達した。
「秋月司と冬見香凛……お、あった!」
ラッキーなことに、ちょうど進んだ先にあった紙に俺と香凛の名前が書いてあった。
「なんだ、颯太も同じクラスか」
春井颯太。去年から一緒のクラスで、よくつるんでいたやつだ。
さっき、混雑を見かねた教師が拡声器で確認したやつから順次教室に行けとアナウンスがあったため、ようやく人が捌けてきた。すんなりと香凛の元に戻り、同じクラスだったことを伝える。
「彼女、きちんと時間に間に合えば良いのですが……」
時計を見ながら香凛がつぶやく。あと五分でホームルーム開始のチャイムが鳴る。その時教室にいなければ遅刻扱いになってしまうのだ。
「心配しても仕方ない。とにかく俺たちが遅れちゃ本末転倒だし、とりあえず行こうか」
「ええ、分かりました」
後ろ髪を引かれる思いでその場を後にした。
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