俺が創造した世界を放置した結果、大変なことになっているようです!/狐谷まどか

狐谷まどか

第1話

 確か眠りについていたはずの俺が、夢の中で不思議な体験をした。

 あるはずのない四肢の感覚、五感の全てが冴えわたる様に爪先にも髪の毛の触れる頬にも、確かな感覚がある。

 双眸を開いて瞼をひとこすりしたところで、ここがまるで現実の世界の様に感じたのだ。


 けれどもここは明らかに、俺の知っている世界ではない。


 周囲は暗くそして豪奢な神殿の様に荘厳な雰囲気だった。

 いくつも天井に向けて伸び上がっている支柱には、それぞれ蝋燭の炎が震えていた。

 足元は、足元はどうなっているんだ?

 そこには俺を中心に大きな多重の円陣が刻まれており、見たこともない文字列がそこを走り抜けていた。

 もしかすると上位古代文字というやつかもしれない、見たことはないが、俺はそれを知っている様な気がした。


 この不思議な感覚。

 夢の中にしては妙にリアルな実感が俺の厨二病的感覚を満足させた。

 そして俺の目の前に、ひとつの玉座がある。

 安楽椅子のひじ掛けに体重を乗せて、とても不機嫌そうに頬杖を付いたその存在こそが、夢の中のリアル、リアルの中の夢に心地よく浸っていた俺に、大いなる冷や水を浴びせかけてきたのだった。

「お兄ちゃん!」


 俺の名は忘れられたひとつのファンタジー世界を紡ぎあげた創造神にして現実世界の大学生、天野照人である。


「お兄ちゃん! お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃん、お兄ちゃん!」

「おっ応っ」

「いったいいつになったら、WEB小説の続き書いてくれるの?! お兄ちゃんがいつまでたっても続きを更新してくれないから、あたし世界を征服できないんだよ!」


 そして目の前で俺をひどく不機嫌そうに睨み付けている愛らしい顔の赤髪少女こそ、俺の妄想上にだけ存在している愛すべき妹、クフィルちゃんだった。


 そう、彼女こそ……

 誰にも教えていない、高校生時代にとある小説投稿サイトにこっそりと投稿し続けていたライトノベル風異世界ファンタジーに登場する魔王だったのである!


     *


 俺はWEB小説にありがちな、テンプレ異世界に召喚されてしまった。

 しかも実はその異世界が、自分の黒歴史の産物だったのである。

 そして黒歴史の中で主人公として描かれていたのが、魔王ことクフィルちゃんである。


「お兄ちゃん。WEB小説の更新やめちゃってから何年ぐらいになるかな?」


 森の中を歩きながら魔王クフィルちゃんはは創造神に質問した。


「そ、そうだな。確か高校二年の冬になって大学受験の勉強始めたあたりからだから、だいたい三年半ぐらいかな」

「そうだね、あたしはお兄ちゃんを三年半も待ち続けたんだよ。あたしがこの世界を混沌に導こうと頑張っていた頃、お兄ちゃんはいったい何をしていたのかな。言ってみて?」

「じゅ受験勉強をしてたんだぜ。志望校に落ちちゃったから一年浪人して、やっと目標の学校に入れたんだ。今はやっと時間も落ち着いてきて、最近はバイトもはじめたんだぜ」


 バイト代が入って少し懐に余裕がある俺は、つい自慢げにいらないことを言ってしまったらしい。


「ふうん。バイトする時間はあったのに、WEB小説の更新する時間はないんだ?」

「…………」


 歩みを止めてジっと睨み付けてくる小柄なクフィルちゃんに俺は言葉を無くしてしまった。


「知ってるお兄ちゃん? お兄ちゃんはこの世界を創造するにあたって、いろいろな事を小説の中に書き込んだよね。世の中の地理情報、種族と人口の分布図、特産物は何かとか人間たちがどんな生活をしているのかとか」

