2、出立前に《7》


「…………………陛下。そこにいらっしゃるのでしょう? そろそろ出てこられたら、いかがです?」

 ジークハルトは作業に没頭していた手を止め、ふと後ろを振り向いた。

 その声を聞いてだろうか。

 ギィーと、少々立て付けの悪い音が、ジークハルトの後ろでした。

「…………やはり、バレていたか………」

 その声の主は、ジークハルトが昔からよく知る人物であった。

 その姿は、うしろの壁に掛けてある絵画から――――ではなく、絵画の裏に隠していた扉から出てくる。いわゆる、隠し扉というものだ。

「ええ。正直言って、バレバレです。今度から、もっといいところにお隠れになられた方が良いと思いますよ、国王フロシアン十三世陛下………いいえ、フライデン様」

  ジークハルトはすかさず、きっぱりと返す。

 相変わらず、ジークハルトは変わらない…………と思いつつ、国王フライデンは苦笑した。

「まぁ、そう言うな。ジークハルト大臣……………いや、俺もジークと呼んだ方がいいかな?」

 ここはにやっと笑ってフライデンも返す。

 一方ジークと呼ばれたジークハルトも苦笑した。

「まぁ、ちょうどお話したいと思っていたところです。どうぞ、お掛けください」

「ああ、ありがとう」

 ジークハルトは、うしろで立っている国王を、応接間にあるソファに座るように促した。





「……………こう、お話するのは本当に久しぶりですね……」

 二人は、ジークハルトが淹れた赤ワインのグラスを口に傾けながら話していた。ちなみにそのワインは、ジークハルトが執務室の奥の戸棚に隠しておいた、秘蔵品である。

「そうだな、ジーク。俺もおまえも忙しかったものなぁ………」

「ええ、そうですねえ…………。それにしてもフライデン様。何です、そのものの言い方は。はっきり言って、いまさら若者ぶってもねぇ〜、って感じですけど?」

「なんだと!? そ、そういうジークこそ、わし、とか言っているのではないか!!」

 明らかに動揺したフライデンが、ワインを吹きこぼしそうになった。

「そうですよ。まぁ、いいじゃないですか、私ももう、いい歳なんですから。少しぐらい」

「だ、だったらなぜ、俺………いや私はダメなのだ?」

 久しぶりに少し取り乱したフライデン様を見れた。

 ジークは笑った。

「それは、明らかに可笑しいからです。…………しかし昔の物言いも覚えていらっしゃるのですね。よかったです。私は安心いたしました。フライデン様の頭は、まだしばらくは使えそうですね」

「…………うるさい」

 フライデンはそっぽを向いた。

 それが何だか面白くって、ジークはさらに笑った。

 本来の王と臣下の間柄ではなく、旧来の友と話すような、かなりくだけた口調で会話する。

 こんな風に誰かと話すことはもう、少なくなったな、とジークはふと思った。





「ジーク、さっきはありがとう。そなたがああ言って説得してくれたから、マリーも行く気なったのであろう。改めて、礼を言う」

 フライデンが、頭を下げる。

「頭を上げてください、フライデン様。……………別に私は、説得したわけではありませんよ。でもまぁ、マリー様も本当はお分かりなのではないですか? あのお方は、あなたがお思いになられているよりも、ずっと大人です。…………あなたの想像をはるかに超えるぐらい」

「それは、どういうことだ?」

「あのお方は、王家の成すべき仕事を理解しておられますよ。もし、また戦争が起こり、和睦のためにご自身が政略結婚をすればいいのなら、迷わず嫁がれるでしょう。それがたとえどれほど望まぬ婚姻だとしても。何よりも、民の生活を守ることを一番にお考えですからね」

「そうか…………」

 フライデンは呟いた。

 それから、暫し会話が途切れる。

 ただ、ワインのグラスを傾ける、静かな音しかしない。

 二人の間に沈黙が流れた。

「なぁ……ジーク。マリーはどうだろうか?」

 フライデンがおもむろに口を開いた。沈黙を破るように。

「マリー様ですか。……………ああ、大丈夫だと思いますよ。あなたの娘御様とは思えないほど、優秀なお方ですから」

 それに、と言って、ジークは微笑した。

 フライデンは驚いた。

 それはジークが滅多に見せない、心からの笑みであった。

「なあに、心配はありませんよ。マリー様は、私の自慢の弟子なのですからね」


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