「あの頃はこだわって色々書いたなあ。設定って作ってるとき楽しいんだよね」

「でもお兄ちゃん、大切なことを忘れていたよね。お兄ちゃんの作り上げたファンタジー世界の主人公はあたしなのに、あたしの住んでいる魔王城の設定だけは適当だったもんね!」

「あっと、その。すまん……」


 そうなのである。

 俺は黒歴史となった小説の世界観はけっこう設定詰め込んだはずだったけれど、魔王城の書き込みだけは超テキトーだった。


「洞窟の中、創造神の妹にして魔王クフィルは玉座を構えていた。天然の洞窟を魔族の神殿風にあしらえたそれは、一見すると豪奢なつくりをしている様に見えていた」


 ゴソゴソとマントに隠れた背中をあさったクフィルちゃんが、無駄に豪華な作りの一冊の本を取り出して、ペラペラとめくりながら読み上げた。


「一見すると豪華とか書いてたけど、大嘘だよ。設定がまったく書かれてなかったからとっても中途半端な造りになってるのよ! 寒いし天井から水は滴るし湿気が多いから、お洋服はいつも半乾きだし……おトイレだってボットンなんだかねっ」


 ボットン……。


「部下がひとりもいない魔王とか、どうなってるのよもー」

「サーセン」


 俺は謝罪するしかなかったのである。

 あの頃――高校生だった頃の俺は何と無責任な創造神だったのであろうか。

 俺の作り上げた世界が本当に存在しているのなら、ちゃんとしっかりと物語を書き進めていたものを。


「ま、まあ? 過ぎてしまった事はしょうがないよな。ちゃんと創造神としてクフィルちゃんのお引越し手伝うからね」

「うん。それと部下探しも手伝ってね……」


 俺たちはだからこうして森の中を歩いていた。

 湿気が多く狭くて暗いダンジョン――魔王城なんていやだ! というクフィルちゃんの願いをかなえるためにね。


「町はたしか、この森を抜けて少し平原を進んだところにあるんだっけ?」

「ええと、バイブルを確認するからちょっと待って」


 ふたたび無駄に豪華な装丁の本をめくるクフィルちゃん。どうやらその本は、書きかけだった俺の小説そのものらしい。


「魔王城より森を抜けて北の平原を進んだ場所って書いてあるね。たぶんあってる」

「しかし、魔王さまが人間の街とかうろついても大丈夫なのかな……」


 俺は当然の疑問を口にした。


「うーん、どうだろう? あたし、部下もいなかったしこの世界で何も悪さをしてないから、そもそも魔王として認知されていないと思うんだよねえ」


 小首をかしげながらクフィルちゃんが思案した。


「というか、魔王のあたしより強い魔物が、あちこち跳梁跋扈している世界だからね……。あたし、お兄ちゃんが来るまでずっと魔王城で耐えてたんだから……」


 そんな可愛そうな妹の言葉についウルっと来た俺は、たまらずクフィルちゃんを抱きしめようとした。

 のだけれど、見事に広げた手をスルっと抜けられてしまう。


「お兄ちゃん何やってるの! 魔物、魔物ぉ!」


 振り返るとそこには、豚面をした人型モンスターが複数立っていたのである。


「くっ殺せ!」

「ちょ、何言いだすのお兄ちゃんっ?」


 豚面をした人型モンスターを目の前に、俺は覚悟を決めた。


「だってこいつら、オークでしょ? オークって言ったら村人を捕まえてあんな事やこんな事、いけない事をいっぱいしてくる連中じゃないか!」

「でも、あたしたち村人じゃないから!」


 そうでした。俺たち創造神と魔王の兄妹でしたね。


「ちょっとあんたたと、いったい何なのよ。そこをどきなさい! ここにおわすお方は恐れ多くもこの世界の創造神・お兄ちゃんだよ!」


 そんな説明ではたして通じるのかわからないが、クフィルちゃんがいかめしい顔をしてオークたちを睨み付けながら吠えた。

 するとオークが口を開く。


「とんでもねえ! 俺たちゃ神様に歯向かうなんてしませんや……」

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